日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

バンクーバーオリンピックに考えること 民族の祭典など

2010-02-28 16:54:51 | 文化考

バンクーバーオリンピックの開会式をTVで見ながら感じるものがあった。大げさな構成だとは思ったが瞼の裏がちょっと暑くもなった。カナダの人々の自然を憧憬を籠めて慈しむ心と、多民族国家であることへの誇り、そしてオリンピックは国を越えたアスリートの闘いだが祭典でもあることだ。

IOCのロゲ会長はあえてこういった。不正行為を行ってはいけない。そして公用語の英語とフランス語で挨拶のコトバを述べた。選手の宣誓でも不正を行わずに闘うと宣言した。今の世界の状況が生々しく表現されると共に、一緒に競う若者への期待と願いが込められたが、僕の感じたのは、いまさらとは思うもののオリンピックが多様な民族の祭典だということだ。

既に38年前にもなる1972年、札幌大会宮の森ジャンプ台での70メートル級、笠谷、青野、金野、藤沢の完全制覇はその裏にあった努力が繰り返して報道され、いつまでも忘れ難くなったが、ふと今思うとこのオリンピックの何処にも「アイヌ民族」の姿はなかった。

僕が初めて建築専門学校の設計課題講評のために北海道を訪れたとき、プレゼントされた分厚い本がある。「アイヌ神謡集 を読みとく」(片山龍峰著 草風館)。
アイヌ神謡集は著者知里幸恵生誕100周年を記念して2003年に刊行されたアイヌの神謡(カムイユカラ)を、標準語と英語訳を右ページに記し、左ページにはカタカナでアイヌ語を、その文字の下に発音をローマ字で表記して読みとけるようにした研究書とも言えるが、文字を持たなかったアイヌ文化を認識して欲しいという願いのこもった著作だ。

沖縄にも沖縄の言葉があって、その語感は琉球弧といわれる島と琉球王朝の文化を想起させて味わい深いが、それは方言として排除された歴史がある。改めて多様な人の生き方を考えさせられるのである。
琉球民族という言い方も今なお残っているが(沖縄民俗辞典・吉川弘文館)、文化人類学では日本民族はないという。それだけに僕たちはこの種の問題意識に疎いが、アイヌがつい最近民族として認知されたことを当然だと思うものの、この問題を大切にしたいし考えていきたい。僕たち日本人ってなんなのだろうかとか!
オリンピックを単純に民族の祭典という言い方をしてはいけないのかもしれない。

バンクーバーオリンピックはそろそろ終幕を迎えるが、祭典とはいえ様々な闘いの、そして人技とは思えないドラマに満ちている。それに心を打たれる。
回転の皆川賢太郎がコースアウトして、「何年もやってきて一瞬にして終わったのは一体何だったんだろう」と述懐した。一瞬情けない発言だと思ったが彼の思いは深い。
そうだ、一体なんだったのだろう!

石原都知事が銀や銅メダルをとって大騒ぎをするのは情けないというような趣旨の発言をしたと新聞報道されたが、選手のオリンピックに臨める事になるまでのドキュメントが、マスコミサイドで囃し立てられるように報道される昨今の状況に呼応する発言とは思う。
それでもフィギュアスケートのエキビジョン・フィナーレを見ていて目頭が暑くなった。勝てばいいと言うものでもない。
開会式がはるかな過去のような気もしてきた。

空の旅 美しい「雲平線」

2010-02-24 13:04:00 | 建築・風景

空港に着くと其のざわめきに胸がときめいたものだ。行く先のアナウンス、フライトナンバーが読み上げられると、成田空港だとこれから訪ねる国やまちの様が思い浮かぶし、英語のアナウンスによってNYやロンドンに向かう人と同じ場にいるのだという、晴れがましさを感じたりしたものだ。誰しもそうだと思うが、好奇心が初めて訪れる国への不安をこえた。
羽田でも同じだった。

其のときめきの鼓動がいつのころからか薄れてきた。なぜだろう。
でもフライト中、窓から眼下に見る街中の、無音で走る車の光景はそこに人がいるのだという不思議観を持つのは、何度見ても、歳をとっても変わらない。国内線は高度が低いので晴れてさえいれば地上の様子がよく見える。だから僕は窓側に座る。

1泊2日で札幌に行ってきた。
建築家上遠野徹さんを「偲ぶ会」と、JIAメンバーの内輪の会「偲び会」、それに本の編集の打ち合わせをおこない、翌朝、雪の中の上遠野邸を訪ねて徹さんにお花をささげ、教師のMOROさんとともに学生を連れてご子息克さんに案内していただき、雪をかいて通路を作ってくれた所員H君に感謝しながら外観を観た。積まれたレンガ、耐候性鋼の錆と雪の取り合わせに、何度も見たのにやはり胸打たれる。

