日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

文化財に泊まる:旧北海道拓殖銀行小樽支店

2013-06-30 23:51:38 | 建築・風景
密度の濃い今年の北海道訪問だった。
倉本龍彦さんの代表作`ばあちゃんち`の建つニセコに行くこともあって、小樽に2泊した。
小樽から札幌へ通勤(?)、上遠野邸を訪ねてご子息克さんに会い、北海道の建築界のことなど伺う。その後、札幌市大羽深教授が主導している「北の国の民家の会」で、四国高知の建築家山本長水さんの「土佐派の家」をテーマにした講演を拝聴した。
MOROさんが取ってくれた宿は「HOTEL VIBRANT」。小樽市景観賞と小樽市歴史的建造物に指定(平成3年10月4日)された旧北海道拓殖銀行である。「北のウオールガイの交差点、6本の古典的円柱がカウンターに添って建つ」と紹介文に書かれているが正しくその魅力を味わうことになった。
銀行をホテルに改修したその仕組みやデザインも興味深い。宿泊費が一泊5500円と安く、その6本の円柱の下で、パンとコーヒーの朝食も食べられる。中国語が飛び交っていてそれもまた一興。

好天に恵まれる北海道へ→おばあちゃん家へ

2013-06-21 05:20:44 | 建築・風景
今朝から北海道。
連載している「建築家模様」のために倉本龍彦さんに、ニセコの「おばあちゃんの家」などを案内していただいて写真を撮り、何故この地にこのような建築を建てたのかなどなど、話をお聞きする。

例年の小樽のプレスカフェでの食事は、特製の「オムレツ」だそうな!ターマスが手ぐすねを惹いて待ってるよ、とは、案内してくれるMOROさんの一言だ。

札幌市大の羽深教授から札幌に来るのなら、院生と学部の4年生に授業をして欲しいと頼まれた。
建築家模様の裏話(秘話)を題材にし、地方都市で活躍している建築家の実像に触れて実感している「建築と風土」をテーマにして話すつもり。
タイトルは「時代と風土のなかでの『建築家模様』。「建築家とは誰か」ということになるのかもしれない。30分ほどの時間を取った院生とやり取りが楽しみだ。

そしてなんと、羽深教授が主催している「北の国の民家の会」で、土佐の高知から「山本長水」さんを招いて講演してもらうのでそこに列席して欲しい、更にその後の懇親会にも誘われた。建築家模様に登場いただいた長水さんに久し振りに会える。それも札幌で!
出かけると思いがけないことが起こるものだ。
上遠野邸にも伺うが、電話をした上遠野克さんから昨日倉本さんに会ってきましたよ!と言われ、今日お会いする倉本さんとの縁も感じる。

<写真:「おばあちゃん家(ち)」。 倉本さんの「おばあちゃん家」を案内してもらうためにニセコに行った。建ててから40年を経て世代も変わり、室内の一部をテラスにするなど使いやすくするためにコンパクトにする改修工事の最中だが、その計画を聞いているうちに、僕自身の夢が膨らみ、出来上がったら空間構成の妙を味わいたいものだと思ったものだ。植えた白樺の樹が育ち、周辺の様が一変していることもわかり、その経緯も興味深い:帰郷した7月26日記>

枇杷と蜂蜜

2013-06-16 16:07:42 | 生きること
体調がよくないと聞いていて、今年は年賀状も来なかった先輩から電話をもらった。
声もしゃべり方もいつもと変わらず、ホッとはしたものの、6ヶ月入院して手術を繰り返した。今でも3泊4日で大学病院に行き、10日経つとまた3泊4日の入院、点滴治療を繰り返し、人工肛門をつけて生活しているのだと言う。一瞬言葉にならず、溜息しか出なかった。

電話をくれたのは、枇杷が旬(しゅん)だからだという。「採りに来ない?」
今は閉業したが、彼が現役のときの材料置き場と加工場の庭に植えた枇杷の樹に実が鈴なり、剪定等の手入れができないので一枝に実が付き過ぎているが美味しいよと言う。
妻君を誘ってまず伊勢原の彼の自宅に行き、僕の車で何度か訪れたことのある置き場に行く。
そこに枇杷の樹のあることには気がつかなかった。
ほっぽっといたら大樹になったのだそうナ!
下から見上げると、確かにたわわな枇杷だ。

