日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「声明」大阪中央郵便局は保存・活用を。 「シンポ」外観のみで歴史を保存したという のは幼稚

2009-07-30 18:04:35 | 東京中央郵便局など(保存)

7月17日に行ったJIA関東甲信越支部・保存問題委員会の発表した「声明」と、関連して行ったシンポジウムの概要を報告する。

「声明」
私たち社団法人日本建築家協会 関東甲信越支部 保存問題委員会は。東京中央郵便局庁舎の部分保存という今般の決着に際し、以下3点を広く声明するものです。

(1)建築文化の伝承と発展のためには、都市環境保全を目的とした外観保存のみでは不足であり、建築の価値の中核をなす内部空間を含めた一体性のある保存が本来的かつ不可欠である、ということを、強く訴えます。

(2)今般の事例がモダニズム建築の保存における許容水準として扱われてしまうことの無いよう、保存の意義を自らその実践の方法とともに問い直し、モダニズム建築の持つ価値が広く理解・認識されることをめざして、最大限の努力を行います。

(3)吉田鉄郎がモダニズム建築の完成度をさらに深めた大阪中央郵便局庁舎の保存・活用が必ずや実現するよう、各分野の皆様との対話と協力を推進します。

この「声明」にあわせて、「背景」として声明発表にいたる経緯を記した。
つまり声明をおこなった動機は、「文化庁が重要文化財として検討に値するとの見解を表明し、日本建築学会が「重要文化財をはるかに超える価値がある」と述べた建築(東京中央郵便局庁舎)が、一部を残してオリジナル建築物の大部分が既に失われてしまった事実に、大阪中央郵便局など今後のモダニズム建築の存続と都市景観のあり方に、建築家として危機感を覚えたことによる。

会場にはJIAの主要メンバーを含む会員や、保存活動をしている市民、それにプレス関係者など七十数名が参加した。当日のシンポジウムについては、日刊工業新聞がコンパクト・明解にパネリストの発言を伝えている。タイトルは「大阪郵便局は保存・活用を」。

東京中央郵便局について、郵政サイドが設置した「歴史意匠検討委員会」に参加した鈴木博之教授は、「存続すべきという意見を制度的にもみ消されてしまうその手法に問題があった」との認識を示したとした。
委員会設置がある種の免罪符的に扱われるあり方について、内部からの声がなかなか公式の場で聞こえてこないが、この問題はこれからことある毎に「おおきな声」として訴え続けていかなくてはいけないと思った。
初めから結論ありきといわざるを得ないパブリックコメントの要請、景観審議会等の行政制度に通じる課題ではないかと考える。

ジャーナリストの清野由美さんの「経済合理性というコンセプト自体が時代に合わなくなってきており、その対極にある情緒的なもの、つまり古い建物を保存することで補完することが重要だ」との発言と「外観だけを保存することが歴史の保存だと言う考えは幼稚だ」との批判を紹介している。
僕達建築家にはなかなかこういう言い方は出来ない。これは痛烈な現代文明批判だと得心した。

室伏次郎さんの「ナショナルトラストのような組織が必要だし、選挙の候補者に歴史的建築の保存について問うような具体的な活動が必要だ」と述べたと簡明に伝えている。
さて僕の発言については、「東京は解体されたが大阪だけは残してほしい」「都市再生緊急特別措置法などによりの再開発が可能になったが、新法や法改正に対応する常設の委員会をJIAに設置する必要を感じる」と語ったとこのシンポを総括している。
様々な課題を背負ったシンポジウムだった。

<明日からは、8月1日に行われる愛媛県八幡浜市の「日土小学校」改修工事竣工見学会とシンポに参加するついでに、仲のいい建築家と3泊4日で四国建築巡りをやってきます。
目玉はDOCOMOMOに選定した増田友也の設計した鳴門市の公共建築群と坂出人工都市(大高正人)、香川県庁舎(丹下健三)。それにレーモンドの広見町庁舎や山本忠司の瀬戸内海歴史民俗資料館。
数が多いと目玉だとはいえなくなる!琴平さんにも行ってみたい。帰りは道後温泉に浸かった後夜行バスだ。>

