■Bach平均律1巻1番フーガ主題の「付点八分音符」は、推敲の極致 ■
~アウスリーベは、全編「不完全小節」、これが歌の呼吸と一致~
2025.5.31 中村洋子
★前回ブログでは、ご紹介しました岩波書店の
【芭蕉自筆 奥の細道】が、品切れになっていることに驚き、
嘆かわしいことだ、と書きました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b263728.html
その後、ブログ読者の方から、「同書は文庫化されている」
というお知らせを頂きました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b297934.html
★品切れの単行本は、原寸大の自筆ですので迫力があります。
「月日は百代の過客にして行きかふ」という一行目を見ますと、
「にして行きかふ」の部分には、和紙を張った跡が分かります。
つまり、元の文章の上に和紙を張って「にして行きかふ」と
推敲して書き直しているのです。
文庫本でも、この推敲の跡が、はっきりと分かるといいですね。
★楽譜の「自筆譜」ファクシミリは、殆ど原寸大で出版されており、
紙の一部に、何かの理由で穴が開いていれば、その通りに
ファクシミリの紙に穴を開けており、至れり尽くせりです。
ここまで厳密ですと、当然のことですが高価になります。
原寸大は、その迫力と作者の気迫に圧倒され、
思わず、居ずまいを正します。
廉価ミニチュア版も、時々見かけますが、残念ながら、
原寸大のような感動は伝わりません。
★【芭蕉自筆 奥の細道】は、おそらく決定稿に近い浄書でしょうが、
それでも更に、推敲に推敲を重ねる創作者としての態度は、
J. S. Bach バッハが、「平均律クラヴィーア曲集1巻」に向き合う
態度と全く、同じものを感じます。
5月初めの新緑
★最も分かり易い例は、「平均律クラヴィーア曲集1巻1番フーガ」
の「主題」に付けられた、≪付点八分音符≫の存在でしょう。
★この「1番のフーガ」の「主題」が、これです。
「主題」の3拍目冒頭は、フーガ全曲にわたって「付点八分音符」
となっています。
★しかし、Bachが最終的に≪付点八分音符≫とする前は、実は、
「主題」の3拍目は、≪八分音符≫だったのです。
★≪付点八分音符≫となった決定稿の部分を、写譜してみましたが、
赤い部分の「付点」と「符鉤(ふこう)」が、Bachの推敲により、
書き足されたものです。
勿論、「自筆譜」ファクシミリでは、この部分は赤く書かれては
いませんが、この部分だけ、墨の色が飛び切り黒くなっており、
一目で、後から書き直したものである、と判断できます。
わかり易く見ていただくために、あえて「赤」で書きました。
★実際は、フーガ全曲にわたって、「主題」の該当部分が、
全て濃いペンで、黒々と「付点」と「符鉤」が加えられています。
推敲以前の、やや薄い墨の色とは異なることが、一目瞭然です。
★余談ですが、「符鉤(ふこう)」という語は、ほとんどお目にかからない
難しい日本語ですね。
英語では「hook」、先の曲がった鉤(かぎ)、留め金、フック。
独語では「Fahne」で、旗(その英訳はflag)の意味、
仏語では「crochet」で、鉤(かぎ)です。
つまり、音符の符尾につけられた≪旗≫を意味します。
日本語の「符鉤」は、英、仏語の「鉤」の訳で、難解です。
原語の「旗」又は「フック」で、十分のようにも思えます。
英独仏の簡潔な言葉を、日本語訳では、日常で使われていない
漢字を当てているため、具体的なイメージ、実感が湧きません。
こんな事も、クラシック音楽は「難しい」とされる一因かもしれません。
結実し始めた葡萄
★本題に戻りますが、Bach「平均律クラヴィーア曲集1巻」の
