音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ 規範フーガについて、その2 ■■

2008-10-03 00:33:27 | ■私のアナリーゼ講座■
■■ 規範フーガについて、その2 ■■
            08.10.3 中村洋子


★9月30日の第3回「バッハ・インヴェンションアナリーゼ講座」は、

熱心な皆さまがたくさんご出席され、おおいに盛り上がりました。

感謝申し上げます。


★インヴェンションとシンフォニアの「各3番」には、

中間部で、共通のモティーフによるカノンが登場してきます。

面白いことに、インヴェンション(1720~23ころ作曲)の

数年前に完成された「ブランデンブルグ協奏曲」(1718年ころ作曲)に、

そのカノンに、極めて類似したモティーフが、登場し、

同じ様に展開されています。


★このことから、シンフォニアの3番は、室内オーケストラを

イメージして、演奏すると、色彩豊かないきいきした音楽になります。


★また、「規範フーガ」という形式を、念頭におきながら、

この「シンフォニア3番」の形式を、検討してみますと、

第一提示部、第一嬉遊部、第二提示部、第二嬉遊部、は、

そのまま、規範フーガの様式に、当て嵌めることができます。

しかし、第三提示部は、規範フーガのような順番ではなく、

曲の後半に、極めて効果的、かつ、独創的に挿入されています。


★「規範フーガ」が、フランスで歴史的にどのように

学ばれきたか、少し、その歴史を見てみます。

私の所有しますテオドール・デュボア(Theodore Dubois)の

「Traite de Contrepoint et de Fugue」の巻末によりますと、

パリ・コンセルバトワールの試験(コンクール)に、

出題された規範フーガ(Fugue d'ecole)の一番古いものは、

1818年のケルビーニ(Cherubini)のものです。


★その後コンクールに出された、興味深いテーマ(主題)としては、

トマ(Thomas)が1872年に出題したものや、

1896年のサンサーンス(Saint-Saens)のものが、見受けられます。


★別のページには、ローマ大賞(le Grand Prix de Rome)で、

出題された主題集も、掲載されています。

(ちなみに、ドビュッシーはローマ大賞を受賞して、ローマに留学、

しかし、ラヴェルは、受賞できなかった、という歴史があります)。

その一番古いものは、1804年です。

1843年のオンスロー(Onslow)、1879年のマスネー(Massenet)、

1882年のグノー(Gounod)などが見られます。


★この著者のデュボア(1837-1924)は、

フォーレの前任のパリ・コンセルバトワール院長です。

この「Traite de Contrepoint et de Fugue」が、書かれた後も、

ラヴェルの先生であるジェダルジュ(Gedalge)や、フォーレ(Foure)が、

規範フーガの主題を、コンクールで出題しています。


★お分かりのように、当時のフランスの主要な作曲家が、

ほとんど全員、顔を出しています。

ショパンとシューマンが生まれましたのが1810年ですから、

ロマン派前後から、プロフェッショナルの作曲家は、

最低限の条件として、この規範フーガの修練を積んでいる、

ということが、言えそうです。

さらに、優秀な演奏家も、ほぼ同じ訓練を、

受けていると、見ていいでしょう。


★ヨーロッパのクラシック音楽は、

このような基礎的修練の厚みの上に、成り立っていることを

知ることも、重要であると思います。


★次回の第4回「インヴェンション講座」は、各4番です。

バルトークの「ミクロコスモス2巻」との関連についても

お話いたします。

10月29日(水)午前10時~午後12時半です。


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