日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄ん!今年の訪沖(1)

2017-02-26 16:20:37 | 沖縄考
盟友、沖縄(那覇)の建築家国場幸房さんが昨年の12月に亡くなった。
十数年前からの訪沖の際、沖縄のジャズ界を率いてきたJAZZのライブハウス「寓話」でJAZZを味わうことを何よりの楽しみにしている僕は、近年、寓話の常連だった幸房さんとご一緒することも楽しみになっていた。そして建築家同士、幸房さんの処女作とも言える`ホテルムーンビーチ`や`沖縄公文書館``沖縄美ら水族館などを案内してもらい、建築談義をしたことなどに思いを馳せる。瞑目することしか出来ないことに、`生きることとは何か`とついついうつむいて考え込んでしまう。

今年の訪沖は、建築家根路銘さんと共に国場さん宅に伺い、お仏壇にお線香をあげさせて頂く事、そして例年の聖クララ教会でのコンサートを拝聴することでもあった。

<余話>
本文が意を尽くしていないのに、余話とは!と我ながらどうかと思うが、この訪沖、初日17日に一人の建築家(宜野湾市在住)にお会いし、建てた建築を案内してもらってヒヤリング。夜は「寓話」へ。

18日(土)には東京原宿から那覇の実家に一時戻った女性インテリアデザイナーと共に国際通り近辺の那覇市内巡り!そして一緒に聖クララへ。コンサート拝聴。冒頭に教会堂満席の聴衆に一言挨拶をさせてもらった。そして深夜まで、このコンサートに関わった建築家と音楽家と共に痛飲。

コンサート翌日の日曜日には、沖縄本島のほぼ半周を根路銘さんの運転する車で案内してもらい、まずは読谷の陶芸家「大嶺實清」さんの陶房へ、2時間ほど陶器を初めとした文化論考を・・・僕の大学の後輩が實清さんの陶房に、1年振りの出会いを楽しむ。そして今宵もまた寓話へ。

翌20日(月)最終日、途中から沖縄の構造設計を担っている建築家新川さんが同乗、一味違う本島巡りを楽しみ夕刻帰郷。

<写真:昼食をとった沖縄ん・・・>

明朝からの訪沖を直前にして

2017-02-16 15:42:12 | 日々・音楽・BOOK
明朝からの訪沖は、建築家根路銘さんと共に、亡くなられた盟友・沖縄の建築界を率いてきた国場幸房さん宅へ弔問、明後日・2月18日(土)の夕刻から行われる「聖クララ教会」でのコンサートを拝聴することです。そして宜野湾の建築家を訪問して建築を拝見させていただき、お話をお聞きします。

更に、大嶺實清さんを陶房に訪ねて陶話談義、JAZZの寓話にも!と書き記しながら、JAZZの好きだった国場幸房さんのにこやかな笑顔が蘇ってきて、瞑目することにもなりました。お線香をあげさせていただきます。
コンサートの前には、東京原宿で女性連で建築に取り組んでいる工房の沖縄出身の建築家が、一時帰郷しているので、那覇を中心とした建築探索をしようと言うことになっていますが、さてどこへどうやって! 多分、国際通り界隈のブラ歩きでしょう。そして一緒に聖クララへ!コンサートを支えている音楽家海勢頭さんとも久しぶり、ラサール神父にもお会いしたいものです。

月日の経つのが益々早くなり、己の來住越し方を振り返りながら、さてどうしたものかと思う昨今ですが、南国沖縄の沢山の知人の顔が浮かび上がり、やあ!と握手をしながら、その方々との尽きぬ会話を楽しむことになるでしょう!

<写真 2014年5月23日撮影>


ウード奏者常味裕司の演奏と語り口に酔いしれる

2017-02-07 19:01:11 | 自然
武庫川女子大学教授岡崎甚幸教授の企画・構成による`日本工業倶楽部会館大会堂`での講演会を拝聴すると、どの企画も僕の問題意識と重なることがあったり、思いがけない視点での論考に眼を見張らせられたりすることもあって興味が尽きない。とりわけ「シルクロードのキリスト教文化」のシリーズは、見果てぬ夢への刺激を受け、思わず瞑目したくなることが度々おこる。

この2月4日(土)の、篠野士郎東京工大教授の「東アナトリアのキリスト教建築」と杉本智俊慶応義塾大学教授の「聖地イスラエルのビザンツ教会」というテーマと論考に好奇心が刺激されたものの、現在の生々しい迫害・戦地の様相などには全く触れられなかったことに、ある意味ショックを受けた。
学者・研究者とはそういうものかと瞬時思ったものの、この一文を書きながら、とりわけ本智教授の柔らかい語り口に人柄が感じ取れたことを思い起こし、僕も含めて聴講者の常識として、あの地域の厳しい状況をある程度知っていることを前提としての講義、つまり僕の知識不足が問題なのかもしれないとついつい考え込むことにもなった。

ところで伝えておきたいのは、お二人の講義の前と、講義が終わった後に登場されたウード奏者常味裕司氏の演奏と語り口に酔いしれることになったことだ。ウードと言う楽器の説明をうまく出来るとは思えないので割愛したいが、そうもいかないだろう。
形態はマンドリンやギターの様相、琵琶にも類似している。11弦なのはアラブ・トルコなどの微妙な音階を奏でることによって生まれたのだろう。

それはそれとして、微妙な音階と常味氏のお人柄とが一体となって、得も言われぬ見果てぬアラブの空気を味わうことができた。同行したわが娘もこの常味氏の演奏と、伝わってくるアラブ・トルコの自然と人々のその姿を感じ取った様相で、親子で、得も言われぬ一時を過ごすことができたことを伝えたくなったものです。

<会場での写真撮影は遠慮してほしいとのことで写真がありません。案内チラシの一部を紹介しておきます>