ノートPCのコードをコンセントに差そうと引き寄せたら、コーヒーをひっくり返してしまった。慌てて雑巾を取りに云ってテーブルを拭いた。PCのスイッチを入れた。起動しない。PCにもコーヒーがひっかかったのだ。
中郵のことなど今年は嫌なことが沢山あっったが、これで年を越すのかと憂鬱になった。妻君が綿棒をもって飛んできた。入らないところはほぐして楊枝にまいて拭いた。でも駄目だ。うんともすんとも云わない。
でも空は見事な快晴、風もさほど冷たくなくのんびりしたいい大晦日だ。台所では我が家に来た娘と妻君が`おせち`をつくっている。時折笑い声が聞こえてくる。ホッとして心が和む。
東京中郵の保存活動を一緒にやっている多児さんから電話をもらった。ひとしきりどうしようもない郵政に怒りとボヤキを言って慰めあいながら、年明けを語り合う。
来春3月に行くDOCOMOMO Koreaとの連携で行う「韓国近代建築ツアー」に誘い、金壽根さんの設計した空間工房で行うミニシンポでパネリストとして話をして欲しいと相談した。多分僕とKoreaのユン先生(DOCOMOMO Koreaの代表)の二人で進行役をやるのでと口説く。
CDをリヒテルの弾くバッハの平均率クラヴィア曲集から、平良重信の三味線を弾きながら唄う宮古島の古謡に変えた。昨年行った宮古島平良の麻姑山書房で手に入れたCDのカバーは「人頭石」の写真だ。三線(さんしん)でなく、三味線とあるのが宮古なのかもしれない。
沖縄の諸島を琉球弧という言い方をするが、宮古は独特の文化圏を持つことをふと思う。
宮古のコトバなので歌詞を見ても何を唄っているのかよく解らないが、ゆったりしたリズムと渋い声、爪弾く三味線の音が、宮古の歴史を背負っているのだと思わず空の奥に眼を向けた。ハヤシを自分で唄うのもなんともいい味だ。
島(スマ)がまんな生(ナ)さりゆてユナウラセ。「来間押(クリマウス)ミガ小(ガマ)」という唄だ。
ふと右手に本棚の側壁に目がいった。柿渋を塗った科(しな)のランバーコアに、書家小林紘子さんの謹書「良寛様御詩」が額に入れて飾ってある。漢詩なのでしっかりとは読み取れないが、竹林に鳥雀が飛んできて、帰って来た老農は独り酒に陶然として、鳥雀たちと相対して談笑するといったようなことらしい。ずい分と前、バリ島に行ったときもって来た木の小さなインコが、ふらふらと揺れながら小林さんの文字に見入っている。
これはいい、今年の読谷で大嶺實清さんにねだって手に入れた泡盛を注ぐ器で杯を重ねよう。僕の相手は鳥雀たちではなくて、妻君と娘だ。
談笑?塩分の取りすぎ、控えなさいといわれそうだが、その後除夜の鐘を聴きながら、京都松葉屋の鰊蕎麦で年越しをする。大阪にいる従兄弟が送ってくれたのだ。
PCのスイッチを入れてみた。入った。妻君が云う。乾けばつくのよ。なんとも即物的だ。
でもありがたい。心底ホッとした。もしかしたら2009年はいいことがあるかもしれない。