日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

横浜「関外」吉田新田の一齣

2016-06-23 12:02:33 | 文化考
この18日(土)、桜木町南口に集合し、街を歩き写真を撮る建築ツアーに同行した。このツアーのタイトルは「写真家中川道夫氏とめぐる横浜の隠れた歴史―撮り歩き」。
「隠れた歴史」とは横浜「関外、旧吉田新田エリア」といういわば裏社会の様相を捉えたネーミングである。

「関内」は馴染み深く、JR根岸線に関内駅があり、南口には村野藤吾の設計した市庁舎があり、北口を出ると、棟方志功との縁もある勝烈庵が在って、小さかった娘にカツレツを食べさせたいと、妻君を自宅に置いて厚木から出かけたり、建築家同士でワイワイと立ち寄ったことがある。しかし、「関外」という言い方と「旧吉田新田」と言うネーミングをこの歳になって初めて聞いた。

このツアーの企画は、JIA(日本建築家協会)関東甲信越支部の「建築家写真倶楽部」。
僕はその創設に関わったが、横浜にオフィスを構える建築家藤本幸光が僕の後を引き継いでその活動の2回目。そして、横浜の裏社会の一側面を感じ取れる、づしりと心のどこかに妖しいこの地が留まった不思議なツアーとなった。

そして僕とも親しい、若き日に美術出版社から「上海紀聞」という写真と見事な文筆よるレポートによる魅力的な著作のある写真家中川氏の、この地にのめりこむ一側面を、藤本が生々しく引っ張りだしたと言ってもよく、歩きながら「人」とは何者だとつらつら考えてしまうことになり、興味が尽きなかった。

「関外:旧吉田新田」は、横浜駅を背にすると桜木町の右手に存在する一帯で、嘗ては海沼とも言いたくなる沼草の茂る浅瀬を埋め立てたとのことだ。タイ人や朝鮮人や中国人などが多く住まうことになり、どうやら番外地的な様相が醸し出されている。路地を巡りながらついつい42条2項道路はどうなっているの?と、家屋が密集する一帯を案内して貰いながら、野暮な質問をしてしまった。

夕やみ迫る前にこの地を引き上げて中華街へ突進してしまったが、こだわりの紹興酒を味わいながらふと、いずれ夕闇にネオンの瞬くこの地を再訪してみたくなった。中華街のギラギラを見ていたら、何故か、必死に生きている人間の底根が窺えるような気がしてきたので!

<写真・炎天下で見ると何故か物悲しくなる>

秋田県雄勝で 建築家白井晟一を語ること

2016-06-10 11:48:51 | 建築・風景
今夕刻仙台に行って一泊し、明朝針生承一さんの車に乗って秋田県湯沢市に向い、建築家白井晟一の設計した「雄勝町役場」の保存に関するシンポジウムに参加する。
話をする僕のタイトルは「私の中の白井晟一建築」。

若き日、母校の恩師「堀口捨己」教授と共に、後年建築の設計に関わることになって、僕の中では次元の違う建築の存在に瞑目することになった白井晟一は、拝見した建築と共に、数々の論考によって、「人」の生きていくことへの原点を示唆させて頂いたと想っている。

僕の実家が長崎だからということでもないが、親和銀行本店や大波止支店のあの空間が、僕のどこかにいつまでも留まっている。銀座支店が無くなり、親和銀行は福岡銀行に吸収されるやもと伝え聞いたが、雄勝町役場と近くにある白井建築を拝見した後、5人のパネリスト共に、お互いの白井晟一論を語り合うのが楽しみです。

<写真 親和銀行大波止支店打ち合わせコーナー>

羽田空港のTVで オバマ大統領のメッセージを聞いて

2016-06-02 14:45:22 | 文化考
5月27日午後の羽田空港、四国松山空港へのフライトを待ちながら放映されたTV、オバマ大統領の広島平和公園でのメッセージにくぎ付けになった。

翌28日9時半から行われる松山から車で走ってほぼ1時間半かかる鬼北町の、「鬼北町合併10周年記念」と、A・レーモンドの設計した町役場、「庁舎(町役場)再生記念の式典」に参加するために、フライトの1時間ちょっと前に羽田に着いた。
ところが滑走路での事故によりゲートが閉鎖されていて、掲示板でも出発できるかどうかは未定とされている。さてどうなることかと様子をうかがっていたら、すでに待合場は長蛇の列、これはいかんとともかく並ぶことにした。その長さ数百メートル、すぐの僕の後ろにも大勢の人の列が繋がっていく。

掲示板には次々と欠航の文字。僕の後ろに並んだ函館に行くというおばちゃんがスマホを見て、どうやら大韓航空機が滑走路で炎上したようだと僕に伝えてくれた。
友人と函館で待ち合わせていたが欠航なので千歳で会おうということになったようだ。でも掲示板に千歳の名が出てこないと困惑しているので、千歳空港は「札幌」ですよ!と教えると仰天。初の北海道の旅だそうな! なんとなく仲良しになった。

さて、掲示板の松山行きは欠航だが、その後の便は就航未定だが満席と表示、最終便の掲示がない。ダメもとでと思って2時間並んでやっとフロントにたどり着き、可愛い女性の担当者に相談したら、最終便は満席だが、その前便には3席ある、でも出立できるか欠航になるかは確定していないとのこと。ダメもとでとチケットを受け取り、取りあえず機械で入力してみて待機してほしいと言われて機械操作。そして15分ほど待っていたら就航の文字。出発はさらに1時間半ほど遅れるが、何よりも松山に行ける。
ゲートを通って待合の場へ。そこでTVにくぎ付けになった。  <やっと冒頭の一文に・・・戻る>

広島の平和公園で、オバマ大統領と阿倍首相が慰霊の献花をしメッセージを述べる。
欠航が多いせいか待合スペースの椅子は閑散とはしているものの、皆身を乗り出してTVに見入っている。ところが僕の座っている列の若者は、スマホでゲームに取り組んでいて見向きもしない。そしてついと立ってどこかへ行ってしまった。今時の若者は! と僕は憮然 (苦笑!)。

さて大統領として初めての広島訪問、記念公園での17分にもわたる演説(メッセージ)、同時通訳なので通訳の声もテッロップも断片的だが、オバマ氏の想いが伝わってきた。
翌日の新聞評、ことに若き気鋭とされる研究者の論考は`大統領の訪問歓迎一色に違和感`とされ、研究者としてはそう論考しないと立場が成り立たないのかもしれないとは思うものの、彼への違和感を覚えた。
むしろ被曝したが91歳まで生き延びた坪井氏が涙ぐみ、オバマ氏がそっと肩を抱き寄せる姿に溜息が出た。

気になっていたオバマ大統領の一言、最後に女学生時代の僕の叔母が爆心地近くの工場で被災した長崎の名が!
日本は第2次大戦を引き起こした加害者、長崎で生まれた父がフィリピンで戦死し僕たち家族は彼方此方転居したが、朝日新聞での坪井氏の一言、「憎しみが消えたわけではない、オバマさんが原爆を落としたわけではない、責めても仕方がない、人類のために手を取り合って、核廃絶に取り組む方がええけえ、そう思えるようになった」という一言が耳に残った。
それにしても安倍首相の、誰かに起稿させたとも言いたくなったメッセージの棒読み。
どうしたもんじゃろう!

<写真 羽田空港でのテレビ>