日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

山陰建築小紀行(1) 初めてのこと

2015-10-23 16:35:07 | 建築・風景

島根、鳥取の3人の建築家の建てた建築を拝見してヒヤリングするために、10月16日から20日までの5日間、出雲、松江、米子に出かけた。ところでどうしたことか、いくつかの初めてのことに出会った。

自宅から小田急の始発に乗って一駅、海老名で降りて羽田行きの高速バスに乗る。
米子空港行き始発の25分前に着いたものの、寸前でオバータイム、次便2時間35分後に出る便、シニアで乗るのでその場でチケットを取ろうと思ったら満席、空席待ちとなったがシニアは種別C、3段階の最後、カウンターの女性に無碍なくCですからね!と引導を渡されムッとする。
2時間20分待っていたら空席が出て搭乗できた。空席待ちになったのは初めて、無論乗れたのも初めてのことだ。

ところが、ほぼ定刻に米子空港に降り始めたら、突然ダウン&スルー。ANAのモニターには滑走路が映し出されているがなんと着地寸前で上昇してしまう。
空港の周りを旋回して再度降り始めたが、また上昇。その直後の機長からの、滑走路に鳥の死骸があったので管制塔から取り除くまで待機せよとの指令があったとのメッセージが流れてきた。
20分後に何事もなかったように着地、市内に向かうバスはちゃんと僕たちを待っていてくれた。
こんなこと初めて!

この日の、出雲の建築家へのヒヤリングは夜の7時、ホテルに荷物を仮置きしてもらい出雲大社に向かった。山陰に出かけるのは2回目、5年前になる2010年、村野藤吾の設計した「米子市公会堂」を何とか残したいという建築家や歴史の研究者から招かれて、シンポジウムに登壇した時だった。
その時はシンポが終わった後、地元の建築家に案内して貰い、菊竹清訓の設計による松江の図書館など一連の菊竹建築と、槇文彦による美術館、そして出雲大社の菊竹建築などを案内して貰ったが、大社の本殿は改修中で足場がかかっていた。

本殿に参拝した後気になっている菊竹建築を観る。雨漏りがしているようで屋上(屋根部分)にシートがかけられており、その存続をどうするか、解体も含めて行く先は検討中と伝えられている。改めてみると、RC打放し(PC造)が木造の大社にすっかり馴染んでいるように見えるのは菊竹フアンだからか!
ともあれ、二日目に泊まったのは菊竹建築の代表作「東光園」。米子の親しい建築家の肝いりで、とってくれた。贅沢な建築紀行だ。

さて初めてのこと、帰りのバスを待っていたら満席、ところがなんと二人が降りて、僕と一緒に待っていた素敵な中年女性と共に座ることができた。大社からホテルに近い出雲駅までは30分かかるので、ホッとする。我に神あり!

さて米子からの帰郷便、最終便を除いてすべて満席、空席待ちは全てNO、神に見放されて空港で5時間待つ羽目になったが、なんと15分早く羽田に到着、こんなの初めてだ。
おかげさまで厚木駅からの最終電車に間に合った。お粗末の記!

<写真 案内してもらった植田正治写真美術館 正面の山は大山(だいせん)>

図書館から見えてくるもの・・沖縄への想い!

2015-10-12 14:28:06 | 沖縄考


前稿で`海老名市中央図書館`に触れたが、愛知県小牧市のツタヤ側と組む計画だった図書館が、住民投票で「ノー」を突きつけられたと報道された。
今朝の(10月12日・体育の日)の朝日新聞の「天声人語」では、海老名の図書館の蔵書に、海外の風俗店案内が含まれていること発覚、更に佐賀県武雄市図書館の、埼玉のラーメン店ガイドといった意味不明の蔵書が批判されたとあり、この二つの公立図書館は、レンタルのツタヤを展開する会社と組んで運営しているとある。
天声人語でねえ!と、この件が日本全国に伝えられたのかと奇妙な戸惑いを覚える。では海老名市の職員は何をするのだろうか。すべてが外注?蔵書選定には関わらないのだろうか?

