■シューベルトの舞曲レントラーが、ブラームスに与えた影響■
09.8.15 中村洋子
★9月の「シューベルト即興曲・アナリーゼ講座」のために、
「シューベルトの舞曲集」を、勉強しています
「即興曲」を理解するには、彼の残したたくさんの舞曲を、
聴き、学ぶことが、欠かせません。
★シューベルト(1797~1828)は、友人たちとの集いで、
友人たちに踊りに合わせ、即興で、舞曲を巧みに演奏したそうです。
楽譜として残されている舞曲は、ヘンレ版の、
「Saemtliche Taenze= Complete Dances」として、
出版されています。
★ブラームス(1833~1897)は、ハンブルクで、
エドワルド・マルクスゼンの下で、作曲とピアノを
勉強中の時代(1843~53)、つまり、10歳から20歳ごろまでの間、
シューベルトの音楽に親しんだと、思われます。
師のマルクスゼンは、ヴィーンで、
イグナーツ・フォン・ゼーフリートの下で学んだからです。
ゼーフリートは、1838年に、シューベルトの最初の伝記を、
書いた人ですので、おそらく、個人的に、
シューベルトを知っていた人と、思われます。
★ブラームスは、1853年、ライプッチヒで、シューベルトの
交響曲 Great Cdur D944 を、聴いています。
また、ピアニストとして、活躍した若い頃のブラームスは、
ピアノ五重奏「鱒」D667 や、歌曲集「美しい水車小屋の娘」D795 、
ヴァイオリンとピアノのための幻想曲D934 などを、
演奏していました。
★このように、ブラームスは、最初から、シューベルトを
“滋養”として、作曲家となりました。
初めて、ヴィーンを訪問した1862年、
シューベルトの自筆譜を、たくさん、蒐集しています。
★ブラームスは、シューベルトの故郷・ヴィーンに、
定住した36歳の1869年、
所有していたシューベルトの自筆譜に基づいて、
編曲した「ピアノ4手連弾のための20のレントラー集」を、
ヴィーンの出版社から、出版しています。
シューベルトの「17のドイツ舞曲~レントラー」D366
(1816~24に作曲) と、D814 の舞曲とを合わせて、
20曲にしています。
★これは、シューベルトのピアノソロの舞曲を、ブラームスが、
ピアノ連弾用に、編曲したものです。
この楽譜は、Universal Edition Ue 31 958 から、出ています。
★この楽譜を、勉強しますと、
シューベルトの音楽が、分かること以上に、
ブラームスの音楽を、理解するための、
大きな手掛かりが、得られます。
以前、アナリーゼ講座で、私なりに、「ブラームス・トーン」として、
ブラームスの和声の特徴を、まとめました。
いかにも、ブラームスらしい音の重ね方、つまり、
和音構成音のどれを、どの位置に配置し、
重複、または省略させるかが、この編曲からも、
読み取れてきます。
★この曲集は、16小節程度の短い曲ですが、
前半8小節を、反復し、後半も反復するという形式です。
友人たちとの集いで、演奏したとすれば、
この反復を、何度も繰り返し、
さらに、即興的に変奏を加えていった、と思われます。
★ “ブラームスが、シューベルトから何を学んだか”、
“どこが、ブラームス的か”、について、
前半の反復が終わった9小節目からを、例にして、
シューベルトの独奏曲を、どのように連弾へと編曲したか、
その手法を、見てみます。
★原曲の、左手部分は、各小節の1拍目を、
単音から、1オクターブ下の音を足した、
オクターブの重音とし、バスを充実させています。
2拍目、3拍目は、シューベルトの音と同じです。
原曲の右手部分の、2拍目、3拍目を、9、10、11、12小節では、
ブラームスは、2拍目を左手、3拍目を右手に分割し、
スタッカートを、書き加えています。
★こうしますと、10、11、12小節に、
「 Cis - H - A - Gis - Gis - Fis 」という
旋律が、浮かび上がってきます。
シューベルトの、一見単純な旋律から、
ブラームスは、美しい2声部を、紡ぎだしていました。
★「単純」に見てしまいますと、シューベルトの「対位法」を、
読み取ることはできない、ということが、
ブラームスの編曲から、分かってくるのです。
★一つの旋律が、2声部、3声部など多声部によって成り立っている、
という音楽は、いうまでもなく、バッハの作曲技法の真骨頂です。
本当に単純で、つまらない曲からは、
「対位法」は、紡ぎ出せません。
★ブラームスの、単旋律を多声に分けていく手法は、
彼の交響曲の、オーケストレーションを、
見ているような感じがします。
30代のブラームスが、43歳の1876年に、交響曲第1番を発表するまで、
そのようにして、彼自身の管弦楽法を、磨いていたのでしょう。
★このシューベルトの原曲と、ブラームスの編曲を、両方、弾いてみますと、
シューマンの傑作ピアノ作品、例えば「パピヨン」、「謝肉祭」などでの
和音配置や、対位法の忍ばせ方に対する、アイデアの類似点、
もっと、はっきり言えば、シューベルトの大きな影響が、
浮び上がってきます。
★シューベルトが、このレントラーを、友人たちと演奏したように、
反復を繰り返しながら、自分で変奏も加えつつ、
何度もお弾きになりますと、きっと、とても楽しいでしょう。
★何回も繰り返しますと、その調性がくっきりと、意識されてきます。
そうしますと、次の曲の「調」、つまり「転調」の美しさや意外性を、
繰り返しなしでサラサラと、弾いたときより、
より強く、実感されることでしょう。
シューベルト独特の「転調」に馴染み、親しんでいく方法となります。
(若いジュズ珠)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.8.15 中村洋子
