日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

建築の居る場所(1) 車窓から

2013-11-30 09:21:31 | 建築・風景

30分後に家を出て羽田に行き、四国松山空港に向かう。
明日の朝、A・レーモンドの設計した鬼北町役場増改修に関する委員会に出席し、午後から、町民の方々に3年に渡って論議し監修してきたその経緯を説明する会合に臨むのだ。
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ところで僕のこのブログで、「建築の居る場所」と銘打って新しいシリーズを書いてみようと考えている。と意気込んでいるが、いままで書いてきたこととなんら変わらないことになるような気がしないでもない。とは言え下記から!

前立腺摘出手術をしてから1年半、全快したが尿が近くなって後遺症かと嘆いたら、妻君は歳とるとみんなそうなのよ!という。疲れやすくなったのも実感。情けないがどちらも加齢症だ。症だから大義名分が立つと勝手に考え、朝は一駅戻って本厚木駅から新宿までロマンスーカーMSEにて通勤、至福の48分を過ごすことになった。
窓際に席をとり、移り行く光景を見るのが楽しい。

傾斜地に折り重なって建つ住宅群を見てまるで「おもちゃ箱」のようだと言いたくなるが、そこにはこの家を手に入れるまでの涙ぐましい家族間の物語あるのだろうとも考え、妙にグッと来るものがある。そしてここに住む人たちに共通認識のある「コミュニティ」が構成されているかもしれないとも思う。でもなあ!と東急の分譲団地の4階に住むわが身を振り返ったりするのだ。
 
見やると毎朝気になるコンクリート打ち放しの建築が現れ、あっという間に通り過ぎる。数少ないが建築家の空気が漂う建築だ。設計したのは誰か!
植田実氏が編纂し建築界の一側面を率いた雑誌「都市住宅」のどこかに記載されているかもしれない。

(写真掲載は帰ってきてから・・・)
 

洞窟に響くヴァイアン、チェロとピアノの音

2013-11-24 15:19:33 | 日々・音楽・BOOK
壁に突起とも言いたくなる荒々しいコンクリート打ち放しの塊をしつらえた「東京文化会館小ホール」で、ジュゼッペ・シリアーノのヴァイアンと、岩崎淑のピアノが織り成す`マリリナ・ソナタ`を聴きながら、やはりこのホールは『洞窟』なのだと瞑目したくなった。
11月15日の岩崎淑が主宰する第37回ミュージック・イン・スタイル、コンサートでの感慨である。

ヴァイアンという楽器は、アコーディオンに似ているが鍵盤がなく、右指で弾くボタンは640個もあり、左手にもボタン、上部にもボタンがあって奏者は時折顎を使って弾きこむ。
奏者を紹介する淑とチェロの岩崎洸とのやり取りで、淑はアコーディオンだと思ってたら違うんですって!と会場を笑わせたが、次々と繰広げられる音の響きを聴き、この楽器を弾くシリアーノはイタリア音楽界を代表する奏者だと言うだけでなく名人、演奏しながら淑や洸と眼を交わし、時折笑みを浮べ、のめりこむように引くその姿に、この人はホントに音楽がすきなのだと、僕ものめりこむように見入り、聴き入った。

そしてこういう喜びを与えてくれるのは、このホールとのコラボレートあってのことだと感じていた。
カザルスホールも浜離宮朝日ホールの音も素晴らしく、そのシューボックススタイルも捨てがたいが、このホールは舞台に向かって天井が競りあがっていて、その下部の舞台で奏者が身を越して弾く。目の中には横置き屛風状の音響版があって、高い天井の下での奏者の姿は小さいが、むしろその奏者の姿に目線が集中するのは不思議といえば不思議である。
入るとコンクリートの壁は狭まっていくが天井が高くなっていってむしろ奥の深い広がりを感じるのだ。

洞窟。
設計した前川國男はこのホールをどういうイメージを持ってつくったのだろうか?

<余話>終演後のロビーで、洸さんと立ち話、僕は小澤征爾が振ったサイトウキネンオーケストラのコンサートで、引退したはずの大西順子のラプソディインブルーにしびれたが、そこで弾いている洸さんに見入ったなどなど。

国立競技場でサッカーを楽しむ考

2013-11-17 17:18:00 | 建築・風景
「FC東京」の、というよりも大のサッカーフアン中川道夫は、僕の大!の親友・都市を撮る写真家である。その中川から長友祐都はカネさんの母校明大のOB(在学中にFC東京に所属する)だよ、といわれて即座に長友フアンになったのも、我ながら我らしい!と思ったものだ。
長友が岡田武史監督に見出されてジャパンのメンバーになったのがFC東京に所属したばかりの2008年だからまだ5年にしかなっていないのかと、不思議な感じがする。でもその衝撃は、長友の存在を知ったことと同時に、「上海記聞」というシリアスな写真を撮るあの中川が、FC東京のユニフォームを着て観戦するのだと聞いたからでもあった。

「上海紀聞」は中川が36歳のときに美術出版から出版された写文集だ。だが写真だけではなくその装丁・構成・レイアウトそして中川の書いた文章「紀聞」、その深い考察に、思わず僕の気が震えた本である。
 その中川が、僕の書いた2編のブログ(2013・10・13と2013・10・19)を読んだのでとメッセージを送ってくれた。中川の許可を得たので記載させてもらうことにした。都市を視る写真家の、サッカーを楽しむ姿が味わい深い。
電話でやり取りしたら、雨に打たれてもポンチョ着て最上段の席から暮れなずむ東京のまちの灯を見ながらの観戦、東京という都市を味わい、缶詰のような感動の思い出の集積が僕のこの国立競技場なのだという<文中敬称略>