徹さんの奥様と克さんの奥様にご挨拶した後、克さんに解説を願った。若者への伝言が、徹先生から克さんに引き継がれたのだ。この家は「未完の家」、あの人は未完のまま逝ってしまったと奥様がつぶやかれたので、建築家ってそうですよ、だから建築家なのですと申し上げると、そうね!と頷かれた奥様の微笑が胸に残る。

MOROさんの車で、市内の`GALLERY創`で開催されていた「上遠野徹 木造の住宅」展を見た後、徹さんが竹中時代に設計された傾斜地に建つ旧栗谷川邸を道路の下から、実施設計や現場の担当をされたレーモンドの聖ミカエル教会を拝観した。丸太で組まれた会堂の、壁の十字架がほのかな灯りに照らされて浮かび上がっていた。

眼下に微かに点の様な船の明かりが見えるが、夕日に染まった雲と濃くなってきた空のブルーが美しい。こういう言葉があるとしたら「雲平線」だ。
魅入られながら上遠野徹建築三昧だったこの二日間の旅を想う。

アクターズ・スタジオインタビューでの「ゴールディ・ホーン」

2010-02-19 11:05:08 | 日々・音楽・BOOK

つい見逃してしまうし、見る機会がつかめないのだが、NHK BS2で放映される、ニューヨークのアクターズスタジオで学ぶ若者を前にして、映画や舞台のスターにインタビューを行うジェームス・リプトンの番組にはいつも感動してしまう。
僕の好きな(タイプなんだなあ!同時に孤児を引き取って育てている彼女の生きかたにも共感して)アンジェリーナ・ジュリーのインタビューを見てますます彼女に魅入られたが、この番組の放映はなんと、日も時間も定まっていない。
さて2月11日は(建国記念日で休みだったので見ることができた)映画女優で、最近は監督もやるというゴールディ・ホーンだったが、いつものようにすっかり惹きつけられてしまった。

この番組は10の質問や会場にいる俳優志願の若者からの質問を受けるなど、進めかたはきまっているが、ジェームス・リプトンのインタビューは時として鋭くてそっけない。だが、登場するスターを慈しむ敬意が感じとれ、俳優の真髄を引っ張り出して素晴らしい。氏はアクターズ・スタジオの主要メンバーでもあるのだ。そして何よりもこの番組が面白く興味深いのは、会場にいる俳優志望の若者の食い入るようにインタビュアーとスターを見る眼差しと、学び取ろうとする真剣な質問の様だ。

ゴールディ ホーンというユダヤ人の女優を全く知らなかったのだが1969年の映画「サボテンの花」でアカデミー助演女優賞を得た演技力のある俳優、1945年生まれだから65歳になった。「生きること自体が喜び、創造は生きる証し、そしてそれを信じることだ」と言い切り、嫌いな人は「守りに入り、頑として変わらない人」だという言葉にグッと来ながらテレビの前で思わずうなずいてしまった。
これは会場からの問いかけに応えたのだ。

彼女は言う。「状況が変わったら自分も変わらなくてはいけない、常に状況は(世は)変わる。変わること、(つまりそれは)創造するということなのだ。同時にそれは人生を切り開くということなのだ。その信条は女優として様々な体験(3度の結婚!)をしてきてつかんだことなのだと言外に伝える。
僕の信条とどこかで重なっている。物事への対処は状況によって判断する。ちゃんと準備ができない僕の言い訳かな!と一瞬ためらうが、まあ予定調和(この言語は難しい哲学用語のようだが、単純に言葉として感じ取ってほしい)は僕の言語にはないのだ。
それが僕の`ぶれない`ということなのだ。

彼女は共演したメリル・ストリーブのことをこう言う。
「世の常識では計れないくらい純粋な人」そして`モンスター`だと笑う。彼女にとって憧れの人で世にはこういう人物もいると言いたいのだ。
うーん!アカデミー賞に14回もノミネートされ、2回も受賞し、60歳になってABBAのナンバーをミュージカル化した「マンマ・ミーア」をやってしまうメリル。わかるなあ!