小田急線に一言物申す

2009-07-27 10:52:43 | 日々・音楽・BOOK

仕事場は新宿、海老名市に住まいがある。乗車駅名はなぜか厚木。小田急線とのお付き合いは36年になった。何度か書いたが、毎日判で押したように同じ電車のほぼ同じ車両に乗る。顔なじみもいて、この人の仕事は何かと好奇心がおきたりするがもちろん口はきかない。お互いチラッと見交わすだけで挨拶をしたこともない。ダイヤが変わってもまあ僕とおんなじ(同じ時間帯の座れる)電車に乗りかえる人が多い。
隣の厚木市本厚木駅始発のこの準急に、朝は70分間も乗る。座れるのだ。半分読書、半分は睡眠、つまり電車は読書室と貴重な寝室になるのだ。眠れないと寝不足になる。

臆面もなく鼾をかく奴がいてうるさいとか、こいつの横に座ると眠って必ず寄りかかってくる、それも右に倒れるので左なら座っていいやとか僕の観察力は鋭い。例のお化粧女がいるとこちらが気恥ずかしくなるので向かい側に座らないようにする。
次の海老名駅から乗る外国人がいて、必ずノートPCを開く。ちらりと覗き込むとKeyボードで打ち出す文字は英語だ。ときにはイヤホーンをつけてアメフトの中継に見入ったりしている。Keyボードを操作するときに肘を出っ張らすので窮屈だ。それに切れ目なく空咳をするので気になって眠れず、隣に座られるとがっくり来る。
あるとき彼の携帯がなった。なんと日本語でしかも流暢なべらんめい調で喋り始めたのには驚いた。

小田急線なしでは僕の生活が成り立たない。複々線工事がなされていて混雑が少し緩和された。毎日のことだから大変ありがたい。高架になって上からの視点で視るわが町に唖然としたりする。かつて車の窓から見たどこかの`まち`のようだ。デジャビュエ、既視感に襲われる。愛すべき小田急線だ。

その我が小田急線に一言物申したい。
深夜の12時、相模大野駅のホームを走らされる。そしてぎゅうぎゅう詰めの満員電車に押し込まれる。ラッシュアワーならあきらめる。しかし真夜中に!毎晩のこと、正常な有様とは思えない。
小田急のいいところは、途中の相模大野まで急行で、その先終点の本厚木までそのまま各駅停車になって急行の止まらない僕の駅「厚木駅」で降りることができる電車のあることだ。
それなのに11時過ぎ、新宿から急行相模大野行き(終点本厚木)に乗ると、相模大野始発の各停本厚木行きに乗り換えさせられる奴(電車)があるのだ。
何故ぎゅうぎゅう詰めになるのか。10両編成から6両編成に乗り換えさせられるからだ。何故走る?乗り替えそこなわないように短くなった4両分の長さを走るのだ。
僕は本気で怒っている。
何故そのまま本厚木まで行くようにダイヤ編成をしないのだろう?
ついでに・・

謝りすぎ。電車が遅れると、止まる駅止まる駅で車内放送で言い訳をしながら慇懃に謝る。謝らないと怒る輩がいるのだろうが、しつこいとイヤになる。ラッシュ時に遅れるのは僕たちは(いや僕は、かな?)慣れっ子になっているのに・・
ついでにもう一つ。
終点、朝の到着した新宿駅で。「ご苦労様、どうかお気をつけてお出かけ下さい」と言うアナウンス。余計なお世話だとなぜか無性に腹が立つのだ。

今年も夏が来た。6年目に入ったブログ 中郵JIA声明・シンポもあわせて・・

2009-07-23 19:43:31 | 東京中央郵便局など(保存)

