■平均律クラヴィーア曲集 8番の前奏曲とフーガは、なぜ異名同音調か?■
2010.10.10 中村洋子
★10月8日開催の 「 バッハ・平均律アナリーゼ講座 」 は、
いつにも増して、たくさんの方がご参加くださいました。
みなさま、それぞれの疑問をおもちになって、
ご来場されたと、思います。
★バッハが、なぜ 8番を
≪ 前奏曲は変ホ短調、フーガを嬰ニ短調 ≫ で、書いたか?
これは、平均律を学ぶ方にとって、誰しもが抱く疑問ですね。
それについて、日本で出版されている、
最も有名な“ 平均律クラヴィーア曲集解説本 ”は、
マックス・レーガーの弟子だった、
Helmann Keller ヘルマン・ケラー( 1885~1967 )という、
ドイツの音楽学者の説を、引用して、
次のように書いているだけです。
★『 バッハは、このフーガを、まず d moll で作曲し、
それを、半音高い dis moll に書き改めた。
しかし 15、16小節 上声の上行する8分音符行の頂上音
( 16小節最初の音 )の際、当時の楽器の音域の制約のため、
タイで結ばれた現今のように処理せざるをえなかった。
こんにちのわれわれにとっては、この操作がもはや価値を
有していないので、上述の箇所を本来のままで再生しても
差支えない 』。
( 日本語が、変なことはさておき )、
これでは、全く説明になっていませんね。
★この前奏曲とフーガが、たとえ、既にあった曲を使って、
作曲し直したとしても、バッハはなぜ、
平均律の他の曲のように、「 変ホ短調 」 に統一するか、
あるいは 「 嬰ニ短調 」 に統一する、
ということをしなかったのか・・・?、
そういう疑問が、当然のこととして、沸々と湧き上がります。
しかし、それに対する答えは、解説書には、ありません。
★講座では、この問題について、私が考え抜いた
本当の理由を、詳しく、解説いたしました。
皆さま、きっと、ご納得されたことでしょう。
★平均律クラヴィーア曲集を、一つの大きな
≪ 変奏曲 ≫ として、眺めますと、当然、
≪ 前奏曲は変ホ短調、フーガを嬰ニ短調 ≫ と、
なるべくして、なっているのです。
逆に、言えば、
≪ 前奏曲は変ホ短調、フーガは嬰ニ短調 ≫ でなければ、
≪ 一つの大きな 変奏曲 ≫ には、ならないのです。
その意味で、平均律 1巻における 7番、8番、9番の、
関連性を、さらに、詳しく検証する必要があります。
★次回、11月16日の 「 講座 」では、
この異名同音調をもつ、≪ 第 8番 の調性 ≫ について、
≪ 第 9番からの視線 ≫ で、
もう一度、分かりやすくお話いたします。
★これが、 ≪ 「調性」や「調号」とは、一体何なのか ≫、
という疑問に対する、
根源的な説明にもなると、思います。
「 ああ、そうだったのか! 」 と、驚かれ、その結果、
バッハを、よりいっそう、身近に、
感じることが、できるようになるでしょう。
★私は大学で、フランス音楽を専門とする、
学者の授業を、取りました。
「 ラヴェルのオーケストラ曲 RAPSODIE ESPAGNOLEを、
一年間かけて、考察する 」 ということでした。
大いに期待して、教室に出かけました。
が、次のような、内容でした。
★ 1曲目「 Prelude a la nuit 」 4小節目 1拍目の、
「 Dをチェロとコントラバス、F をヴィオラとヴァイオリン、
GisとB をハープ、AsとB をクラリネット、
F をオーボエ、AsとB をフルート 」と、
オーケストラスコアを、子細に見れば分かることを、
黒板に、書き写すだけでした。
それを延々と続けることだけが、授業でした。
★どの音を、どの楽器が担当しているかは、
スコアを見れば、誰でも、分かることです。
しかし、それが 「 授業 」 として成り立ち、
昔から、延々と続いているのが、現在の、
日本の一流音大の、実態なのです。
★≪ なぜ、ラヴェルが、Dをチェロとコントラバスで弾かせ、
Fをヴィオラとヴァイオリンで、弾かせたか?
その逆は、なぜ駄目なのか?
