ブログのテンプレート更新の要請がgooからあった。この一枚の(一枚にした2,3枚の)写真と文章によるシンプルな表現方法が気に入っていて6年間も使い続けていたので、ためらったまま新潟に出かけている間に自動更新された。文字が小さくなってしまったのがショックで元に戻したほうがいいのではないかと模索中だ。
このフォトエッセイともいえる形で建築や様々なテーマを論じる可能性模索に僕はこだわってきた。
ブログのいいところは、コメントがもらえることだ。建築感の自己確認ができるのがありがたいし、異なる立場での反論があったりするのも興味深い。Moroさんとmさんのコメントにも力づけられたりしている。
ところでこのところTosiさんからのコメントに刺激を受けている。コメントで返信すればいいし解説的になるのは避けたいが、写真が無いとうまく伝えられないような気がするので`追記`と言う形で返信することにした。
僕のブログを読んだTosiさんの問題提起は、仮設的な建築の保存問題とフランスの建築家プルーヴェの実践された建築工法(理論)と増田友也の二つの建築との相関関係への問いかけである。僕の工場と見間違ったと思わず言った市民会館を、ためらいながら仮設的な建築と表現したのだと思うが、合理的な機能に目を向けたモダニズム建築保存の根幹に関わる課題だ。
市庁舎の弥次郎兵衛の構法が一本柱ではないだろうという一言にも、(多分構法の研究者である)Tosiさんらしい好奇心の発露が読みとれる。
この建築はさほど大きくないスパン(柱間の距離)による門型構成の柱からハンチのある梁の先端を(前項に書いたように)H鋼で支えているが、そのH鋼の柱がそのまま意匠として外部のカーテンウオール的な構成をつくり出しているのだ。そのバランスが見事でこの建築の品格を決定付けている。
PC(工場でつくられたプレキャストコンクリート)を多用した二つの建築の階段も魅力的だ。
僕はプルーヴェの理念に疎いし、指摘された市庁舎の工法との比較には興味をそそられるもののうまく応えられないのが残念なのだが、この二つの建築は、時代とか建築家とか地域における建築とは何かとか様々なことを僕たちに問いかけているような気がする。
一言だけ付け加えると、市民会館はリベットを打ったラチス柱鉄骨造で体育館のような空間構成だが、天井高がさほど高くなくどのように使われているのかちょっと気になっている。