梅雨が明け、暑い夏が来て僕のブログも6年目に入った。読んでくださる方がいるから書き綴けられたので、嬉しいことだ。何篇のエッセイを書いたのかはっきりと数えていないが、月に6編程度だとすると350編以上にはなる。
思いがけず数年前に書いた建築論を指摘されてクリックして読み返すと、それなりに書き込んであることに僕自身驚いたりする。難点は、多少くどく長すぎたりすることだ。

7月17日、「中央郵便局問題」に関してJIA(日本建築家協会)関東甲信越支部・保存問題委員会から声明を発表し、シンポジウムを行った。
司会の篠田義男さんから「いつものように長くならないように」とやんわりと釘を刺され、「普段は寡黙で善良な一市民なのですが、建築のこととなると何故か黙っていられなくなる、まあこんなことを言うから長くなるんですよね!」と話し始め、会場の笑いを(苦笑だ?)を取ったが、「いつものようにと・・」言われて`まあね`と僕自身は納得していた。

その篠田さんの司会は、新宿西口広場にトライした東孝光さんのエピソードなど、都市考察や建築家のスタンスについて、様々な事例を盛り込んで話し込んで充実していたものの、問題提起がすんなりと会場に伝わったとはいい難く(僕の提起の仕方が明解でなかったことにもよるのだが)パネリストの話す時間が短くなった。建築への想いがなくては人には伝わらないがそこが難しい。己を棄てながら人の話をうまく引き出してそれで自分の想いも伝える。それが進行役の役目だ。
この声明とシンポのテーマに関しては僕の思い込みも強く、僕は進行役よりパネリストがいいと司会を篠田さんに担っていただいたが、想いは誰しも同じだと思った。しかし彼に建築とその危機についての強い想いのあることのほうが嬉しかった。ブログに通じることだと思う。

声明発表とシンポの成果は?さてどういえばいいのだろうか。

パネリストとして話していただいた鈴木博之教授からは、「道は険しく、あまり展望もありませんが、とぼとぼと歩いてまいりましょう」というメッセージが来て、それを受けて「夕日に向かってとぼとぼと歩く老人二人・・・ 何だか映画のワンシーンの様ですね」と声明策定を一緒にやった仲良しの建築家からメールが来た。
いやいやこれは良い、と僕はすっかり気に入った。老人というのが!

清野由美さんから。
「・・・その過渡期はまだまだ続くことでしょう。そんな時代に居合わせた者として、じっと耐えつつ、笑いながら石を投げていくしかないな~、と思っております。 建築家のような教養高き男性諸氏は、この「笑いながら」が、けっこう苦手なのではないでしょうか。
なーんて、また毒舌と言われる前に失礼いたします」。いやいやなんとも・・嬉しくなる。

室伏次郎さん。「そうなんです!清野さま。
その「笑いながら・・」と云うのが苦手で、何でも一旦疑って「此の野郎ー!」となってしまう、
われらアンファン・テリブル世代建築家限定の悪癖でして」。
そうだ、そうだ。

まあこんな感じだが、この声明とシンポについては整理していずれ書き込みたい。
さて「東京中央郵便局」について書いたブログに数多くのコメントをもらったが、触発される鋭い論考もあって教えられることが沢山あった。
「コメントに学ぶこと」と言うタイトルで原稿の下書きを始めた。でもなかなか僕の理論整理ができない。冒頭に桜が!と書き出してある。春過ぎて夏になってしまったのだ。

JIAのアーカイヴスの委員会で、建築家相田武文さんから皮肉っぽくこんなことを言われた。「読むより書きたい人間一杯の世の中になったね」。相田さん、実は僕、ブログを書き連ねているんですけど!とそっと耳元でささやく。相田さんはモゴモゴと口ごもりホントに困ったような顔をされた。

最近時間が経つのがやけに早い。恐怖感を覚えたりする。だから書くのか!
とはいえ、まあ、これからもブログを書き続けてみますので、しばらくは懲りずにお付き合いを・・・

