日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

男の顔

2013-04-28 13:40:49 | 日々・音楽・BOOK
前項で一言書いた古井由吉の「顔」(男の顔)の一文には、続きがある。
「どれだけアメリカの政治家の悪口をいうとしても、ブッシュにしてもクリントンにしても、日本の政治家より顔が立派です。・・・オバマだって、まだ若いけれど・・・」。この古井の「男の顔」の項は、5年前の2008年に書かれているが、何故安倍晋三が出てくるのかと興味深い。ではいまの安倍の顔は!と。
ところでつい数日前のテレビに、にこやかに家族と談笑しているブッシュ(43代大統領)が登場した。

昨年のNHK朝ドラの`梅ちゃん先生`が面白くて、これを見てからマイホームを出て事務所に行くことにした。ところがその後の朝ドラが酷く、朝から気分を殺がれる事もなかろうとBSにチャンネルを回してみた。ワールドWAVEだ。世界各国のTVチャンネルのニュースをリアルタイムに伝える番組である。

この3月まではフランスのTVからスタートしたが、4月になってアメリカからのスタートに替った。各国に何がおきているかということと、何を問題視しているかがよくわかる。
3月11日のトップニュースは、福島の立ち入り禁止区域のゲートまで行って取材した映像、ここから先はまだ入れないというパリからのコメントが身にしみた。

日本の最近の社会状況も奇妙で気になることが沢山あるが、アメリカでもイギリスもイタリアもフランスでも、また韓国でもそれぞれが厄介な課題を抱えていて、何処も同じようなものだと実感することにもなった。
そこに、67歳になったジョージ・ブッシュが登場したのだ。

元大統領の顔は、古井が言うように年輪を踏んで穏やかで魅力的。記者の質問に対して、今は政治には一切触れないのだと笑顔で述べ、在任中はいろいろとあったものの時を経てやることはやってきたという裕福層の幸せに満ち満ちている。

ところで古井はこうも言うのだ。
「僕の同世代でももう理想的な年のとり方をした人などなかなか思い当たりません。緊張の薄れた社会の特徴です」。日本では、と言い添えておく。
いまの学生は!という嘆きの言葉を最近耳にすることが多いが、そう嘆くご自身はどうなのかと問いたくもなる。

さて!「人生の色気」の裏表紙に笑顔の古井の写真がある。いやいや見事な大人の男の風貌なのである。


「人生の色気」に惹かれて

2013-04-21 22:30:13 | 日々・音楽・BOOK
「人生の色気」というタイトルに惹かれ、図書館のエッセイの棚からこの古井由吉の著作を取り出した。
エッセイとは言っても、新潮社の編集部が古井由吉から聞き書きをして編集し、古井の校正を経て2009年に発行されたものである。

聞き書きとはいえ、古井の論旨と文体が一体となったこの著作を読んでいて、芥川賞をはじめとした数多くの文学賞を受賞し、1997年の「白髪の唄」で毎日芸術賞を得た以降、文学賞を一切辞退しているというその気骨が、「人生の色気」に溢れている。

古井は受賞を辞退していることについて、こういういい方をしている。
「時と場合によってはひどいものを書く必要があるかもしれないし、過去の自分の作品を全否定するこものを書くことがあるかもしれない、とにかく荷物を軽くしておくと思った。」

この聞き書きは、1937年生まれの古井が生きてきた軌跡を捉えたことになり、3歳年下になる僕の軌跡との時代を共有することになって興味深いのだ。
しかしその時代を捉える眼、それと共に社会構造や、その中での人間の心の移り変わりへの洞察など、作家という人種は、ここまで世の動きに眼を配り、いやそれを捉え続ける好奇心に満ち溢れているものなのか、或いはそうでなくてはいけないのかと、いささかたじろいでしまうことにもなった。

