日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

桜吹雪を浴びる太田隆信建築

2013-03-31 00:01:42 | 建築・風景
小田急線の参宮橋で降り「国立オリンピック記念青少年総合センター」へ向かった。坂倉建築研究所の大阪事務所を率いた建築家太田隆信さんに、設計をしたこの建築群を案内していただいてお話をお聞きし、プロフィールの撮影をさせてもらうのだ。
神宮前のJIA会館で行われる亡くなられた坂倉での嘗ての同僚、戸尾任宏さんの作品集の出版を祝い思い出を語る会に参加する為に來京する(3月29日)この日になった。

建築ジャーナル誌の編集長に僕の描いていた問題認識に共感を頂くことができ、1月号から「建築家模様」と題した写真と文(エッセイ)による連載を始めた。札幌の圓山さん、仙台の針生さん、土佐の高知の山本長水さん、そしてつい最近発行された4月号には早稲田の石山修武教授に登場頂いた。

2月の沖縄行きは、DOCOMOMOで選定した二つの建築、「聖クララ教会」でのコンサートを楽しみ、「那覇市民会館」の存続の要望書の提出と共に、沖縄の、二人の建築家の設計した建築を視てヒヤリングするのが目的でもあった。なんとも嬉しいことに島酒を酌み交わしながら!ということになった。やはり沖縄は沖縄だ!
そして考える。何方と会っても建築がその地の風土や社会と深い関わりがあってつくられることの確認をすることになり、そしてトライしてきた建築家としての軌跡を検証することにもなった。

鬚男太田隆信さんの、人を魅了して放さない滔々たる話振りを僕は密かに`大田節`といっている。でも中村文美編集長も同席したこの日の会話では、オヤ!と思うくらいに真摯、僕も心して話を伺うことになった。
嘗ての代々木練兵場の跡地、そこにあった大木を残すことに腐心し、その桜の大樹と共に敷地内通りの桜並木が満開だ。桜吹雪を浴びながら、トレパン姿の5人の女子高生が高く足を上げてジョギングトレーニングをしている。一列に並んで、点呼をしている若者たちもいる。ここの、武者英二さんが「これは街である」と述べ、太田隆信さんが「建築というのは楽しくなくてはいけないと思う」と述べた賑やかな建築群が理性と知性によって浮かび上がってきて、その姿はこの日の桜吹雪とよく似合っている。

JIAの大会をここで開いたときに泊まった事があるが、時を経て感じ取り方が変わってきたのだろうか。桜吹雪を一緒に浴びながらの今日のこのひと時は「一期一会」。太田ワールドは懐が深い。

春の夜に「エミリー・サンデー」を!

2013-03-23 23:41:19 | 東北考
数日前の建築学会で行われた歴史研究者の委員会で、積もった雪が凍って山になっていると聞いたばかり、北海道から来た委員は今年は寒いので溶けないのだと嘆く。今朝のウエザー・リポートではその札幌は雪、傘のいらないさらさらの雪なのだろうかと思いを馳せる。
それなのにこちらは桜が満開だ。ケヤキの枝の先端にも新芽も芽吹いた。春たけなわ、そんな一夜、「エミリー・サンデー」に聴きほれる。娘が先週末置いていったCDだ。

ヘブンからスタートし、ボーナストラックとして、14曲目にシンガーソングライターの掠れた声が魅力的なラビリンスと競演した「ベニース・ユア・ビューティフル」と最後に、心に浸み込むエミリー・サンデーがピアノで弾き語りをしたジョン・レノンの「イマジン」が収録されているアルバムである。

エミリーは、1987年にスコットランドの北部の小さな村に、ザンビア人の父と英国人の母のもとに生まれ、意人種の結婚に対する偏見で苦労する両親を見て育った。4曲目に収録されている「マウンテン」ではそんな両親の物語を綴ったという。
そのエミリーは、昨2012年のロンドンオリンピックのセレモニーに登場した。ライナーノートを記した服部のりこ氏はこう書く。開会式と閉会式の両方に登場するのは極めて異例なことで、生中継のTV画面には競技を終えてうれし涙、悔し涙を流す選手の顔が次々と写し出されていった(が)全ての涙が美しく・・(その真意を伝えるためには)「エミリーの声と歌に込められているメッセージが必要だったのだ」。

エミリーの歌にぞっこんになっている僕に明日の法事のために来た娘が、僕のPCに、エミリー・サンデーのライブを中継するユーチューブを落とし込んでくれた。会場に一杯の若者たちの、笑顔を浮かべながらエミリーの声にあわせて歌う姿が心に残る。<余話・ミューズが大好きな娘が一言。でもね、ロンドンオリンピックの公式ミュージシャンはミューズだからね!(笑)>

