日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄へ(5) 大城按司の ボウントウ御墓

2016-04-30 14:03:07 | 沖縄考
2年前になる2014年の5月に訪れた「大城按司(うふぐすくあんじ)」の御墓(うはか)をこの機会に記載しておくことにした。

前記の玉城城址と同じく南城市に位置し、案内板によると、14世紀中期から末期と言われる大城按司「真武」は島添大里按司(大里城主)との戦いい敗れて稲福村で自害し、当初は小石を丸く積み上げて塚にしたと伝えられているとある。
その後いくたびか改築されて1892年(明治25年)にこの地に移築されたとのことだ。上部がドーム状の石積みとなっていて、その形からボントウ御墓とも呼ばれているとも記載されている。

確かに沖縄文化の一端を寿ぐと考えて、数多くの沖縄の墓を訪ねてきたが、この形状の墓を見たのは初めてだった。
先人たちの先達に対しての想いが込められているような気がしていて、拝見してから2年を経たいまでも心に深く留まっている。

この墓は、県の指定文化財となっているが、木々に埋もれながらもおまいりする人の気配があって心打たれた。

<追記:記載してから一夜明け、眼をあけたらこの御墓を想い起こしていた。この御墓を再興しようとしたのは何故?誰なのだろうか?シマンチュウにとっては考えるまでもなく ごく当たり前のことなのだろうか!>

沖縄、東北そして北海道巡りを考える:NHK「沖縄 学徒の遺書」をみて

2016-04-24 17:42:59 | 建築・風景
2月に沖縄、4月の東北、そして例年の10月或いは11月の北海道巡り。旅への意味合いが少しずつ違うとは言え、この「三つの旅」への想いを再考してみたくなった。ただみて歩く!そうであったほうがいいと。これが僕の旅、だった。さて?

この三つの旅達は、日本全国の建築家に設計した建築を案内してもらって写真を撮り、生い立ちも含めてヒヤリングして写真とエッセイによって建築ジャーナル誌に連載して4年目に入った「建築家模様」での取材とは、異なる旅である。

仕組みを考えてみたくなった!とは短絡的だが、昨3月23日、NHKのTV「目撃!日本列島・沖縄 学徒の遺書」見、瞑目しながら浮かび上がってきた思いである。「沖縄の学徒の遺書」、詳細については敢えて触れず最後に一言だけ付記しておきたいが、この僕のブログを文章化する時の僕の思いは、「人の生きることとは何か」という命題である。

さて三つの旅。つい先日の東北、2011年3月11日に被災した跡を写真家小岩勉さんに車で案内してもらって、その様を心に留め置く。出会いは小岩さんの著作、後に被災する女川、「女川海物語」(1992年3月カタツムリ社刊)だった。

北海道の旅、若き朋友moroさんに、と言うよりも、moroさんと共に十数年前から毎年異なる地域をやはり車で、時には一泊して廻ってきた。ある意味、建築検索ツアーでもある。風土と建築、僕の建築に関する問題意識の根底にある課題を探る旅でもある。世代の違うmoro建築観との対話の旅だとも言っておきたい。
そしてこの旅での一齣、札幌市立大学での羽深教授の院生への僕の建築へのトライを伝える講義、これもまた僕の旅でもある。

そして沖縄。
近年は2月11日(建国記念日)に聖クララ教会・修道院で行われる建築士会島尻支部の建築家根路銘さんの肝いりで行われてきたコンサートに参加(毎年会場に詰め掛けた方々に一言挨拶を述べさせてもらう)。
その根路銘さんとの出会い、その前には(何度も繰り返して述べてきたが)数年に渡って母校明大の大学院で一講座を担っていた渡邊欣雄教授(現・國學院大學)と院生を中心としたグループに同行、風水などを視野に入れた琉球・沖縄文化検索の学術的な旅、これが僕の沖縄感のベースになっている。
そして根路銘さんが車で案内してくれる建築を含めた多彩なツアー。ライブハウス「寓話」でのJAZZは僕の沖縄での拠点の一つであることをあえて付記しておきたい。

この三つの旅の一つのこの沖縄。「沖縄 学徒の遺書」は、中学生時代に学徒動員で徴兵され戦没した若者を捉えたドキュメントである。この亡くなった学徒の家族へ向けた遺書に出会った若き女性レポーターの涙に言葉が出ない。

ただ、歩いて視るだけでいいのか!

<写真 昨2015年2月13日の那覇空港にて>

仙台から帰郷し 暴風雨の中で:熊本の大地震

2016-04-17 16:33:45 | 東北考
今朝のここ神奈川県海老名市は暴風雨。昨夜(4月16日)になって、やっと天草の友人と電話が繋がった。

熊本県での大地震、小学生時代を過ごした60数年前になる西海岸沿いの小さな下田村北小学校(廃校になったが・現在は熊本県天草市)の同級生。心配することはないよ!との事でホッとし、下田に住んでいる数人の同級生の様子など聞いた。被災ではなく病状、お互い、万全ではないのでまずそういうことになる。
とは言うものの、小学生時代に、阿蘇山の近くの菊池出身の先生に連れられて阿蘇山に登ったことなどが瞬時に浮かび上がってきた。

13日、先週の水曜日、朝の5時に起き、小田急線の電車に飛び乗って東京駅へ、東北新幹線`やまびこ`での仙台行き。駅の近くで写真家小岩勉さんに車で拾ってもらい、まず建築家針生承一さんが設計した`名取市斎場`に向かう。
4人の方々の葬儀が行われていた被災を受けた名取市閑上地区、この一帯は気になって訪ねた3年前とほとんど変わらない広大な野原のままだ。打ち放しのコンクリートで建てた建築家の力量を改めて受け留める。こうやって今年の東北の旅が始まった。