山百合と丹沢里山の日本蜂蜜

2009-07-19 21:19:37 | 日々・音楽・BOOK

伊勢原の人里を遠く離れて`樹林に分け入り`と書きたくなるが、「幻の蜂蜜」の郷は思いがけず近い。
国道246号線裏手の集落の樹木に囲まれた細道をほんのちょっと上ると、覆いかぶさった枝葉の中に入り込めないように鎖を巻きつけたアルミ格子戸が現れた。案内してくれるHIRANOさんから、箱ごと盗む奴がいるのだと嘆かれたことを思い出した。

僕は薮蚊に愛されていて、ちょっと油断するとすぐにそこらじゅうが刺されてしまう。車に積んであった黒い毛布を身体に巻きつけ、頭にネットをかぶった。
様ないねと案内してくれたHIRANOさんと一緒に行った妻君に笑われる。
日本蜜蜂は小ぶりで、刺激さえ与えなければ人を刺すことはほとんどないそうだが、刺されるのはやはり恐いのだ。

昨年の晩夏、永年の友、そうだなあ出会ってから五十数年にもなるHIRANOさんが「こんなのができた」とビンに入れた蜂蜜を持ってきてくれた。
シールが貼ってある。「丹沢里山の蜂蜜・日本ミツバチの蜂蜜 糖度78.1 飛良野養蜂」とある。

僕たちが普通に味わうのは、西洋蜜蜂の蜂蜜なのだそうだ。
西洋蜜蜂は花ごとに区別して1,2週間ごとに春に採取される。ところが野生の日本蜂蜜は、通常1年から2年、長いものでは3年ごとに立秋から晩秋にかけて採蜜し、その間様々な花の蜜が貯蔵され巣の中で熟成されていく。味わいが違うわけだ。
1年前に持ってきてくれた蜂蜜があまりにも美味しかったので、この春(春に採取すると思い込んでいたので)まだ採れないのかと催促したら、もう少し寝かしておきたい、つまり採取は早くても秋になってからだと言われた。ところが「採れたよ!と電話がきた。

why?
呆れたことに巣箱ごと盗んでいく人間の泥棒がいるし、泥棒蜂がいるのだという。盗られる前に採ってしまおうと考えたそうだ。
西洋蜜蜂は日本蜜蜂の巣も襲うが、巣に戻ってきた日本蜜蜂の口から口移しで蜜を吸い取ったりする。その現場をHIRANOさんは見たという。何だか今の社会世相を反映しているような気がしてきた。

「幻の蜂蜜」の郷は刺激的だった。大きな木の切り株や足場パイプや垂木材で組んだ台の上に、幅が45センチくらい、高さが7,80センチの木の箱の蜂の棲家が乗っかっている。
出入り口があり、塞いでいる扉を開けると、透明アクリルを透して巣の様子がわかるようになっている。窓だ。その廻りをすだれや塩ビの波板で囲っている。残材を使用しHIRANOさんが丹念に時間をかけて造作した。
蜂が群がっている棲家(箱)もあれば、一匹もいないのもある。蜂は一家を成している。それが棲家なのだ。蜂の集落、団地である。

なにやら言葉にできない感動に包まれながら日本蜜蜂の郷を出ると、見事な山百合が咲いていた。

『JIA声明発表とシンポジウム』  東京中央郵便局庁舎保存問題から大阪中央郵便局庁舎の課題へ

2009-07-12 20:53:57 | 東京中央郵便局など(保存)

東京中央郵便局の状況は、新聞やテレビなどで逐次報道されたが、一部の保存部分以外はほぼ解体された。大阪中郵が気になる。
僕は「東京中央郵便局を重要文化財にする会」を中心として保存活動をしてきたが、そのベースには、行政や郵政関係に保存要望書を提出してきたJIA、DOCOMOMO Japan、建築学会がある。会員だからだ。

