■中村洋子「無伴奏チェロ組曲」第1巻SACD、再プレスされました■
~ Boettcher ベッチャー先生の名演をお聴きください~
2021.3.23 中村洋子
★3月20日午後6時すぎ、宮城沖でM6.9、震度5強の地震が発生。
東北、関東にお住まいの方はさぞ、ストレスを感じられたこと
でしょう、心より、お見舞い申し上げます。
★3月21日は、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750)の
お誕生日でした。
★さて、きょうは嬉しいお知らせです。
中村洋子作曲「無伴奏チェロ組曲第1巻」(第1~3番)の、
SACDが、再プレスされました。
再プレスとは、書籍の増刷と同じです。
SACD第1巻は、私の作曲しました「無伴奏チェロ組曲」
1、2、3番。
第2巻は、「無伴奏チェロ組曲」4、5、6番です。
演奏は、Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生。
★私は気が付きませんでした、大変ありがたいことに、
第1巻は、既に売り切れとなっていました。
Boettcher ベッチャー先生が、2月24日に急逝された丁度その頃、
発売元の「Disk Union ディスクユニオン」制作部で、再プレスが、
決まったそうです。
★前々回ブログで書きましたように、Boettcher ベッチャー先生の
ソロの演奏を録音で残すことができましたことは、
何とも幸せでした。
亡くなられた時に、再プレスが決定されたのは、偶然とはいえ、
何か運命的なものを、感じます。
是非とも、この素晴らしい演奏を残していきたいと、思います。
★「第1番」は春、「第2番」は冬、「第3番」は秋、
「第4番」は春分と秋分、「第5番」は夏、
「第6番」は季節の統合を、象徴しています。
★「第1番」を作曲した時には、組曲の中の各曲のタイトルを、
日本語で考えました。
2番、3番と書き進むうち、この作品の出版社は、ドイツの
「Musikverlag Ries & Erler Berlin リース&エアラー社」ですし、
演奏は Boettcher ベッチャー先生ですので、だんだん、英語や
ドイツ語の発想でまず、タイトルを考え始めるようになりました。
★その後、全6曲の楽譜を出版することが、「Ries & Erler」社から
決定した際、「表紙に日本語のタイトルを添えたいので、
日本語で書いて送ってください」と言われ、何とも、訳し難かった
ことを、覚えています。
★漢字や平仮名は、ドイツの皆さんにはエキゾチックで、
魅力的に見えるようで、表紙をカリグラフィー風に
飾りたかったのだ、と思います。
辞書を引き引き、自分で考えた外国語のタイトルを、
今度は、母語の日本語に移すのがこんなに難しいとは!
つくづく、言葉の壁を実感しました。
★「組曲第1番」について、少しお話いたしましょう。
この曲は、2007年5月に作曲し、同年6月7日、ベルリン市庁舎で
開催されました「フンボルト財団」記念演奏会で、
Boettcher ベッチャー先生により、1曲目「雪国の祝い歌」と、
8曲目「青田波」が、初演されました。
全曲の初演は、その後です。
https://www.academia-music.com/products/detail/53140
★出版されています「組曲第1番」の楽譜は、「Ⅰ~Ⅵ」という
形式で、6曲という数え方です。
その中の「Ⅴ」は、Bachの組曲のように、Ⅴ-1、Ⅴ-2、Ⅴ-1と、
演奏されますので、全8曲のようにも、聴こえるのです。
★作曲する数年前、雪深い東北を旅したことがありました。
一面見渡す限りの銀世界が、いまでも目に浮かびます。
農家は、農閑期の冬に結婚式(祝言)をすると、その際、
聴いたことがあります。
雪はこんもり、暖かく、家と田畑を包み込みます。
★Ⅰ「雪国の祝いうた」
ⅠFestlicher Gesang aus dem Schneeland
Festive singing out of snow country
深々と降る雪、軒まで雪に埋もれた茅葺の屋根、
ぼんぼりのように灯りがともった窓から、祝い歌がこぼれてきます。
お目出度いことがあったのでしょう。
山も川も人もみな、春を待ちわび、静かに静かに眠りに就きます。
★第一曲目「雪国の祝いうた」の冒頭、2分音符の「E音」が、
静かに「P」で奏されて始まります。
雪原を、周りの空気を震わせながら真っ直ぐに、
スーッと伸びて行きます。
3拍目の「A音」に達するまで、たった一つの音です。
心地よい、ほの暖かさがにじみ出るようなビブラートです。
雪深いしかし、どこか明るさ、輝きを含んだ冬の風景が、
目の前に浮かび上がります。
★Ⅱ「山笑う」
Leuchtende Berge im Vorfrühling
Bright mountains in early spring
早春の山は、梢が風に揺れ、山が揺れるようです。
山が微笑んでいるのでしょうか。
春の精が、家々をノックして回ります。
★第二曲目「山笑う」
「山笑う」という日本語の季語は、さすがに、そのまま英語には
訳せませんでした。
直訳しても、分からないでしょうね。
36小節目で、ノックの音だけ弓を使わず、チェロを拳でコツコツと
叩いて頂いたのですが、リハーサルのその音は、とてもドイツ的で、
重々しく荘重でした。
春の妖精(フェアリー)は、「もっと軽く、薄衣を着て飛び回る」と
先生にお話しましたら、こんなに素敵なノックの音になりました。
