日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

DOCOMOMO Japan150 -未来への遺産 Future and Legacy展―の開催

2011-09-30 17:11:06 | 建築・風景

会期があと3日間(10月3日(月)まで)になってしまった。
このUIA 2011 TOKYO大会の関連行事の一つとして、東京、丸の内「行幸地下ギャラリー」で行っている建築展を見ると、日本のモダンムーブネント建築の多様性と多彩な姿に改めて感銘を受ける。
予算が厳しくてドコモモメンバーによる手作りの展覧会になったが、とはいえ建築のプロ集団メンバーによる展示は、万全とは言えなくてもなんとも魅力的になったと自画自賛したくなる。

キュレータを担った僕のテーマは、建つ場所による「地域別」構成をすることによって見えてくる「風土」であった。風土という`コトバ`が浮かび上がってきたのは言ってみれば直感のようなものである。

UK(イギリス)から来日した建築家を囲んで、鎌倉の建築家など6人と共に、28日に神奈川県立近代美術館を皮切りに、歩いたことのない路地を案内してもらいながら、そこに建つ思いがけない建築の姿を見た後、西口駅前の「Azeya」で若き店主夫妻の想いのこもった料理をつまみ、一杯やりながらふと述べたのは「直感」についてだ。
ドコモモで選定した建築の多彩な姿を見ながらその度に思っていたのは、姿は一見時代を受けた共通要素を持ちながらも、地域に馴染んでいる建築の様相である。
「直感」には、直感の働く裏付けのある`実感`があるのだと皆納得してくれた。酒が美味くなる。

昨日(29日)は、ドコモモ・インターナショナルのAna会長を案内して熱海の「日向別邸」に行き、その後「明日館」を訪ねた。日向別邸までは東京理科大の山名准教授がフランス語を駆使してくれたが、僕が一人で案内したライトの設計した明日館行きは、珍道中になってしまった。

Ana会長は、なんともアクティブなポルトガルの素敵な女性だが英語とフランス語が堪能で、フランス人の奥様と一緒になった山名さんは英語よりフランス語が得意なのだ。時間外になったのに鍵を開けてくれて電気をつけてくれた路の向かい側の講堂の設計者ライトの弟子「遠藤新」の説明に困惑した。弟子という英語が出てこない。手振りで言わんとすることがわかったAnaがスチューデントというのと僕がスタッフというのが同時で、僕は、スタッフイズスチューデントと思わず口に出したらにやりとされてしまった。

それはさておき、半分を僕が、残りを4人に書いてもらったリード文の中の「四国」を記載してみる。ドコモモとしての公式文だが、署名入りで展示したのだからいいだろうと、勝手に解釈して。
この展覧会をこういうリード文に目を通してもらいながら見てもらうと、何かが見えてくるのではないかと期待している。

「四国 SHIKOKU」
―徳島県・香川県・愛媛県・高知県―

四国はその名の通り、明治時代の廃藩置県によって国の統廃合が繰り返されてこの4県で構成された。阿波(徳島)、讃岐(香川)、伊予(愛媛)、土佐(高知)という嘗ての国名を思うことによって、自然環境やそこで生活する人々の気質、つまり「風土」が浮かびあがってくる。

東西に走る四国山地は険しくて越え難く、土佐の人々は黒潮に乗って江戸・東京を見た。徳島は関西を、香川は瀬戸内海を越えて中国地方を、瀬戸内に面する伊予・愛媛の山並みは大らかで温暖の地、内向きだという。その山間地に繊細で数奇屋をイメージさせる木造による「日土小学校」が生まれた。高知だったら豪風雨でひとたまりもないといわれる。その高知の南端土佐清水の「海のギャラリー」で林雅子は、それに耐える民家を範にして、白い屋根からの光の中に太平洋の深海を沈ませた。