―中川道夫からのメッセージ―
『8月からアイルランドに行き、帰国した翌日に五輪東京招致決定の熱気にふれ、ハディト案がメディアに露出しまくりました。帰途、ロンドンで五輪バブルの建築群をみていたのでなおさら現実味があります。

9月、10月はお休みしていたサッカーの観戦へ。大好きな国立競技場では2試合。
いつものオーロラビジョン脇のゴール裏の最上段席はもう十年以上。春から秋へ、涼風に吹かれ(ときにポンチョ着て雨に打たれ)、黄昏どきの新宿の摩天楼や神宮の杜がながめられ、メガロポリスの新旧が溶け合う官能の風景を味わっていたわけです。

「国立、国立、オレたちのコクリツ~!!」と、キックオフと同時に毎回歌われる、サポーターソング。
これで天皇杯やナビスコカップ優勝の歓喜を回想してます。
ただ、いまの競技場は皆に愛されているわりには、建築的にいいとは思われていないでしょう。高度成長期の記念碑としてはあるけれど、丹下さんの作品や東京タワーとは決定的にちがう。
いまの国立が好かれるのは、缶詰のような感動の思い出と、周囲の環境のなかで存在していたからだと思います。

千駄ヶ谷門、代々木門、青山門とアプローチのちがいで、微妙な「聖地国立」への巡礼経験が味わえる。期待と不安と喪失感と。皆がそれぞれの体験記のなかに、神宮の杜の風景(造られたものだけれど)が舞台のように記憶されていると思います。

新国立競技場で「オレたちの国立~!!」と歌うことができるのか?
東京の基層の文脈とその環境への配慮が蔑ろされることおそれています。』

NBC(長崎放送)の「あの人この歌ああ人生」

2013-11-09 15:25:22 | 日々・音楽・BOOK

「こんばんは。塚田恵子です。この番組は、毎週、ゲストの思い出の一曲を聴きながら、人生を語っていただきます・・・」という塚田アナウンサーの一言で始まる。

一昔前になるが、テレビ神奈川のアクセス・ナウという番組で「「蘇る光・20世紀の遺産」と題して、名の知れた評論家と対話をしながらテレビのスタジオで番組収録をするなど、数回のテレビ放送の体験をしたことがある。でもラジオは初めてなので好奇心が刺激された。
しかも、一曲を聞きながら「人生を語る」のだという。
長崎へフライトする前日、塚田さんと電話でやり取りしたら、長崎市公会堂トークの前日に一時間ほど下打ち合わせの時間が欲しいとのことだったのに「もういいです」ということになった。選曲も、問題意識も、話しっぷりも大丈夫だと言われてホッとした。

選んだ一曲は、ビル・エヴァンスを語るときに欠かせないアルバム「Waltz for Debby」の冒頭「MY FOOLISH HEART」。
寝るときによくかける僕の子守唄の一つでもあり、N.Yのビレッジ・ヴァンガードでのライブ録音でもあるからだ。番組でも述べたがN.Yに行った(行く)のは建築を見るためだが、ビレッジ・ヴァンガードに行きたいからでもある。

嘗て銀座にジャンクというライブハウスがあり、入り浸ったものだ。
僕は建築家だから、建築を語ることは、つまり「長崎市公会堂」を語ることは、僕の人生を語ることになる。同時に1950年後半から60年代・70年代という時代とその後の推移と重なるモダニズム建築の変遷とその時代のJAZZの世界を語ることもまた、僕の全ての来し越し方と多分晩年に至るまでの軌跡を語ることにもなるのだと感じている。

JAZZでなくても好きな音楽を語ること、同時に読んできた本を語ることも「人生を語る」ことになるのだろう。そこには数多くの人との触れ合いがあるからだ。この番組が人気があるというのがだんだん分かってくる。

この「あの人この歌ああ人生」の放送は、11月18日(月)の夕方,pm7:00~7:30とのこと。電波の届くのは長崎県と佐賀県と福岡の一部で、CDに録音して送ってもらえるが、ライブで聴くことができなくて残念だ。

長崎市公会堂の「さるく&トーク」には、雨の中150人ほどの人が参加してくれて一緒に館内を歩いて長崎市公会堂を巡る物語を語り合った。会場の人たちのこの建築を思う気持ちにも触れることができ、設計を担当した早稲田大学武基雄研のOBの渡辺満さんのこだわりに思わずニヤリとしたが、有意義なイベントになった。
主催者、林一馬長崎総科大教授や、建築家中村享一さん、それを支える人たちの尽力に心打たれる。僕たちの思いを行政サイドが真摯に受け留めてくれることを切実に願う。

僕は、昭和27年(1952年)に長崎中学に入学した。しかし2年生のときに転校して長崎を離れた。卒業をしていないので長崎中学の名簿に載っていない。願わくば、この放送を聴いた同級生がいて連絡してくれたらこれにまさる喜びはないのだが・・・
壇上で話しながら、密かに同級生に会えないものかと期待していたが、残念ながらその出会いはなかった。


長崎市公会堂「さるく&トーク」へ

2013-11-02 09:24:08 | 建築・風景


これから羽田に向かい、長崎に行く。
明日行われる長崎市公会堂を「何とか残せないものか」という想いで館内を見学し語り合う「さるく&トーク」に参加するためだ。
そして思いがけずNBC(長崎放送)の「あのひとこの歌ああ人生」というラジオの番組に出ることにもなった。「思い出の一曲を聞きながら、人生をかたってもらう」ということだという。
塚田恵子さんというアナウンサーと電話でやりとして、さてその1曲。若き日にのめり込んだJAZZにする。モダニズム。どうなるかわからないが、ビル・エバンスのその一曲に重ね合わせて武先生の「長崎市公会堂」を語りたい。