ラヴェルの意図は、どこにあるのか? ≫ を、
学生に説明したり、ヒントを与えるのが、
本来の授業であると、思いますが、
それは、全く、ありませんでした。
ラヴェルの個人的なエピソードや、海外の文献などには、
お詳しくても、
ラヴェルの音楽そのものが、どのようなものであり、
どのように、出来ているかは、分析できないのでしょう。
★日本で有名な、もうひとつの、対談式
“ 平均律クラヴィーア曲集解説書 ”には、
8番について、以下のように評価しています。
★『 このプレリュード、フーガは、
平均律全48曲中一番の傑作だとか、 崇高な音楽だとか
哲学的であるとか言われているけれども、私はどうも
過大評価されているんじゃないかという気がします 』、
『 このフーガは書き込みすぎていてね ・・・』、
『 このフーガの魅力は主題だけです 』、
『 このフーガの弱点は、ストレッタが長すぎることと、
和音のヴァラエティーが少ないことです 』、
『 一種独特のしつこさみたいなものを、
おぼろげながら感じてた・・・ 』。
★バッハ 「 直筆譜 」 を広げ、
「楽譜の段落分け ( レイアウト ) 」 を、
つぶさに見ますと、
私は、このフーガが、なんと緻密で、整然と構成され、
若いお弟子さんや子供たちが、作曲の技法を学ぶうえで、
教材として、申し分なく、
さらに、視覚的にも、分かりやすく書かれていることか・・・、
と、見るたびに、いつも感動しております。
★少し、例を挙げますと、
フーガ 1ページ目の 1段目と2段目は、主題の 「 提示部 」 が、
「 ピッタリと 」と、2段で納まるように、書き込まれています。
しかし、次の 3段目は、なんと、10小節目の
「 真ん中 」 の場所から、始まっています。
それは、 ≪ 3段目冒頭、つまり、10小節目 後半のバスが、
11小節目バスのアウフタクトである ≫ ということを、
視覚的に、一目瞭然で分かってもらえるよう、
敢えて、常識はずれの場所から、3段目を始めていたのです。
★換言すれば、
≪ここから、バスの半音階下行形進行が、始まるよ! ≫と、
バッハ先生は、楽譜を見ただけで分かるように、
本当に親切に親切に、合図しているのです。
★4段目も、14小節目の 「 真ん中 」 から、始まっています。
これも、同様に、常識外れの場所です。
アウフタクトであることを、示すことにより、
ソプラノに 、
≪ ここから、全音階の上行進行が始まるよ! ≫ と、
知らせているのです。
★3段目と 4段目は、半音階と全音階という、
対極的な音階を並べ、対照させています。
演奏するうえでも、作曲技法を学ぶうえでも、
平易で分かり易く、最良の道標と、いえます。
★5段目は、今度は、19小節目の 「 初め 」 から、
開始します。
この小節は、前半が 「 嬰ニ短調 」 の属調である
「 嬰イ短調 」 のカデンツです。
後半は、「 嬰イ短調 」 のバスで始まるテーマを、
「 ストレッタ 」 により、
4分音符の2拍分遅れで、
ソプラノのテーマ ( 20小節目 ) が、
追い掛けていきます。
★奏者は、3段目、4段目の出だしで意表を突かれたため、
次の、≪ 4段目は、何が来るのかしら? ≫
という心理に、なっています。
バッハは、ここでも、「 レイアウト 」 により、一目で、
≪ 新しく始まるのは 「 ストレッタ 」 だよ ≫ と、
分かるよう、親切に、教えているのです。
★バッハの死後、19世紀ごろ ( 定説なし ) に、
学校で教える典型的なフーガの、「 雛型 」 として
≪ 規範フーガ ( 学習フーガ )≫ という形式が、
ほぼ、確立されたようです。
★上記の対談方式の解説書の著者は、
「 規範フーガ 」 に、当てはまらない、という理由から、
この平均律 8番や 1番のフーガを、
単純に、否定しているようです。
★「 規範フーガ 」 では、
ストレッタは、フーガがほぼ 3分の 2以上、
進行したところから始めるべき、とされています。
曲の前半で、登場させるべきものではない、
というのが、決まりです。
そして、ストレッタの初めは、
テーマとテーマが重なる部分(オーバーラップ)を、
少なくし、ストレッタの回数を重ねた後 、
オーバーラップを、多くしていき、
緊迫感を、盛り上げていく・・・。
これが、“ 規範フーガの理想 ” と、されています。
★ 8番や、1番のように、曲の前半からいきなり、
オーバーラップの多い、緊密なストレッタが、
登場するのは、 “ 許しがたい ” ことのようです。
★しかし、「 規範フーガ 」 は、バッハの後に生まれたもので、
8番、1番 にこそ、バッハの天才が、
見事に発露されていると、思います。
★エドウィン・フィッシャーや、ヴィルヘルム・ケンプの、
珠玉の演奏を、CDで聴きますと、
≪ この曲が終わらないで、無限に続いて欲しい ≫
とまで、思います。
どうして “ ストレッタが長すぎる ”
という言葉が、出るのでしょうか?
★どうぞ、日本語の解説本や、CDのブックレット解説、
さらに、インターネットにはびこる、
したり顔の解説や孫引きに、惑わされ、
振り回されないでください。
ご自分の感性を信じ、ご自分で、
バッハの本質に迫る方法を、
切り拓いていくしか、ないのです。
有名大学や書籍などの権威を、盲信しないでください。
そうすれば、親切なバッハ先生が、あなたに、
やさしく直接、手を差し伸べてくれるのです。
( キノコ、トンボ、朝顔、萱釣り草、アウスリーベ・テーゲベック )
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