丹下健三は青少年時代を過した今治で、瀬戸内を越えてその向こうを見ていた。丹下の伝統解釈の成果とされる「香川県庁舎」を高松市の山並みを背景にみると、建築の行間(奥深い庇と庇の間)から漏れてくる光が、まちの風景に溶け込んでいることに気がつく。
外に出た四国の人々は、常に故郷四国を想うのである。

旅の中で建築を考える

2011-09-19 11:48:59 | 建築・風景

旅を考えている。
もうこういう旅は出来なくなったが若き日、鈍行の夜行列車に乗って大垣に向かったことがある。あの有名な東京駅を発つ今日の終わりの、明日へ繋がる終列車だ。

ふと気がつくと深夜の途中駅で長時間停まったりしている。明け方がきて、通勤客が乗り降りし、賑やかな女子生徒が一駅毎に入れ替わる時間があって、過ぎると乗降客がいなくなり静かな間が来たりした。木造の駅舎があってすぐ傍に土蔵が建っていたりもした。内と外を見続けた。

人々の日常生活の一節を傍観者として垣間見ているこういう旅もいいが、新幹線も好きだ。何より早いのがいい。1964年、東海道新幹線が開業した。大阪と東京が短時間で結ばれ、東京オリンピックが心に焼きつき、新しい時代が拓かれたと感じた。伯父の建築会社に勤めた僕は、社内のくじ引きで、ボクシングの観戦が当たり、サウスポー桜井を見に行った。大学を出た2年目のことだった。

あるとき著名な建築史の研究者と新幹線を語ったことがある。僕の問いは、どこの駅を通過しても同じような駅舎で、どこを走っているのかわからない。プラットフォーオムを覆う屋根や壁の意匠に、この土地の特徴がどこにもないのだ。
教授の答えはこうだ。「モダニズムの思潮の一つがインターナショナルスタイル」。新幹線を各地で共有する。過疎の地でも。
先に開通した名神高速道路や後に繋がった東名高速道路のサービスエリヤの建築が、日本の著名建築家の設計によるもので、そこに立ち寄るのが楽しみな時期があった。それを思い起こしながら、駅舎についての指摘にうなずいた。

だが、この23日に展示の始まるドコモモ150選展を地域別に構成し、そのリード文を書きながら考えることがあった。建築と関わる「風土」である。

僕が一番好きだった東名のサービスエリヤの建築(レストハウス)は、芦原義信の設計した三ケ日、フラットルーフに原色を内部に塗った円形のトップライトから注ぐ光が印象的で、板張りの天井一杯につくられたガラスから見える浜名湖に旅を感じた。
名神では丹下健三の多賀レストハウス。構造を坪井善勝、設備が井上宇一と言う日本のモダンムーブネントを築いたチームによる建築。鉄骨シェルによって突き出した屋根が周辺の山並みに呼応していた。
建て替えられた現在のレストハウス群の建築を見るために、若き建築家や学生が訪れることは在るまい。建築を単なる施設としてしか考えない風潮の表れなのだろうか。レストハウスを設計する建築家自身に問いたい。建築とは何かと!

さて時代を築いた新幹線の駅舎に関わった建築関係者の意思を聞きたい。駅舎とは何かと。旅は何かと。
僕は今でも新幹線に載ると、内を見る面白さはないので、外を見続ける。遮音壁で景色が見えないとがっかりするが、興味深いのは、一直線に引いた線路が市街地だけに敷設されているものでもないので、過疎地や豊かな山間地を通り抜ける時の面白さだ。
見えないものが見えてくる。
旅である。

<画像・デザイン寺山祐策>


吾が娘が訪れた島根県芸術文化センター「グラントワ」と内藤廣建築

2011-09-04 18:07:19 | 建築・風景

夏休みに山陰に回ると言っていた娘からメールが来た。
「益田の『グラントワ』に行ってきたよ!」。
「石見美術館は休館で(併設されている)文化センター(ホール)も何もやっていなくて、写真をあちこち撮っていたらスコールが来た。ベンチに座ってボーっとしていたら、館の人がホールや舞台や楽屋にも案内してくれて面白かったよ。」
鳥取砂丘に行って「ラクダに乗るんだ!」といっていたが、通り道にいい美術館があるから寄ってみたら!と遠慮がちに進言したのだ。「中庭が浅い池になっていて子供たちが遊んでいるし、地元の石州瓦を屋根や外壁に使っていてなかなかよさそうだよ」。気になっているが僕は行く機会がない。