<著作権の問題などで写真が使えない。文面と何の関係もないが、この雪は2月18日に降った新宿中央公園。あっという間に融けてしまった>

植田実写真展 「空地の絵葉書」

2010-02-14 14:23:52 | 建築・風景

最終日の夕方になってしまったが、青山のギャラリー「ときの忘れ物」での植田実写真展に出かけた。タイトルは「空地の絵葉書」。
植田さんは編集者として数多くの建築誌や建築書そしてご自身の著書で僕たちを触発してきたが、おそらく日本で一番、数多くの建築家と出会いそして数多くの建築を見てきた人だと思う。そして建築家を発見した。其れはつまるところ、その建築家の魅力を多くの人に伝えてきたということだ。眼力があるのだ。だから植田さんと建築の話をするのはちょっと恐いところもある。

「空地の絵葉書」。植田さんらしいロゴだ。
会場の挨拶パネルには、沢山の写真を撮ってきたがどうやら「絵葉書写真」としかいいようが無い、といったような、そうかな?と思いながらも読む僕たちを何となく納得させてしまうような名文が書かれている。いただいた案内葉書には細いペン字でこう書き込まれている。`送ってくださったデジカメの美しい組写真には参りました。これ、時代遅れの写真展なり`。

昨秋、OZONEと組んで行っているDOCOMOMOセミナーで、僕が司会をやって植田さんと建築家室伏次郎さんの対談を行い、室伏さんの設計したコンクリート打ち放しの「鷺宮の家」:デザイナー中森陽三邸の見学をコーディネートして中森ご夫妻との笑いに溢れた座談会を行った。そのときの、デジタルで撮った写真を組んでお送りしたのだ。
植田さんは建築を見ることと同時に膨大な写真を撮ってきたが、それは全てアナログ。フィルムはリバーサルで会場にいた奥様、やはり編集者の松井朝子さんに聞くと、ネガファイルは数百冊に及ぶという。

写真展はそのなかからセレクトして世界各地の建築の醸し出す光景をセレクトして展示した。植田さんは、僕は写真家ではないので!と謙遜するが、これはハイキーにしてとか、この部分を焼きこんでつぶしてとラボに指示したこだわりを僕に披露し、どうだろうね!と問いかけられた。
一見無造作に並べてあるように見えるが、実は周到に構成して展示してある。多分植田さんの中には自分の見てきたことを伝える物語が組まれているのだろう。
会場は植田さんを慕う人で溢れていた。建築学会「雑誌」の編集長になった早稲田大学準教授の中谷礼仁さんもいて、久し振りに話し込んだ。話題は三菱一号館特集問題。

松井朝子さんは、建築誌コンフォルトで僕のことを書いてくれたが、以来僕がコーディネートしたシンポジウムにパネリストとして話していただいたり、何となく内輪の人といった感じがしている。
その松井さんは、旦那には、とっくに70を過ぎたのだから、好きなことを出来る時にやったほうが良いのよといっているのだという。僕の眼からみると常に好きなことしかやっていないんじゃないの、といいたくなるが、いわれてみると僕もしょっちゅう妻君からそういわれているなあ!と苦笑したくなった。

室伏さんから相談があり、2月18日、ぼくはJIAの会議室で、JIAが発行する「JIA 日本建築大賞:優秀建築選」の冒頭に掲載する座談会の写真を撮ることになった。その座談会には、室伏さんたちと共に編集のサポーター・顧問として植田実さんも参加するのだ。オヤオヤ僕はカメラマンになってしまった。

ソウル駅の改修と、視察に訪れたプロジェクトチームとの交流

2010-02-11 15:16:16 | 建築・風景

ソウル駅は、僕たちが東京駅を愛するように多くの韓国の人に愛されている。
改めてそう思ったのは、来日したソウル駅改修プロジェクトチームの方々と銀座`梅の花`で会食した(2月4日)ときに、通訳をしてくれた徐東千さんの一言だった。
「(子供のときから)ソウル駅に来ると僕はソウルに来たのだと実感した」、大都会に来た喜びと誇りを与えてくれたソウル駅は、徐さんにとって掛け替えの無い建築なのだ。
徐東千(ソ ドンチョン)さんは東大生産技術研究所村松研博士課程に留学している若き建築史の研究者である。

そういうソウル駅は塚本靖の設計により1922年から25年にかけて建てられた。建ってから既に85年を経ている。新しい駅舎が出来てから閉鎖されているが、使い方について様々な論議が交わされてきた。僕は何度もここを訪れたが内部を見る機会が無く、時には近辺に浮浪者がいたりして気になっていた。

僕の手元にソウルの歴史的な建築と共に最新の建築も含んで集大成したARCHITECTURAL GUIDE TO SEOULというハングルと英語で書かれた427ページにわたる2003年に発行されたガイドブックがある。そこに書かれたソウル駅の項には、この駅舎が建てられた経緯などと共に、リノベーションをして鉄道博物館(Railway Museum)にして欲しいと述べられている。この駅舎の存続は韓国の建築界の想いでもあるのだ。
そしてコンペを行い、文化施設として使うために改修することになった。国の事業である。

