新渡戸稲造や安井てつの建学の精神を受けて建てられた、東京女子大学の旧体育館の存続が、風前の灯火となった。理事会(理事長)の指示により解体準備に入るという。
この建築は、設計したアントニン・レーモンドの軌跡や、日本のモダニズム建築の歴史を検証する上でも欠かせないが、この体育館ではじめて日本の女子大学の体育教育がなされたのだと東女のOGや先生方から聞くと、日本の近代化の歴史の一面をこの可愛い建築が背負っているのだと思えてくる。
この体育館の両サイドには鉄筋コンクリート壁構造によるクラブハウスがある。
この壁と、体育館の柱にアーチ状にかけられた梁に設置された鉄パイプによって支えられた体育館の構造計画からは、DOCOMOMO Japanの要請によって耐震の検討をした構造の建築家松嶋晢奘さんが感嘆したように、建築家レーモンドの新しい時代を切り開いていこうという気迫が感じとれる。
この建築には、帝国ホテルを設計するために来日したF・L・ライトについてきたレイモンドの、まだライトの影響や故郷チェコキュビズム造形の面影を宿すなど、昭和初期の建築の面白さが汲み取れて,得も言われない魅力(僕が可愛いというのはそういうことなのだが)を感じるのだが、デザイン面だけでなくレイモンドが構造の合理性にも目を向けたということに興味がわいてくる。1920年代より主流となるモダニズムの思潮がここからスタートしたのではないかと気がつくのである。
これは僕が建築家だから気になる建築としての面白さだ。
しかしこの体育館の魅力とかけがえの無い価値は、それだけではない。
ものがおいてあったりして気がつかなかったが、この体育館のクラブハウスには、一階にも暖炉があり、数えると趣の異なる五つの暖炉があるのだ。この体育館が、社交館とも言われていたことは、この暖炉を見ると納得できる。
つい先日、レーモンドの弟子、吉村順三に学んだ奥村昭雄東京芸大名誉教授や東女の教授など数名が暖炉の前に集まり、慎重に薪を燃してみた。僕は所要があって同席できなかったが、外部からの吸気パイプが設置されており、燃えすぎず、煙にむせることも無く、炎の暖かい空気が部屋にふんわりと流れてきて感嘆したそうだ。
暖炉だ。炎があるのだ。
レーモンドの技術と、建学の精神をこういうところからも汲み取れるのだが、この暖炉は大学教育とは何かと言う命題を今の社会に、つまり僕たちに問いかけているのだと思う。
暖炉を前にした教師と学生、或いは学生同士、さらに東大や慶応義塾と社交ダンスやフォークダンスなどの部活動による交流がこの体育館で行われてきて、薪を焚いた暖炉を前にしての談話、そこに新しい日本をになう女性を育てる女子教育を目指した人々の思いをみる。
作家永井路子さんにうかがうと、かつてこの体育館で演劇をやったのだという。体育館の床が少し下がっていて、回廊があり階段室の前面のスペースが舞台になる。2階の階段室ホールの手すりから、ジュリエットが顔を出し、ロミオが体育館の床に膝を着いてジュリエットに手を差し伸べたという。これが東女の伝統だ。
部活は今でもなされていて、この空間で見た社交ダンスやフォークダンス、更にICUとの交流で行われた日本の神楽舞などに僕は酔いしれた。憧れの東女、歳取った今でも僕の心にふと灯るその思いは、見識高いOGの方々の姿とダブル。東京女子大の宝物だ。ハードもソフトも。
三十数年前に建てた新体育館を取り除くと、旧体育館を残しても広い中庭ができる。新研究棟・体育館の一階のピロティがうまい具合にその中庭と繋がるのだ。レイモンドが想いを込めたキャンパス計画の一端が蘇るのだ。
新しく建てた研究棟の体育館が竣工してお披露目がされた。それを受けて東女では学生が中心となって旧体育館を使うイベントが行われた。
5月14日にはレーモンドの弟子三沢浩さんと建築史の研究者内田青蔵さんが講演をし、22日の「体育館=社交館」復活イベント、講演&フリートークで僕は永井路子さんや卒業生鳥山明子さんと共にこの建築への想いを述べた。
東寮はなくなったが、この旧体育館への保存要望書がJIA(日本建築家協会)、DOCOMOMO Japanやアメリカの建築史家などから提出された。
OGを中心に構成した略称「レーモンドの会」が、この建築の価値を検証するシンポジウムを開催し、HPを立ち上げて社会にこの建築の存在を広く伝えてきた。
数多くの学内の教授陣が立ち上がった。
建築史家鈴木博之さんたちがパネリストになったシンポジウム第二弾が旧体育館で開催された。学生が様々なイベントを通して残して欲しいとアッピールした。
有識者にこの想いを伝えたら、瀬戸内寂聴、近藤富枝というOGの作家や、平野健一郎、谷川俊太郎、本橋成一、それに阪田誠造や仙田満をはじめとする大勢の建築家など様々なジャンルの180人を超える方々があっという間に残したいと名を連ねてくださった。この会は前野まさる東京芸大名誉教授が代表となり、僕が事務局を担っているが、思いがけない人々の名をみて驚いている。数多くの新聞や雑誌がこの問題を書いた。
活動をすることによっていろいろな人と出会った。僕も多くのことを学んだ。暖炉の逸話もその一つだが、やりながらわかってきたことが沢山ある。
僕たちは明日25日、プレスセンターで記者会見を行う。この旧体育館が東女の善福寺キャンパスにまだ建っていることを訴えるのだ。一旦決めたことを振り返り、踏みとどまることは勇気がいる。理事長にその勇気を期待したい。
「東京女子大学の光を消したくない」からだ。
仕事はもちろん、試験勉強や雑事に追われまだ見学していない東女体育館を訪ねなければ・・・。
うう・・・月末からは鎌倉近代美術館の坂倉準三展も始まっちゃうしーーー
コマッタァ!!
東女旧体育館は出入り禁止になり、解体準備の仮設工事が始まってしまったようです。見られるようになることを願ってはいるものの・・
馬耳東風、あんまりこんな言い方をしたくないのですが、さてどうしたものでしょうか!
明日は坂倉展のオープニングセレモニなんですけどね!
(私は今日は休日出勤日でした:汗)
上野が世界遺産登録されていたら鎌倉近美や坂倉氏の評価も上がったのでは?と思うと残念です。
でも今回の展覧会は汐留との連携企画ってのもいいですね。(そう言えば今日の読売新聞記事でヴォーリズ(汐留の展覧会含め)が紹介されていました。)
DOCOMOMO Koreaの安副代表は、建築としては鎌倉近美のほうが魅力的といっておられましたが、坂倉展は必見です。この近美も、坂倉準三建築も大勢の人々に愛されているのですね!改めて実感したレセプションでした。
近美100年の会のHPにこの展覧会や、昨日のオープニング・レセプションの様子を記載しようと思いますが、大会実行委員長高階修爾氏の挨拶や、乾杯の音頭をとった菊竹さんのメッセージ、それに槙文彦さん、ご子息の坂倉竹之介さん、阪田さんはじめ大勢の方々であふれかえるようでした。なぜか僕が集合写真を撮ったのですよ!
東女旧体もこのように大勢の人に愛されているのですけどね!