★9月の「シューベルト即興曲・アナリーゼ講座」のために、
「シューベルトの舞曲集」を、勉強しています
「即興曲」を理解するには、彼の残したたくさんの舞曲を、
聴き、学ぶことが、欠かせません。
★シューベルト(1797~1828)は、友人たちとの集いで、
友人たちに踊りに合わせ、即興で、舞曲を巧みに演奏したそうです。
楽譜として残されている舞曲は、ヘンレ版の、
「Saemtliche Taenze= Complete Dances」として、
出版されています。
★ブラームス(1833~1897)は、ハンブルクで、
エドワルド・マルクスゼンの下で、作曲とピアノを
勉強中の時代(1843~53)、つまり、10歳から20歳ごろまでの間、
シューベルトの音楽に親しんだと、思われます。
師のマルクスゼンは、ヴィーンで、
イグナーツ・フォン・ゼーフリートの下で学んだからです。
ゼーフリートは、1838年に、シューベルトの最初の伝記を、
書いた人ですので、おそらく、個人的に、
シューベルトを知っていた人と、思われます。
★ブラームスは、1853年、ライプッチヒで、シューベルトの
交響曲 Great Cdur D944 を、聴いています。
また、ピアニストとして、活躍した若い頃のブラームスは、
ピアノ五重奏「鱒」D667 や、歌曲集「美しい水車小屋の娘」D795 、
ヴァイオリンとピアノのための幻想曲D934 などを、
演奏していました。
★このように、ブラームスは、最初から、シューベルトを
“滋養”として、作曲家となりました。
初めて、ヴィーンを訪問した1862年、
シューベルトの自筆譜を、たくさん、蒐集しています。
★ブラームスは、シューベルトの故郷・ヴィーンに、
定住した36歳の1869年、
所有していたシューベルトの自筆譜に基づいて、
編曲した「ピアノ4手連弾のための20のレントラー集」を、
ヴィーンの出版社から、出版しています。
シューベルトの「17のドイツ舞曲~レントラー」D366
(1816~24に作曲) と、D814 の舞曲とを合わせて、
20曲にしています。
★これは、シューベルトのピアノソロの舞曲を、ブラームスが、
ピアノ連弾用に、編曲したものです。
この楽譜は、Universal Edition Ue 31 958 から、出ています。
★この楽譜を、勉強しますと、
シューベルトの音楽が、分かること以上に、
ブラームスの音楽を、理解するための、
大きな手掛かりが、得られます。
以前、アナリーゼ講座で、私なりに、「ブラームス・トーン」として、
ブラームスの和声の特徴を、まとめました。
いかにも、ブラームスらしい音の重ね方、つまり、
和音構成音のどれを、どの位置に配置し、
重複、または省略させるかが、この編曲からも、
読み取れてきます。
★この曲集は、16小節程度の短い曲ですが、
前半8小節を、反復し、後半も反復するという形式です。
友人たちとの集いで、演奏したとすれば、
この反復を、何度も繰り返し、
さらに、即興的に変奏を加えていった、と思われます。
★ “ブラームスが、シューベルトから何を学んだか”、
“どこが、ブラームス的か”、について、
前半の反復が終わった9小節目からを、例にして、
シューベルトの独奏曲を、どのように連弾へと編曲したか、
その手法を、見てみます。
★原曲の、左手部分は、各小節の1拍目を、
単音から、1オクターブ下の音を足した、
オクターブの重音とし、バスを充実させています。
2拍目、3拍目は、シューベルトの音と同じです。
原曲の右手部分の、2拍目、3拍目を、9、10、11、12小節では、
ブラームスは、2拍目を左手、3拍目を右手に分割し、
スタッカートを、書き加えています。
★こうしますと、10、11、12小節に、
「 Cis - H - A - Gis - Gis - Fis 」という
旋律が、浮かび上がってきます。
シューベルトの、一見単純な旋律から、
ブラームスは、美しい2声部を、紡ぎだしていました。
★「単純」に見てしまいますと、シューベルトの「対位法」を、
読み取ることはできない、ということが、
ブラームスの編曲から、分かってくるのです。
★一つの旋律が、2声部、3声部など多声部によって成り立っている、
という音楽は、いうまでもなく、バッハの作曲技法の真骨頂です。
本当に単純で、つまらない曲からは、
「対位法」は、紡ぎ出せません。
★ブラームスの、単旋律を多声に分けていく手法は、
彼の交響曲の、オーケストレーションを、
見ているような感じがします。
30代のブラームスが、43歳の1876年に、交響曲第1番を発表するまで、
そのようにして、彼自身の管弦楽法を、磨いていたのでしょう。
★このシューベルトの原曲と、ブラームスの編曲を、両方、弾いてみますと、
シューマンの傑作ピアノ作品、例えば「パピヨン」、「謝肉祭」などでの
和音配置や、対位法の忍ばせ方に対する、アイデアの類似点、
もっと、はっきり言えば、シューベルトの大きな影響が、
浮び上がってきます。
★シューベルトが、このレントラーを、友人たちと演奏したように、
反復を繰り返しながら、自分で変奏も加えつつ、
何度もお弾きになりますと、きっと、とても楽しいでしょう。
★何回も繰り返しますと、その調性がくっきりと、意識されてきます。
そうしますと、次の曲の「調」、つまり「転調」の美しさや意外性を、
繰り返しなしでサラサラと、弾いたときより、
より強く、実感されることでしょう。
シューベルト独特の「転調」に馴染み、親しんでいく方法となります。
(若いジュズ珠)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