■ナショナル・エディション エキエル版 のショパン・バラード 2番は、ショパンの意図どおりか?ー③■ ~ バラード 2番、46小節目 「 フェルマータ 」 の意味するもの ~ 2011・8・16 中村洋子
★ 「 Andantino アンダンティーノ 」 で始まった
「 Chopin・Ballade Nr.2 ショパン・バラード 2番 」 の、
第 1部は、46小節で終わり、47小節からは、
「 Presto con fuoco プレスト・コン・フオーコ 」
( 火のようなプレスト ) となります。
★ 「 ショパン自筆譜 」 では、
その 46小節目から 47小節目にかけ、
二つの fermata フェルマータが、書かれています。
46小節目は、最初に左手の 「 F 」 から始まり、
それは、 「 F F C F A C F 」 という、
分散和音です。
指定はありませんが、おそらく、
「 A (かたかなイ音 ) C( 1点ハ音 ) F( 1点ヘ音 )」 は、
右手で弾き、その後、 「 A ( 1点 イ音 ) 」 による
repeated notes が、6個 置かれます。
★一つ目の 「 フェルマータ 」 は、高音部譜表
( 大譜表の上段 ) の、6個目の 「 A 」 の符尾の、
ほんの少し右側 ( 小節線寄り ) に、書き込まれ、
最後尾は、小節線にまで、達しています。
形は、押し潰されたような、方物線に近い形です。
★ショパンは、大譜表の小節線を書く際、
高音部譜表から低音部譜表まで、一本の線で、
一気に、書き下ろすことをせずに、
高音部譜表は高音部譜表、低音部譜表は低音部譜表の、
領域内だけに、縦線を書いています。
そのため、高音部譜表と低音部譜表との間は、空白です。
★もう一つの 「 フェルマータ 」 は、
低音部譜表の 46小節と 47小節の間の、
「 小節線 」 の真上に、あります。
力強く描かれ、形はほぼ半球型です。
二つの、フェルマータの黒丸の位置は、
はっきりと、ずれています。
★この精緻なショパン自筆譜を、見ておりますと、
乱雑に、あるいは、急いで書いたために、
二つのフェルマータの位置がずれている、とは、
とても、思えません。
★二つのフェルマータは、異なった役割を担っているのです。
「 repeated note A の上のフェルマータ 」 は、一般的な定義である
「 その音を引き伸ばす 」 という、意味です。
低音部譜表の小節線の上にある 「 フェルマータ 」 は、
「音楽の一つのまとまり」 が、そこで終わったという印です。
その具体例として、バッハのコラールで、フレーズの最後の音に、
フェルマータが付されているのが、大変よく見受けられます。
★また、複数のフレーズによって作られる、
もっと大きな、音楽のまとまりの最後の部分に、
フェルマータが、置かれることも、あります。
★「 平均律クラヴィーア曲集 」 の、 「 プレリュード」 の、
終止線の上と下に、フェルマータが置かれ、
それに続く 「 フーガ 」 の、終止線の、
上下にも、フェルマータを、バッハは必ず書いています。
★プレリュードとフーガで、1曲を構成しますので、
プレリュードが終わった後の、フェルマータは、
前半部の終了記号、という位置づけになります。
フーガ終了時のフェルマータは、曲の終了を意味します。
★バラード 2番の場合、低音部譜表のフェルマータは、
曲の最初の大きな部分が、終了することを、演奏者に知らせ、
次の 「 Presto con fuoco 」 への突入の “合図” です。
★この自筆譜は、1ページを 「 5段 」 の譜割りで、
記譜していますが、素晴らしいことに、
3段目は、 43小節目から 47小節目までの 5小節が、
書かれています。
その結果、 「 46、47小節目 」 が、1段に収められ、
「 Presto con fuoco 」 の始まりの、47小節目は、
3段目の右端に、置かれています。
★私が所有しています実用譜は、すべて、
46小節目を、段の右端に置き、
47小節目から、次の段を始めています。
これは、 “ 曲が次の Presto con fuoco に移るから、
段を改めるべきである ” という、
単純な、思い込みによるものでしょう。
楽譜を、小奇麗に整えたい、ということもあるでしょう。
★なぜ、ショパンが実用譜のように整った形で、書かなかったか・・・?
