音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「 ぶらあぼ 」10月号の案内と、「 ゴルトベルク変奏曲 」への誤解■

2010-09-24 11:25:16 | ■私の作品について■

■「 ぶらあぼ 」10月号の案内と、「 ゴルトベルク変奏曲 」への誤解■
                           2010・9・23 中村洋子



★月刊音楽情報誌 「 ぶらあぼ 」 10月号 173ページに、

私の出版楽譜:

≪ 無伴奏チェロ組曲 第 1番 ≫  Ries & Erler、 Berlin と 、

≪ 虹のチェロトリオ集 ≫ Musikverlag Hauke Hack 、Dortmund の

案内が、掲載されています。


★また、179ページには、「 カワイ表参道・パウゼ 」 で、

10月 8日 ( 金 )と、11月 16日 ( 火 )に、開催いたします

「 バッハ平均律 第 1巻 全曲アナリーゼ講座 」 の、

案内も掲載されており、どうぞ、ご覧ください。

10月は、「 平均律第 1巻 8番 」、

11月は、「 平均律第1巻 9番 」 です。


★10月の講座で、勉強します 「 平均律 8番 」 は、

日本で、人気の高い 「 ゴルトベルク変奏曲 」 と、

深い、関係にあります。


★ここ数日、改めて、 「 ゴルトベルク変奏曲 」 を、

勉強していますが、この曲につきましても、

前回のブログで書きました、フォルケル 「 バッハ伝 」 の、

 「 功罪 」 の 「 罪 」 のほうが、

日本では、はびこり、誤解が横行しているようです。


★フォルケル (1749-1818) の、間違った記述を、

検証することもなく、孫引きし、

それをまた、孫引きするという繰り返しです。




★フォルケルの伝記での、問題の部分:
      
< コルトベルク変奏曲は、ザクセン選帝侯、カイザーリンク伯爵の

すすめによって、生まれた。伯爵は、ライプツィヒにお抱えのチェン

バロ奏者ゴルトベルクを連れてきて、バッハから音楽の教授を受けさ

せた。伯爵は病気がちで、当時不眠症に悩まされていた。ゴルトベル

クは、そのようなおり、控えの間で夜をすごし、伯爵が眠れないあい

だ何かを弾いて聴かせなければならなかった。あるとき伯爵はバッハ

に、穏やかでいくらか快適な性格をもち、眠れぬ夜に気分が晴れよう

なクラヴィーア曲、お抱えのゴルトベルクのために書いてほしいと申

し出た。変奏曲というものは基本の和声が常に同じなので、バッハは

それまでやりがいのない仕事だと考えていたが、伯爵の希望を満たす

には変奏曲が最もよいと思ったのである。 ( 略 )バッハは、変奏

曲の模範としてこれ1曲しか遺さなかった。伯爵はその後この曲を

「私の変奏曲」と呼ぶようになった。彼はそれを聴いて飽きることが

なく、そして眠れぬ夜がやって来ると永年のあいだ、「ゴルトベルク

君、私の変奏曲をひとつ弾いておくれ」といいつけるのだった。バッ

ハは、おそらく、自分の作品に対してこのときほど大きな報酬を得た

ことはなかったであろう。伯爵は、ルイ金貨が百枚つまった金杯をバ

ッハに贈ったのである >
                    ( 角倉一郎訳:バッハ小伝から抜粋 )



★この “不眠症の伯爵のために書かれた ” という、曲の由来は、

日本で発売されている、たくさんの 「ゴルトベルク変奏曲」 C D の、

ジャケット解説など、いろいろなところで、ご覧になったり、

ラジオ放送の説明などで、耳にタコができるほど、

お聞きになっている、ことでしょう。

 

★権威ある、イギリスの音楽事典

「 THE NEW GROVE Dictionary of MUSIC & MUSICIANAS 」
             
 ( 1980年版に基づく 1995年 paperback edition )は、 

ゴルトベルクが、バッハの  pupil ( 生徒 ) であったことは、

speculation ( 推測  ) 、としています。


★さらに、GROVEは、

カイザーリンク伯爵が、ゴルトベルクに演奏させようとして、

バッハにこの曲を依頼した、という由来についても、

疑問を列記しています。

①ゴルトベルクが極めて、若かったことと、

②ゴルトベルク変奏曲の楽譜に、 ≪ 献呈 ≫  の記載が、

なされていない点です。


★ゴルトベルクは、鍵盤楽器での初見演奏の能力に、

優れていたのは、間違いなかったようですが、

作曲の能力については、フォルケルが書いているように、

「 特別な才能はなかった 」 のかどうかは、不明なようです。


★ 「 クラヴィーア ユーブング 」  の 第 4巻として出版された

「 ゴルトベルク変奏曲 」  の序文には、年月が書かれていませんが、

出版は、1741年ごろで、

作曲は、1739年より前と、現在では、推測されています。
     
伯爵が、ゴルトベルク  ( 1727~1756 ) に弾かせようと、

バッハに、依頼したとすると、

彼が、 12歳になる前、ということになります。

若すぎるという指摘が、妥当かもしれません。


★音楽の友社から出ています、ヴィーン原典版の、

ライセンス出版でも、ユゲット・ドレフュスが、前書きで、

「 伯爵の依頼による作曲説 」  に、疑問を呈しています。


★ 「 貴族からの委嘱作品にはやはり正式の献呈の辞を付けることが、

バッハの時代には習慣的であった 」。

「 バッハはこのきわめて要求の高い作品を直接チェンバロ奏者

ゴルトベルクのために書いたはずはおそらくなかったであろう 」。

 (  しかし、ドレフュスは、「  ゴルトベルクが1737年ごろから、

バッハの弟子であった 」 、と書いています。 )




