日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

たくまずして都市論になった「ハーフサイズの街歩き」

2008-10-25 14:38:14 | 建築・風景

仲のいい友人とちょっと飲み過ぎた。
ボーっとしながら事務所に出てきた土曜日の朝。明日からの北海道行きの前に、気になっている住宅のスケッチに手を入れてみようと思ったのだ。
でも頭が働かない。さっきから、茶色いA3の三つ折にした紙にプリントされたメッセージに見入っている。タイトルは「ハーフサイズの街歩き」。
9人の三軒茶屋PEN倶楽部とそのPENフレンドによるハーフサイズカメラで撮った写真展のパンフレットだ。2003年の6月、新宿のフォトギャラリー「シリウス」が会場だった。ああ!もう5年にもなるのだ。
ところで僕のナンバーは009。偏紘(ぺんこう)。
一偏上人から借用したのだが,それが今のpenkouになる。

004ズイ子さんのタイトルは「島時―しまどき」
この先歩いていけば、いつか海にたどりつく。子供のころに、棒の先で描いた自分だけのじんちのような。ほどよく、ちょうど良い、距離感と安心感。
島の中の時間は、あくまでゆったりと流れて。迷ったって大丈夫。いつか道は海に出るから」。
(ズイ子のズイは、オリンパスペンのレンズ、ズイコーから取ったのだと思う・閑話休題)

ペンデミスキー。006。
「辞書、目録、総覧、『網羅性』のあるものに魅力を感じる。都市の多様性の実物大模型である『東京』に魅力を感じる。時間は常に流れているから、全ての『風景』はその時点における過渡的な風景である。そのように考えると『東京の風景』を『網羅的』に記録したいという強い欲求に駆られる」
しかし、と彼は言う。「自分にはそんな時間はない。だからこの写真展の積み重ねが必要だ」

PENフレンドの写真家オリーブさんは、1990年8月2日に撮った中モズ球場の写真を展示した。その日そこでの最後のプロ野球公式戦<近鉄VSオリックス戦>がひらかれたのだ。この球場は2002年3月に取り壊されて、リゾート型のマンションが建った。

9人のメンバーと二人のPENフレンドによるこの写真展のメッセージは、たくまずして各人の都市論になったのだと思う。

僕のタイトルは、住む街「海老名さつき町」と行く街「新潟」へ。
「時を経た街は濡れている」と、ちょっと今読むと照れくさくなるような一行から書き起こした。
「僕は海老名市さつき町に30年住んでいるが、木々も繁り桜花やさつきも咲き誇るようになったが、しっとりとした感じはない。といって乾いているということでもなくなく、それは手入れのよい整った団地のせいなのか、生まれた街ではなく、つくられた街のせいなのか、時間がまだ足りないのかよくわからない。
ペンやデミを持って周辺を歩いてみると、田んぼのなかに建築家の僕にいわせればどうしようもない家が建っていたり、青果市場があって驚くが、僕はこの街が嫌いではない。
何を撮ってもその背景に分譲マンションがあるし、駅にも郊外とも街中だともいえぬ空気がある。まあ街ってこんなものだろう。

さて年に一度だけ僕の設計したホテルの点検に行く新潟は、会いたい友人が何人もいて気になる都市だが、それは下町(しもまち)という町屋の連なる、それこそ時を経た街並みのあることが心の隅にあるからかもしれない。
この町屋群も、昔線引きされた計画道路が実施に移されて少しずつ解体されている。海老名と脈略がつながらないが、何故か一緒に展示したくなった。ただここでは新潟に行く新幹線から見る光景にとどめておこう」。

5年を経て、小田急線が高架になったし、ここに書き撮った青果市場はなく、新潟下町の町屋もなくなった。
5年という歳月は人の生活も変える。それはいずれまた・・折角でてきた土曜日。そろそろ仕事をしよう。

愛しきデジカメD700 愛知県立芸術大学を撮る

2008-10-18 20:21:25 | 写真

11月にキャノンからフルサイズのデジタル一眼レフが発売されると新聞に書かれた。気になり事務所の帰りにカメラ館に行くと、A3二つ折りの黒い表紙に「5」と大きく書かれた、EOS5D MarkⅡの新製品ニュースがおかれている。5D後継機だ。電車の中で繰り返しスペックの確認をした。

