名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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沖縄返還密約訴訟 ついに元政府高官が密約を認める

2009-12-02 14:16:23 | Weblog
2009.12.2
 1972年の沖縄返還にからみ、日米両政府が交わしたとされる密約文書の開示を求めた訴訟の裁判が12月1日、東京地裁で始まった。
 ここで特筆すべきは、当時の交渉担当者だった吉野文六元外務省アメリカ局長(91)が、日本政府が一貫して否定してきた密約の存在を法廷で認めたことである。
 この密約訴訟では、①米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりする。②米短波放送「ボイス・オブ・アメリカ」中継局の国外への移設費用1600万ドルを日本が負担する。③沖縄返還協定で決められた米への支出金(3億2000万ドル)を大きく上回る額を日本側が負担する。― の三つの密約に関する日米間の合意文書の開示を求めている。
 吉野氏は法廷で、このうち①と②の合意文書の存在を認めたとされる。米側公文書にある署名の「BY」のイニシャルは自分が署名したものだと証言したという。これはもう決定的な証言である。
 1972年当時、この訴訟の原告でもある元毎日新聞記者西山太吉氏(78)は外務省機密漏洩事件で訴追された。この時、西山氏は外務省の女性職員とのスキャンダルを暴露され、密約の存在を暴くという勇気ある人というより、何か胡散臭い人という印象を持ったものである。西山氏は女性職員とともに国家公務員違反の罪に問われ、一審では無罪となったものの、二審では執行猶予付き有罪判決を受け、確定してしまった。この裁判の中では、吉野氏は密約の存在について『覚えていません』『分かりません』として密約を否定してきた経緯がある。
 西山氏と吉野氏という37年前は敵対的な関係であったものが、今回の証言を通じて、二人は歩み寄り、固く握手し、肩を抱き合った、と報じられた。
 37年という年月を経てなぜ吉野氏はこのような証言をしたのであろうか。『過去を忘却したり、歴史を歪曲しようとすると、その歴史を作る国民のためにマイナスになると思う』と会見で語ったという。
 さらに、37年前の証言については『当時は政府が「否定しろ、否定しろ」で一致していた。検察官も政府側の役人で、(自分が認めても)偽証罪という形にしたと思う』と振り返った。
 吉野氏は既に91歳である。この年齢にしてこのような心境になったのであろうか。あの戦争の語り部たちは、多くの人が長い間沈黙を続けてきた。しかし、最近になって多くの人が語り手となって登場してきている。その心情はよく分かる。
 それにしても吉野氏の勇気には心から頭が下がる思いである。