■シューベルトの「即興曲」と「冬の旅」は、死の前年に作曲■
09.8.28 中村洋子
★8月もあとわずか、昨夜は、下弦の半月でした。
きょうも、美しい月です。
8月は、お盆や終戦記念日もあり、日本人にとっては、
死を見つめる月、でもあります。
殊に、ことしは、ベーレンス先生が死去され、
なおさら、その思いを募らせました。
★9月に録音します、私の「無伴奏チェロ組曲2番」の、
第1曲は、「Klagelied~クラーゲリート(哀歌)」から、
始まりますのは、偶然でしょうか。
★夭折した天才芸術家「シューベルト」、
日本で、同じように若死の天才は、
「樋口一葉」の名前が、思い浮かびます。
私は、子ども時代、よく「一葉記念館」にまいりました。
ミニチュアで出来た、当時の下町の街並み模型を見るのが、
好きなだけで、彼女の文学はあまり、理解できませんでした。
★近ごろ、読み直してみますと、このような深い人間洞察が、
どうして、弱冠24歳で亡くなった人に、できたのでしょうか。
31歳で亡くなったシューベルトも、同じことがいえます。
★一葉は、貧困と病苦の極限状態の中で、人並みはずれた
洞察力と創造力を発揮したのだと、思います。
以前書きましたように、シューベルトは決して、
貧困では、ありませんでしたが、
病苦に苛まれた一生だったと、いえます。
★1823年、26歳ごろ、病気治療のために服用した水銀は、
副作用が苛烈で、発疹、眩暈、頭痛、発熱、脱毛など、
筆舌に尽くし難い苦痛の連続だった、といわれます。
★10代から、傑作を作曲し続けた人でしたが、
そうした病に陥った後、20代半ば以降は、
世間的な成功には、関心を失い、
突き動かされるように、作曲だけに、
全霊を傾けた毎日だったようです。
★死の前年、1827年に「冬の旅」と「即興曲」を作曲しています。
余談ですが、「即興曲」という題名は、出版社が命名したものですし、
ましてや、「即興~インプロビゼーション」で、
作曲したものでないことは、いうまでもありません。
題名に引きずられますと、「天才」についての誤解が生じてきます。
★天才というのは、努力を厭わず、努力し続けられる人のことで、
たとえ、作曲するスピードが、異常に早かったとしても、
この曲を、即興で書いたとは、考えられません。
★「冬の旅」については、死の直前まで、推敲を重ねに重ねています。
「即興曲」は、ピアノ発表会などでも、
気楽に取り上げられる “きれいな曲” 、
「冬の旅」は、 “深刻な暗い深遠な” 曲、
というのが、一般的イメージでしょうか。
★しかし、この2つの曲集を、よく見ますと、
西洋の扉で、ノックの金具に飾られている双面神、つまり、
ローマ神話の「扉の神様 Janus ヤヌス」と、同じように、
大本は同じもので、そこに、シューベルトが2つの横顔を、
刻んだものであることが、分かります。
★例えば、「冬の旅」、第8番の「 Rueckblick (回顧)」の
1小節目と、「即興曲」Op.90-2 変ホ長調 の103小節目には、
同じ考え方に基づく、極めて大胆な「非和声音」が、使われています。
★「 Rueckblick (回顧)」の1小節目は、4声で書かれており、
ソプラノとテノールの「D」の音に対し、バスとアルトは、
「D」の倚音である「Cis」が、同時に置かれます。
倚音は、その解決音と同時には、奏されない、というのが、
「和声学」の大原則です。
ここで、シューベルトは、その原則を無視し、
破壊することにより、非常に、
衝撃的な音を、生み出しました。
さらに、自分で、「fp」の記号も記入しています。
★「即興曲」103小節目の2拍目は、右手に「Fis」が奏され、
同時に、左手で「Fis」の倚音の「Eis」が、奏されます。
そこにも、シューベルトは、「ffz」の記号を記入しています。
これも、「 Rueckblick (回顧)」と同様に、衝撃です。
★以上は一例ですが、この2つの曲集には、大変多くの共通点が、
ありますので、どちらか一方を勉強する場合、
必ず、もう一つの曲集を、紐解いてください。
★このように、連関して勉強いたしますと、
一つの曲集に、長時間を費やすよりも、
案外、短時間で、シューベルトの深い世界に、
近づくことが、出来るかもしれません。
(柿)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.8.28 中村洋子