文脈の中での一言なので、本全体をを読んでいただかないと誤解を招きそうで少し気になるが、本文のどの一言を書き記しても、作家の本髄を実証できる。例えばこういう一節がある。
たとえ30枚の短編であっても、途中で必ず行き詰まる・・・じっと待つ。とてもつらいですよ。頭には何も浮んでおらず、到底先には続けられそうな気にはなれい。ところがじっとしていると、次が浮んでくる・・・その繰り返しなのだ。

もう一つ面白い表現が在るので書いてみる。(一部略文)
政治家でも、男盛りの年頃でも未熟に見える、誰がボスでその上のボスは誰なのか、人の顔として思い浮かんでこない、阿倍晋三さんの顔が五十歳過ぎているとは昔の感覚ではありえない・・
テレビで田中角栄と大平正芳が映ったけれど迫力が違う。ちゃんと歳を重ねているのは、あの世代までではないか・・・僕の世代ではもう・・緊張の薄れた社会の特徴です。
共感し、それではさて僕自身は・・・などと考えさせられるのだが!

沖縄へ(4) 大嶺實清の「家」

2013-04-13 16:45:47 | 沖縄考
時折笑い声を上げながら登り窯の修復をしている陶芸家たちが一休みした時に、大嶺實清さんに声をかけた。實清さんはこの読谷の「やむちんの里」(陶芸村)をつくり、沖縄の陶芸界に大きな足跡を築いている陶芸家である。

80歳になるのに、仲間を率いてご自身もこねた土を釜にたたきつける。凄いものだと思いながら「ギャラリーで登り釜の修繕をされているとお聞きしたのでここに寄った」と伝えた。釜の修繕のことなどお聞きしているうちにいつしか建築論になり、陶芸論になった。
娘は録音、録音!というが、實清さんの話に引きずり込まれていて持ち歩いているOLYMPUSのボイストリックを取り出す余裕もなかった。

「僕のテーマは、怒り!だ」そして「家は母体だ」という厳しい口調に圧倒された。

ギャラリーで見て手に取った幾つもの小ぶりな實清さんの「家」が気になってきた。コーヒーでも飲んでいかない!と誘われて、一緒にギャラリーに戻った。
この写真は「家」と「こっちのほうが好きになってしまうかもしれないねえ!」と言われて頂いた塊である。梅花皮(カイラギ)が味わい深く言われたように愛しくなる。

そして訪沖から2ヶ月を経た現在(いま)考えている。
沖縄の人「大嶺實清」の人間像を、何時かは写真とエッセイによって捉えたい。

吐息をつくマリリン・モンロー

2013-04-06 17:00:49 | 日々・音楽・BOOK
満員電車の座席に腰掛け、そうだなあ!とか、ほう!参ったなあ、などと内心つぶやきながら、小島武の装画・挿画のあるエッセイをのめりこむように読みふけっていた。沢木耕太郎の「ポーカー・フェース」である。

ふと眼をあげると目の前にマリリン・モンローがいる。アンディ・ウオーホルのマリリンは、ちょっぴり横を見て笑みを浮かべているが、このTシャツに描かれたマリリンは眼を閉じているが、やはり心なしか微笑んでいる。

顎を上げて上を見やると、化粧が濃くきつい顔立ちだが,目鼻立ちがしっかりした妙齢美女。キッと前を見据えていて微動だにしない。
ため息が出て、一瞬だけど尾崎豊が出てきて僕の心が震え、思いがけなく涙が出てくる一節を読みながら、いつのまにか眠りこけてしまったらしい。

眼を開けたら目の前のマリリンが吐息をついている。オヤっと思ってうえを見やると、つり革に身をゆだねて美形が眠りこけている。
眠るとお腹の上ほうで息をつくのだ。Tシャツで覆われた息を吐くたびに覆われた肌の様が浮かび上がり、それを受けたマリリンの表情も悩ましく僕に何かを呼びかけてくる。参ったなあ!と思いながらそれでもいつの間にか眠り込んでしまった。

ふと目をあける。果てさてなんと幻か、マリリン・モンローは消えていた。