日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

秋の気配の中で

2018-08-24 14:19:32 | 自然

8月の24日金曜日、今日の干支(えと)は`友引`である。

`友引` 良い日だとのイメージがあるが、なんとなく気になって広辞苑を検索してみた。すると思いがけない記述に戸惑う。「歴注の六輝の一つ、相引きで勝負なしという日」そして『朝晩は吉、昼は狂とする』とある。昼は凶? えっ!と驚いたが、次の一言には得心する。「俗信で、友を引くとして、この日葬式を営むことを忌む」。まあこういうことだろう、干支は!

なぜこんなことを記しておきたくなったのか?と戸惑うが、此の秋は母の十三回忌、妻君は、離れた地に住む僕の妹や、死去した弟の妻と相談すると言う。僕の妹は夫を亡くして遠隔地での一人暮らし、働き盛りのその子供達は仕事に忙殺されていて、日程調整が必要。この様な私事、ブログに記載することでもないが、前項が頭に浮かび、覚書のような感じで起稿した。雲の間からの日差しが戻ってきた。事務所から表に出てみるとムッとした熱気、そうだまだ8月なのだと改めて実感する。とは言え雲が高い。

 我が住まいの近辺では蝉の音が聴こえなくなった。新宿の並木通り、欅の木で喚(わめ)いていた蝉が居なくなり、新宿中央公園の樹々からの`ツクツクボウシ`と`みんみん蝉`の声も、心なしか元気がない。秋の気配が何処からか漂ってくる。


翁長沖縄県知事の訃報に接して

2018-08-18 14:31:04 | 沖縄考

沖縄の盟友・根路銘安志さんが、8月9日附けの「流球新報」と「沖縄タイムス」を、新宿にある僕の事務所に送ってくれた。

一面のトップ記事は`翁長知事 死去`と`翁長知事が死去`という太文字の下に、翁長氏の大きな上半身の写真が添付されている。「67歳膵臓がん闘病」「膵臓がん入院中」の文字が痛々しい。そしてサブタイトル『基地軽減訴え国と対峙』『辺野古新基地阻止貫く』の文言が眼に焼き付く。

 此の6年ほど僕は、2月に行われてきた与那原(沖縄県)に建つ『聖クララ教会』での根路銘さんが企画・実行してきたコンサートを拝聴し、一言聴衆に挨拶をさせてもらったりもしてきた(今年は遠慮したが!)。その訪沖の折、根路銘さんが車で沖縄の山野や町中を案内してくれた。時には沖縄の建築家が コンサートの準備に追われる根路銘さんを引き継いで基地内を!ということもあった。敢えて過去形で書くのは、今年でそのコンサートが終演したからでもある。

 翁長知事への想いがあるのは、存続が厳しくなった主として戦後に建てられた建築の存続を願ってのメッセージを、知事の姿を胸の収めながら琉球放送で述べさせてもらったり、新聞に一文を掲載させてもらったりしてきたからでもある。

人は死ぬ。いつかは!己の歳を考え溜息をつきながら此の一文を起稿している。

翁長知事のご冥福を祈ります。


風吹く`終戦の日`に

2018-08-15 13:27:21 | 生きること

北面に大きな窓があるが、部屋の入り口が廊下に面していて風が通らない。まあ!そんなものだと考えもしなかったが、新宿の事務所から帰ってきてふと僕の部屋を見たらベッドがない。オヤ!と頭を傾げながらリビング(らしき部屋・苦笑)に入ったら、妻君が部屋を変えたからネ、とのたまう。四畳半の和室に我がベッドが鎮座している。南のリビングから此の部屋の北の窓へ風が抜けていく。どうやって重いベッドを運んだのか!と思わず瞑目。これが此の夏の、秋へ向かう一時(昨日)のできごとでもあった。

 今日8月15日は『終戦の日』。

父がフィリピンで戦死してから73年を経た。

毎年この日を迎えると、父が亡くなった『昭和20年6月17日戦没 行年37才』と記載されている位牌に瞑目することになる。と同時に総理を初めとする有識者と言われる人たちの瞑目言に苦笑せざるを得ない。と繰り返し記載するが、言うまでもなく苦笑では済まされない。

 今朝の朝日新聞の「天声人語」、・・・戦争を知らぬ世代が、日本を戦争のできる国へ造り変えようとしている昨今、戦禍に耐えた世代の直言はひときわ重みが増す・・・とのあとの、武力行使を唱えている人がいてそれを支持する人がいる、という一言にさもありなんとの思いと同時に、彼らは戦争によって利を得たのではないかとの疑念が離れない。

 では僕達に何ができるか、喜寿を経ても、いや喜寿を経たからこそ、そんなことを模索することになるのだろう。

 お宮参りについての父の一言を再録する。父の文字です。

『・・・風が強く・・・ついつい風邪をひかせては・・などと今考えると不必要に心配してとうとうお宮参りをせずに終わった。紘一郎よ、許してくれるだろう・』

 <画像 「吾児の生い立ち」 父が記載した冒頭の一文:小さかった時の鉛筆による僕の落書き、僕の頬が思わず緩む!>

 

 

 


ジャズ・カントリーを味わう・ボブ・ディランを聴いたりしながら!

2018-08-01 17:39:43 | 日々・音楽・BOOK

 漫画チックな表紙と裏表紙の絵が気になって、大枚!500円玉(苦笑)を一個支払って手に入れた「ジャズ・カントリー」(定価は1800円です)。作者は`ナット・ヘントフ`、1925年ボストン生まれ。公民権運動や反戦運動にも積極的に関わると経歴に記載されている。

 新宿西口の地下広場の(とは言え天空からの光がサイドから振り注ぐ)イベントコーナー。連日様々なイベントが開催されていて此処はなんとも面白いが、この一冊もそこで手に入れた。ジャズ。JAZZと書いた方がピンとくるが、何せこの著作は縦書きなのでJAZZとは表記し難いのだろう。この本の面白いのは、ところどころのページに、ラフなスケッチが挟み込まれていたり、…と此処まで書いてきたら、事務所で音を絞っているラジオからライク・ア・ローリングストーンが聴こえてきた。ボブ・ディラン!

思わず立ち上がってスピーカーの元へ!アーっと溜息が出る。

 さて「ジャズ・カントリー」。翻訳は木島始。1928年に京都で生まれて、東大英米文化卒とのこと、名前は知っているが2004年に76歳で死去された。この翻訳、本文に沿っているのだろうが妙な味わいがあっていろんな光景が見えてくる。それはともかく、気に入った一行(文)を記載してみる。

文中に突然現れるゴッドフリー。「JAZZにトライしようとしている悩み多い若者への指針、そのゴッドフリーに聞いてみる」・・・とある。