妻君は梯子を上るなんて到底無理だとしり込みして下で待つ。
気をつけて、と言い、まず先輩がシナシナとしなるアルミの梯子をスルスルと上る。とても病人とは思えぬ鮮やかな上り方、僕がよろよろと上っていく様に、妻君は心配そうだが呆れてもいる。
波型鉄板屋根の下地のあるところに立たないと屋根が破れるかもしれないので気をつけてといわれながら、陽の当たるところの熟れたものを選ぶように言われてもぎり、皮を剝いて口に含んだ。
野性味あり、これが「枇杷」なのだ。

先輩の自宅に戻って奥様とも一緒に、人生の嘆きと面白さも、そして可笑しさに話が弾んだ。先輩の髪は薄くなったが顔色はその昔と変わらず、うちに帰ってきてからの妻君には、六つも年上なのにあなたより元気じゃない!あんた、よれよれよ!

さても、先輩からプレゼントされた日本蜜蜂のビンテージ、4年物の蜂蜜を、ちびちびと舐めながらの陶酔境、この一文をしたためている。

オリバー・ストーンの「もう一つの歴史」

2013-06-09 13:07:16 | 文化考
深夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、NHK・BSのドキュメタリーに眼が釘付けになった。「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」である。

1946年に生まれ、べトナム戦争の帰還兵でもあるオリバー・ストーンは、「プラトーン」や「7月4日」でアカデミー監督賞を受賞した映画監督で脚本家でもある。つい先日録画してあった「JFK」を見て愕然としたのだが、その監督がオリバー・ストーンだったのだ。FJKはアメリカの大統領、ジョン・F・ケネディのことである。

ケビン・コスナーが演ずるケネディ大統領暗殺事件の真実を解き明かすために執念を燃やす地方検事の陪審員に向かって訴える論調に心がうたれた。
思いもがけず陪審員に否決されたものの、公文書館に封印された数多くの資料が50年後に公開されたときに、この論考が正しかったことが明らかになるだろうと言う一言に、でも監督も、ケビン・コスナーもそして僕もその時には生きていない、と震撼とした(いまあることはこのような歴史の積み重ねなのだと)ことと、ケネディが狙撃されたときの様々な映像が取り汲むことができ・広く公開できるアメリカと言う国の姿を想い起こしたものだ。
しかもこの映画は撮影賞・脚本賞も受賞している。多くの映画関係者の心も打った(多分共感した)のだ。

ところで深夜に放映され僕が観たのは「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」シリーズの第7回である。
先代のブッシュ大統領やレーガン大統領の得々たる映像が出てきて、併せてベトナム戦争の現地の人々の悲惨なさまが公開され眼を背けたくなった。
実はかつて何度も見た映像でもあった。
そしてアメリカ政府・大統領は、自国の行為を今まで一度たりとも弁明・謝罪したことはないとのオリバー・ストーンのコメントに、さて!と戦火にまみれた日本はどうであったかと、重ね合わせたりした。

イラク戦争では、核兵器製造がされているとして無差別攻撃そして侵攻したが、その実体はないもののブッシュは遂にそれを認めなかった。レーガンも同じである。日本政府もそれに同調したことがふと頭を過ぎる。

僕は政治に与したくない。考える時間も足りない。でも今の日本の政権の危うさが気にはなっていて、どうもからっとしない。

本稿のタイトルを「アメリカのもう一つの歴史」というアメリカの一文字を入れなかったのは、どこかに日本と重ね合わせたいからだ。
この「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」は、6月13日から三夜連続して第8回から放映されることになっている。

<写真 梅雨の晴れ間での上記一筆。しかし梅雨前線もなく、入梅宣言は間違っていたのではないかと、どうもすっきりしない昨今である>

ワールドカップへ!

