■■ 銀座百点 皆川達夫先生 音楽界批判 ■■ その2
2006/9/3(日)
【 バッハ以前の音楽は音楽でなし? 】
★ 「心の先生」であるその皆川先生が、「古楽の楽しみ」という随筆を
「銀座百点」9月号に寄せていらっしゃいました。
「バロック音楽の楽しみ」についての思い出話が中心です。
ソフトな語り口ながら、日本のいわゆるクラッシック音楽界についての、
厳しく的確な批評となっています。
要約してご紹介いたします。
――――――――――――――――――――――――――――
★「古楽のたのしみ」
40、50年前のお話です。
そのころは、18世紀のバッハ以前の音楽は、
存在していても聴くに値しない未発達な原始的なもの、という見方が一般的でした。
「バロック音楽の楽しみ」などを通じて、バッハ以前の音楽を紹介し始めますと、
予想以上の反発や誤解を受けました。
長老作曲家は「バッハ以前の音楽なんて、かわいいものだよ。みんな<むすんで ひらいて>
みたいな調子だからね」。
特に高名な音楽批評家は「皆川君、キミはけしからん。バッハをチェンバロ(ハープシコード)で
演奏せよとは、何事ですか。
あんな不完全な楽器はバッハを殺すだけです。
バッハはピアノで弾くべきです」と決めつけられました。
さらに「バッハ以前の音楽というものは、高音と低音だけの内容のうすい貧弱な音楽です。
ショパンのように充実した音楽があるのに、なぜ、こんな空虚な音楽を聴かせようとするのですか」と
お叱りを受ける始末。
★ それにひきかえ、最近は「古楽ブーム」。
「バロック」から「ルネッサンス」、「中世」の音楽までがさかんに演奏され、聴かれています。
音楽大学に古楽科が設置され、リコーダー、チェンバロ、ガンバ、
リュートの演奏家が輩出しています。
古楽情報誌まで刊行されています。
国際舞台で活躍する日本人古楽器奏者も多い。
固有の伝統音楽をもち、手先が器用で繊細な感覚をもった勉強熱心な日本人に、
このジャンルで欧米人をしのぐ活躍が期待できると信じるのです。
★ 日本人と古楽の出合いは、400年前の天正期に始まります。
この時期に渡来したヨーロッパ音楽は、各地の神学校で教えられました。
1日1時間の音楽教育が課せられました。
1582年に欧州に旅立った「天正使節団」は、かの地で臆することなく大オルガンを弾き、
ジパングに対する欧州人のイメージを一新させました。
残念ながら、徳川幕府の鎖国により、日本の洋学摂取は根こそぎ途絶えました。
日本人の手で作成されたとされる竹製オルガンなどの洋楽器は破壊され、楽譜もすべて焼かれました
。
しかし、洋学は地下水脈のように生き延び、箏曲「六段」にも影響を与えたと思われます。
また、渡来したラテン語聖歌が、今日なお長崎県下の「かくれキリシタン」の人びとによって
伝承され、唱えられつづけているのです。
提案があります。
銀座周辺の教会堂や学校、ホールなどを活用して「銀座古楽祭り」を企画しませんか。
教会では「ルネッサンス宗教音楽」、学校では「チェンバロ演奏会」、
街角では「中世吟遊詩人の恋の歌」が聴けるような企画こそ、
銀座の伝統ある知的な品格にふさわしいと考えているのですが・・・(以上が要約)
――――――――――――――――――――――――――――
★ 「バッハはピアノで・・・」うんぬんのくだりは、大変面白いお話です。
≪バッハはピアノで弾くべき≫という考えは、現在では滑稽な見方で、否定されています。
チェンバロでも、ピアノでもどんな楽器で弾こうと、バッハの魅力は尽きない、
というのが大正解です。
≪ショパンのように充実した音楽があるのに・・・なぜ、空虚な音楽を聴かせようとするのか≫に
ついても、とても狭い見方ですね。
このショパンという作曲家は、ロマン派の中でもバッハの影響を最も強く受けた、
極めて古典的でオーソドックスな作曲家です。
身に纏っている音の響きが、当時のロマンティシズムと合致して、
““ ムード音楽 ””と誤解されたままになっているのです。
いまだに正当な評価を受けていない、ともいえます。
著名な““ 権威 ””の見解は、なかには不勉強で独善的なものも多く、
決して鵜呑みにすべきではない、といういい例ですね。
【 かくれキリシタン祈りの歌は、16世紀スペインから 】
★ 皆川先生は、ご自分の宣伝をなさらない慎ましい方です。
代わりに宣伝いたしますが、「洋学渡来考」という畢生の著作を数年前に出版されています。
約400年前に渡来した当時の聖歌を、現代の楽譜に復元されました。
その精緻な研究、探求過程が漏れなく記録されています。
当時の音楽を知る手掛かりとなる資料は、以下の3つだけです。
