■中村洋子作曲「風宴」はピアノでも弾けます■
~源氏物語の「お手紙」の意味するもの~
2021.7.11 中村洋子
★前回ブログで、私の作曲しましたチェンバロ独奏曲「風宴」に
ついて書きました。
その後、ピアニストの皆さまから「是非弾いてみたい」という
お問い合わせを、多数いただきました。
Bach の「平均律クラヴィーア曲集」は、当時、おそらくチェンバロで
弾かれたことでしょう。
もちろんオルガンやクラヴィコードでも可能です。
★Bachは、ゴルトベルク変奏曲やイタリア協奏曲について、
明確に「チェンバロで弾くように」と楽器指定しています。
しかし現代の私たちは、それらの曲をチェンバロはもとより、
ピアノで弾いたり、大ピアニストのすばらしいピアノ演奏で
楽しんでいます。
★このような訳ですので、私のささやかな作品、
チェンバロ独奏曲「風宴」もどうぞ、ピアノで思いっきり
弾いて下さい。
ご遠慮することなく、ペダルも十分に用い、現代のピアノの豊かな
響きを楽しんでいただきたいと思っています。
★前回ブログでは、私が通っていた保育園の先生が、卒園前に下さった
お手紙について、懐かしく思い出しながら、書きました。
私の通っていた保育園は、カナダの宣教師が戦前に開園されました。
自宅からはとても遠かったのですが、大変評判のよい保育園で、
人気があり、母はその評判を聞いて、私を入園させたのでした。
どの保母さんの言葉使いも、丁寧で優しく、明るく穏やか。
子供の目を見てゆっくり話をされ、、春のお日様のもとで
日向ぼっこをするような雰囲気でした。
★かつて、私のドイツ人の友人が、「僕の一番好きなドイツ語は、
"Kindergarten" です。
本当にきれいな言葉だ!」と言ったのを思い出しました。
「キンダーガルテン 子供たちのお庭」、きれいな言葉ですね。
その保育園も、「子供たちの楽しいお庭」という環境でした。
ただとても遠かったので、痩せっぽちでひ弱な私が通うには、少々
辛い面があり、生島先生もそれを案じて下さっていたのでしょうね。
雨が降ると、「保育園を休んでよい」という暗黙の了解が、
我が家にはできてしまい、「おうち遊び」も大好きな私は、
雨の日は家で絵本を読んだり、ステレオで童謡を聴いたり、
ピアノを弾いたり、きれいな千代紙で貼り絵をしたり・・・
楽しい一日でした。
★「三つ子の魂百まで」。いまだに雨が降ると、子供の頃の
習慣から、仕事の手を止め、長いすに寝そべって、本を読んだり、
サボっています。
★生島先生の優しいお手紙から、お話が脱線してしまいましたが、
梅雨空の、雨が多い毎日。
当然小さい頃からの習慣で、本を沢山読みます。
久しぶりに、円地文子訳「源氏物語」を紐解きました。
日本最高の古典文学≪源氏物語≫では、「お手紙」は最も重要な
恋の駆け引きの道具であり、差出人の才知の見せ所、そして
この物語の展開を牽引する、道具でもあります。
モリアオガエルの卵
★物語の主人公光源氏は、最愛の妻の「紫の上」を亡くし、
生前に「紫の上」が書いた手紙を、女房たちに命じて焼いてしまう
場面を、少し書き写してみます。
★円地文子さん《1905(明治38年)-1986(昭和61年)》の訳です。
(源氏は)「あとに残っては見苦しいような人のお文なども、
破るには惜しくお思いなったのか、少しずつ残しておありに
なったのを、何かのついでに見出して、破り捨てさせなどなさる。
あの須磨にご退去の頃、あちこちの女君たちからさし上げたものの
ある中で、亡き紫の上の御手蹟(みて)のは、特に一つに
まとめておありになった。
御自身でこうしてお置きになったのだったが、それも遠い昔のこと
となってしまったと思召す。
しかし、今の今書いたような墨の色など、ほんとうに千年の形見にも
出来るものであるが、出家すれば見てはなるまいものとお思いになり、
是非ないことと、親しくお使えする女房たち二三人ほどに言いつけて、
お前で破らせておしまいになる」
★紫の上の一周忌を済ませ、出家を決意した源氏の心境です。
当時の仏教に基づいた世界観から言えば、出家するという事は、
「この世から、この世とあの世をつなぐ架け橋のような位置
(仏門に入る)に移動する」、という決意表明です。
もうこの世の人ではなくなる、という意味です。
★源氏は初めて、その時に、紫の上の手紙を破らせます。
このように生きていた(この世にある)ときに、最も大切に
保存するものが、手紙だということになります。
★もう一つここで重要なことは、「今の今書いたような墨の色など、
ほんとうに千年の形見にも出来るもの」という表現です。
紙が貴重品であった時代、これも高価な墨で書かれた手紙は、
まるで今書いたように見えるし、千年も持つことでしょう、と
紫式部は書いています。
★源氏物語は2008年に、源氏物語が読まれていたことが記録上で
確認される時期から、ちょうど一千年を迎えました。
紫式部の心中は、手紙と同じく、「自分の書いた物語は、
千年の形見になるほど残るかもしれない」、という密かな
自負を持っていた事を、私はこの文章に嗅ぎ付けるのです。
★源氏物語を現代語訳した円地文子さんとは、面識もなく、
お会いしたこともないのですが、ご自宅と、私の実家の距離が近いので、
何となく親近感がありました。
源氏物語全訳に取り組んでおられると聞き、ご自宅前を通るときは、
「ここでお仕事をしていらっしゃるのだなぁ」と、お庭の木々の先の
お家を見上げていました。
★私は現代の作家たちの源氏物語訳も、時々本屋さんで立ち読み
してみるのですが、購入にはいたりません。
現代人にも親しみやすく、というのはわかるのですが、
やはり王朝文学ですから、源氏物語の世界は、市井の人々の
言葉使いや感覚とは違う、と思います。
王朝と現代感覚の庶民の暮らしを、峻別しつつ、王朝人と現代人に
共通する、人間観察と洞察をその訳によって探るのが、
源氏物語の翻訳の本来の姿勢でしょう。
この円地文子訳はそれに成功していると思います。
★そして大事なことは、私が購入する気になれない、いくつかの
現代語訳は、源氏物語を、今読まれている漫画のように、
プレイボーイ光源氏の恋愛模様の物語と捉えていることです。
確かに彼はハンサムで、もてるのですが、私には、
光源氏は大きな物語の「狂言回し」にしか過ぎないようにも、
思われるのです。
★源氏を中心とする、さまざまな人間の、物語の中の有機的配列を
見ていきますと、人間とは何か、その人間を支配する、
「時」とは何か、という大命題が浮かんでくるのです。
★そう「時」と「時」を繋いでいくものが、手紙なの
かもしれませんね。
源氏物語は、バッハの音楽の大伽藍に似ている、といつも思います。
本物の芸術は、古今東西、その表現し、探求するものは、
音楽、文学の違いに関わらず、
案外、同じものなのかもしれません。
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