音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ フルトヴェングラー「 ヘンデルは バッハ と比べると、恣意的で、気まぐれに見える」■

2014-05-03 00:56:35 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ フルトヴェングラー「  ヘンデルは バッハ と比べると、恣意的で、気まぐれに見える」■
   ~ Furtwängler 著 「音と言葉」 より、 BACH 1951 の 訳 No.2~
                    2014.5.3      中村洋子

 




★新緑の眩しい 5月となりました。

先月、Konstantin Lifschitz コンスタンティン・リフシッツ が、

Beethoven  ベートーヴェン(1770~ 1827) の

Violin Sonata ヴァイオリンソナタ No. 4 &10 と、

Brahms ブラームス (1833~1897)の、

Violin Sonata ヴァイオリンソナタ No.1 を、

演奏したコンサートを、聴きました。


★Beethoven の No. 10 を聴いていました時、ふと、

「 このピアニストは、作曲もしている人でしょう 」 と、感じました

綿密な分析に基づいた、評価できる演奏でした。

以前、このブログでご紹介いたしましたが、

Furtwänglerフルトヴェングラーは、

指揮者であるとともに、作曲家でもありました。


Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) も、多くの作品を残し、

 Wilhelm Kempff  ヴィルヘルム・ケンプ ( 1895~1991) 、

Glenn Gould グレン・グールド(1932年 - 1982)も、

同様に、作曲家でもありました。


★指揮者でも、ピアニストでも、チェリストでも、

他のどの分野の演奏家でありましても、超一流の音楽家は、

作曲を学び、作曲もしているのです。

それは、作曲に必要な harmony、 countepoint を使いこなし、

全体を構築する能力を保持している、ということなのです。


★その能力を獲得しなくては、真の演奏家にはなり得ないと、

言えるのかもしれません。






★ Furtwängler フルトヴェングラー ですが、前回に続き、
彼の著作集 「 TON UND WORT  」  「音と言葉」 
        Aufsätze und Vorträge  1918 bis 1954
         Mit 10 Abbildungen und Notenbeispielen  
            F. A. BROCHHAUS・WIESBADEN  1954  の中から
        「 Bach (1951) 」 の続きを、一部ご紹介します。

Bach と同時代の Georg Friedrich Händel 

ヘンデル(1685~1759) と、

Vivaldi ヴィヴァルディ(1678 - 1741)について、

Furtwängler の考え が、書かれています。

★Die Historiker wollen uns manchmal erzählen, daß
selbst ein Reise wie Bach,in seine Zeit gestellt, mit ihr
verglichen und von ihr aus gesehen, das Überlebens-
große,das ihm für uns anhaftet,verliere,Mensch unter
Menschen,Einerーwenn auch immer ein Großerーunter 
den Vielen seiner Zeit würde.

 

(私の試訳)
歴史家はときどき、次のように主張しています。
バッハの時代にまでさかのぼって見てみると、確かに、
バッハはその時代の作曲家の中で、偉大な一人ではあるものの、
重要な作曲家の一人に過ぎないようにみえる。
過大に、評価され過ぎているようです。
彼にも欠点が有り、それゆえ、その偉大さは少し、
差し引くべきでしょう。

 
(新潮社訳)
音楽史家はよく我々に、バッハのような巨人も彼の時代に置いて見、
その時代と比較し、その時代から眺めてみると、我々にとって
彼の背光をなしていると思われる超人的な偉大さは失われてしまう、
ーそしてバッハも多くの人間の中の人間であり、-たとえ偉大である
ことにおいては相違ないとしても、-彼の時代を構成していた多くの
作曲家の一人であった、ということになる、と説き伏せようとします。



★Das Gegenteil scheint mir der Fall.
Nie wird uns die stauenswerte Überlegenheit Bachscher Musik klarer,
nie ist der Unterscheid dessen,was nachweisbar aus seiner Hand kommt,
gegenüber den Werken der anderen mehr mit Händen zu greifen,
als wenn man ihn mit Schöpfen seiner Zeit und Umgebung vergleich,
etwa Vivaldi,von dem er viel übernommen und bearbeitet hat.