1)「天正少年使節団」が日本に持ち帰った典礼書「サカラメンタ」(1605年に長崎で印刷)
の中にある特殊な記譜法で書かれたラテン語の聖歌。
これを解読して復元されました。
2)東京国立博物館所蔵「耶蘇教写経」にある「マリア典礼書写本」に、
仮名文字で書かれたラテン語聖歌。
これも現代楽譜に復元されました。
3)九州の西端に位置する長崎県北松浦郡(現在は平戸市)の生月島などに
口承されている「かくれキリシタン」の「オラショ(祈り)」。
1975年、「オラショ」に出遭って以来、この離れ小島に何度も何度も通い、録音して採譜されました。
御詠歌のように節をつけて歌う「おらしょ」のルーツ、由来を突き止めるため、
ヨーロッパの図書館、古文書館を7年間もかけ、虱つぶしに回りました。
遂に、スペインのある図書館で、オラショの原典の聖歌集に遭遇しました。
「手元に置かれた瞬間、体がふるえてきた」そうです。
これは、世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、
16世紀スペインのある地域だけで歌われていたローカル聖歌でした。
それを、この地方出身の宣教師が日本に伝え、九州の離れ小島で
命をかけて歌い継がれてきたのです。
★ <「洋学渡来考」(日本キリスト教団出版局)>は論文だけの本の他に、
復元した聖歌とオラショを録音したCD3枚、生月島での「オラショ」の儀式を録画したDVDから成る
<CD&DVD版「洋楽渡来考」>の2種類があります
CD&DVD版に付録の解説書がまた、秀逸です。
特に「中世・ルネッサンス音楽とともに六十年」という、いわば先生の自伝は感動的です。
戦前の軍国主義教育についても、これほど分りやすく書かれたものはあまりないでしょう。
「日本人は米英人と戦って、地球上から抹殺するのが諸氏の努めである」と
由緒ある旧制中学で、授業中に昂然とアジる教師・・・などなど。
最近のカルト教団に似ていますね。(実はこのブログは、この解説書からたくさん引用させて頂いて
おります)。
また、銀座百点の「バッハをピアノで・・・」の話も、この自伝の中にさらに詳しく書かれています
。
【 能や歌舞伎に精通 】
★ さらに忘れてならないのは、先生が、少年時代から謡曲や仕舞を「たしなみ」として習い、
現在でも「九番習」という、その道ではひとかどの免状の所有者であること。
中学時代から、お能の初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、
歌舞伎で伝説的存在の十五代目市村羽左衛門、六代目尾上菊五郎など
昭和初期の名人たちに熱中されていたことです。
同時期に、奇跡的にグレゴリオ聖歌やパレストリーナの宗教合唱曲を聴く機会があり、
ベートーベン、モーツァルトだけがヨーロッパ音楽ではない。
もし、音楽の論理があるとしたら、中世、ルネッサンス期の古楽、さらに日本、中国、
インド、アフリカなど地球上のもろもろの音楽に光を当てねばならない、
という考えがフツフツと渦まいてきたそうです。
★ 十五代目羽左衛門(現・五代目中村富十郎の祖父)など、真の芸術家の最高の舞台の数々に感動された原体験。
それこそが、中世、ルネッサンスなどもろもろの音楽の中から、
最良の、美しく、価値のあるものを的確に選び出し、評価し、
感動的な説得力ある解説ができる所以である、と思います。
先生の経歴を知り、得心いたしました。
海外の音楽学の文献を翻訳するだけの学問とは根本的に異なります。
★ 以外と知られていませんが、皆川先生は大変なワイン通。
20数年前、ワインがまだ日本国「市民権」をもっていなかったころ、
ご自身の経験に即して、ワインの楽しみを綴り、出版されています。
“赤玉ポートワイン”の時代が終わり、本物のワインの存在と価値に日本人が気付き始めた時代でした。
多分、日本でワインについての薀蓄を傾けて書かれた本の先駆けの一つです。
ここでも本物を見る目の確かさ。
★ 幸い、皆川先生は、NHK・AM(FMではなく)の第1放送で、日曜の朝8時5分から50分間、
クラシックの名曲を名演奏で放送する「音楽の泉」の解説を担当されています。
是非お聴きのほどを。
私が唯一、スイッチをひねる放送です
★ 「洋学渡来考」CDとDVD版は、一般書店ではお目にかかれない本ですので、
もし、興味があり、お求めになりたいという方は、
平凡社出版販売(電話03-3265-5885)にお問い合わせになるのが楽かと、存じます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
2006/9/3(日)
