音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■シューベルトの舞曲レントラーが、ブラームスに与えた影響■

2009-08-15 14:21:32 | ■私のアナリーゼ講座■
■シューベルトの舞曲レントラーが、ブラームスに与えた影響■
                  09.8.15   中村洋子


★9月の「シューベルト即興曲・アナリーゼ講座」のために、

「シューベルトの舞曲集」を、勉強しています

「即興曲」を理解するには、彼の残したたくさんの舞曲を、

聴き、学ぶことが、欠かせません。


★シューベルト(1797~1828)は、友人たちとの集いで、

友人たちに踊りに合わせ、即興で、舞曲を巧みに演奏したそうです。

楽譜として残されている舞曲は、ヘンレ版の、

「Saemtliche Taenze= Complete Dances」として、

出版されています。


★ブラームス(1833~1897)は、ハンブルクで、

エドワルド・マルクスゼンの下で、作曲とピアノを

勉強中の時代(1843~53)、つまり、10歳から20歳ごろまでの間、

シューベルトの音楽に親しんだと、思われます。

師のマルクスゼンは、ヴィーンで、

イグナーツ・フォン・ゼーフリートの下で学んだからです。

ゼーフリートは、1838年に、シューベルトの最初の伝記を、

書いた人ですので、おそらく、個人的に、

シューベルトを知っていた人と、思われます。


★ブラームスは、1853年、ライプッチヒで、シューベルトの

交響曲 Great Cdur D944 を、聴いています。

また、ピアニストとして、活躍した若い頃のブラームスは、

ピアノ五重奏「鱒」D667 や、歌曲集「美しい水車小屋の娘」D795 、

ヴァイオリンとピアノのための幻想曲D934 などを、

演奏していました。


★このように、ブラームスは、最初から、シューベルトを

“滋養”として、作曲家となりました。

初めて、ヴィーンを訪問した1862年、

シューベルトの自筆譜を、たくさん、蒐集しています。


★ブラームスは、シューベルトの故郷・ヴィーンに、

定住した36歳の1869年、

所有していたシューベルトの自筆譜に基づいて、

編曲した「ピアノ4手連弾のための20のレントラー集」を、

ヴィーンの出版社から、出版しています。

シューベルトの「17のドイツ舞曲~レントラー」D366

(1816~24に作曲) と、D814 の舞曲とを合わせて、

20曲にしています。


★これは、シューベルトのピアノソロの舞曲を、ブラームスが、

ピアノ連弾用に、編曲したものです。

この楽譜は、Universal Edition Ue 31 958 から、出ています。


★この楽譜を、勉強しますと、

シューベルトの音楽が、分かること以上に、

ブラームスの音楽を、理解するための、

大きな手掛かりが、得られます。

以前、アナリーゼ講座で、私なりに、「ブラームス・トーン」として、

ブラームスの和声の特徴を、まとめました。

いかにも、ブラームスらしい音の重ね方、つまり、

和音構成音のどれを、どの位置に配置し、

重複、または省略させるかが、この編曲からも、

読み取れてきます。


★この曲集は、16小節程度の短い曲ですが、

前半8小節を、反復し、後半も反復するという形式です。

友人たちとの集いで、演奏したとすれば、

この反復を、何度も繰り返し、

さらに、即興的に変奏を加えていった、と思われます。


★ “ブラームスが、シューベルトから何を学んだか”、

“どこが、ブラームス的か”、について、

前半の反復が終わった9小節目からを、例にして、

シューベルトの独奏曲を、どのように連弾へと編曲したか、

その手法を、見てみます。


★原曲の、左手部分は、各小節の1拍目を、

単音から、1オクターブ下の音を足した、

オクターブの重音とし、バスを充実させています。

2拍目、3拍目は、シューベルトの音と同じです。

原曲の右手部分の、2拍目、3拍目を、9、10、11、12小節では、

ブラームスは、2拍目を左手、3拍目を右手に分割し、

スタッカートを、書き加えています。


★こうしますと、10、11、12小節に、

「 Cis - H - A - Gis - Gis - Fis 」という

旋律が、浮かび上がってきます。

シューベルトの、一見単純な旋律から、

ブラームスは、美しい2声部を、紡ぎだしていました。


★「単純」に見てしまいますと、シューベルトの「対位法」を、

読み取ることはできない、ということが、

ブラームスの編曲から、分かってくるのです。


★一つの旋律が、2声部、3声部など多声部によって成り立っている、

という音楽は、いうまでもなく、バッハの作曲技法の真骨頂です。

本当に単純で、つまらない曲からは、

「対位法」は、紡ぎ出せません。


★ブラームスの、単旋律を多声に分けていく手法は、

彼の交響曲の、オーケストレーションを、

見ているような感じがします。

30代のブラームスが、43歳の1876年に、交響曲第1番を発表するまで、

そのようにして、彼自身の管弦楽法を、磨いていたのでしょう。


★このシューベルトの原曲と、ブラームスの編曲を、両方、弾いてみますと、

シューマンの傑作ピアノ作品、例えば「パピヨン」、「謝肉祭」などでの

和音配置や、対位法の忍ばせ方に対する、アイデアの類似点、

もっと、はっきり言えば、シューベルトの大きな影響が、

浮び上がってきます。


★シューベルトが、このレントラーを、友人たちと演奏したように、

反復を繰り返しながら、自分で変奏も加えつつ、

何度もお弾きになりますと、きっと、とても楽しいでしょう。


★何回も繰り返しますと、その調性がくっきりと、意識されてきます。

そうしますと、次の曲の「調」、つまり「転調」の美しさや意外性を、

繰り返しなしでサラサラと、弾いたときより、

より強く、実感されることでしょう。

シューベルト独特の「転調」に馴染み、親しんでいく方法となります。


                      (若いジュズ珠)
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