★8月もあとわずか、昨夜は、下弦の半月でした。
きょうも、美しい月です。
8月は、お盆や終戦記念日もあり、日本人にとっては、
死を見つめる月、でもあります。
殊に、ことしは、ベーレンス先生が死去され、
なおさら、その思いを募らせました。
★9月に録音します、私の「無伴奏チェロ組曲2番」の、
第1曲は、「Klagelied~クラーゲリート(哀歌)」から、
始まりますのは、偶然でしょうか。
★夭折した天才芸術家「シューベルト」、
日本で、同じように若死の天才は、
「樋口一葉」の名前が、思い浮かびます。
私は、子ども時代、よく「一葉記念館」にまいりました。
ミニチュアで出来た、当時の下町の街並み模型を見るのが、
好きなだけで、彼女の文学はあまり、理解できませんでした。
★近ごろ、読み直してみますと、このような深い人間洞察が、
どうして、弱冠24歳で亡くなった人に、できたのでしょうか。
31歳で亡くなったシューベルトも、同じことがいえます。
★一葉は、貧困と病苦の極限状態の中で、人並みはずれた
洞察力と創造力を発揮したのだと、思います。
以前書きましたように、シューベルトは決して、
貧困では、ありませんでしたが、
病苦に苛まれた一生だったと、いえます。
★1823年、26歳ごろ、病気治療のために服用した水銀は、
副作用が苛烈で、発疹、眩暈、頭痛、発熱、脱毛など、
筆舌に尽くし難い苦痛の連続だった、といわれます。
★10代から、傑作を作曲し続けた人でしたが、
そうした病に陥った後、20代半ば以降は、
世間的な成功には、関心を失い、
突き動かされるように、作曲だけに、
全霊を傾けた毎日だったようです。
★死の前年、1827年に「冬の旅」と「即興曲」を作曲しています。
余談ですが、「即興曲」という題名は、出版社が命名したものですし、
ましてや、「即興~インプロビゼーション」で、
作曲したものでないことは、いうまでもありません。
題名に引きずられますと、「天才」についての誤解が生じてきます。
★天才というのは、努力を厭わず、努力し続けられる人のことで、
たとえ、作曲するスピードが、異常に早かったとしても、
この曲を、即興で書いたとは、考えられません。
★「冬の旅」については、死の直前まで、推敲を重ねに重ねています。
「即興曲」は、ピアノ発表会などでも、
気楽に取り上げられる “きれいな曲” 、
「冬の旅」は、 “深刻な暗い深遠な” 曲、
というのが、一般的イメージでしょうか。
★しかし、この2つの曲集を、よく見ますと、
西洋の扉で、ノックの金具に飾られている双面神、つまり、
ローマ神話の「扉の神様 Janus ヤヌス」と、同じように、
大本は同じもので、そこに、シューベルトが2つの横顔を、
刻んだものであることが、分かります。
★例えば、「冬の旅」、第8番の「 Rueckblick (回顧)」の
1小節目と、「即興曲」Op.90-2 変ホ長調 の103小節目には、
同じ考え方に基づく、極めて大胆な「非和声音」が、使われています。
★「 Rueckblick (回顧)」の1小節目は、4声で書かれており、
ソプラノとテノールの「D」の音に対し、バスとアルトは、
「D」の倚音である「Cis」が、同時に置かれます。
倚音は、その解決音と同時には、奏されない、というのが、
「和声学」の大原則です。
ここで、シューベルトは、その原則を無視し、
破壊することにより、非常に、
衝撃的な音を、生み出しました。
さらに、自分で、「fp」の記号も記入しています。
★「即興曲」103小節目の2拍目は、右手に「Fis」が奏され、
同時に、左手で「Fis」の倚音の「Eis」が、奏されます。
そこにも、シューベルトは、「ffz」の記号を記入しています。
これも、「 Rueckblick (回顧)」と同様に、衝撃です。
★以上は一例ですが、この2つの曲集には、大変多くの共通点が、
ありますので、どちらか一方を勉強する場合、
必ず、もう一つの曲集を、紐解いてください。
★このように、連関して勉強いたしますと、
一つの曲集に、長時間を費やすよりも、
案外、短時間で、シューベルトの深い世界に、
近づくことが、出来るかもしれません。
(柿)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