【 バッハ以前の音楽は音楽でなし? 】
★ 「心の先生」であるその皆川先生が、「古楽の楽しみ」という随筆を
「銀座百点」9月号に寄せていらっしゃいました。
「バロック音楽の楽しみ」についての思い出話が中心です。
ソフトな語り口ながら、日本のいわゆるクラッシック音楽界についての、
厳しく的確な批評となっています。
要約してご紹介いたします。
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★「古楽のたのしみ」
40、50年前のお話です。
そのころは、18世紀のバッハ以前の音楽は、
存在していても聴くに値しない未発達な原始的なもの、という見方が一般的でした。
「バロック音楽の楽しみ」などを通じて、バッハ以前の音楽を紹介し始めますと、
予想以上の反発や誤解を受けました。
長老作曲家は「バッハ以前の音楽なんて、かわいいものだよ。みんな<むすんで ひらいて>
みたいな調子だからね」。
特に高名な音楽批評家は「皆川君、キミはけしからん。バッハをチェンバロ(ハープシコード)で
演奏せよとは、何事ですか。
あんな不完全な楽器はバッハを殺すだけです。
バッハはピアノで弾くべきです」と決めつけられました。
さらに「バッハ以前の音楽というものは、高音と低音だけの内容のうすい貧弱な音楽です。
ショパンのように充実した音楽があるのに、なぜ、こんな空虚な音楽を聴かせようとするのですか」と
お叱りを受ける始末。
★ それにひきかえ、最近は「古楽ブーム」。
「バロック」から「ルネッサンス」、「中世」の音楽までがさかんに演奏され、聴かれています。
音楽大学に古楽科が設置され、リコーダー、チェンバロ、ガンバ、
リュートの演奏家が輩出しています。
古楽情報誌まで刊行されています。
国際舞台で活躍する日本人古楽器奏者も多い。
固有の伝統音楽をもち、手先が器用で繊細な感覚をもった勉強熱心な日本人に、
このジャンルで欧米人をしのぐ活躍が期待できると信じるのです。
★ 日本人と古楽の出合いは、400年前の天正期に始まります。
この時期に渡来したヨーロッパ音楽は、各地の神学校で教えられました。
1日1時間の音楽教育が課せられました。
1582年に欧州に旅立った「天正使節団」は、かの地で臆することなく大オルガンを弾き、
ジパングに対する欧州人のイメージを一新させました。
残念ながら、徳川幕府の鎖国により、日本の洋学摂取は根こそぎ途絶えました。
日本人の手で作成されたとされる竹製オルガンなどの洋楽器は破壊され、楽譜もすべて焼かれました
。
しかし、洋学は地下水脈のように生き延び、箏曲「六段」にも影響を与えたと思われます。
また、渡来したラテン語聖歌が、今日なお長崎県下の「かくれキリシタン」の人びとによって
伝承され、唱えられつづけているのです。
提案があります。
銀座周辺の教会堂や学校、ホールなどを活用して「銀座古楽祭り」を企画しませんか。
教会では「ルネッサンス宗教音楽」、学校では「チェンバロ演奏会」、
街角では「中世吟遊詩人の恋の歌」が聴けるような企画こそ、
銀座の伝統ある知的な品格にふさわしいと考えているのですが・・・(以上が要約)
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★ 「バッハはピアノで・・・」うんぬんのくだりは、大変面白いお話です。
≪バッハはピアノで弾くべき≫という考えは、現在では滑稽な見方で、否定されています。
チェンバロでも、ピアノでもどんな楽器で弾こうと、バッハの魅力は尽きない、
というのが大正解です。
≪ショパンのように充実した音楽があるのに・・・なぜ、空虚な音楽を聴かせようとするのか≫に
ついても、とても狭い見方ですね。
このショパンという作曲家は、ロマン派の中でもバッハの影響を最も強く受けた、
極めて古典的でオーソドックスな作曲家です。
身に纏っている音の響きが、当時のロマンティシズムと合致して、
““ ムード音楽 ””と誤解されたままになっているのです。
いまだに正当な評価を受けていない、ともいえます。
著名な““ 権威 ””の見解は、なかには不勉強で独善的なものも多く、
決して鵜呑みにすべきではない、といういい例ですね。
【 かくれキリシタン祈りの歌は、16世紀スペインから 】
★ 皆川先生は、ご自分の宣伝をなさらない慎ましい方です。
代わりに宣伝いたしますが、「洋学渡来考」という畢生の著作を数年前に出版されています。
約400年前に渡来した当時の聖歌を、現代の楽譜に復元されました。
その精緻な研究、探求過程が漏れなく記録されています。
当時の音楽を知る手掛かりとなる資料は、以下の3つだけです。