有効画素数2110万画素。キャノンらしい高画素だ。他はさほどニコンのD700とかわらない。動画の撮影ができるとされているが、僕には不要。むしろ連続撮影速度の3.9コマ/秒は、D700の5コマに及ばない。これを書いている僕の手元に、このパンフレットと写真雑誌10月号がある。
写真雑誌には、これがEOS5D MarkⅡという特集が組まれている。慌てて書かれたようで、カメラの写真と詳細なスペックが紹介されているが、最後にまだ実機を手にしていないのだが、とあるのでなにやら肩透かしを食ったような気がした。

この写真雑誌の隣にカメラがある。D700だ。そうなのです。買ってしまったのです。
このブログに『手にとって「ワクワク感」が感じられないのだ。違和感なく手には馴染む。撮れるがこれで写真を撮ってみたいという喜びが起きない。言い方を変えると欲しいと思わないのだ』と書いたばかり。(8/7)
ところが使い始めて思う。なんと「ワクワク感」を感じ、何だか愛しさまで覚えるのだ。アナログ人間の僕にはなかなか使いこなしきれないスペック(仕様)が詰め込まれているが、これを一生懸命構築したニコンのスタッフの想いが伝わってくる。「重い」と書いたのに、この重さにさえ剛性を感じそれさえ愛しくなる。デジカメでもそんなことが起こるのだ。これは発見だ。

なぜキャノン5Dの後継機が出る前に買ったのか。
妻君がどうしようもないね!と苦笑した。仲のいい写真家Iさんが買ったからでしょ。あんたはすぐ人に影響されるんだから・・まあね。建築を撮る僕はシフトレンズを使うためにフルサイズが欲しかった。当たり前の話だが、新しく出たニコンの24㎜がいいに決まっている。そしてプロとして検証したIさんが断言した。まったく違うというのだ。

愛知県立芸術大学を訪ね、持っているPC28ミリを使ってみた。
このキャンパスは吉村順三の計画と設計によって建てられたが、担当した奥村昭雄東京芸大名誉教授の代表作でもある。愛知県ではこのキャンパスのあり方の検討をしている。僕のところにヒヤリングに来るというので現状が気になり出かけたのだ。(9/10)
あの長い講義棟をPC28でも撮ってみた。撮れるが露出の調整が難しい。いずれPC―E24mmを手にしたい。高いので、M6のブラックの方を手放すことになるかもしれない。D700を使いこなすために。そうだ、建築を撮るために。
よーし、写真を撮るぞ!

はまった「池袋ウエストゲートパーク」

2008-10-13 11:44:45 | 日々・音楽・BOOK

朝、家(うち)を出るときに「なんか面白い本ない?」と聞いた。
これどうかなあ、と妻君に渡された文庫本。そして嵌まってしまった。
石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」。
石田衣良?聞いたことがある。今旬の人気作家だ。
どれどれ、と思いながら読み始めた。乗った小田急通勤電車の1時間10分。あっという間に新宿に着いてしまった。

舞台は池袋、(おれたちはカッコつけるときはいつも「ウエストゲートパーク」と呼んでいた)西口公園。`おれのPHSの裏側にはプリクラが一枚貼ってある。おれのチームのメンバー五人が狭いフレームになだれ込んで写ってる色のあせたシール`という書き出しで始まる。

一人称で書かれる主人公のマコトは、少年課の吉岡のいう,ヤー公のファームだという高校を卒業してプーになった、と自己紹介をする。ところがこのプーは、大柄で闘いにも強く、感性豊かでカッコいい若者なのだ。池袋西一番街でおふくろのやっている果物屋を手伝っているが、そのおふくろとのやり取り、思わずにやりとしてしまう。この子ありてこの親ありか?いや逆かな!プーは店先にバルトークの弦楽四重奏を流したりする。続編に、僕が気になっている現代音楽の旗手ジョン・ケージが出てきたのにはまいった。
そしてマコトはトラブルシュータになっていくのだけど、まあ僕にとっては裏世界の出来事。でもGボーイズをはじめ、登場人物の誰もがあまりにも魅力的に生き生きと描かれており、今の若者も捨てたものではないと、困ったことにこれは、ル・ポルタージュではないかと思ったりしてしまう。石田衣良の世界に同化してしまうのだ。

ことに女だ。映像作家加奈。こんな書き方をする。
`思い出しただけで胸が痛くなるようなキスってあるよな。誰かの歌にもある。いつか愛の謎が解けるって`
文体。僕にはない、いや誰もが持ち合わせていなかった軽いこんな書き方。`おれたちは手をつないで眠った。バカみたいだろ。・・・だれかと本当につながって感じた初めての夜。恋が始まるのはそんなときだ`
初恋は初恋だから終わるのだが、マコトが心底持っている人に対する慈しみと愛情、これが僕たちの読後感をさわやかにする。人が死んだりするにも関わらず。マコト=石田衣良なのだろうか!