今回の来日は、文化体育観光府(日本の文部科学省のような組織)の李容旭さん、オーセンティシティを検証するDOCOMOMO Koreaの副代表安昌模(アン チャンモ)Kyonggi大学教授や設計者と工事を監修する建築家など4名で、工事中の東京駅(設計辰野金吾)、復元されたレンガ造の三菱一号館(J、コンドル)、そして大阪の中央公会堂(岡田信一郎)、綿業会館(渡邉節)などを視察して改修工事に関わった関係者にヒヤリングをする。会食には僕に声をかけてくれた清水建設技術研究所のMさんと東京駅の復原に関わっているTさんが参加した。

安教授とは昨年のDOCOMOMO Japanの総会でお話ししていただいて以来9ヶ月ぶり。僕は「アンニョンハセヨー」安さんは片言っぽい日本語で「ほんとに久し振り」と硬い握手をする。このプロジェクトに好奇心を刺激されて僕は、李さんや安先生に質問を連発しちょっぴり困らせた。
その一つはコンペの概要で、もう一つは構造などの改修計画である。コンペでは文化施設に使うということで提案させたが、この分野での経験者が少なくて応募者は3名、当選案も必ずしも万全ではないので参考案として対処することにして改修計画をしている。まだ具体的に何の文化施設にするとは決まっていないので、階段を新しく設置するとかフロアを増設することはしない。

韓国には地震がほとんど無く、物心がついてから震度3程度のものが数回感じられた程度とのこと、特に耐震についての配慮の必要は無いのだと、これは徐さんのコメントだ。
ソウル駅の柱と床は鉄筋コンクリートだが、壁のレンガや石も構造耐力を担っているようだ。
ちなみに東京駅舎は鉄骨とレンガの両方で支えられており、レンガ造三菱一号館の美術館として使われる復元と共に、この建築群の改修状況や工事の視察は大変役に立つと考えての来日なのだ。

話しは弾み、朝鮮総督府問題などの諸問題にも及んだが、ビールや浦霞を酌み交わしながら両国の酒の話になったり、DOCOMOMO Koreaの会長交代のことや、5月のJapan総会時に行う「鉄」をテーマにして、築地の市場と東京芸大を会場にして行う国際技術委員会のワークショップにも及んだ。
話を交わしながらDOCOMOMO Koreaが、ソウル駅を改修して使い続ける提案をさせる学生コンペを数年前にやったことを思い出した。

今度はソウルで会いましょうと僕は一人一人と硬い握手を取り交わした。
まだ「アンニョンハセヨー」としか言えないが、そのときは片言でもいいからハングルで語り合いたい。

<ソウル駅改修やコンペのことと、今回の視察の件をブログで紹介することは、李容旭氏の許可を得た。魅力的なこの駅舎の姿を、その使われ方をも含めて見守りたい。写真2003年撮影:左・新ソウル駅 右・旧ソウル駅>

珍味「へしこ」と潮風の香り

2010-02-06 11:55:41 | 日々・音楽・BOOK

僕は珍味が好きだ。いかの`沖漬け`や鮎の腸を塩漬けにした`うるか`、めったに口には出来ない`からすみ`、これはぼらの卵の塩漬けだ。酒盗といういかにも珍味らしい珍味もある。カツオの内臓の塩辛。ふと思うと皆塩辛い。塩辛だから塩辛いのだが、白いご飯にちょっと乗っけて食べるとえも言われないくらい美味い。でもまあ日本酒に良く合う肴なのだ。

僕の塩分取り過ぎに気を使う妻君にとっては天敵かもしれない。そこへ福井、若狭美浜の「さばのへしこ・ぬかづけ」が迷い込んだ。年末に大学の友人がプレゼントしてくれたのだ。福井出身の彼はこんなに美味いものは無いという。

包みを開けてみると彼の文字で食べ方が書いてある。一番美味いのはただ水で洗って小さくスライスしてそのまま食べるというのだ。よしと思ってさっと洗ってぬかを落とし口に入れるとなんてまあ辛い。これが美味いなんて!と思った。

彼はこれ美味いよ、といってたまに会うといろんなものをくれる。蜂蜜とか「三年子 花らっきょ」。このらっきょは小粒だ。福井特産でなつかしい手づくりをおすそ分け、と書いてある。でも僕にはちょっと甘い。らっきょは塩漬けがいいのだ。

エンヤを聴いていたらISLAY BOWMORE を飲みたくなった。そしてふと「へしこ」をつまんでみようと思った。薄くスライスして3切れ、水でくちゃくちゃにもんでみた。ああ!アイレイ島の草の香りに、この`へしこ`がなんともいいのだ。
アイルランドのエンヤとスコットランドのアイレイ、そして日本海の福井。荒い塩風の香りだ。冬の夜がエンヤの声にのってしんしんと深けて行く。