日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

落ち葉を踏みしめて

2007-11-30 14:00:40 | 添景・点々

落ち葉を踏みしめながら、滑らないように気おつけて歩道を歩いていると、まだ11月なのに、年の瀬を感じる。まだ早いと思いながらも、遠に立冬も過ぎ、賀状欠礼のハガキが来る季節になったからだ。
今年はとりわけ多いような気がする。お互い寂しい正月になりますねと、万年筆で書き加えたはがきを送ってくれた友人がいて、ああこの人のお母さんも亡くなったのだとしみじみと人の気持ちを思いやるのだ。
なんだかおセンチ(この言葉を使う人がいなくなった。女言葉なのかなとふと思う)になったなあと考えてしまうが、つい最近友人が送ってくれた、西井一夫の書いた「昭和二十年 東京地図」(筑摩書房)を読んでいるからかもしれない。

西井一夫は慶応義塾を卒業して、弘文堂を経て毎日新聞に入社。「毎日カメラ」の編集長などを歴任した辣腕の編集者でもあり、写真評論家だった。
途中でふと気になって「あとがき」を読んだ。
昭和21年発行の「東京都三十五区区分地図帳」を求め、眺めていると、知らない沢山の地名もあるが、懐かしさで涙が出そうになった地名もあった。歴史や小説で知った、見知らぬ地名も既に記憶になっていることがわかったが、同時に20年前後の記憶が欠落していて、その「空白を歩こう」と思ったという。

そしてこんな書き方をする。古い建物でも、一階は今風に茶羅茶羅しているものが多く、古い建物であることを恥じているようだ。アンタはステキなんだ、と言ってやりたくなる。
同じあとがきに、西井一夫と一緒に歩いて写真を撮った平嶋彰彦は、40歳という若さなのに、取材で歩いた距離と時間は、緩んだ私の肉体には充分すぎるほど苦行で、といみじくも書き記している。それだけ西井一夫の執念が凄かったのだろう。それでも歩いてみて平嶋はこんな風に書いた。

健康的で生産的な顔をした都市の風景は、私をうっとりさせるどころか、しばしば不安にさせる、すでに東京のあらゆる町は、再開発され新しいビルに建て替えられてきた。そしてなぜか、それらは明るい廃墟のように思われる。
この本が書かれたのは昭和61年、つまり1986年で20年も前のことだ。西井一夫は5年後に「ではさようなら」と一言書き残して病で亡くなった。生年を見て驚いた。僕より6才も若いのだ。年の瀬に、炬燵の中で、人の軌跡とこれからの生き方を考えるにはとてもいい本だ。

明日僕の高校時代の友人が家へ訪ねてくれる。欠礼状(こういう言い方ってあるのだろうか)を読んで,いても立ってもいられなくなったようだ。母は僕の母だが、友人の知人でもあったのだ。
電話をもらったり、心に沁みる手紙を下さった方もいる。
建築家吉田鉄郎に学んだYさんからの手紙には、本文に書き加えて奥様の状態もよくなく、自分はちょっと歩くと一呼吸おかなくてはいけなくなった。心臓の弁がひとつぶっ壊れていて用をなさず、腎臓もだめ。子供や孫やひ孫がいる変な家族構成、誰も出て行かず、まず大変。考えようによっては幸福の一つ?と?マークが付いている。あと50年くらい生きて、このおかしな世相の行く末を見届けたいとある。そうですよ、84歳になる先輩!

