日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

火野正平の「心旅」から、第二の故郷(旧)熊本県天草郡下田村北へ

2015-07-26 14:58:36 | 愛しいもの

妻君も娘もほとんど関心を示さないが、僕は時折火野正平の「心旅](NHK Eテレ)を観る。
そして思いがけず僕が訪ねたことのある「まち」と似通った光景を見て、そこまでの「通り道」を想い起こすことがある。同時に浮かび上がるのは「人」だ。心旅では火野が訪ねる地に思い出のある人、僕のこの人は同行し、案内してくれる人であったり、訪ねた先で出会った人のこともある。

今朝の`心旅` (再放送・2015年7月26日)は北海道。オホーツク海の沿岸を通り抜けていくその街道は、昨年、札幌の若き友に案内してもらったアイヌの郷白老へ向かう通りを想い起こした。空が広がり平屋や高くても2階建ての木造建築が広い道路沿いに点在している風景である。

この一文を書き起こしながらそんなことに思いを馳せているとチャイムが鳴り、玄関の戸を開けると、僕の第二の故郷熊本県天草市天草町下田北からの宅急便、冷凍された「干物」が届いたのだ。送ってくれたのは小学生時代の同級生吉田和正君、言ってみれば無二の友である。

彼は釣り師でもあり、釣ったイサキや鯛が、6つに分けたパックに2体づつ入っていて、サインペンで書いてくれた魚の名前などの説明文が入れてある。そして送り状、暑中見舞いとの文字と永い梅雨も終わろうとしていて「お蔭様で魚釣り出来る位今の所元気です」とある。このところ入退院を繰り返しているので気になっていたのだ。そして「何度もお葉書、お電話ありがとうございます」という丁寧な一言の後に、鯛、イサキ、生が少し入っています、と続く。

長崎の野母半島を海の向かいに望み、温泉の湧く下島西海岸沿いの村(今は天草市)。共に学んだ小学校も廃校になった過疎のまち(だが僕にとっては下田村北)。
天草は台風の通路、天気予報を見て気になると大丈夫かと電話をし、ついでに下田に居る同級生の様子を聞いたりする。でも第二の故郷(ふるさと)とタイトル書きをしたのは、僕が生まれたのは東京、でも疎開して戦後彼方此方に転居、何度もアチコチに書いているが「僕には故郷がない」。しかし下田は、僕たち家族の住んでいた家もなくなったが、第2の故郷だと言ってみたくなる。ところで僕の第1の故郷は!
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課題「白紙となった新国立競技場」「安保法案」「普天間と辺野古」

2015-07-19 13:54:04 | 文化考

このブログのタイトルにした三つの課題を、考え続けてきた。
「新国立競技場」。
建築家を含めた僕の親しい女性連による保存活動の一端「シンポジウム」に出かけたりし、そこで著名建築家による対案などを見てきたが、其れが多くの人を惹きつける魅力的な提案だったら!と思ったりしたものだ。でもその対案を提案した建築家はJIA(日本建築家協会)に所属する主要な建築家、ザハの案の実施設計に関わる建築組織も、JIAの主要メンバーによってのチーム。僕たちJIAに所属する建築家は、この状況を一体どう考えるべきなのだろうか!
ところで、この巨大な費用のかかる課題、誰も責任者・仕切り役だと名乗り出ない!

さて最大の課題『安保法案』、議員構成を考えると小選挙区制の弊害とも言いたくなり、折を見て中選挙区制を再考するのはどうかとも言いたくなる。同時に今の政界、自民党に対峙する民主党議員の多数が自民党議員と共に`靖国神社´参拝を繰り返すのでは、何を言っても通じないと、一言言いたくもなる。