泉区明石南の「Artgallery杜」で15日から始まる小岩さんの写真展「日をかぞえる/河口へ」のテーマ、名取川の河口。その一角の倒壊した石碑が横たわっている五柱神社(仙台市泉区明石南)と日本一低い山と言われる「日和山(ひよりやま)」を訪ねた後河口へ。新設した堤防、言葉もなく見入る小岩さん。
川水と海水が交わる河口、この地から観る海を望む風景は、良きにつけ悪しきにつけ刻々と様相が変わっていくのだろうと思われる。

その後、例年のごとく北上、今年は高速道に乗って、女川へ向かう。想定していたとはいえ、造成工事が続く女川の1年後の様子を見てこれでいいのかと言葉も出ない。
この夜は東北大学教授森教授を交えて小岩さんと共に青葉区本町の「玄孫(やしゃご)」へ。この呑み食い処は、岡山の建築家大角雄三さんの設計による木造建築。「仙台で 人と人とが つながりて」がこの店のキャッチフレーズ。正しく、僕たちのことだ!

ところで翌日14日は、建てた建築を拝見しながらの仙台の建築家へのヒヤリング、夕刻針生さんと痛飲、JIAの会合での課題、デザインビルドなどの生々しいテーマをボソボソと取り交わす。
さて16日に小岩さんのモノクロによる写真展を拝見して得心、帰郷。新宿の事務所に立ち寄て盛り沢山のメールなどを確認する。

そして昨朝ベッドの中でぼんやりとしていたら、妻君から熊本被災の報が伝えられて動転、TVに見入った。

<写真 閑上(ゆりあげ)と女川の駅前通り(正面に女川駅を見る):2016年4月13日撮影>


沖縄へ(4) 糸数城址、玉城城址、そして知念と「間切り」

2016-04-10 14:22:32 | 沖縄考
社会人類学、ことに風水研究の第一人者渡邊欣雄先生に率いられて、明大の院生たちと数年に渡る沖縄ツアーを共にし、沖縄本島の今帰仁、中城(なかぐすく)などなど、大方の城址は観て来たと思っていた。
ところが今年2月の沖縄紀行、根路銘さんに案内していただいた城址の存在には気がつかず、改めて沖縄の多彩な風土と歴史の変遷に思いを馳せることになった。

訪れたのは、南城市近辺の城址である。車での道中、急斜面の突端にも石垣が見えたりして、大よそ600年ほど前のこの地(琉球)の、群雄割拠の時代に想いを馳せる。
気になるのは「間切り」という一言である。例えば上記渡邊欣雄先生が中心となって編纂された「沖縄民俗辞典」で「間切り」`を検索すると、前近代の`地方行政区分`だとされており、一間切りは大体十数ヵ村から成っていて、当時の村と間切りは関連があると思われるものの、詳細は不明であるとされる。

ところで、案内してもらったのは、初日は`糸数城址`、`玉城城址`、翌日に`勝連城址´。この地の間切りは玉城間切り、知念間切り、さて糸数は!と思いながらも、そのどれにも琉球の歴史を秘めた様々な物語が内在していることに思わず瞑目したくなってくる。
間切りは時代によって変化していると想われるが、僕が参照している資料にはこの表記は明治時代の間切りとされている。汲めども尽きぬ好奇心が刺激される琉球・沖縄の歴史だ。

ふと思う。嘗てご一緒した渡邊先生による沖縄紀行、再開できないものだろうか。根路銘さんにも時折同行して戴きながら!   <写真:玉城城址の入り口>

帰郷し、錦織の快勝を味わい、花冷えの中でボブ・ディランのコンサートをCDで!

2016-04-02 21:01:14 | 日々・音楽・BOOK
驀進する`のぞみ`に乗って福山と岡山に赴き、二泊三日の駆け足で、二人の建築家に会って建てた刺激的、感性豊かな建築を案内してもらい語り合ってきた。岡山からの帰郷便は午後にして、気になっていた岡山城の周辺に建つ前川國男、岡田新一、佐藤武雄、芦原義信など著名建築家の建てた建築と開催されている興味深い展示をみて歩く。

それは其れとして、帰郷したら我が家の周りの桜が満開、でも4月に入ったというのに空気がやけに冷たい。三寒四温というコトバがあった。こうやって季節が移り行くのだ。
ところで深夜1時からの、気になる錦織とニック・キリオスのマスターズの準決勝を見てしまう。
錦織完璧、見事な試合だった。そして朝の7時、目が覚めてトイレに行き、ついつい新聞を手に取ってしまった。寝不足解消ならず!

カメラと重いシフトレンズなど、それに着替えやヒヤリングするための資料などをリュックにギュウ詰めにし、入らないカメラは手提げのバッグに入れたものの、会った建築家から戴いた資料もあってなかなかの荷物。でもまあそれは何時ものことだ。とは言え両肩が凝って痛い。
ともあれ休日、そうだと思って床屋に行き、ぼそぼそと旅の話を取り交わしながら、頭をさっぱりとさせた。

娘が久し振りに来宅(帰宅!)、先日、「新木場スタジオコースト」で聴いたというボン・イヴェールのコンサート、フオークロックのタブレットを検索して取り込んだ一部の映像を覗き込む。近年、この手のコンサート会場での撮影は、周囲に迷惑をかけなければ許されるようだ。ふーン、さてさて。

さて僕は、この4日(明後日)から東京を起点に全国ツアーを行うという、BOB DYLANの30周年記念コンサートのCDを繰り返し聞きこむ。様々なゲストシンガーの魅力的な唄が収録されている中で、ボブ・ディランが出てくると一味も二味も違う味わいに感じるものがある。「天使の扉」。繰り返し聴きこむ

<写真。花冷えの中で満開の桜>