音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ 世紀の名チェリスト ピアティゴルスキー ■■

2007-12-24 17:31:05 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2007/6/29(金)

★シューマンの「チェロ協奏曲」が聴きたくなり、

NAXOS・HISTORICALのGREAT CELLISTシリーズから、ピアティゴルスキーの

「協奏曲&アンコール集」(ADD 8-11069)を購入しました。

(シューマンの協奏曲は、1934年にバルビローリ指揮ロンドンフィルで録音)

すべてが、飛び切りの名演集です。

CDを聴き終わりますと、もう一度、最初から聴き直したくなります。

このようなことは、本当に久しぶりです。

シュナイダーハンとケンプのべートーベン「スプリング・ソナタ」以来です。

本人へのインタビューを基にした英文の解説が秀逸ですので、ご紹介します。

(それに比べ、一般論ですが、日本のCDの解説は、中身が薄いですね。)


★ピアティゴルスキーは、残念なことに、あまり日本では、知られていません。

レコーディングもあまりなされていないようです。

しかし「間違いなく、カザルス以来、私が聴いた最高のチェリスト」と、

ルービンシュタインが評したことが、すべてを語っています。


★1903年4月、グレゴール・ピアティゴルスキーは、ウクライナで生まれました。

バイオリニストの父から、最初はピアノとバイオリンを習いました。

1910年、ヴィクトール・クバツキーのチェロを聴き、殴られるような感動を覚えました。

(ショスタコービッチは後年、クバツキーのためにチェロソナタを書いています)

7歳の誕生日、チェロをプレゼントされ、急速に技法を習得します。

モスクワ音楽院などで勉強した後、16歳の1919年、

ボリショイ・オペラ・オーケストラの首席演奏者となります。

そこで、シャリアピンなど名歌手とも共演します。

シャリアピンは「グリーシャ!、君はチェロで大変うまく“歌う”が、

もっと“語る”ことをチェロでやったほうがいい」と言ったそうです。


★ソ連では、チェロをさらに学ぶことも、海外公演も許されなかったため、

1921年、ポーランドへ逃げます。

チェロを肩に担ぎ、家畜のトラックを乗り継ぎ、国境線を歩いて渡ろうとしました。

その時、二人の兵隊が、バン、バン、バンと、いきなり鉄砲を撃ってきました。

彼は、恐ろしく肥った(awfully fat)女性のオペラ歌手と、一緒に逃げていました。

バン、バンという銃声を聞いた途端、「彼女は、飛び上がって私の背中に抱きつき、

太い腕を首にキュッと巻き付けました・・・“ my cello is no more  ”」。


★ワルシャワのホテルでチェロを弾くことから始め、

ライプチッヒで、ユリウス・クレンゲルに学びます。

(ベッチャー先生は、バッハのチェロ組曲を勉強する場合、原典以外に、

クレンゲル版も参照するように、とおっしゃています)

しかし、彼のライバルである「エマヌエル・フォイヤーマン」の演奏を聴くことで、

もっと、たくさんのことを、学んだそうです。

(フォイヤーマンは、斉藤秀雄の先生です)

1923年、ベルリンで、シュナーベルに助けられ、シェーンベルク「Piero lunaire」を演奏します。


★1924年、フルトヴェングラーによって、ベルリンフィルの首席チェリストに任命されます。

≪フルトヴェングラーは興奮すると、唾を飛ばすので、首席チェロの上に降ってくる。

ピアティゴルスキーは、さっと傘を広げた≫とは、ベッチャー先生の楽しいご冗談。

1929年まで首席を務め、その後、シュナーベル、フレッシュとトリオを組みます。

その他にも、ミルシュティン、ホロビッツともトリオを。

1931年、ルービンシュタインと出会い、「カザルス以来、最高のチェリスト」と評されます。

1930年代を通じて、彼の名声が高まります。

1940年代は、アメリカを本拠とし、42年に市民権を取得します。

1949年、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、ピアティゴルスキーのよる

いわゆる≪100万ドルトリオ≫が結成されます。

教育の面でも、カーティス音楽院や南カリフォルニア大で教えます。

1962、66年には、チャイコフスキーコンクールの審査員として、モスクワに里帰りしています。

1976年8月、ロサンジェルス近郊で永眠、73歳。

彼が保有していたストラディバリのうち、「ロード・アイレスフォード」という名器は、

現在、ヤーノシュ・シュタルケルに引き継がれています。


★シューマンのチェロ協奏曲は、ピアティゴルスキーが、戦前に録音した

唯一の協奏曲で、カデンツァも、彼の作です。

音の輝き、技巧が縦横に発揮されています。

録音器がまだ回っている時、オーケストラのオーボエ奏者が、感動して

“ブラボー”と叫んでしまったそうです。


★アンコール集は、名人芸より、音色やフレージングを聴かせるよう選曲されています。

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は、かつてヴォリショイ・オペラで同僚だった

アントニーナ・ネズドノーヴァのために書かれた曲です。


★アンコール集のなかに、シューベルトの「楽興の時」D.780ヘ短調Op94の3が、あります。

この原曲は、有名なピアノ曲です。

ピアティゴルスキーは、思わず踊りだしたくなるような舞曲として、演奏しています。

このように見事なリズムで、この曲が演奏されるのを聴くのは、初めてです。

ピアノを弾く上で大変、参考になります。

シューベルトは、バイオリンや弦楽器を知り尽くしており、家族で弦楽合奏をしていました。

案外、このピアノ曲は弦楽器的な発想も、含まれているかもしれませんね。

是非、お聴きになることをお薦めします。



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1 コメント

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ありがとう (うばゆり)
2008-01-26 14:27:27
ピアティゴルスキーのことを暖かく取り上げてくださってうれしいです。 すばらしいチェリストは沢山いますが、私は、デュプレ、シュタルケルをはじめ聴いては、「すばらしい! さてピアティゴルスキーでもう一度」となってしまうのです。 彼が書いた「チェロと私」が復刻されるのを待っています。 
北海道の由仁町の畑の中に暮らしています。
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