2013-06-04 23:43:18 | 添景・点々
万歳!とは、こういうときに叫ぶものだ!
ロスタイムに本田がPKを決め、ワールドカップ行きを決めた。
奇跡は起こる(奇跡ではないと叱られそうだが・笑)。勝てなかったが引き分けたために、今後勝ち続ければワールドカップ行きの可能性が残ったオーストラリアの選手が、オメデトウと握手に来るのをTVで見ていてグッと来る。母校明大のOB長友がいるし!
仕事を早めに切り上げて間に合うように帰宅した。事務所にいた妻君が片付けて帰るので先に帰っていいよ!と言ったが、1時間も遅れて帰ってきて、ビールをみながら身を乗り出してぶつぶつ言ったり叫んでいる(小声で・笑)僕を見て、ニコリともせず憮然とした。
何故こんなに夢中になるのか我ながら不思議。でも年季が入っているのだ。その昔、アーセナルが来てジャパンとやった試合をみに国立競技場に行ったりしていた。さて何十年前のことか思い出せない・ほど昔から!・・・

海ほたる―水楽荘―東京湾フェリー 房総半島ぶら巡り(2)

2013-06-01 22:16:27 | 添景・点々
ルートはこうなった。
海老名インターから東名高速に入り、横浜・町田IC(インター)で保土ヶ谷バイパスをカーナビに従ってどんどん走ると自然に東京湾アクアラインに入って「海ほたる」にたどり着く、というものだ。

ところが朝が早いのに海ほたるが近ずくにつれて大渋滞、これはたまらんと通り抜けた。そして木更津ICから、首都圏中央連絡自動車道という有料道路を走り、市原・鶴舞ICで降りて、いすみ鉄道と時折交差する大多喜街道を走る。
いすみ鉄道の道路を横切る(踏み切り!)レールは、市内電車のように枕木も砂利もなく、娘が「これだ!」と声をあげ、車ではなくて電車にのって無人駅で降り、ブラ歩きしたいと笑う。

大多喜を歩いた後、大原港に立ち寄って波しぶきを楽しみむ。九十九里浜沿いをぶっ飛ばして、銚子・犬吠崎を楽しんで一夜の宿 割烹旅館「水楽荘」にたどり着いた。

水楽荘の手元にあるリーフレットにはこう書いてある。
「佐原港の川霧はれて 鳴くよよしきり 葦の中か 佐原よいとこ水の郷」。
所在地は香取市扇島で千葉県、佐原市と香取市が合併して香取市になったとのことだが、佐原は伊能忠敬旧宅のある伝建(伝統建築物保存地区)の郷。
水楽荘は利根川支流の茨城県潮来に近いところにある。

宿を取るときに妻君はネットで調べたりするが、この水楽荘の項にいいことを書いた人がいた。「お上さんがいい人だ」。それが決め手。細君がよさそうよと言って予約した。
犬吠崎で灯台に登った後、これから向かいますと電話を入れた。
そして車を留めて玄関に入る。迎えてくれたのがそのお上さん、なんだかはにかんでいてそこにいる伯母さんという風情である。人柄がうかがえる素朴な笑顔、この人がその人なのだと何となく僕たちも微笑みたくなった。

お料理も素朴、竹の子ご飯、お燗をしてもらった二本の酒で酔っ払ってしまった。朝早く起きた娘と妻君は田んぼに行って小さな青蛙を沢山見つけた。娘のアイドル、手のひらにきょとんと乗った。朝からわが一家は大騒ぎだ。
支払いを終えた妻君が、こんなに安いの!って驚いた。お上さんの笑顔に送られて宿を出た。.

佐原で舟に乗り(前項参照下さい)香取神宮を参拝し、さて何処に行こうかと言うことになって、思いがけずも成田山に行ってみようということになった。近いのだ。吉田五十八がRCで建てた本堂を久し振りに見て感慨を覚える。

海ほたるの夜景を空から見たことがあってどうしようかと相談したが、朝の混雑を思って回避、金谷港からの東京湾フェリーに乗って横須賀久里浜港にいくことを思いつく。
しかし綿々たる渋滞。でもやっと乗ったフェリーは楽しかった。

大多喜までは僕が運転をし,その後は全工程を娘が!
車に興味がないといっていた娘は運転するのが楽しくなったと言う。僕は僕で、車大好き人間の僕の娘だ!なんて嬉しくなっていた。

<写真 大原港と水楽荘裏の田んぼにいた青蛙>