<普天間と辺野古とある新聞記者と評論家の論考>

6月7日に記載したブログ`長崎市公会堂´に眼を向けた稿で、「不都合な真実」と題した新潮新書を購入したことを記した。
興味深い事例が記載されていて一気に読み終えたが、「あとがき」に明快に記載された『沖縄批判ではなく、既得権益を守る公務員を中心とした沖縄の支配階級』を批判をした」という一節と、付け加えた「民族主義沖縄権力への批判」という一言に、沖縄にはそういう側面があるのか!と一瞬引き込まれた。
過去の経緯を捉えているので多くの人に一読して欲しいが、しかし同時に、様々な文献考察したとは言え、このような構成では沖縄の全容は捉えられないのではないか、ことに上記に付け加えた`民族主義沖縄権力`という言い方に、不信感、不快感を持つことにもなったものだ。
著作者大久保潤氏と篠原章氏お二人の論考の主点は、このあとがきに書かれた「公務員権益」と「琉球大学卒業生」の特権が絡んでの沖縄社会構成である。

僕が沖縄に出かけて触れあうウチナンチュは、無論琉球大学卒の建築家や教育者もいる。彼らはある種の特権を持っているのかもしれないが、その魅力的な人柄に触れると、そうとは言い切れず、またJAZZ MENなどそうではない人も沢山いて、僕は多くの人と何がしかの価値観の共有をしている。
貧富の格差はあるとしても、戦後70年、未だに接収された土地(米軍基地・・外国)のあることと、この地の風土・故郷を慈しんで生活している人の思い、そして世代が変わっていくこととは何かと僕は考え続けるのです。

<写真 沖縄に敬意を表し亀甲墓を掲載する。 中城按司として座喜味城や中城城をつくった護佐丸の墓。2005年11月撮影 本ブログ2005年12月11日の沖縄考を参照下さい>

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キース・ジャレットの「クリエーション」を聴いて そして菊池雅章の訃報

2015-07-15 17:12:31 | 日々・音楽・BOOK

クラッシク音楽の新しく出たアルバムを紹介する「for your Collection」という、新聞の紹介欄(朝日新聞6・11)の特別項で、JAZZピアニスト、キース・スジャレットの新盤(CD)ソロによるアルバム『クリエイション』の紹介がなされた。
キース・ジャレットは、バルトークのピアノ協奏曲第3番など、クラシックのアルバムを数多く出していて、僕はオルガンによる演奏などのCDを持っている。この一文でこの「クリエイション」を紹介した矢澤孝樹氏は、キースのクラッシク演奏は、躍動感が尋常ではなく、今聴いても実に新鮮だと書き、更に、自らのジャズ演奏を育んだ大地に還るような・・と絶賛する。そのキースの新盤となると、手に入れて聴かないわけには行かない。

嘗て僕は来日したキースの演奏、ゲイリー・ピーコック(bs),ジャック・ディジョネット(ds)によるトリオを東京文化会館などで、ソロ(インプロビゼーション・即興演奏)は中野のサンプラザホール(敬愛した建築家林昌二の設計)で聴いたことを思い起こす。
この新聞での紹介記事で気になったのは、キースは手を負傷し「世評高いトリオを解散した」という一文である。キースは同世代とは云え僕より少し若い70歳。僕は20代から30代の始め、銀座の「ジャンク」というライブハウスに通いつめ、京都で隠遁生活をしていたというゲイリー・ピーコックを引きずり出しての演奏も聴いていて、特段の思いがある。

ところでこの「クリエーション」は、訥々としたタッチで演奏されるが、音を紡ぐその音(ネ)は人を慈しむように温かく、キースはキースだ!と思ったものだ。

上記ジャンクで、のめりこんで聴いていたピアニスト菊池雅章(キクチマサブミ)がNYで亡くなった。建築誌に連載している「建築家模様」で、郡山の建築家を捉えるその一文を菊池のジャンクでのライブに触れて書き起こしている時に訃報を聞いて動転、思わず瞑目。その一文に、「人の生きることを噛みしめる」と書き記すことになった。

<写真 天に思いを寄せる>
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極寒純米:「加賀鳶」を味わう