明日から師走、12月だ。

韓国建築便り(4)つくられたオフィスCity、紙の郷「PajuBookCity」

2007-11-27 13:55:09 | 韓国建築への旅

8月に訪れたPajuBookCity。
坡州市(Paju―City)に入ると、街道の左手に、有刺鉄線を設置し、監視所を配置した非武装地帯が現れる。
有刺鉄線は螺旋状に巻かれていて、監視所は迷彩色に塗装されている。銃を持った兵士がいて、双眼鏡で非武装地帯を監視している姿も見受けられる。川がありその向こうは北朝鮮だ。街道沿いなので誰でもその有様を実感できるが、軍事施設なので写真掲載はしないほうがよさそうだ。

僕と藤本さんを案内してくれた尹先生と洪さんは、時折起こる機密漏洩のエピソードを、柔らかい口調で面白くおかしく披露してくれるが、厳しい状況がずしりと胸に沁みこんで来る。
今僕がいるのは日本ではないことをふと思う。紙之郷(Pajubookcity)やHeyri ArtValleyはそういう場所につくられたのだ。

紙之郷(Pajubookcity)は、Book Cityとあるように、出版関係のオフィスを集めた建築団地だ。打ち放しコンクリートの骨格に、錆を意匠にした鉄板(コルテン鋼)や、ベニヤパネルを無造作に使った間仕切りで構成された管理棟へ案内してもらった。会議や展示のできる天井の高い大きな部屋がいくつかある。食事をする場所もあるし、「Jijihyyang」と名づけられたホテルも併設されている。
一階の各部屋の前には、池に張り出しウッドデッキのテラスがあって、休憩時間には人が集まるのかもしれないが、人っ気がない。がらんとしているが、なんとなく建築家魂を揺さぶられる建築だ。

尹先生は、僕と山名さんの10月訪韓のホテルをここにすると、僕たちの好奇心に応えられると思ったそうだ。8月に見学したときに、あまりにも僕が面白がったからだ。でも、シンポジウムを行う壇国大学とは反対方向、ちょっと遠くて無理ですね!とSUWON(水原)のホテルに入る時、二人で頷きあった。

この団地の企画はHeyri ArtValleyとよく似ているが、違う面白さがある。
この建築群が、総てオフィスなのが興味深い。デザインコンセプトは、フラットルーフ(陸屋根)であること、建築は素材を生かしたデザインとすることだという。
コンクリート打ち放しによる外壁に、ピンを細かく取り付けてその影を楽しむなど、様々な工夫がなされているのもコンセプトに沿ったものだ。
他の建築と差別化するために、建築家は苦労したに違いないと同情もするが、うらやましくもある。さてさて、魅力的な建築もあるが、首を横に振りたくなるのもあってそれも一興だ。

ここで働く人に、かつて尹先生がヒヤリングした。
空間構成は面白い。だがデザイン先行で、働く私たちの事をなにも考えていない。外に窓がなくてせっかくの景色(建築も景色だ)が楽しめないと、ぼやく女性が沢山いたそうだ。さもありナン。
置いてある案内パンフレットはハングル文字だ。残念だし申し訳ないが読めない。英語版があったようだがなくなってしまったそうだ。パンフレットに大きく「紙之郷」という墨で書いた文字がある。何故だ?それだけが日本語なのは!

ところで坡州市(Paju―City)は、僕の住まいのある神奈川県海老名市から、伊勢原市を通った西側に位置する秦野市と、友好都市協定を結んでいる。人口約26万人、秦野市の1,6が倍だという。面積は約6、4倍だそうだ。
市の鳥は「鳩」。平和を願う市民の、シンボルなのかもしれない。

風船の似合う都城市民会館

2007-11-21 00:29:34 | 建築・風景

ほんのりと心が温まってくる、柔らかい署名記事を書く新聞記者がいる。僕と気の会うそのTさんからメールが来た。
「都城市民会館の保存問題、その後、ブログから消えた気がするのですが、弊紙の地域版を検索すると、『市も申し入れを受ける方針で、存続を求めてきた市民団体は「ウルトラCの妙案だ」と喜んでいる。(2007/10/30)』とあるが、上手くいくのだろうか、と言う問いかけだ。

親しいとはいえ、新聞記者が僕のブログを読んでくれているのかという、うれしい驚きとともに、情報はちゃんと伝えたほうがいいと思った。
明日の早朝から北海道行き(雪だ!)なので、簡単に報告しておこう。 

