北海道の雪に想いを寄せていたら、桜が満開になった。ふと部屋の窓から見おろした8号棟の前の桜の大木が真っ白だ。
娘から愛妻の携帯にメールが来た。引っ越したマンションの目の前の大岡川の両岸の桜が花開き、提灯もつけられて桜祭りが行われるという。愛妻と合意した。行こう。
僕の住む団地に走る小川の両岸の桜も満開だ。
駅に向かう途中、溜息をつきながら僕は写真を撮る。気がつくと水仙が咲いていて、雪柳もたわわに花をつけてその重みで枝垂れている。ヤマブキの黄色い花も綺麗だ。椿もまだ紅い花を残している。
柔らかな日が差している。ちょっと驚いた。欅の枝先が黄黒く芽吹き始めているからだ。まだ枯れ枝のままの樹があるのも面白い。こういうのを春爛漫というのだろうか。
ピンクの着物を着て娘が玄関に現れた。帯が名古屋の八寸帯だ。こんなの持っていた。着物は、なんと吾が愛妻が僕に嫁ぐとき、いらないというのに、母親がつくって持たせてくれたものだという。あなた、覚えていないでしょう?いつのことだったか、正月に一度だけ着たことがあるのよという。さーて!思い出せない。でもね、娘が着てくれる。新しいままでよかったんじゃない?そーよねと愛妻もうなずいた。
川の両岸は人で一杯だ。テントを張った屋台。焼きソバ、鯛焼き、咳止め飴、金魚すくい、広島のお好み焼き、じゃがバター、射的、串焼き、肉だけでなくホタテもある。定番のケチャップやマスタードをつけたフランクフルトソーセージ。20分くらい歩いて弘明寺にお参りし、何か旨いものを喰おうと人ごみの中を歩き始めた。チラチラと娘の着物姿を見る人がいる。でもとうとう耐え切れずに「たこ焼き」を食べた。桜祭りに参加したのだ。
弘明寺で御朱印帖に墨書してもらった。僕のは鎌倉の建長寺のものだ。ついこの3月、16日に訪れた伊勢神宮外宮と内宮の御朱印に続く京都三十三間堂の後へ、坂東第十四番とかかれた読みとりにくいが味わい深い文字だ。神社では大体巫女さんが書いてくれるが、ここはお坊さんのようだ。弘明寺は地元に根付いた妖しげな雰囲気の禅寺なのだ。
愛妻は娘のところに泊まるという。
僕は二人と別れて京橋に向かった。気になる版画家の個展が開かれているのだ。その前に思いついて上野に立ち寄った。世界遺産になる(多分!)西洋美術館の写真を撮っておこうと思ったのだ。
ところがなんと、公園口の改札は人が溢れていてなかなか出られない。お花見に違いない。桜は僕達にとって特別の花なのだ。無論美術館の前庭も人で一杯で写真にならない。一工夫する。前川國男の設計した東京文化会館のエントランスホールから窓枠を入れてシャッターを押した。
笹井祐子、この春から日大芸術学部の准教授になる版画家の名前だ。出展されていたのは、銅版画は3点だけで、紙に木炭、アクリル絵の具によるタブローだ。紙を貼り付け(コラージュだ)たり、一部を削ぎ落とす。「いろいろやってます」という笹井さんの笑顔が明るい。
話が弾む。僕が聞きたいのは抽象と具象。
モダニズムが抽象だというのは建築だけではない。ひところ抽象画にしか魅かれなかった僕が、具象にも眼が行くようになったのはなぜだろう。作家はどう考えているのか。そして僕はなぜ笹井さんの作品に惹かれるのか!事象の一瞬を捉える感性、それを紙にうつしとる。そうなのだろうかと自問自答する。
大きなカメラですね、何を撮っているかと聞かれた。笹井さんは、写真家とのコラボレーションによる版画にトライをしたことがあるのだ。デジタルになってからはね、建築を撮っている。でもね、と僕の答えは情けないくらい歯切れが悪い。僕のテーマは人だが、デジタルでは撮りこなしきれない。
一夜が明けた。
昨夜は冷蔵庫から残り物を引っ張り出して一人で酒を飲んだ。
ロックで`くろちゅう`喜界島の「三年寝太蔵」。その後「オールドパー」をグラスに入れてちびちびと,でもしたたかに。音は平良重信の唄・聞くほどに引きずり込まれる爪弾く三味線による「宮古島古謡」と、大西順子がトリオで弾いた1992年のWOWだ。
空が曇っている。午後3時、一週間前に買って袖を少しちじめてもらったジャケットを受け取りに町田に。小田急に乗る。昨日と打って変わって空気が冷たい。
途中の座間駅プラットフォームの両サイドは、呆れるほどに凄い満開の桜並木だ。でも曇り空の中の満開の桜花は気味が悪い。黄泉の世界の使者のような気がした。
<写真 右、桜祭りで。着物姿の吾が娘。左、笹井祐子さんのリーフレットより・風を待つNー1>