僕がJIA関東甲信越支部保存問題委員会の委員長を担った10年前になる1999年に、文化庁にこの庁舎の「重文」指定を要請した。これが僕の東京中央郵便局庁舎保存活動のスタートだった。
活動を通して様々なことを学んだが、その最大の課題はモダニズム建築の価値(歴史的な位置付けとその源流が今の社会にも大きな役割を担っていること)が、社会的に認識されていないこと、最近「内なる敵」とついつい`ぼやきたくなる状況が`建築界にもあることだ。モダニズム否定は「建築文化の危機」だと、いてもたってもいられなくなる。

とは云えあえて述べると、「建築と人、建築と都市、更に開発と保存の狭間における建築家のあり方」については、僕自身簡単に答えの出ない難しい問題が内在していると考え込んでしまう。
建築家は「文化を担う」と言われるように、僕たちは建築をつくることによって人の生き方に大きな役割を持つが、建築はクライアントの意向を受けてつくられるものであるし、必然的に経済行為の側面を持つことにもなる。また様々な法規の枠の中でつくらなくてはいけない。

今の時代は一体どうなったのかと憮然とすることもあるのだが、嘆くばかりではなく建築家としてできることはないのか。例えば「外壁保存によって都市景観を保全する」という都市計画関連法規の見直しを、建築家として検討していくなど。いい都市空間を構築していくこと(いい都市空間とは何ぞや!)、それが結果として市民の共感を得ることになるのだと思う。

モダニズム建築存亡の危機をのりこえ、建築をつくる喜びを大勢の人々と分かち合いたいために、JIAは声明を発表し、シンポジウムを行います。下記ご案内しますので、ぜひお出かけ下さい。
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声明発表とシンポジウム 東京中央郵便局庁舎保存問題から大阪中央郵便局庁舎の課題へ
「モダニズム建築・存亡の危機をこえるために」

(社)日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部・保存問題委員会は、1999年文化庁長官あてに「東京中央郵便局の重要文化財指定に関する要望書」を提出して以来、日本郵政関係者や所轄する総務省(旧郵政省)などへ、近畿支部と連携し東京・大阪両中央郵便局の重要文化財指定や保存活用を繰り返し要望してきました。
建築家吉田鉄郎の設計した東京中央郵便局庁舎は、モダニズム建築の水準点であり、大阪中央郵便局庁舎はさらにその完成度を深めた建築です。
しかし東京中央郵便局庁舎は、大部分を解体して高層化する工事が進捗しており、大阪中央郵便局庁舎も今後の展開が懸念されます。
これらの一連の動向から見えてくるのは、都市景観の保全を理由に、建築の内部空間を視野に入れず、外観保存のみに重点を置こうとする社会通念と都市政策です。辛うじて保存されても残るのは外壁のみで、内部空間は失われてしまうという、モダニズム建築の新たな存亡の危機に対し、(社)日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部・保存問題委員会は、『声明』を発表いたします。

この声明を受けて各分野の方にパネリストとして参加いただき、建築と人、建築と都市との関わり、また開発と保存の狭間における建築家のあり方について、様々な視点から意見を取り交わすシンポジウムを開催します。
お誘い合わせの上、ご参加くださいますようご案内します。

日 時   2009年7月17日(金)pm6:30~8:40
会 場   建築家会館(JIA)一階ホール(当日会場にて受付)
資料代   1000円
主 催   日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部・保存問題委員会

司 会   篠田義男(建築家・JIA保存問題委員会元委員長)    
声明発表  和田昇三(JIA保存問題委員会委員長足利工業大学教授)    
問題提起  兼松紘一郎(建築家・JIA保存問題委員会WG主査
            DOCOMOMO Japan幹事長)
      
パネリスト 鈴木博之(青山学院大学教授・東京大学名誉教授
             DOCOMOMO Japan代表)
       清野由美(ジャーナリスト)
       室伏次郎(建築家・神奈川大学特任教授)
       兼松紘一郎(建築家)