「自筆譜」は、ほれぼれする雄渾な筆致で浄書され、これで完璧と、
誰しも思うでしょう。
しかし、Bachは、更に「一番フーガ」に、推敲の手を入れました。
松尾芭蕉「奥の細道」と、同じです。
★推敲前の1番フーガは、緊密な構成でありながら、泰然自若、
明るくゆったりとのびやかな音楽です。
ところが、この推敲、つまり付点を書き加え、その結果、
二つの十六分音符が三十二分音符に変更されたことにより、
明るさの明度が眩しいほどに増し、「ゆったり、のびやか」が
「凝縮した密度と緊張感」へと変化しました。
1番の「プレリュード」&「フーガ」は、エヴェレストの高峰が、
煌めく朝日を浴び、お互いを照らし合うような、
神々しいまでの曲となりました。
★ちなみに、Bachの「自筆譜」は、どれも「端正」にして「剛毅」、
「流麗」な音楽が、楽譜からあふれ出る様に美しい筆致です。
★≪端正≫の意味は、Bachの場合、上声と下声の拍の「縦の線」が
≪完全に一致している≫、ということです。
「1番フーガ」の、例えば20小節を見てみましょう。
20小節は「四声」で書かれており、ソプラノ、アルト、テノール、
バス、すべての「縦の拍」は、斜めになることなく、垂直に
きれいに一直線となっています。
★しかし、Bachは入魂の推敲で、「主題」の3拍目冒頭を、
「八分音符」から≪付点八分音符≫に替え、その後の二つの
「十六分音符」を、「三十二分音符」に変更しました。
それによって、「一直線の縦の拍」は、≪垂直ではなくなりました≫。
推敲前は、このような楽譜でした。
★入魂の推敲を反映すべく、浄書された楽譜全体を、またすべて
書き直すのは、Bach先生にしても無理だったのでしょう。
既に書き上げた楽譜に、≪付点≫と≪符鉤≫を書き加えました。
その結果は、こうなりました。
★松尾芭蕉の「奥の細道」は、「ほぼ完成稿」に更に和紙を貼って
推敲を重ねました。
Bachは美しく浄書された、ほぼ完成した稿に、更に、推敲の
「付点」と「符鈎」を加えました。
その為、美しい浄書楽譜の「上下の垂直線」はやや乱れました。
しかし、まさにそのお陰で、後世の私たちは、Bachの飽くなき
推敲の跡が手に取るように分かりました。
前回ブログでは、バッハの「不完全小節」と、芭蕉の深い意味のある
「行替え」の意味について書きました。
地球の裏と表の、40年ほどの差があるものの同じ時を生きた、
文学と音楽の大天才が、どれだけ心血を注いだか、その軌跡を
後世の私たちが辿ることができるのは、僥倖でしょう。
★この感動は、校訂者の手の入った、現代の実用譜では
到底、得られません。
「奥の細道」についても、同様でしょう。
私は、その感動を得るため、高価ですが「自筆譜」ファクシミリで、
こつこつ勉強しています。
本物の感動のある人生ほど、楽しいものはないからです。
大山蓮華の花
★バッハの「不完全小節」について、もう少し深めていきましょう。
「平均律クラヴィーア曲集1巻1番」プレリュードの不完全小節に
つきましては、前回ブログで少しだけお話いたしました。
それでは「平均律クラヴィーア曲集」の様な「鍵盤楽器の作品」
でない曲は、どうなのでしょうか?
★一例として、Bach「Matthäus-Passion マタイ受難曲」の、
第49番≪Aus Liebe ~愛ゆえに≫を、見てみましょう。
「Sopranoソプラノ」と、「FlautoⅠフルート」、「Oboe da caccia
オーボエ・ダ・カッチャⅠ、Ⅱ」による、美しい美しい声楽曲です。
大変に有名な曲です。
12小節に及ぶ、長いフルートとオーボエ・ダ・カッチャの前奏の後、
ソプラノが、切々と歌い始めます。
≪Aus Liebe will mein Heiland sterben.