実は、ここにこそ、ショパンのフレージングの妙味が、存在するのです。
この曲が、傑作である所以の一つでもあるのです。
詳しいご説明は、31日のアナリーゼ講座で、いたします。
★このフェルマータを、エキエル版をはじめとする、
実用譜で、どのように記載しているか、見てみます。
★National Edition EKIER エキエル版では、
46小節と 47小節の間の小節線の、真上と真下に
フェルマータが、書かれています。
下のフェルマータは、形が上下逆に、ひっくり返った形状です。
この二つのフェルマータは、音符の上にないため、
楽曲の区切りという意味しか、表していません。
★右手の 「 A ( 1点 イ音 ) を引き伸ばして欲しい 」 という、
ショパンの意図は、見事に無視されています。
“ 44小節目から 46小節目終わりまで、 「 smorzando 」
( 段々とゆっくり、そして弱く ) があるため、
最後の 「 A ( 1点 イ音 ) 」 は、結果として引き伸ばされるので、
フェルマータと同じ効果となる ” と、弁明されるかもしれません。
★しかし、自筆譜では、「 smorzando 」 は、
最後の 「 A 」 の一つ手前までしか、 「 ‐ ‐ ‐ 」 が、
書かれていません。
ところが、 EKIER エキエル版は、
「 smorzando 」 の 「 ‐ ‐ ‐ 」 を、
最後の、「 A 」 まで、延ばして書いています。
「 smorzando 」 によって引き伸ばされた 「 A 」 も、
フェルマータによって伸ばされた 「 A 」 も、時間的長さは、
同じかもしれませんが、前者は、ゆっくりと刻まれた拍子の上に、
奏せられる音で、後者は、そこで一度、拍子の刻みを止めることから、
演奏上、大きな違いとなって現れます。
★この大雑把な記譜を見ますと、エキエル版を Urtext とするのは、
無理がある、といえるでしょう。
★ちなみに、PETERS ペータース版 ( A New Critical Edtion
= Jim Samson ) は、右手 「 A 」 の上に、
小さくフェルマータを一つ、記載しているのみです。
楽曲を分ける意味のフェルマータは、記載されていません。
★PADEREWSKI パデレフスキ版は、エキエル版と同様に、
小節線の上下にフェルマータが、記されていますが、
小節線が、複縦線となっています。
「 smorzando 」 の 「 ‐ ‐ ‐ 」 の、
最後の 「 ‐ 」 の位置は、ショパンの、自筆譜どおりです。
この版は、音楽の区切りとしてのフェルマータを、
強調しているようです。
★MIKULI ミクリ版は、右手最後の 「 A ( 1点 イ音 ) 」 の上 に、
小さなフェルマータが記載され、最初のアルペジオで奏された
「 A ( かたかな イ音 = 1点 イ音 の 1オクターブ下 ) 」 を、
バスとする和音の下に、大きなフェルマータを、書いています。
この版は、 「 F dur の主和音(トニック) 」 を、長く引き伸ばす、
という意図が、色濃く出ています。
★ CORTOT コルトー版は、最後の 「 A ( 1点 イ音 )」 の上にのみ、
フェルマータが、記されていますが、
それに続く小節線を、音楽の区切りを表す
「 複縦線 」 としていますので、自筆譜のフェルマータの意味に、
ある程度、近いかもしれません。
★このように、見てきますと、現在、
本当の意味での 「 Urtext 」 は、存在しないようです。
※参照:以前のブログ記事です。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/0b34c43946486f6bdb1578753ef22ab9
※copyright ©Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたしま▽△▼▲