<会場:地下鉄:銀座線外苑前駅より徒歩約5分 JR線:総武線千駄ヶ谷駅より 徒歩約15分>
問い合わせ 日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部事務局 03-3408-8291 担当菊地

美術評論家大倉宏さんへ 「`洲之内徹`と作家`川上宗薫`」

2009-07-09 10:00:52 | 日々・音楽・BOOK

大倉さん、ご無沙汰しています。
毎年定期検査を行っていた、僕の設計した新潟駅前弁天に建てたビジネスホテルが、この8月末に閉鎖することになりました。宿泊客が少なくなり経営的に成り立たなくなったとのことですが、新潟に行く機会が少なくなりお会いするのも減るようで残念です。

さてこのような知らせがあって何だか気になり、大倉さんの美術論「東京ノイズ」(2004年1月アートヴィレッジ刊)を再読しました。
最近何を読んでも、何を視ても、何を聴いても涙腺が緩んで困るのですが、洲之内徹を捉えた「イノセンスへの郷愁」のページをめくって、アッと思いました。
ここに大倉さんは洲之内徹論を書いたのだ! 更に驚いたのは文章の中の幾つかの行に、鉛筆で傍線が引いてあり、僕の走り書きがあるのです。いただいたのが5年前ですから、そのとき感じ入ったところに思わず書き込んでしまったようです。そんなことも忘れていました。

『洲之内徹は何度も芥川賞の候補になるが「結果的には受賞を逸し、小説家としては挫折する。
受賞できなかったのは、小説の与える重く、暗い印象のせいだとよく言われる」芸術新潮に連載された`気まぐれ美術館`は「ユーモアと機知に富んだ軽やかな文体」で読みやすいけれど・・読み進めた後に、いつしか重いものが置かれてあることに気づく』、と大倉さんは書いています。
その重さの根底には冷厳な文体になった戦争体験の反映があるのだろうとあります。

僕は洲之内さんの`気まぐれ美術館`をブログに書きながらいつも思っていたのは、同じく芥川賞候補に何度もなりながら、ついに受賞し得なかった「川上宗薫」のことでした。
川上宗薫は僕が高校生時代、当時はまだあった夜間部で英語を教えていて、僕が部長だった昼間部文学部の顧問をしてくださっていました。その時代でした。芥川賞候補に何回もなったのは。めったに部室には顔を出してくださらなかったのですが、部活の機関誌「東葛文学」に、僕の書いた講評が宗薫先生と並列に記載されていて今読み返すと赤面します。

川上宗薫も洲之内徹と同じく挫折し、後に女を題材とした官能小説の寵児となったのですが。
その棲さまじい生き方、人にはそういう生き方しか出来なかった人生があることに魅かれます。大倉さんの洲之内論を読むと、人ってそんなに単純に捉え得ないのだと考えさせられるとはいえ。

洲之内さんの芥川賞候補作を含めた分厚い(いわゆる)文学作品はまだ手に入れておらず読んでいませんが、宗薫先生の一連の作品は、高校時代に読みまわして僕たちは大きな影響を受けました。ことに「夏の末」には!
手元にその著作が一冊もなく読み返せないのですが、洲之内さんの候補作とは異なり、端正で、人の微妙な感性のやり取りが心に沁みこんでくる文体、そのイメージだけが50年を経た僕の中に留まっています。涙腺が緩むのはそんなことが頭に浮かんでくるからです。

大倉さんの「砂丘館」、「新潟絵屋」、それに「新潟まち遺産の会」の活動は心打ちます。お会いできる日を楽しみに・・・

<追伸>
洲之内さんはJAZZにのめりこみ、そこからブルースにもいったようですが、僕も同じくJAZZから(僕の場合は) ブルースにほんのちょっぴり立ち寄って(1920年代のカントリー・ブルースやジャニス・ジョプリンなど)今、ビートルズです。何しろジョン・レノンと同い年ですから!<間に五輪真弓がいるのですが・・>