10月29日、南九州学園から、市民会館借用の申し入れをうけた後、市は11月6日の都城市庁議で受け入れることを決め、9日に市長が議員への説明会を開いた。市長の意見に賛同して解体決議をした議員とのやり取りなどがなされたが、12月の議会で保存決議をする方向で、大学側との条件調整をすることになったとのことだ。

11月11日の日曜日、保存活動をしているグループは、「市民会館秋祭り」を行った。市民会館を使っての風船祭り。見学会やシンポジウムをやって、この建築の素晴らしさを全国に伝えようという催し。保存のためのお祭りが、本当のお祭りになったと建築家ヒラカワさんから電話があったが、調印するまでなんとなく不安だ。
でも送ってくれた写真の青空に浮かぶ風船は、何とも都城市民会館に似合う。

<写真 保存に尽力した建築家、レモン設計室河野さんの撮影>

韓国建築便り(3)魅力的な新しい建築群「Heyri ArtValley」

2007-11-18 15:13:01 | 韓国建築への旅

ソウル特別市から北へ35kmほど行った坡州市(Paju―City)に、二つの興味深いプロジェクトが進行中だ。一つは「Heyri ArtValley」、もう一つは`紙之郷`「Pajyubookcity」である。
坡州市は韓国の最北端に位置し、北朝鮮との軍事境界線や非武装地帯に接しているが、板門店や、統一展望台などの統一保安施設があって、観光客が訪れている都市でもある。
僕が新しい建築に興味のあることを知っている尹教授は、歴史的な建築だけでなく、幾つかの思いがけないプロジェクトに案内してくださった。ことにこの二つの建築群には、建築家としての好奇心を抑えきれない。

<Heyri ArtValley>
日本の若手の建築家の間で比較的知られているHeyri ArtValleyは、Pajyubookcityより北につくられた複合文化の街(コミュニティ)だ。約370人のアーティストや文化に関わる人によって、丘陵を生かした自然の中に建築群がつくられた。
いずれも大規模ではないが、美術館、ミュージックホール、ギャラリー、本屋、工房が在り、カフェがある。何より住宅(別荘)があって、大勢の人が住んでいる。

1999年に延世大学よるResearch Centerが設けられて企画され、2006年には80棟の建築が建てられたが、2008年にはそれが300棟になるのだという。
このコミュニティには、4名の建築家による建築デザインを審査するシステムがある。ここに建つ建築の設計ができることは、建築家のステイタスになっていて、お呼びのない建築家は、自分で土地を購入して自分で建てたりするのだと、尹教授は笑った。

コンクリートとガラスと鉄(錆を利用するコルテン鋼をうまく使っている)やアルミ、それに木の板を巧みに組み合わせ、敷地の高低を利用して複雑な空間構成が演出され、どの建築も魅力的だ。

僕たちは、`The book house`に入って本を物色し、この建築群の作品集を買った。右側に本棚のあるスロープを上がったカフェでコーヒーを飲んだ。ガラス越しにウッドデッキによるテラスが見える。皆で溜息をついた。
面白いしそれこそ建築家魂が揺さぶられる。日本で試み始められた、鉄板壁による建築こそないが、もしかしたら世界の最先端、国籍のない建築群だ。しかし!

「ゲニウス・ロキ」、鈴木博之さんのいう「地霊」というコトバをふと思いだした。モダニズム建築を考えるときの一つの命題は、建築とその場所の関わりや「伝統」をどう捉えるかだ。日本でも1960年代に論議を呼んだが、韓国でも同じ論争があった。40数年という時を経て考え込む。建築とは何なのだろう。そして今の時代とは・・・

<写真 The book houseのスロープで。同行してくれた朗らかな洪(ホン)さん>

韓国建築便り(2) 建築家魂を触発されるLEEUM三星美術館

2007-11-13 14:50:31 | 韓国建築への旅

Seoul(ソウル)市街の、どこからでも望めるソウルタワーの建つ南山の麓に、LEEUM(三星美術館)がオープンした。
スイスの建築家マリオ・ボッタ、フランスのジャン・ヌーベルによる二つの常設展示館と、オランダのレム・コールハウスの、企画展示と教育機能を持つサムスン児童教育文化センターを併せ持った、世界的な建築家三人のコラボレートによって建てられた美術館である。