2015-07-11 21:08:07 | 愛しいもの

旨い日本酒を見つけた。
金沢市の純米蔵福光屋の、極寒純米「加賀鳶」辛口という日本酒だ。
瓶の後ろに貼ってあるラベルに小さい字でこんなことが書いてある。「純米仕込みのお酒にはそれぞれ固有の色合いがあります。純米蔵・福光屋ではお酒本来の色合いを大切にしています」そして契約栽培米を使って、「酒造りに最も適した厳冬の時期に、低温発酵でじっくりと仕上げた純米酒です」。

酒店の棚に沢山並んでいる銘柄の中で、聞いた事の無い酒だが旨そうだ。値段も左程でもないのでためしにと思って持ち帰り、そのままの常温で口に含む。とてもいい。旨い、というこの一言でいいだろう。

でもこの出来事(買い物)は、3週間くらい前のこと、この`加賀鳶´と共に、島酒「瑞泉」3年古酒と「海乃邦」十二年貯蔵古酒を買った。

そして今日の酒店では、呑んでしまった`加賀鳶、と共に、花酒・泡盛「与那国・30度くば巻」を購入。
瑞泉、海乃邦そしてこの与那国という三つの古酒にも、ささやかな僕の物語があるが、コメントするのはまたの機会にする。
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空の旅:そして「天声人語」の気になる記述・新国立競技場

2015-07-04 18:48:23 | 建築・風景

厚い雲に覆われた空、それでも羽田での到着時には、雲の下をかいくぐって見えてくる電光に満ちた港とまちを見たいと思って、窓際シートを取った。松山空港を飛び立って雲海を潜り抜けた途端の左後方の夕焼け、思わず涙が出そうになった。イヤホーンから聴こえてくるのは[MY FOOLISH HEART]」。残念ながらBILL EVANS TRIOではないが、其れもまたいいものだ。

四国での出来事を伝えたいと思っていたが、今朝の「天声人語」(7月4日の朝日新聞)を一読し、気になっていたことと重ね合わせて、建築家の一人として書いておかないといけないと思った。
問題は「新国立競技場」の課題である。 

「迷送の末、総工事費が2520億円に膨らんだ東京五輪の主会場となる」・・と記載し、「一端白紙に戻せばと思うが、面子が邪魔しているらしい」、とぶっきらぼうに書き、記載者の黙ってはいられないという様が伺え、僕もそうだと思う。
ところが朝日は著名な長野五輪金メダリスト清水宏保氏の一言を借用し「メインスタジアムは簡素でいい」と代弁させてこう記載する。『観衆もそうだろう、スタジアムを見て感涙にむせぶ人は珍しい。感動は入れ物ではなく、アスリートによってもたらせる』

僕は問いたい。朝日の記載者、朝日新聞社は「新国立競技場」を、いや建築を`入れ物´としか視ていないのか!丹下健三の代々木の体育館、槇文彦の東京都体育館は「入れ物」なのか。
オリンピックはアスリートの戦いだけを楽しむものなのか、この朝日の論考は、人と生きることと深い関わりのある建築と都市のあり方に背を向けることになるのではないだろうか。

ところで、膨大な建築費をものともせず設計変更して建ててしまいそうなこの計画案は、ザハの建築とはいえない。<ところがザハは黙して語らず!建築とは、そういうものなのか?>
当初案は、コンペの設計要綱に馴染まず敷地を飛び出してしまってスケールオーバーだったが、ザハの感性が伺えた。
ほぼ2年前になる2013年7月15日(この日付の僕のブログをお読みいただけるとありがたい)JIA関東甲信越支部のアーキテクツガーデンというイベントで、コンペの審査員を担った鈴木博之東大名誉教授(当時青山学院大学教授)にお願いして講演をして戴き、新国立競技場の数点のコンペ案を映像を写しながら紹介してもらった。そして数多くの案のなかで、ザハ案が傑出していたとの一言を僕は忘れ得ない。鈴木教授がいたら、今の人工大地の上の亀の子実施案、なんと言うだろうか!

建築は時代を超えていく。そこには物語がある。そしてまちの風景、つまり人の生きていくことに大きな示唆を与えていく。断じて単なる「入れ物」ではない。愛読している朝日に、しっかりせい!と言いたい。
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