<追記・7月12日>
図書館から「川上宗薫芥川賞候補作品集」を借りてきた。冒頭の「その掟」を読み始めたとたん、五十数年前の匂いが漂ってきた。ところが収録されている五編の中に「夏の末」がない。候補作ではなかったのだ。

父の日のプレゼント、大和骨董市の不思議な木彫

2009-07-05 16:51:15 | 日々・音楽・BOOK

この木彫はナンだろう。
相鉄線と小田急が交差する大和駅から二方向に広がる「骨董市」のテントの中で、にこやかでなかなか格好いい中年オヤジが言う。ネパールとチベットの間あたりのもので、子供が人形として遊んだもの「らしい」。そうかなあと首を捻ると、いやもしかしたら棚にでも置いて拝んだのかもしれないですねえ!
何だか頼りなく、それがまたいいのだが、要するにこの店のオヤジはよく知らないのだ。
この木彫に僕は魅せられた。

娘からメールが来た。父の日のプレゼント、骨董市で探すのはどう?
大和の市は毎月第三土曜日に開催されるのだ。娘と妻君は何度か出かけたことがあるらしい。
「いいねえ、雨の降らないことを祈る(笑)」と返信した。梅雨時の今、傘をさしてじゃあ芸が無いなあと思ったのだ。ところが快晴になってその代わりの猛暑。妻君も娘も、僕もかなりバテタ。
京都の北野天満宮や、世田谷の「ボロ市」に出かけたことがあるが、この大和の骨董市も出店が多いし、変なものを売っていてなかなか楽しい。

僕はアイレイのBOWMORE12年や余市(ニッカだ)をストレートで飲む小さなグラスを探そうと思った。
HOYAのシャープな切れ味のあるずっしりとしたクリスタルのグラスを持っているが、それはちょっと大きくて氷を少し入れて、ロックにするのがいい。江戸切子の逸品もあるが、それは時たま使うからいいのだ。
グラスも沢山出品されていて手にとってみたが、納得できるのが無い。やはりバカラでも探さないと駄目かなあ!と妻君にいうと、まあね!しょうがないねえ、とうなずく。

そしてこの木彫に出会った。これだけではなく、この店(店というのかなあ?)には、エスニックなものが沢山置いてあってなかなか面白いが、これはバランスがよいし値段も何とかなりそうだ。一回りしてくるよと言ったものの、戻るつもりは無かった。が、どうもこの姿が目に焼きついていた。
一回りして戻った。

三層の屋根上の頭部の宝塔の下に4面の顔が刻まれている。皆目を瞑っているように見える。でも歯をむき出して怒っているのがあり、口をへの字に食いしばったり、あざ笑ったりしているように感じるのもある。女性らしい。女って恐いのだと内心にやりとした。
まあこんなものだが「いいんじゃない」と妻君も娘もいう。そんなに古くはなさそうな気もするが、僕の宝ものになりそうだ。

娘は何も買わない。妻君に「買わなかったねえ」と言うと、給料前だからお金がないのよという。それなのに「父の日に」と僕はぐっときた。
時々思うのだ。娘には母の日と父の日があり、母と父の誕生日もある。その娘には誕生日しかない。僕たちにとっては娘にプレゼントされるのは何より嬉しいが、割に合わないのじゃないかと何だか申し訳なくなったりする。

ふとこんなことを思い出した。娘が言ったのだ。「うちは貧乏なの?」。
大学に行くとき奨学金をもらえるよう妻君が厳しく要項など検索したときだったかもしれない。昔は自信を持って貧乏だったと言えるが、今でも少なくとも裕福でないことは確かだからだ。

感心することがある。娘は無駄使いはしないが、欲しいCDやロックのライブには呆れるほどあっさりとお金を使う。ああ、我が娘(こ)だと思う。
漫画も買うが、いらなくなるとあっさりブックオフに持ってゆく。育英資金や奨学金はお金をためて全て返済した。ああ妻君の娘だと思うのだ。