この連休に、(妻君とともに!)この天気晴朗なる風情(我が住まい地近辺の!)を味わいました。
UPする画像はスーパーで手に入れた〝柏餅”です・・・美味しい!・・・味わい深い!
ああ・・起稿している部屋から空を見上げて、陽が射しているのに白っぽい空・WHY! 隣棟(目の前の!)との間の陽の中の樹々の葉っぱがゆらゆらと揺れていて、それはそれで妙に味わい深い! この数日の一齣を!と思って起稿しながら、柏餅の写真をUPします!
この白っぽい壁に張り付いた・・虫・・・ と言っていいのかしらん! 近寄っても じっとしていました!
ちょっぴり可愛いらしくて ! 沢山の人に見て頂きたくなりました!
今日(6月21日)は父の日。我が子(娘です)からの嬉しい一文が!…とは言えこの画像(手紙)は、 嘗て娘の描いた若かりし頃のニコヤカな妻君と我!そして両手にV・笑顔の娘。(右下に娘の好きな!…`カエル`ちゃんが ちゃんといる!):この画像okもらって記載
ああ!僕は、その頃 既に!髭(ひげ)を生やしていたのだ!と苦笑しながらも嬉しくなった。
僕と共に大学病院に赴き、我が家に一泊した娘が、今朝、都内の仕事場(準大手の建築を担う会社)に出社。見事な晴天になったこの日、我が住む此の地の、昨今の我が身を取り巻く様々な様相を見やりながら、ささやかなこの一稿を記しておくことにした。
この一文を起稿しながら聞こえてくるのは、この団地の建築群(外部)のメンテナンスを担っている作業の騒音(と言ってはいけないような気がしている)が…とは言え(連記になるが!)そこにはそれらを担う人達のいることに、ふと思いを馳せる。
その音が一瞬停まると深閑にはならず、電車の走る音や、様々な集会案内をするこの一角のどこかに設置したスピーカーからの女性の声、この音に`寄り添うように`と言いたくなる幼稚園の子供達の叫ぶ声 (おそらくニコヤカに)、更に間を開けずにほとばしる烏の声、それらがまじりあってささやかながら(うるさくはなく)聞こえてくる。
それらの音を聞きながらふと、子供たちの叫ぶ声は、やはり叫んでいるのだ!と思わず笑みを浮かべてしまう。
新春・元旦。自宅にお送り戴いた沢山の賀状に目を通し、一人ひとりとの、その出会いに想いを馳せる。
1月2日。`TOHOシネマズ海老名`で、妻君と来宅した娘と共に、`A STAR IS BORN′を拝聴(拝見!)した。箱根駅伝で、我が母校明大が惨敗してガックリしたものの、新春(お正月)にふさわしい此のミュージカルドラマに心打たれ、駅伝の惨敗など、どっかに吹っ飛んだ(と言って置きたくなった。同時に来年は頑張れよ!とも。苦笑!)
さて、`A STAR IS BORN′。製作は、監督・脚本、更に主役を担ったブラッドリー・クーパー。そのキャプション「歌って、恋して 傷ついて 私は生まれ変わる」と言う一言が、僕の心に深く留まっている。そして「男とは!」という命題、さて俺は!とふと想ったが、それはそれなりに!とすぐ修正する。
さてその2日後、新宿にある我が事務所に立ち寄って、送付戴いた年賀状を取得し、此処で我が娘子と別れて、三越日本橋本店で開催されている棟方志功展へ出向いた。そして、僕とも仲良しの志功(敬称略とさせていただく)の姪御と30分ほども四方山話、我が妻君も、興味深く聴いている。僕達は棟方志功御夫妻にお仲人をしていただいて一緒になったのだ。
前稿(初秋の一齣;わが娘(こ)の書)をUPしたのは9月9日(日)、その一文とその前の稿の間に、下記`秋が来た′と題する一文をUPしようと起稿したのだが、何故か飛び越してその一文を掲載してしまった。それはともかく時が経つのが余りにも早い!。嘆いても仕方がないが、何はともあれ上記その稿をUPしてみます。
ところで、今朝(9月15日)のTVでは、エンゼルスの大谷が打席で構えているのに、放映が他の試合に切り替わってしまった。それはないだろう!と慨嘆するし、怒りを憶える。僕の住む海老名市の天気もすっきりしない。私事の`ぼやき`だが・・・・
さて、秋が来る:8月31日の稿に下記追記!