僕たち建築家にとっては、この個性豊かな建築家達が、どんな建築をつくったのかと好奇心を抑えきれないが、一般の人々の評判も高いようだ。オープン当初は予約制でスタートして、それがソウル観光のガイドブックにも記載されていることからも伺い取れる。現在は予約なしで自由に入場できるが、建築だけを観てもそれぞれの建築思潮が読み取れ、期待を裏切らない。

三人は日本でも建築をつくっている。
建築家としてだけではなく、理論家でもありその都市の考察は、世界に大きな影響を与えているコールハウスは、福岡市のネクサスワールド、レム棟・コールハウス棟で1992年度日本建築学会賞を受賞した。
東京で仕事をしている僕に馴染みがあるのは、神宮前の`JIA会館`や`塔の家`の近くにある美術館マリオ・ボッタの設計した「ワタリウム」と、ジャン・ヌーベルが新橋駅近くの汐留め再開発の高層群に建てたオフィスビル「電通」だ。ヌーベルはパリの「アラブ研究所」で一躍注目された建築家で、ずい分前になるが、見学したとき記念にと、ギャラリーショップでアラブの大皿を2枚も買い込み、持ち帰るとき重くて閉口したことを思い出した。

僕は8月と10月、いずれも尹(ユン)先生の案内で訪れたが、藤本さんも山名さんもコールハウスの空間が面白いという。
ヌーベルの担当した黒コンクリートを試用したMUSEUM2の外観は、パリのブランリー美術館を彷彿とさせるが、僕はこの建築の展示室のガラス越しに観る、鉄のフレームの中に石才を積み上げた地下庭園の石垣に魅かれる。その黒っぽい石垣と展示室のガラスの間の上部から、微かに自然光が注がれるのが好きだ。
展示空間に入る前のホールには、三人がDVDの数面のモニターよって紹介されていて、建築家の存在を際立たせていて嬉しくなるが、この美術館の魅力は、無論それだけではない。

一つはコレクションの素晴らしさだ。ことにボッタのMUSEUM1に展示されている先史時代から朝鮮時代(李朝期とは韓国では言わない)の陶磁器は、汲めども尽きぬ奥深い美しさだ。日本語のイヤホーンによるガイド機が用意されているのもうれしい。
MUSEUM2の、現代美術のコレクションもいい。ジャコメッティやフランシス・ベーコンなどの代表作と共に、韓国の近現代美術作家の所蔵作品も興味深い。

LEEUMが、このように先史から朝鮮時代に至る韓国が培ってきた美術品と、近現代の作品とともに、それに現在(いま)活躍している作家の作品を、コールハウス館(!)で企画展示して紹介していることは素晴らしいことだ。自国の美術史を展望できるだけでなく、現在が過去との繋がりの中にあり、それが将来に示唆を与えることを考えているからだ。

もう一つは、保存研究室の存在である。民間企業が私立機関としてサムスン文化財団を設立し、1989年にアジアで最初の保存科学室を設置し、現在に至っているという。
ここでは国指定の文化財や収蔵品の修復・保存を行うと共に、所蔵資料を外部の研究者に公開し、利用することが可能だということである。韓国の見識をここでも感じ取れるのだ。