愛ゆえに私の救い主(イエス)は死のうとなさっています。≫
★縦長の大きい「自筆譜」ファクシミリを見ますと、110、111、及び
112ぺージの1段目までの、「2ページと1段」に書き込まれています。
その中に段が替わる際の「不完全小節」はどのくらいあるのでしょうか。
Aus Liebeは、四分の三拍子、即ち1小節は四分音符3拍分です。
1段目の最後の小節、6小節目は完全小節ですが、
2段目は7小節~12小節「1拍目」まで。
3段目は12小節2拍目~17小節「2拍目」まで。
4段目は17小節3拍目~23小節「1拍目」まで。
5段目は23小節2拍目~29小節「2拍目」まで。
★2ページ目。
1段目は29小節3拍目~35小節「2拍目」まで。
2段目は35小節3拍目~41小節「2拍目」まで。
3段目は41小節3拍目~46小節「3拍目」まで。
4段目は47小節1拍目~52小節「2拍目」まで。
5段目は52小節3拍目~57小節「3拍目」まで。
最後3ページ目は、
1段目が58~62小節、62小節から最後の74小節までは、
前奏の反復ですので、Bachは省略しています。
★各ページ、各段の冒頭(左端)と最後(右端)が
「完全小節」か「不完全小節」なのかを、まとめてみます。
1ぺージ
1段目 「完全小節」+ 「完全小節」
2段目 「完全小節」+ 「不完全小節」
3段目 「不完全小節」+「不完全小節」
4段目 「不完全小節」+「不完全小節」
5段目 「不完全小節」+「不完全小節」
2ぺージ
1段目 「不完全小節」+「不完全小節」
2段目 「不完全小節」+「不完全小節」
3段目 「不完全小節」+ 「完全小節」
4段目 「完全小節」+ 「不完全小節」
5段目 「不完全小節」+ 「完全小節」
3ぺージ
1段目 「完全小節」+「完全小節」
★この様に≪Aus Liebe≫の「自筆譜」で、冒頭と最後の小節が、
共に「完全小節」であるのは、曲の冒頭1ぺージ1段目と、
曲の最後3ぺージ1段目だけです。
Bachはこの名曲を、杓子定規な教科書のように、完全小節だけの、
「強-弱-弱」の堅苦しい記譜には、決してしていません。
★種明かしをしますと、Bachのどの楽器の分野の作品でも、
「不完全小節」が多用され、それがBachの音楽を≪人の呼吸≫の
ように、≪生きた音楽≫にしているのです。
≪Aus Liebe≫は、「罪を一つも知らないイエスが死のうと
なさっている」という深い慟哭を、切々と、歌っています。
Bachの声楽曲の場合、特にドイツ語と「不完全小節」は
深い、つながりがあります。
★例えば、1ぺージ4段目は17小節3拍目、不完全小節から
始まりますが、17小節3拍目の歌詞は「aus」、続く18小節1拍目の
歌詞は「Liebe」です。
ドイツ語の「aus」(アオス)は「・・の中から」という意味の前置詞。
「Liebe」(リーベ)は、「愛 Love」という意味。
ドイツ語の「Liebe」の英訳は、「Love」で間違いないのですが、
「aus」にぴったり対応する英語は、なかなか見つけにくいです。
「aus Liebe」の英訳は 、「for love」ですが、
元々「aus」(アオス)の「・・・の中から」に、
「空間の内部から外に出る」というニュアンスがあります。
★球体、地球をイメージしますと、「aus Liebe」の「aus」は、
「地表から」ではなく、「球体、地球」の深い内部から外に出る
イメージでしょうか。
イエスの内奥から、愛がほとばしっているように、前置詞「aus」は
重要ですが、「何がほとばしっている」のかといえば、「愛」である、
というBachのメッセージが込められているのでしょう。
「aus」を17小節3拍目に配置し、それが「Auftakt アウフタクト」
となり、18小節1拍目、強拍の「Liebe」に覆いかぶさるように
歌われるのです。
不完全小節から始まる、1ぺージ4段目の17小節3拍目の意味は、
そこにあります。
★「aus Liebe」の「不完全小節」は、歌の呼吸と一致している
ところが多いのです。
「平均律1巻1番」プレリュード&フーガの「不完全小節」は、
テーマやモティーフを各段の冒頭や末尾に配置することによって
全体の構成を一目で見渡せるようにするために、不完全小節を
駆使します。
それを、さらに深く読み込みますと、その不完全小節の箇所が、
人の呼吸、歌の呼吸と一致していることも分かります。
Bachの曲が、かくも多くの人を魅了し続けている理由でしょう。
祭りの夜店
※copyright © Yoko Nakamura
All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