何処に行くときもカメラを放さないというスタンスは、数十年変わらない。
フイルム時代はカメラにこだわってライカのM6を2台手に入れた。黒の方とフィルム・コダックTRI-X400をバックやリュックサックに詰めて持ち歩いた。仕事関連で飲み屋やクラブに出かけたりしたときには、女将や席に着いた女の子を臆面も無く撮ったりした。その時代の1眼レフは、ニコンのF3とF4だった。
しかし時代には逆らえず、僕もデジタル化。M6の一台を手放し、今持ち歩くのはコンパクトなマイクロフォーサーズ、LUMIX-GF1。レンズは写真家飯田鉄さんに勧められた20ミリF1,7。その一本だけ。ゆるぎない描写力。流石だ。レンズもそうだがプロの眼力に脱帽している!
APSの20ミリは35ミリカメラの40ミリに該当し、広角レンズとしては物足りなく、プロフィールを撮るにはワイド過ぎる。しかし数年使い込んでいくとその角度の微妙な面白さに馴染み、時折どうしようかとは思うもの交換レンズは持っていない。
ところで建築を撮る僕のカメラはD700である。一度も故障したことが無く、描写力も流石で何の不満もない。しかし突然もう一台1眼レフを持つべきではないかと思った。
昨年の1月号から「建築家模様」と題したシリーズを建築ジャーナル誌に連載を始め、正しく北は北海道から南は沖縄に出歩いて地域を率いる建築家に会って、建てた建築を案内してもらう。建築を撮るのは主として24ミリのシフトレンズ。プロフィールは85ミリ。そしてもう一本持ち歩くのは35ミリF2である。僕は基本的にはオートフォーカスとズームレンズを使わない。でもこの一文を書こうと思って調べたら、数は少ないが何故か数本あるのだ。
もう一台。もしカメラに不測の事態が起きたら撮り直しに出かけなくてはいけない、しかしそれはほとんど不可能。その建築家に会ってその時のその天候の中でのやり取り、一期一会だからだ。
同時にふと思ったのは、カメラの故障は無かったが、充電をうっかりして、電池がなくなってどうしようもなくなったり、撮りまくってメモリーの容量が不足して撮った写真を削除してみたりしたことがあった。沖縄でのことだ。またフィルム時代はフイルムが残り少なくなって往生したことが頭を掠めた。
旅先で撮るカメラは軽いほうがいい。フルサイズ一眼レフではないが、フジのX-T1とも考えた。だが、やはり何本も持っているレンズを使いたい。飯田鉄さんに相談したらDfはどうかとのこと。触手が動くがあのマニアック的な作動だと、多分切れ目無く、歩きながらでも撮ることになるこのシリーズでは、700の作動との違和感が無いほうがいいと判断した。
値段のこともあってD610はどうだろうかと打診、とてもいい、業界人からいろいろと言われた600でもいいと思うよ!とも言ってくれた。ということもあって現役のD610を購入した。
ところがその数日後、ほぼ同じランクのD750の登場が報じられた。後日「アサヒカメラ」誌でも紹介されたその表紙のタイトルは、真打登場D750である。そして例の如くかつて610を絶賛したカメラ評論家は、610への不服を述べる。新しく開発されたものがいいのは当たり前なので、まあそういうものだとも思うが、チェ!と舌打ちしたくなった。
さてそのD610、青森、盛岡、仙台と撮り歩いてきて戸惑ったのは、正しくいまどきのデジタルカメラ、うっかりするととんでもないことになって困ったりした。僕はやはりアナログ人間であることを自覚。なんとも!と思いながらも、そういう自分を慈しみたくもなった。
さて、東北ではD700にはシフトレンズをつけっ放しぱなしにして使いこなし、建築家のプロフィール撮影に610でトライした。
それにしても、シンプルなLUMIX-GF1とD700はとても使いやすい。