つくばエキスプレス(TXと言うそうだ)に乗ってつくば(筑波)を訪ねた。
東京の出発点秋葉原が,市場を取り壊して今風の建築によって駅前再開発がなされ、それに関連して慶応の三宅理一教授たちが様々なイベント・インスタレーシヨンの企画などに取り組んでいることは知っている。話題の新鉄道の駅はこの建築群の中にできたと思い込んでいた。しかし線路がないなあと思っていたら地下に潜るのだった。
そうだ、地下鉄ってのがあった。うーん、当たり前といえば当たり前。
シンポジウムで当時の住宅公団を率いて筑波計画に関わった都市再生機構の田中理事は、この開通は長年の悲願で当初から筑波計画の中で駅設置場所を確保し、ルートに埋設物を置かないよう配慮していたと披露された。同行の建築家は、丸の内も同じようなものだよという。都市計画とはそういうものか。小さな建築にしか関わらない僕は変に感心する。
<筑波研究学園都市>
1963年(s38)研究学園都市の建設を閣議決定したが、国を挙げてということにはならず、機構整備が出来ないまま時がたち、あの列島改造論を掲げた田中角栄内閣の肝いりによって69年起工式が行われた。それから37年を経た。
「筑波30年の検証 美しい街を未来へ」というのが、今回のJIA(日本建築家協会)2005年度保存問題茨城大会のテーマである。
この一泊二日で行う保存問題委員会と地域会(主として各県単位)共催の大会は15回目(15年前からということになる)を迎えたが、建築家が建築の保存問題を考え、市民や学生とともに事例に基づいて検証していく良い機会となっている。今年は参加者が160名を越えた。
初日は重文になった茅葺屋根の坂野家住宅や登録文化財登録(現時点でなんと104棟)によって街づくりをした真壁の街を見学をし、夜は市長も参加した大懇親会。その後元気者が僕の部屋に集まって深夜まで建築談義。翌朝は都心部のモダニズム建築見学。午後からシンポジウムと言う濃密なスケジュール。
委員会フアンでもあり建築の好きな大勢の市民も一緒だ。言ってみれば何より馬鹿を言いあえる仲のいい友人たちなのだ。思わぬ視点にどきりとさせられることも多い。僕たちにとってこの大会は鋭い市民の受け止め方を身近に感じる良い機会でもあるのだ。
筑波の抱える課題は興味深い。
歴史を経た民家が点在する関東大平野の中に新都市をつくる。
モダニズム全盛の60年代。モダンムーブメントのなかで優れた作品を創ってきた建築家による建築群、まさにモダニズムの手法によって構想された都市の計画はどうだったのか。30年を経てモダニズムはどうなったのか。
都市の中心部に建てられた磯崎さんのポストモダンによる「つくばセンタービル」を、僕は磯崎さんのこの都市へのアンチテーゼと受け止める。僕には好きになれないヒストリズム(ヒストリズムと言い切れるか?)。しかし極めてモダニズム的な機能的・合理的な綿密な計画によって受け入れられている現象、これは正しく磯崎さんの言いたいアイロニーそのものではないか。
パネリストの保存問題委員会副委員長のNさんはこの建築を絶賛したのだが!
テーマの「美しい街」は本当か。創られた都市ブラジリアが世界遺産になったが筑波では到底考えられない。なぜか?
研究機関職員のために公務員宿舎を造ったが、いまや廃墟っぽくなってしまった。研究者は公務員なのだ。そこにこの都市の生い立ちが垣間見える。並木地区では建蔽率、容積率を緩和してこの公務員宿舎(宿舎でなく土地だ)を競売にかけ始めた。高層マンションが建ち並ぶことになり、当然のことながら近隣住民との対立が始まった。
意に反して東京に住む公務員が多くなり、一方ではマンションが乱立しはじめ東京の衛星都市にもなりかねない様相も伺える。EXが拍車をかけるだろう。とはいえ見学した白い壁と、妙な装飾っぽいしぐさが微塵もないモダニズム典型のような公務員宿舎は魅力的だ。メンテがなされていないのでつらいが、僕たち建築家は魅せられるのだ。其れなのに!
幾つかの公務員宿舎住区を見学したがつくられ方は様々だ。
学生がスチレンペーパーで造った模型をそのまま建てたようなRC(鉄筋コンクリート)造による住宅群がある。どうやら街区構成計画時にスケッチされた提案によって予算作成がされ、年度が替わり変更要請が受け入れらないまま建てられたとしか思えない。ディテールがないまま建てられていて思わず吐息が出るが、それでも即物的で心惹かれる。でも住むほうはたまったものではないか!
時間をかけて練られた同じくモダニズムボキャブラリーによる住戸群もある。樹木も育ち手を入れたらどんなに魅力的な住まいになることか。建築家たちは口々にここには住んでみたいという。
何故メンテナンスをしないのか。ここでも存続に対する仕組みの欠陥が露呈している。
そして省みず壊してしまうのだ。
つくば学園都市は、著名建築家による建築コンクール都市だ。
大高正人さんによる1976年に建てられた木材を組み込んだ見事な「体育館・屋内プール」がある。空間構成は代表作千葉県立図書館や日大の図書館に通じるものがあり、壁や天井を構成する木材の肌触りにしびれる。
筑波大学建築群も魅力的だ。槇文彦さんのガラスブロックが変哲もないカーテンウォールに変わってしまうなど課題も多いのだが。
シンポジウムをやった巨大な坂倉建築研究所のガラス建築国際会議場(1999年)もなかなかだ。大きな建築は坂倉だと言うぼやきが聞こえる。
1996年の谷口吉生さんの「つくばカピオ」もいい。周囲の建築への配慮などなにもなされていないが建築自体には眼を細めて見入ってしまう。こうなると周辺など気にならなくなる。つまり無秩序の秩序だ。なんとしたことか。
NYマンハッタンが好きな僕は考え込む。
この都市は建築を考える格好の教材だが、田中理事がついつい洩らした「思想の共有化とルール化は難しい」という慨嘆、単一の事業主体のないままつくられてきた `つくば` 「ポテンシャルの高いことが起こると活性化はするが街が壊れる」と氏が悟った都市、そして経済変化により規制をはずしてバラバラになっていく都市。
TXが開通した `つくば` から眼が離せない。