この連休に我が家に来た娘にこの図書館を見せたいと、妻君と共に訪れて、混雑している館内をさっと回り、朝日新聞の読書欄に紹介された大城立裕氏の新刊「レールの向う」を購入したいと探したが大城作品が一点も無く、蔵書検索をしたがこの著作が出てこなかった。しかしこの一文を書きながら改めて妻君がNETで検索したら、貸し出し不可となったとの事で、蔵書のとりまとめをしているのかもしれない。
 
沖縄の大城立裕氏は89歳になられたが健在とのこと。昨年行った那覇市民会館でのシンポジウムにパネリストとして登壇願いたいと打診したが高齢との事で辞退された。2年に渡って書き綴ってきた「建築保存物語」の20稿`那覇市民会館`と聖クララ教会`を記述した稿の、前編の最後に僕はこう書いた。

『戦後の沖縄建築を考える時に、全土が焦土と化した沖縄戦のことを考えざるを得ない。「カクテルパーティ」で芥川賞を得た大城立裕氏の「普天間へ」(新潮社刊)に収録されている「夏草」の、自決のための手榴弾を持って逃避行をする夫婦の生々しい姿を一読すれば、小説ではあるが戦後の沖縄を考える時に、故郷を想う建築家が何を求めたか、何を願ってつくったのか、その全てを僕たちは感じとることが出来る』。

<写真 沖縄の海>


開館した「海老名市立中央図書館」と、蔦屋書店とスタバー

2015-10-04 17:15:18 | 文化考

昨年末から改修工事がなされていた海老名市立中央図書館が、昨10月3日に開館した。
蔦屋のサポートによってと広報されていたので、どうなるのかとちょっと気になっていた。図書館カード(貸出券)の更新も必要なので混むだろうとためらっていたが、天気もいいので妻君と様子を見に行ってみようか!ということになった。

図書館自体の外観は左程変化が無いものの、まず駐車場が広くなって度肝を抜かれ、入り口の前にテントを張った貸し出し券の更新がなされていて人が溢れている。その様を横目に視て入館すると家族連れの市民!で館内が溢れかえっていた。
まず現れるのは蔦屋書店、その左奥に、時折立ち寄る中央高速道談合坂のサービスエリアにあるようなスターバックスコーヒーのカウンターが在ってテーブル席は満席、テラスにもテーブルがあって数人がコーヒーを楽しんでいる。
中央に吹き抜け空間的な階段室があって、その奥が図書館の書棚。この一階の一部と地階、二階、三階(テラス付き)、四階(テラスあり)が図書館で、機能一新がなされている。この図書館の改修を見ると、建て替えではなく改修によってもこのような手の入れ方が可能だとの実感を得た。

この一文を起稿しながら、昨年の秋、札幌市立大学で学生への講義のために訪札した折、北海道の建築家下村憲一さんをヒヤリングして設計した石狩市の図書館を案内してもらったときのエピソードを思い起こした。

石狩市は海老名市のほぼ半数の人口なのに、僕の目にはほぼ倍くらいの広さとその整った書架などのシステムに感銘を受けたことと、同時に石狩市と海老名市の図書館が友好関係にあることを副館長に案内して戴きながら聞き、縁とは不思議なものだと感じ入ったことなどである。
もう一つ度肝を抜かれたのは、図書館に入った入り口のすぐ近くの壁にある大きなモニターに、訪問者として下村と僕の名前とその姿が映し出されていたことだ。
海老名市駅周辺は再開発が進められていて、良きにつけ悪しきにつけ、様変わりすることが間近だ。

僕が朝の通勤に使っている小田急ロマンスカーも、来年には数本停車するとことになると伝えられている。海老名市に転居してから四十数年を経た。我が歳を考えながら変わり行く`まちの姿`に改めて感じるものがある。

<写真 海老名市図書館の館内>