ところで僕が気に入った曲のひとつは「CLOWN」だ。
「I’llbe your clown」としり上がりに囁くような歌声にしびれる。

沖縄へ(3) 那覇市民会館存続要望書の提出

2013-03-15 18:20:13 | 沖縄考
2月13日(2013年)、DOCOMOMO Japanからの那覇市民会館(1970年金城俊光・金城信吉設計)の存続要望書を地元の建築家根路銘さん(正会員)と共に新築なった那覇市庁舎に赴き、翁長雄志那覇市長と市民宛に、『守禮之邦』への願い、として提出した。対応してくださったのは、佐久川馨市民文化部部長など4名の方々で、時折うなずきながら真摯に聞いていただいた。
その後沖縄県庁で記者会見に臨み、琉球新報、沖縄タイムズなどの地元紙の記者からの質疑応答など行った。各紙が短いとはいえ記事にして報道してくれたが、週刊タイムス住宅新聞(2月22日付)での、概要を伝えておきたい。

ー週刊タイムス住宅新聞の記事の概要ー
那覇市民会館は、日本の重要な近代建築物の一つとして歴史的・文化的重要性が認められ、2006年にドコモモジャパン125選に選定。県内では那覇市民会館と与那原町に建つ聖クララ教会の2つ。幹事・兼松紘一郎(氏)は「戦後の沖縄の近代建築として、モダニズムの聖クララ教会と沖縄の文化を近代建築の形にまとめた那覇市民会館、この2つがあってこそ意味がある。その建築がなくなることは、戦後築いてきた文化が失われてしまう」と会館の価値を訴えた。

そして、根路銘さんは「那覇市民会館は沖縄の現代建築の原点。街づくりにおいても沖縄らしさが求められるなか、那覇市民会館はそれにこたえてくれた建物。その建物が無くなることは沖縄の大きな損失になる。昭和、平成とこれまでの沖縄の文化を築き上げてきた大切な場所でもある。市民の皆様にも歴史的建築について考えてもらいたい」と呼びかけた。

<提出した要望書の形式など>
今回の存続要望書は根路銘さんが起草し、僕が取りまとめたが、沖縄の言葉を取り込み、宛先に「市民の皆様」としたことと、提出者として、鈴木博之代表と共に、地元の建築家根路銘さんの名を記したことは、何とか市長に汲み取ってほしいと願う僕たちの想いを伝える意味で画期的なことだと考える。

市長はこの建築を解体して統廃合される久茂地小学校の跡地に新築すると表明しているが、同時にこの`会館のあり方を検討する委員会`を設置して協議をさせている。

沖縄は、オスプレイや辺野古の自然環境破壊問題など数多くの課題を抱えているが、戦後多くの市民の力によって築いてきた建築文化を大切に継承し、ウチナンチュウの信条とともに、ヤマトンチュウの想いをも大切にしていく決意を新たにしてほしいと心から願うものである。

<DOCOMOMO Japanの許可を得て存続要望書を掲載した>

彼方と行き交う 「フランシス・ベーコン」

2013-03-08 16:35:13 | 文化考
顔がボケ、亡霊のような絵がなぜ存在するのか理解できないまま、でも何かが気になって忘れえないアイルランドの画家「フランシス・ベーコン」の展覧会が、東京国立近代美術館で、今日(3月8日)から始まった。

ベーコンは、1909年にアイルランドのダブリンに生まれ、1992年に亡くなった、ピカソやジヤコメッティに並ぶ20世紀を代表する画家と評されている。本展は没後初のほぼ30年ぶりに開催されたアジアでは始めての、世界的にも稀有な展覧会とのことである。
昨日の夕方プレス発表に参加し、つぶさに見入ることができたが、やはり得体のしれない刺激を受けたもののなぜこういう作品群なのかと考え込んでしまうのだ。

案内チラシやパンフレットには「目撃せよ。体感せよ。記憶せよ」というキャッチフレーズが記載されているが、それが何を意味するのか正直よく理解できない。
しかし、作品のいくつかに特記されている解説の「ベーコンは、額に入れたガラスを通して作品を視てもらうことを好んだ」という一節と、添えられた「レンブラントの絵であってすらもガラスをはめてある状態が好きなのです。確かにいろんな光源で視にくくなりますが、それでも向こう側を見透かすことができます」という一文の「向こう側を見透かす」というベーコンの一言に得心した。見透かすということは彼方と行き交うことなのだ。

向こう側とは何か!彼岸であるかもしれないし、人の生きることの、その世界の不条理なのかもしれない。
同性愛者だったベーコンの何かがこの作品群の根幹にあるのかもしれない。
会期は5月26日まで、おそらく僕は、何かに誘われてもう一度会場を訪ねるだろう。

写真・許可を得て撮影:三幅対 1991年 ニューヨーク近代美術館蔵