★ 「 ドレフュスの前書き 」 には、また、残念ながら、

フォルケルの孫引きが、見られます。

≪ ヴァイマル時代のオルガンのための変奏曲以来、

おそらくフォルケルがあげた理由から、

バッハは変奏曲を書くことにもはや特別の興味は示さなかった ≫

と、ドレフュスは、書いています。


★ 「 フォルケルが挙げた理由 」  というのは、

「 変奏曲というものは基本の和声が常に同じなので、

バッハはそれまでやりがいのない仕事だと考えていたが、

伯爵の希望を満たすには変奏曲が最もよいと思ったのである 」


★ 「変奏曲は、やりがいのない仕事」 という、

フォルケルの言葉を、真に受け、

「変奏曲を書くことに、もはや特別の興味は示さなかった 」

としています。


★私は、この考え方には、大反対です。

私の講座をお聴きになった皆さまには、既に、

ご理解いただいていると、思いますが、

≪インヴェンション&シンフォニアと、

平均律クラヴィーア曲集 1巻を、

大きな変奏曲と、捉えてもよい ≫ くらい、

壮年期のバッハは、変奏曲を追求していたと、思います。


★バッハが出版した 「 クラヴィーア・ユーブング 」 の、

「 第 4巻 」 としての、 「 ゴルトベルク変奏曲 」 は、

バッハの鍵盤作品の集大成として、

最も、凝縮され、切り詰められたテーマで、

どれだけ、多彩な変奏を追求し尽くせるか・・・という、

バッハの挑戦であり、作曲の集大成が、

ここに、見られるのです。


★私には、ゴルトベルク変奏曲が、

“ 睡眠導入剤 ” になるとは、到底、思えません。


★インヴェンション 15曲と、

シンフォニア 15曲を合わせた 「 30曲 」 と、

ゴルトベルク変奏曲の 「 30曲 」 は、

偶然の一致では、ないのです。


★フォルケルの  「 やりがいのない仕事 」 という言葉は、

大変に、愚かしい言葉でしょう。

これは、「 ブクステフーデ 」  の作品を研究すれば、

分かることです。


★バッハが、ブクステフーデから、どれだけ大きな影響を、

受けていたか、如実に、分かります。

少年時代、鍵のかかった兄の書庫から、こっそりと抜き出し、

月明かりで、書き写した楽譜の一つが、このブクステフーデです。

 

 ★  この場合、月明かりで写譜したかどうか、果たして、

本当に、鍵がかけられていたかどうかなどは、

瑣末なことです。

エピソードとして、少々、出来過ぎな気もします。

要は、ブクステフーデを一生懸命、勉強していた、

ということが、重要なのです。


★「 バッハが、変奏曲を、やりがいのない仕事とは、断じて、

考えていなかったことと、ブクステフーデの作品との関係 」

についても、

10月の講座で、少し触れてみたいと思います。
 

★「 変奏曲 」  というものは、

主題による、各変奏への拘束力が、あまりに強すぎるため、

変奏曲の各曲を、個性的に、豊かに作曲するということは、

作曲家にとって、最高の腕の見せところとなります。

“  最も、やりがいのある仕事  ”  なのです。

 
★この例は、モーツァルト、ベートーヴェン、

ブラームスなどの、有名な変奏曲のテーマが、

一見単純で、しかし、実に、底知れぬ力強さを、

秘めていることからも、お分かりと思います。

後世の、彼らの手法の 「 源泉 」 が、

バッハの、この 「 ゴルトベルク変奏曲 」 なのです。


★作曲家にとって、最高度の難易度をもつ挑戦、

“ エヴェレスト登山  ” は、 「 変奏曲 」 なのです。


★私も、ことし6月、新作の 「 変奏曲 」 を、

ベッチャー先生に、ベルリンで、初演していただきました。

≪ YOKO NAKAMURA

 Einleitung,Thema und Variationen über ein japanisches     
 „Erntelied“ ≫ 

 ≪ 日本の収穫の歌による、序奏とテーマ、変奏 ≫

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20100620



★ヨーロッパの、真の音楽愛好家の皆様は、

変奏曲の主題が、どのように変容していくか、

それを、聴き取り、楽しんでくださいます。

これこそが、本当の  「 音楽の楽しみ 」  です。





                                  ( 大犬蓼、柿のお菓子、雑草 )
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