この建築を見ていなくて言うのも良くないが、高知県に建つ牧野富太郎記念館などと共に、建築家内藤廣の代表作の一つだと言われるようになる予感がする。これからの使われ方次第なのだが。
南米コロンビアのメデジン市の図書館とコンセプトが似ているが、現在の内藤廣の自然観と一体となった建築感が実現されている。

牧野富太郎記念館は時を経て樹木に埋もれて自然と建築が合体した稀有の例になったが、メデジン市の図書館とこのグラントワ、そしてこの7月に北海道に行ったときに立ち寄った、稼動はしているがまだ仮設の足場も架かっているし、ガラスも半透明のシールで覆われていて確認し難ったものの、この旭川駅舎(プラットホール)からも内藤の自然観が感じ取れる。
建築は市民のためにあるのだという内藤廣の一つの回答が、透明ガラスによって透ける建築をつくって自然と一体化させることと、グラントワやメデジン市図書館のように、そこに集う人々を回廊へ誘い戯れることの出来る水を囲むことである。
旭川駅舎の一階は少々無粋と感じたし、益田のホールを囲む壁が、コンクリートの塊なのがいいのかどうかは、行って見なくてはわからない。

石見空港に近く、山陽から中国山地を越えて山陰への拠点になる益田市は、7年前に三つの町が合併して住民51000人あまりの市となった。平安時代に今の県知事に当たる、石見(いわみ)国司を輩出したという歴史的なまちである。そこに建てた。

帰ってきた娘から、サントリーホールでのコンサートの招待券が当たったので一緒に行かない?とメールが着た。喜んで「行く、行く」と返信した。8月25日のサマーフェスティバル、若き山田和樹が指揮する東京都交響楽団による、ジュリアン・ユーと言う中国人作曲家の作品や、湯浅譲二そして田中聰(たなかさとし)の本邦初演や世界初演の作品のある現代音楽のコンサートである。
娘はいろいろなチケットを当てるのが結構上手いのだ。

ことにジュリアン・ユーの、自然の脅威に対峙するような、例えばショスタコビッチの第5シンフォニーのような刺激的な曲の熱気のこもった演奏を聴いて心が騒いだ後、新宿西口地階の、ライオンビヤホールに誘った。ここはビヤホールではあるが結構静かで料理も旨い。そこで娘の撮った「グラントワ」の写真を見た。

僕は、せっかく訪れたのに休館でボーと途方にくれている娘をホールに案内してくれた職員の志に感銘を受けていた。
そして娘が益田に行ってくれた事と、僕に見せるために建築の写真を沢山撮ったこと、更に、案内してくれた職員が、天候や時間によって空に溶け込んで青く光ったりくすんだ茶褐色に見える石州瓦の面白さを娘に伝えてくれて、それを面白がった娘にもグッときていた。
とりわけスコールの凄まじさ、樋をつくらずその水勢が中庭のプール(池)に流れ込む仕組みにも納得した。

この地は温暖で雪もさほど降らないといわれているが、陽を受けてきらめく石州瓦の外壁と豪雨の写真を見ると、日本海側の風土を思う。
昨年末シンポジウムのために行った米子で、女子学生たちが晴れているのに傘をバッグにぶら下げて歩いているのを見て、案内してくれた建築家が、ここは山陰、晴れていても「いつ雨が来るのかわからない」とにやりとしたことを思い出したものだ。
ところで「グラントワ」とは、`大きな屋根`というフランス語からとったのだという。