1)「天正少年使節団」が日本に持ち帰った典礼書「サカラメンタ」(1605年に長崎で印刷)
の中にある特殊な記譜法で書かれたラテン語の聖歌。
これを解読して復元されました。
2)東京国立博物館所蔵「耶蘇教写経」にある「マリア典礼書写本」に、
仮名文字で書かれたラテン語聖歌。
これも現代楽譜に復元されました。
3)九州の西端に位置する長崎県北松浦郡(現在は平戸市)の生月島などに
口承されている「かくれキリシタン」の「オラショ(祈り)」。
1975年、「オラショ」に出遭って以来、この離れ小島に何度も何度も通い、録音して採譜されました。
御詠歌のように節をつけて歌う「おらしょ」のルーツ、由来を突き止めるため、
ヨーロッパの図書館、古文書館を7年間もかけ、虱つぶしに回りました。
遂に、スペインのある図書館で、オラショの原典の聖歌集に遭遇しました。
「手元に置かれた瞬間、体がふるえてきた」そうです。
これは、世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、
16世紀スペインのある地域だけで歌われていたローカル聖歌でした。
それを、この地方出身の宣教師が日本に伝え、九州の離れ小島で
命をかけて歌い継がれてきたのです。
★ <「洋学渡来考」(日本キリスト教団出版局)>は論文だけの本の他に、
復元した聖歌とオラショを録音したCD3枚、生月島での「オラショ」の儀式を録画したDVDから成る
<CD&DVD版「洋楽渡来考」>の2種類があります
CD&DVD版に付録の解説書がまた、秀逸です。
特に「中世・ルネッサンス音楽とともに六十年」という、いわば先生の自伝は感動的です。
戦前の軍国主義教育についても、これほど分りやすく書かれたものはあまりないでしょう。
「日本人は米英人と戦って、地球上から抹殺するのが諸氏の努めである」と
由緒ある旧制中学で、授業中に昂然とアジる教師・・・などなど。
最近のカルト教団に似ていますね。(実はこのブログは、この解説書からたくさん引用させて頂いて
おります)。
また、銀座百点の「バッハをピアノで・・・」の話も、この自伝の中にさらに詳しく書かれています
。
【 能や歌舞伎に精通 】
★ さらに忘れてならないのは、先生が、少年時代から謡曲や仕舞を「たしなみ」として習い、
現在でも「九番習」という、その道ではひとかどの免状の所有者であること。
中学時代から、お能の初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、
歌舞伎で伝説的存在の十五代目市村羽左衛門、六代目尾上菊五郎など
昭和初期の名人たちに熱中されていたことです。
同時期に、奇跡的にグレゴリオ聖歌やパレストリーナの宗教合唱曲を聴く機会があり、
ベートーベン、モーツァルトだけがヨーロッパ音楽ではない。
もし、音楽の論理があるとしたら、中世、ルネッサンス期の古楽、さらに日本、中国、
インド、アフリカなど地球上のもろもろの音楽に光を当てねばならない、
という考えがフツフツと渦まいてきたそうです。
★ 十五代目羽左衛門(現・五代目中村富十郎の祖父)など、真の芸術家の最高の舞台の数々に感動された原体験。
それこそが、中世、ルネッサンスなどもろもろの音楽の中から、
最良の、美しく、価値のあるものを的確に選び出し、評価し、
感動的な説得力ある解説ができる所以である、と思います。
先生の経歴を知り、得心いたしました。
海外の音楽学の文献を翻訳するだけの学問とは根本的に異なります。
★ 以外と知られていませんが、皆川先生は大変なワイン通。
20数年前、ワインがまだ日本国「市民権」をもっていなかったころ、
ご自身の経験に即して、ワインの楽しみを綴り、出版されています。
“赤玉ポートワイン”の時代が終わり、本物のワインの存在と価値に日本人が気付き始めた時代でした。
多分、日本でワインについての薀蓄を傾けて書かれた本の先駆けの一つです。
ここでも本物を見る目の確かさ。
★ 幸い、皆川先生は、NHK・AM(FMではなく)の第1放送で、日曜の朝8時5分から50分間、
クラシックの名曲を名演奏で放送する「音楽の泉」の解説を担当されています。
是非お聴きのほどを。
私が唯一、スイッチをひねる放送です
★ 「洋学渡来考」CDとDVD版は、一般書店ではお目にかかれない本ですので、
もし、興味があり、お求めになりたいという方は、
平凡社出版販売(電話03-3265-5885)にお問い合わせになるのが楽かと、存じます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