ふと気がつくと、妻君がⅥを読んでいて、家に来た娘がⅦを読んでいる。僕はⅣを読み上げて次は妻君が図書館から借りてきたⅤ「半自殺クラブ」だ。



唖然とし、情けない竹中平蔵氏の東京中郵論考:壊し始めてしまうことを恐れる

2008-10-05 23:33:42 | 東京中央郵便局など(保存)

朝日新聞10月2日「私の視点・郵政民営化1年」での、元総務相竹中平蔵氏の論には、唖然とし憤りを覚える前に、なんとも情けなくなった。竹中氏は言う。民営化というのは、民間人に経営を委ねるということで、政治家が日本郵政の経営者を政治の場に呼び出しているのはけしからん。そして「政治は経営の邪魔をすべきではない」と明言する。

更に続ける次のコトバには、これが日本の財政(行く末)を担った元大臣の言うことかとがっかりした。「政治の口出しはほかにもある」というのだ。
「例えば、東京駅前の東京中央郵便局の建て替え問題。日本郵政は再開発によって高層ビルを建て、不動産事業を収益の柱に据える計画だが、超党派の国会議員らが『歴史的建造物だ』という理由で保存を主張し、建て替えを止める動きがあった。付近の丸ビル、新丸ビルは建て替えられているにもかかわらず、東京中央郵便局だけを全面保存しろというのだろうか」。

そうだ、超党派の国会議員だけではなく、僕たち建築の専門家や大勢の市民は、「全面保存しろ」と言っているのだ。この郵便局庁舎が、丸の内についても、日本の都市や人の生活する空間を考える上でも、なくてはならない大切な建築だからだ。竹中氏でさえ、「歴史的建造物だ」と明言しているではないか。

この朝日新聞のオピニオン`私の視点`ワイドは、話題になった(なっている)出来事に対して、3名の立場の違う関係した方々の論考を記載して、その課題を時折世に問うシリーズである。今回は、元日本郵政公社総裁の`旧特定郵便局について`、自民党衆議院議員の`3事業の一体的経営に戻せ`、そして竹中氏のタイトルは「政治は邪魔をするな」だ。政治家が作ったシステムなのに。

この庁舎はもともと国のもので、国民の税金で建てられた、つまり国民のものだ。同時に、国会の場で文化庁が「重要文化財に値する建築だ」と見解を明らかにした建築でもある。
僕たちは、郵政民営化の是非を問うのではなく、かけがえのない「日本の文化遺産」を次世代に継承したいと必死に活動している。シンポジウムや座談会を開催してこの建築の存在や価値を検証し、ビラをつくって街頭に出て市民にも呼びかけている。
それを受けて、論議した千代田区区議会議員が全会一致で保存要望書を日本郵政に提出した。超党派の国会議員168名が、保存を求めた要望をしたのも同じ考えだ。
なにも民営化を云々しているのではなく、「日本の建築文化」を大切にしたいと考えているからだ。
金に替えられない。いや、空中権移転についての法整備も勘案し、経済性も視野に入れてのことでもある。

赤レンガの東京駅やレンガで造られた丸の内の建築の中に在って、白いタイルを貼って開かれていく新しい時代を世に生み出したこの庁舎は、郵政を率いた建築家吉田鉄郎の代表作である。世界に知られているこの建築を失うことは、日本が文化国家ではなく、「金」でしか価値判断をしない国であることを世界に表明することになってしまう。
ぼやいてはいられない。日本を率いる(はずの)元大臣には、建築は人の叡智を傾けて生み出した文化であることを理解してほしいと心から願う。

今回のプロジェクトはどこかおかしい。本来区や都の景観審議会や都市計画審議会を経て設計されなくてはいけないはずなのに、既に官報公告によって入札が行われている。有識者による「歴史検討委員会」の答申も公表しない。竹中氏はいずれ完全民営化というが、現在株は100%国が持っているし、郵貯を除いて郵便事業の30パーセントを国が保有すると聞いている。
僕たち「中央郵便局を重要文化財にする会」が問うた不審事項についての質問状には回答がない。

着工は来年の6月だと公表されているが、ドサクサ紛れの間に、壊し始めてしまうことを恐れる。