★Ⅲ 「惜春」
Wehmut über das Ende des Frühlings
Melancholy about the end of spring
山桜の花びらが風に舞います。
春の夕暮れは、いつまでも暮れません。
行く春を惜しむように。
★第3曲目「惜春」
第1曲でビブラートの深く長い音、第2曲でコツコツと
チェロを叩く音を堪能した次は、この第3曲「惜春」
Boettcher 先生は、さりげなく弾いていらっしゃいますが、
拍節感は生命力に満ち、4小節目後半のスタッカートは、
なんと生き生きとしていることでしょうか。
33小節目の最後の音は、「fis」ではなく、「e」が正しいです。
楽譜の初版で、間違っていましたが、重版で訂正されました。
★Ⅳ 「山の神への祈り」
Morgengebet zu den Berggöttern
Morning Prayer to the gods of the mountains
今日一日の安全と山の恵みをいただくよう、朝日を浴びながら、
山に向かい、祈りを捧げます。
★4曲目「山の神への祈り」
昔の日本人は、自然に対する畏敬の念を抱いていたのですね。
曲頭の「G」と「d」の重音の何とも安らぎに満ちた、
優しい鼻濁音のような「音色」を、味わってください。
★Ⅴ-1「田植え歌」
Lied der Reispflanzer
Rice planter song
大地を一歩一歩踏みしめ、
苗を丁寧に植えていきます。
★第5曲Ⅴ-1「田植え歌」
冒頭のritmicoと
7、8小節の
の、メランコリックな legato の対比は、見事です。
★Ⅴ-2「五月雨」
Nieselregen während der Regenzeit im Frühsommer
Drizzle during rainy season in early summer
しとしとと雨は降り、霧に曇る五月の田。
田植え歌が流れます。
★第5曲Ⅴ-2 「五月雨」
梅雨の季節のしとしと雨の情緒は、日本人だけのものと
思っていましたが、 Boettcher 先生の演奏は、広重の浮世絵
のように、雨に煙(けぶ)る、そのしっとりとした湿度まで、
感じられます。
それは、5、6小節目の「d¹」音と「g」音の開放弦の響きが、
醸し出すのでしょうか。
21小節目は、少し趣きが変化します。
Ⅵ「青田波」 Eine feine Brise weht über das saftig grüne Reisfeld
Gentle breeze blowing over a lush green rice field
やさしい初夏の風に、
稲の穂が波のように揺らぎます。
★第6曲「青田波」
「sul ponti celle スル ポンティチェロ(「駒の上で」の意)」、
駒(ブリッジ)近くに、弓を当てて弾く奏法や、
「sul tasto スル タスト(「指板の上で」の意)」、駒から離れた
指板の上を弾く奏法が、曲の後半に現れます。
★「sul pont.」の少しザラザラとした手触りと、
「sul tasto」の、音は弱いものの、違う世界から聴こえるような
感触、この二つのポジションと normal position の組み合わせで、
青々とした田を渡る、透き通った風の色が、どんなに心地よいか、
体感できることでしょう。
★このチェロ組曲第1番は、 Boettcher ベッチャー先生はじめ、
先生のお弟子さんたちを中心に、ヨーロッパで演奏されています。
日本でも少しずつ演奏されるチェリストが出ているようです。
作曲の動機の一つは、先生に日本の自然の素晴らしさを
お伝えしたいと、思ったことでした。
★作曲して10数年たちましたが、日本の美しい風景も変わりました。
この作品で描いた日本の心象風景が、既に現実のものとしては
存在せず、ノスタルジーの彼方に霞んでしまうことのないように
祈っております。
そして、 Boettcher ベッチャー先生のこの上ない演奏を
聴き続けられることを、切望しております。
★Disk Union
【追悼】中村洋子:無伴奏チェロ組曲 GDRL1001&1002
追悼再プレス(SACDハイブリッド)入荷しました。
(Disk Union御茶ノ水店)
W・ベッチャー先生(チェロ)2021年 2月没
杉本一家さん(エンジニア) 2019年10月没
ディスクユニオンにこの名演・名録音を残して下さった
お二人に、心からの感謝と哀悼の意を捧げます。
https://diskunion.net/shop/ct/ocha_classic
★このSACDの録音とマスタリングを、精魂込めてなさって下さった
日本ビクターの late KAZUIE SUGIMOTO 故杉本一家さんにも、
深い感謝と哀惜の念を、禁じ得ません。
★電気の雑音が入らなくなる深夜まで、わざわざスタジオに残り、
通常ではあり得ないほど入念に、じっくりと時間を掛け、
マスタリングをしていただきました。
このSACDは、彼の masterpieceマスターピース、自信作でした。
明るく豪放、そして人一倍細やかな気配り、骨の髄まで音楽、
音楽が大好きだった“杉さん”、このSACDを聴くたびに
彼の笑顔を思い出します。
このSACDは、Boettcher ベッチャー先生と杉本さんという二人の
Maestro マエストロによる合作でした。
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