妻君も娘もほとんど関心を示さないが、僕は時折火野正平の「心旅](NHK Eテレ)を観る。
そして思いがけず僕が訪ねたことのある「まち」と似通った光景を見て、そこまでの「通り道」を想い起こすことがある。同時に浮かび上がるのは「人」だ。心旅では火野が訪ねる地に思い出のある人、僕のこの人は同行し、案内してくれる人であったり、訪ねた先で出会った人のこともある。
今朝の`心旅` (再放送・2015年7月26日)は北海道。オホーツク海の沿岸を通り抜けていくその街道は、昨年、札幌の若き友に案内してもらったアイヌの郷白老へ向かう通りを想い起こした。空が広がり平屋や高くても2階建ての木造建築が広い道路沿いに点在している風景である。
この一文を書き起こしながらそんなことに思いを馳せているとチャイムが鳴り、玄関の戸を開けると、僕の第二の故郷熊本県天草市天草町下田北からの宅急便、冷凍された「干物」が届いたのだ。送ってくれたのは小学生時代の同級生吉田和正君、言ってみれば無二の友である。
彼は釣り師でもあり、釣ったイサキや鯛が、6つに分けたパックに2体づつ入っていて、サインペンで書いてくれた魚の名前などの説明文が入れてある。そして送り状、暑中見舞いとの文字と永い梅雨も終わろうとしていて「お蔭様で魚釣り出来る位今の所元気です」とある。このところ入退院を繰り返しているので気になっていたのだ。そして「何度もお葉書、お電話ありがとうございます」という丁寧な一言の後に、鯛、イサキ、生が少し入っています、と続く。
長崎の野母半島を海の向かいに望み、温泉の湧く下島西海岸沿いの村(今は天草市)。共に学んだ小学校も廃校になった過疎のまち(だが僕にとっては下田村北)。
天草は台風の通路、天気予報を見て気になると大丈夫かと電話をし、ついでに下田に居る同級生の様子を聞いたりする。でも第二の故郷(ふるさと)とタイトル書きをしたのは、僕が生まれたのは東京、でも疎開して戦後彼方此方に転居、何度もアチコチに書いているが「僕には故郷がない」。しかし下田は、僕たち家族の住んでいた家もなくなったが、第2の故郷だと言ってみたくなる。ところで僕の第1の故郷は!