日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

2015年初春の沖縄を(5) 寓話でレフト・アローンを!

2015-03-29 23:09:42 | 沖縄考

今年の沖縄紀行はJAZZのライブハウス寓話で、(P)屋良朝秋、(B)川上 武、(Dr)津嘉山善栄 (As)ブン岩崎、によるライブを楽しむために日程調整をした。そして來席した建築家国場幸房さんは寓話の常連、根路銘さんともども、休憩時間に津嘉山夫妻と1年ぶりの再会に話が弾む。そして国場さんのリクエストによるJAZZのスタンダードナンバー「レフト・アローン」、嘗て繰り返し繰り返しLPで聴いたものだ。伴奏者としてビリイ・ホリデイを支えたマル・ウォルドロンの得もいえぬピアノのタッチを懐かしく想い起こしながら、このメンバーの見事な演奏に酔いしれた。

追記ーこの夜のゲスト、若き海月(みつき)嬢のVOCALを楽しんだ。なかなかのものだった。いい声を持っているので、これからが楽しみだ。帰京、海月さんから、沖縄に永住するとのメールをもらった。

ニッカの樽

2015-03-25 10:46:38 | 愛しいもの

mさんの要望もあってニッカの樽の写真を掲載します。
NHKの朝ドラ`マッサン`も今週で終了する。
ドラマとしてはさて!と思うこともあるが、涙なしでは見ていられないのも僕が歳を取ったせいだろうか!

Moroさんの案内で余市の蒸留所を訪れてから9年になった。
この時の雪に埋もれた周辺の民家の様などを見て、北海道の一側面を感じ取ったことなどに思いを馳せる。今思うとかけがえのないひと時だった。

ところでニッカ・竹鶴17年などが酒屋に誇らしげに並んでいるが、高価で手が出ない。代わりに買ってきたのが嘗ての高嶺の花、当時は手の出なかったスコッチ・ジョニー・ウォーカーの黒ラベル、いわゆるジョニ黒である。何故か驚くほどの安価、でもやはり旨い。

2015年初春の沖縄を(4) そして辺野古を!

2015-03-22 23:24:20 | 沖縄考

住んでいる海老名市でも椿が花を開き、桜も樹によるとは言えちらほら咲き始めた。となるとこの一文のタイトル「初春」が似つかわしくなくなる。でもこれだけは書いておきたい。辺野古問題である。

閑散としている辺野古漁港の一部、米軍基地との境界にコンクリートの基礎を海に張り出し、鉄網による塀の上に有刺鉄線を張った辺野古の基地をみる。島々が点在している美しい海辺だ。その丘陵地は木々が茂っていて何も見えないが、その鉄網には基地化を批判するポスターが貼られている。

3月17日(火)のTV朝日の「報道ステーション」で、親しい建築家真喜志好一さんが米軍資料などを検索しながら辺野古基地問題について述べた。この地を普天間に変わる軍用機空港だけではなく、強襲揚陸艦ボノム・リシャールの基地とするのではないかとの疑念である。
国会では野党から疑念が述べられたが政権は否定する。しかし報道がなされていなかったその北の先東村高江の山地に海兵隊のへリパットが設置されていて、オスプレイの訓練が頻繁になされているという映像も放映された。

6年ほど前になるが、東村の交付金によって新築された大きな役場を見たあと、先祖から伝えられてきた共同墓などを文化人類学の渡邊教授や学生たちと見て歩き、この地の複雑な様相を見てとりながら一泊したことを思い出した。

このTVを見ながらこの2月、辺野古の米軍施設の入り口のある街道を根路銘さんの運転で走り、コトバが出なくなった様相を想い興す。その時の写真を一葉掲載する。
訪沖からほぼ一月経った。南国沖縄の人の大らかなではあるがこの地を慈しむ深い怒りを受け止め、僕は日本の行く末を懸念する。

マッサンの郷 余市の竹鶴邸

2015-03-15 13:29:34 | 建築・風景

この雪に埋もれた写真は、ニッカウイスキー北海道工場(余市蒸留所)にあるニッカウイスキーの創業者竹鶴正孝とリタ夫妻が暮らした住宅の母屋を復元したもの」(と雪に埋もれた案内板に記載されている)である。僕がここを訪れたのは2006年2月12日。マッサンならず北海道の建築家諸澤良浩(moro)さんに案内してもらったときに撮った貴重な写真だ。