『夏の終わりに!秋が来る』と題した上記一文を記載してから9日を経た、今日は9月9日の土曜日。大リーグ、ロッキーズとドジャーズの一戦を、我が家でTVをちらほら見ていたら、ダルビッシュがノックアウトされ、アーアツ!と溜息がでた。しかも4回で5失点。何やってんだ!とつい愚痴たくもなりながらも、冷房が要らなくなり、窓を開けての秋の風を慈しむ』。そして、此の稿(下記)を追記する。
さて上記タイトル`秋が来た`、こんなことを書いた。『8月31日、今日は夏の終わりの日。新宿駅から事務所に向かう途中の中央公園沿いの欅並木。・・・今朝の並木道、小雨降る、それも小粒な・・・でも蝉の音(ね)が聴こえない。』そしてこう〆た。『・・・秋が来るのだ』。
ところが9月に入った途端、新宿中央公園の蝉の音が復活。一週間たった昨9月8日(金)。心なしか力が籠もっていないものの、上記中央公園沿いの我が事務所への通い道、つい「ここを先途と蝉が鳴く」と言いたくもなった。海老名の我が家では、9月に入った途端蝉の音が聴こえなくなったが新宿の蝉は頑張っているのだ。・・・我が家では蝉の音は聴こえないが、厚木飛行場から此のあたりの空を引っ切り無しに迂回する軍用機の轟音が・・・どういうことだ!
-写真- 秋の一齣・部屋から見る雲を受け止める大山連山
来宅した娘が`書`を揮毫する。ためらいなく三筆。観ていて溜息が出た。此の書を師匠に見て戴き、赤の入ったこの書を参照して更にトライ、相互に得心するまでその繰り返しをするという。わが娘とは言え、ものを`創る`という真髄にトライしているのだと感じるものがある。
此の娘(こ)は、書だけではなくて、書画にもトライしている。
たまに来た我が家でもためらいなく執筆に挑むその姿を見ていて、はるかに`俺を超えた‘と想わないでもないが、我が創造力(苦笑!)が蘇り、さてどうしたものか,とふと考える。そして俺には俺のものがある!写真だ、と言いたくもなるが、そのパワーが!と付したくもなる。どこからか`それじゃあ駄目ジャン!という声が聞こえてくるが、娘が出展している著名な展覧会場での書画展を見ると、この娘(こ)を指導される師匠に まずは敬意を表したくもなる。
そして我が身。小学生時代の先生、高校時代の教師の指導に得心、そして想うのは、その教師の`好奇心の賜物`だとも想う。中学生の頃、殴り書きをしたような僕のスケッチに、先生の好奇心が刺激されたのではないかと、ふと想ったりもするのは、その絵をクラスの代表としてセレクトして下さっての展示、そんなことだがあったが、さて現在(いま)の僕を視たら先生はどう想われるだろうか!でもその先生方は一昔前に亡くなられたが、時折りそんなことを想う日々を僕は過ごしている。
一言添えると、此の一文を仮に妻君が眼を通すと、その妻君のあきれた顔が浮んでくる!
<提示する書・上記我が娘の試作>
小林春規さん(ここの名前だけが`さん`付け・あとは失礼を:笑)のこの作品(木版画)は、新潟お絵屋での個展を拝見したときの購入、新潟駅・プラットホームの光景である。初めての出会いは、小林春規展を拝見する為に京都に出かけたことによる。案内を戴いた手紙には、棟方志功の名が書かれており(なぜだったのか失念)行かざるを得ないと思ったことは憶えている。其れからの数十年になるお付き合い、その根幹に同じもの創り人間としての価値観(生きていくことの!)の共有があるからだと思っている。
この板画(版画ではなく板画と記載するのは、志功夫人`ちや`さんからの指示だった!が小林さんもまた同じ趣旨のことを述べられた!)もまた僕の宝物となった。そして新潟の駅に着くとこの板画の光景を想い起こすが、今は新幹線に乗ることになってこの風情を味わうことが無くなったことが残念である。
何年前だったか、駅に早く着いたので、駅員に相談したらどうぞ!と言ってもらい、急行が発着する当時の面影が残っているプラットホームに立つ事ができた。この作品を観るたびに、そんなことが頭に浮んでくる。