<写真 コールハウスの設計した、企画展示室エントランス>



韓国建築便り(1) 仁寺洞の「サムジギル」

2007-11-07 12:09:26 | 韓国建築への旅

8月9日から12日まで韓国を訪ねた時は、DYNAMIC KOREAと書かれた横断幕があちこちの街路に掲げられていて、同行した建築家藤本幸充さんと「凄いね」と溜め息をついた。
それから2ヵ月半後の今回の訪韓は、10月27日に行われる「東アジアの保存」に関する韓国、中国、日本の三国による国際シンポジウムで講演するために出かけた26日からの3日間である。
垂れ幕こそなくなっていたが、空港からSeoulの中心街に行く途中でも、会場になる壇国大学のあるSUWON(水原)へ向かう途中でも、高層の住居(コンドミニアム)が林立し、また工事中の大型のクレーンが街道筋に立ち並び、同行した東京理科大山名善之准教授と、またまた溜め息をつくことになった。

8月に大邱(デグ)へ新幹線で行ったときにも、停車する地方都市の駅の周辺に、高層のコンドミニアムが建ち並び、工事中の箇所も沢山あって唖然としたものだ。
この分譲される高層住居は高額で、一般市民には高嶺の花なのだと言う。どういう人が入居するのだろうと、SUWONへ案内してくださった尹(ユン)成均大学教授に聞くと、二コリとされたが答えてもらえなかった。

という状況だとは言え、韓国の建築界が必ずしも好景気とはいえないようだ。山名さんとパリ大学で同級生だった韓国で売り出し中の気鋭の建築家K・Dさんは、設計料もなかなか厳しいと言う。さて日本では・・実は、これでは建築に志す若手がいなくなってしまうと、ラージファーム(大手事務所)の僕の親しい建築家でさえ嘆く有様だから、ましてアトリエ派の建築家の状況は更に厳しいのだ。
K・Dさんがふともらした設計料を聞くと、日本と同じようなものではないかと思った。

それはさておき、この国際シンポジウムを間に挟みながら、2回の訪韓で見学した興味深い韓国の建築をいくつか紹介しようと思う。

Seoulに韓国旅行をした人々が必ず訪れる、仁寺洞(インサ・ドン)通りが賑やかだ。韓国の大学では中間試験があり、僕達が訪れた10月28日は、その試験が終わった直後で開放された学生で溢れかえっている。
さらに子供の手を引いた家族も沢山いて、皆ニコニコしている。なにやら怪しげな虫(?)を食べさせる屋台が出たり、独楽を売る屋台もある。日曜日だからかもしれないが、まるでお祭り騒ぎだ。

2年ほど前に、そこに建った「サムジギル」が大変な人気だ。この建築は、若手の人気建築家チェ・ムンキュさんの設計による商業建築で、中庭に面して三方に緩やかな勾配の外廊下を巡らし、エレベータで4階に上ったお客さんは、ぶらぶらとウインドウショッピングなど楽しみながら下の階に降りてくる。2階から1階へは階段を下りることになるが、さりげなく上手くできている。

コンクリートの中空パネル(と思う)を敷き並べた廊下の幅も広く、僕達が気にする、レンタブル比なんて関係ないみたいだね、と山名さんと思わず顔を見合わせた。でもこれは綿密な計算があっての設定なのだろう。こんなに人が乗って大丈夫かと心配になるほどの人出だ。

開放的だし、デザインはシャープでありながら、外壁に木を張ったりして質感にもこだわり、何より建築が威張っていない。あっけらかんとしている。大きな建築でないのもいいのかもしれない。Gパンで歩き回るのに最適な建築だ。
仁寺洞の骨董店や、人気スポット韓国喫茶などの古い建築とも共生している。
チェ・ムンキュさんは、韓国の名門延世大学を出て、ポルトガルのアルバロ・シザの元で学んだ建築家である。

ふと思うのは、安藤忠雄さんの設計した表参道ヒルズだ。同じように中庭(中空)に回廊を回す手法は似ているが、空を覆っているので開放感がない。また黒川紀章さんが指摘していたように、周辺に閉じている。建築家の建築の建つ場所の解釈なのだ。何故か安藤さんは、ここでは閉じるべし、と思ったのだろう。
ぐるぐる回るのは、F・ライトのグッゲンハイム美術館や、芦原義信のソニービル。でも全くそれを意識させないつくりかたに魅かれる。