音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「まだクラシック音楽界も捨てたものではない」との書評を頂きました■

2016-02-19 23:59:43 | ■私の作品について■

■「まだクラシック音楽界も捨てたものではない」との書評を頂きました■
             2016.2.19      中村洋子

 

 


★私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫

書評が、アマゾンのカスタマーレビュー欄に、新たに投稿されました。

大変に好意的な内容ですので、ご紹介いたします。


★真に音楽を理解し楽しむ為の鍵がここに在る
2016年2月18日

・音を楽しむと書いて音楽。楽しくないのは音楽じゃないとばかり、軽佻浮薄な流行音楽に溢れ返っている風潮は今に始まったことではない。
それに反して最近の所謂クラシック音楽と称される西洋音楽の衰退ぶりには目を覆うものがある。

・それはマエストロ不在の現代音楽の危機的状況そのものである。
一昔前までは、秋葉原でも荻窪でもよい、たとえ儲からなくてもごく少数のクラシック音楽好きの為に、レコード店では数多の巨匠演奏による名盤LP/CDがふんだんに展示されていたものだった。

・ところが今ではCDショップに行くと、「クラシックコーナー」は風前のともしび状態である。演奏家はアイドルのように顔立ちの良い女性だらけ。別にきれいな女性が悪い訳ではない。しかし顔より音楽性だろうと思わず突っ込みを入れたくなる。
楽しくなければ音楽ではないも良いが、そもそも音楽は人類にとって、もっと奥深く関わりのある存在だ。既に古代中国では孔子の時代に、詩に興り・礼に立ち・楽に成る、即ち音楽を習って人格の完成を図るのが最上級の教養とされた。

・そんな古い話をしなくても現代音楽だって、煎じ詰めて元を辿れば大バッハの音楽語法が土台である。

・そう、モーツァルトやベートーベン、ショパンだけではなく所謂現代音楽家から坂本龍一に至るまで、バッハのお世話になっていない音楽家はいない筈。
ところが、音楽を生業にしているプロですら、バッハの教養が根底にある者がどれだけいるのか疑わしい現実がある。

・本書の著者で作曲家の中村洋子氏は、音大生のほとんどは基本的な和声・対位法を理解していない、とある意味痛烈な批判をされているが、それが現実なのだろう。

・いやクラシック専門の音楽評論家ですら、音楽史的なバッハ音楽の意義について自覚している者が少ないのではないかと感じる事が時折ある。
こんな有様ではクラシック音楽が衰退するのは当然であろう。

 

 

・氏は、音大教育の問題点を指摘する。
音楽のそしてバッハ音楽の奥義を知るうえで最重要な和声・対位法がまともに教育されてこなかったツケが来ているのか。

・学ぶ側よりもむしろ教える側の資質に問題があるのではないか? 
巷の書店には音大生向けの音楽学に関する専門書は数多く存在するが、氏はそのようなものを勉強しても役に立たないと豪語する。これはハッタリでも何でもない。氏は真実を述べているに過ぎないのだろう。

・本書34ページでは、大家とされる作曲家とピアニストによる対談本を痛切に批判している。

・氏は、彼らが「バッハの独創性、天才性が読み取れない」人達であると嘆いている。

・私が氏の立場だったら舌鋒鋭く「大先生」の馬鹿さ加減を罵倒するところ。
しかし日本人がそれをやると喧嘩になる事必定。
だが氏は、gentleにさりげなく、むしろ大先生の教養のなさを憐れんでいるかのようだ。スマートである。物事須らくこう行きたいものだ。

・権威が正しいとは限らないのはどの分野にも当てはまることだろう。ところが日本人は、権威に殊の外弱い。自分の頭で考える習慣が身についていない国民性、これは一朝一夕に改善するものではない。

・権威というフィルターを通さず音楽そのものに向き合うしかあるまい。しかしそうは言っても、「只管打座」では凡人は「悟り」を開けない。禅の臨済宗に「公案」が有る様に、音楽にもやはり何らかの指南が必要なことは言うまでもない。
楽曲注釈学が発達し、シェンカー・ロラン・リーツラーといった歴史的に有名な著者による楽曲分析本にいつでも触れることの出来る恵まれた我が国でも、
こと和声・対位法に関しては真に身につく名著がない。何故なのか?

・諸説あろうが、私はその理由の一つはバッハ音楽に対する愛情の差ではないかと思う。氏の文章はバッハの音楽への愛情に満ち溢れている。

 

 

・「和声を学ぶための最良の教科書は<バッハのコラール>なのです」と述べる氏の精神には、音楽学の高い教養が裏打ちされているだけではなく、バッハの音楽への深い尊敬・愛情が感じられる。これは単純明快で奥の深い指南である。

・バッハの音楽を愛する音楽愛好家のみならず、音大生、更には広く音楽で生計を立てているプロの音楽家への最高の助言であると感じた。

・分厚く高邁そうな大著を読む暇があったら、まず本書を紐解くべし。
但し本書は氏のブログからの抜粋推敲文であり、傍らで氏自らが語りかけているように親密で読みやすい良文である。

・気軽に楽しく読める極上の音楽学随筆集と言えよう。
類書はあるようで、実際にはまず他に例を観ない。

・私は本書を読み、まだクラシック音楽界も捨てたものではないと勇気を貰い、またバッハの音楽を真に理解し楽しむ為の重要な道筋を教えられた。

・この書が、ただ音楽関係者ばかりでなく、音楽を愛する者一般ひろく江湖に迎えられることを望むものである。

 

 


★クラッシック音楽は、本来その時代の「最高の知性」により創られ、

演奏される音楽です。

私がいま聴いておりますCDは、 Wilhelm Kempff

ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)が1961年に来日し、

ベートヴェンのピアノソナタ全32曲を、7夜にわたり

全曲演奏した際の、実況録音CDです。

NHKがラジオ放送用に収録した音源を、CDにまとめたものです。
                   (KKCー2064/72)

 

★その際のインタビューで、 Kempff は次のように話しています。

「ベートーヴェンのソナタは、彼の偉大さと、太陽の輝く様な明るさを
彼の音楽の言葉で表したものです。
その言葉は、我々に本当の喜びを与えて、尽きる事がありません」


Kempff は同時に、

「バックハウス、フィッシャー、ギーゼキングといった
大家の後には、才能はあっても、大きな人間性のある人は少なくなった」

と、嘆いています。

いまから半世紀以上前の1961年です。


★書評で「私は本書を読み、まだクラシック音楽界も
捨てたものではないと勇気を貰い、
またバッハの音楽を真に理解し楽しむ為の

重要な道筋を教えられた。」と書かれています。

とても嬉しく、励まされる言葉です。


 ★Kempff の嘆きは、いつの時代にもあったものです。

≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫の、

Chapter 9 『 Woody Allen ウッディ・アレンの映画

「Midnight in Paris」を見る 』 で、

その永遠ともいえるテーマについて、私なりの意見を述べています。

この映画は、そのテーマを寓話的に面白可笑しく描きながら、

本質を突いた、見事な映画です。


私はこの本で、毎日の音楽生活、

本物の音楽とどう向き合っていくべきかを、

皆様にお示しできたと、思っております。

 

★銀座・山野楽器2F・CD売場に、

私の本とSACDが丁寧な紹介文を添えて、展示されています。

 

 

 


★こちらは、銀座のヤマハ楽器 楽譜・音楽書 売場です。

 

 

 

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             All Rights Reserved
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