この写真を見て、初めてmoroさんと出会った時の北海道の人の北海道への想いを感じ取ったことを思い出す。

その前後に、文字を持たないアイヌのうた(詩・コトバ)を記録した本を戴き、この雪に埋もれた余市の工場と小樽の民家などを案内してもらった。この本を時折手にとると、人の出会いとは不思議なものだと改めて思う。そしてNHKの朝ドラ「マッサン」を見ていると、東京の杉並から千葉県の柏に疎開し家族は助かったものの父を失った戦争のことと重なり合ってきてたまらなくなってくる。
その想いと余市が重なり合うことでもないが、moroさんに案内してもらったのが2006年だから、まだ9年まえだったということにも感じるものがある。

2015年初春の沖縄を!(3)キャンプハンセンの二つの教会

2015-03-05 12:05:36 | 沖縄考

街道沿いの駐車場で待ち合わせ、梅原氏(コートニー基地の渉外官)の車の後を根路銘さんの運転でついていく。ゲートでは梅原氏が用意してくれた見学許可証を各自の運転免許証と照らし合わせて通過OKを得る。
右側通行、交差点では「ストップ」と表示のあるところは対向車がいなくても一時停止は厳守するようにとの指示、守らないと逮捕されるよとニヤリ!交差点では右折も左折時も先に入ったほうに優先権があるのでと注意される。やはりここはアメリカだ。

宮原さんからの見学相談を受けてから日時がなかったので、手続きに時間のかかる写真撮影は不可。また教会建築のデーター検証も間に合わなかったとのことで設計者や施工がどのようにして行われたのかはわからない。梅原氏は、いずれ基地内建築の資料がどなっているか検索してみたいと述べる。
キャンプ中央を走る広い道路に面して、△形の大きな屋根のあるまずイーストが現れ、一区画ほど離れた所の道の反対側に、シンプルなほぼ同じ姿の教会ウエストが建っていた。

オフィスに立ち寄った梅原氏は、出てきた軍服姿の男女と流暢な英語で何やら話し込んでいる。にこやかな3人、この迷彩色の軍服姿のお二人はどうやら司祭(牧師さんか神父さん)。祭壇の中央には十字架が、サイドの壁にはステンドグラス。でもこのステンドグラスは透明ガラスに色のついたフィルムを貼っているシンプルな構成だった。

ウエストに行くとほぼ同じ空間で、ここにも十字架が掲げられているがやはりキリスト像はない。会堂には軍服姿の兵士が数十人椅子に腰かけて僕たちを振り返る。若い兵士たち。好奇心に満ちた笑顔を僕たちに向ける。戦地に(ではないかもしれないが・・・)行くので出立の前のお祈りをするらしい。梅原氏に通訳をお願いする。
イーストとウエストがあるのは、カソリックとプロテスタント?(それにしてはカソリック教会に必須のキリスト像がないがなどと)。司祭の答えは、兵士にはキリスト教だけではなく仏教の信奉者や他教徒もいるので、宗派にはこだわらないで祈りをささげるのだという。
なんだかグッと来た。

この後キャンプフォスターに向かい、平屋の全く形態の違う教会を表から見学。さらに国道58号に近いキャンプレスターに赴いて、取り壊すことになったという白色で大きな庇のある高層の品格のある海軍病院を眺める。ここには、週末になると地位にこだわらないカフェとなるセットハウスと言われる蒲鉾型の建物が建っていた。

<写真:撮影ができなかったので、金武の街道沿いの光景を紹介します>

バースデイケーキとお雛様

2015-03-02 12:12:08 | 日々・音楽・BOOK

愛知県立芸大の保存改修の論議をした委員会の日は、僕のバースデイだった。帰りの新幹線の中で窓から移り行く光景に目をやり、我が歳を思いながら何となく感慨にふける。

さて、その三日後の土曜日、娘が新宿高野のバースデイケーキを持って来宅、細いローソクを5本立てて点火、家族3人でわいわいと騒ぎながら乾杯をした。

さて明日は3月3日のひな祭り。思い立って昨日、僕の部屋の天袋に納めてあるお雛様の中から、一番手前の箱に収めてある大振りの三春張子のお雛様をおろして飾った。お雛様、細い目が僕と妻君を見て微笑んでいる。