日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

探偵ジョン・タナーとJAZZ

2005-07-31 16:32:35 | 日々・音楽・BOOK
僕の好きな、スティーヴン・グリーンリーフの早川ミステリー<私立探偵ジョン・タナー>第13弾「憎悪の果実」51ページに、「ハイウエイ101号線に乗って、都市街から(まち)から南に下り、サンノゼ、ギルロイと通過してサリナス・ヴァレイに入った。・・・最初にこの土地を通過するようになったのは、ロサンゼルスに出かけるときか、モントレー・ジャズ・フェスティバルにいく時だった」と書かれている。
ギルロイは娘が高校に入った祝いをかねて西海岸旅行をしたときに、トイレ休憩で立ち寄った街である。数年前「風旅」というタイトルで写真展をやったとき、展示した写真の一枚に「ギルロイにて」とキャプションをつけたのでオヤッと思ったのだ。ただそれだけのこと!
しかし荒涼とした平原の中に映画に出てくるようなガソリンスタンドやドライブインが建ち、一本の木の電柱が交差する道路の脇に建つ様子はモノクロフィルムに写し撮られて(撮ってといいたいのだが!)いて、アメリカの一面を僕の奥の心にとどめている。

僕をJazzの世界へいざなった映画「真夏の夜のJazz」は、1958年ニューポートジャズフェスティバルを映像に映し撮ったもので、このモントレー・ジャズフェスティバルではないが、モントレーというと連鎖反応的に「真夏の夜のJazz」を思い起こしてしまう。ジミー・ジェフリー・スリーの軽やかなリズムに乗って真っ青な海を疾走するヨットレースのクルーザー群は、憧れのアメリカの象徴だったし、モンクの「ブルーモンク」は、心を見つめいるジャズ、の世界へのめりこむきっかけになった。
かつて銀座に「ジャンク」というジャズ倶楽部ができて通いつめたことがある。プーさんこと菊池雅章と格好よかった笠井紀美子にのめりこんだ。京都のお寺に隠棲していたゲーリー・ピーコックがジャンクへ突然ゲスト出演して僕たちを喜ばせたことは、自慢げに言いふらしたくなるような出来事だった。ジャンクに触れるのは、モンクとプーさんの近似と相違はいまだに僕の心を揺さぶるからである。
この一文は、ビル・エヴァンスのバラード集と言ってもいい、心に沁みる「You Must Believe In Spring」を聴きながら書いている。 

残したい!本牧に建つレイモンドの「旧スタンダード石油社宅」

2005-07-21 13:00:45 | 建築・風景

横浜、三渓園の近く本牧八聖殿の手前に、終戦直後の1949年から1950年にかけて建てられたレイモンドの設計した「旧スタンダード石油会社社宅」が建っている。広大な敷地の中に打ち放しコンクリート造で、外壁には縦板張りがなされて温かみを持つ2階建てが一棟、平屋が3棟建てられた。Standard Oil Company New Yorkの頭文字をとって通称「ソコニーハウス」と呼ばれている。 1953年には横浜市建築コンクールで表彰(市長賞、知事賞)され、特に外国のエリートが住んだ住宅の典型として当時の日本人を驚かせるなど、戦後の住宅史を考える上で欠かせない建築となった。その誇らしげな記念のプレートは土留めの石垣に設置され、いつでも見ることができる。 1956年に平屋の2棟が解体されてマンションが建てられたが、残る2棟は残っているとはいえ空き家となり、今では樹木に覆われていて全容はうかがえない。現在の所有者は「神鋼商事」だが、霊園の計画をする企業に売却の計画が起こり、その存続が懸念される。 

7月15日「本牧スタンダード石油社宅とその景観を救う会」のメンバーに案内され、JIA神奈川のメンバーやJIA保存問題委員などと共に現地を訪れた。 フェンスがしてあり敷地内に入ることはできないが、樹々の間から縦張り板の外壁が見え、敷地の高低を利用して配置された有様もうかがうことができ、資料にある竣工時の写真の姿を重ね合わせていると、その建築の姿が眼前に起ち表れるような気がしてくる。 そしてこういうモダニズム建築を見るときにいつも感じる妙な懐かしさと、嘗て建築にのめりこんでいった若き日、つまり僕の青春と一体となった甘酸っぱさのようなものがこみ上げてきた。
何とか残したい!  <写真・竣工時「レイモンドの建築」三沢浩著より>

父の縁側、私の書斎

2005-07-18 21:20:34 | 日々・音楽・BOOK

女優で今やエッセイストでもある壇ふみさんの『父の縁側、私の書斎』(新潮社)は、ほろほろとした想いがこみ上げてくるとてもいいエッセイ集だ。タイトルは父の縁側だが、本文の小見出しは父壇一雄へのオマージュ「心の縁側」。
僕も縁側のある家に住んだことがあり、そこで日向ぼっこをしたり、友人と話しこんだりした。森繁久弥さんが‘戦後日本人が失ったものは、縁側である‘と述べたそうだ。
いつの頃から縁側がなくなったのか!
内田青蔵さんの住宅史「間取りで楽しむ住宅読本」(光文社)を読みながら、モダンムーブメントの功罪だなあ、と思ったことを思い出した。ここでも近代化とはナンだろうと考えてしまうのだ。

ところで安藤忠雄さんは出世作「住吉の長屋」について、「雨が降ったら傘をさして移動しなければならない。けれども、太陽の恵みや、四季の移り変わりを、肌で感じ取れる。家とは自然との語らいが大切なんですよ、春が待ち遠しいでしょう」という。「ではいちど季節の悪いときに来てくださいよ!」と長屋の住人に泣きつかれているが[絶対に行かないそうだ]という一節に思わず笑ってしまった。
DOCOMOMO100選展のシンポジウムで安藤さんと語り合ったが、その安藤さんの笑顔を思い起こしニヤリとしてしまう。