 

(私の試訳)
この歴史家の Bach に対する考え方は、私の Bach 観とは、
全く正反対のようです。
Bach バッハの、正真正銘の作品であると証明できる作品は、
Bach と同時代だった多くの作曲家の作品と比べ、 驚くべき価値があり、
卓越したものである、ということは明白である。
Bach  バッハが多大な影響を受け、そして、その作品の編曲もしている
Vivaldi ヴィヴァルディも、そうした同時代の Schöpfen (creaters)
の一人ではあります。


(新潮社訳)
が私にはそれはまさしく反対であったと思われます。
すなわち彼を彼の時代の周囲の作曲家、例えばヴィヴァルディ、
-バッハは彼から多くの素材を取り入れ、また多くの編曲を
試みているのですが、-そういう人たちと比較してみると、
その時ほど、バッハの音楽の驚くべき優越さがはっきりし、
バッハの手になると推定される作品と、
他の人による作品と、他の人による作曲との対立する相違が
一目瞭然としてくることはありません。









★Selbst das strahlende Musizieren des großen Händel wirkt
seltsam willkürlich,seltsam launisch neben der stillen,
unbeirrbarorganischen  Konsequenz Bachschen Musikdenkens.

(私の試訳)
偉大なヘンデルの、輝くばかりの素晴しい音楽ですら、
バッハの揺らぎようのない有機性、徹底した音楽思考に比べますと、
不思議に、恣意的で、気まぐれに見えます。

(新潮社訳)
あの偉大なヘンデルの輝かしい作曲すら、静かな、不動にして
迷うことを知らぬバッハの作曲的思惟の格調のそばに置いてみると、
おかしいほど恣意的に思われ、ひどく気まぐれなものに
みえてくるのはふしぎです。


偉大な Händel  ヘンデルの偉大さを、誰よりも知っていたのは、

Furtwängler だったと、思います。

その Furtwängler が、≪ Bach  バッハ  と比べると、

Händel  ヘンデルは、恣意的で、気まぐれに見えます≫と、

言い切っています。

その言葉の重さに、感動いたします。


≪unbeirrbarorganischen≫  は、

英語の ≪ unwavering organic ≫ に対応し、

≪ 揺らぎようのない有機性 ≫、という意味です。

具体的には、 ≪ 譬えて言いますと、一つの煉瓦から、巨大なピラミッドを、

どのように構築していくか、ということです。

最少の motif モティーフを、 countepoint 対位法 、harmony という

クラシック音楽の 「 根幹の設計図 」 に基づき、

少しづつ発展させ、組み合わせ、巨大な宇宙の構築にまで、

発展させる方法論のことを、指します。≫










★残念ながら、この新潮社訳は、大切なキーワードである

≪unbeirrbarorganischen≫ を、「 格調 」 と訳しています。

結局、クラシック音楽がどういうものか、理解されていないため、

≪unbeirrbarorganischen≫ という語の、

意味と重要さを把握できず、

「 格調 」 という曖昧模糊とした、

明らかに、誤った言葉に置き換えてしまっています。


★これと同様のことは、現在の日本人のクラシック演奏にも、

当てはまる場合が、多いようです。

演奏する曲の、徹底的な分析をしないまま、

あるいは、分析することができないため、

つまり、設計図なしで、一種のムード音楽的に演奏する

“ 格調高き ” 演奏が、かなり多いように、見受けられます。


★また、最近のピアノなどの鍵盤楽器、弦楽器の演奏会で、

Bach  バッハの曲を取り上げることが、

激減しているように思えるのは、気のせいでしょうか。

正面から、 Bach  バッハに “ 挑む ” ということを、

避けているようにも、見受けられます。

残念なことです。

 



 

★私の作品の CD 「 無伴奏チェロ組曲 4、 5、 6番 」

Wolfgang  Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏は、

disk Union、全国の主要CDショップや amazon でも、

ご注文できます

 


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