音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■リヒャルト・シュトラウスが手書きで写した、シューベルトのワルツ■

2009-08-23 18:39:46 | ■私のアナリーゼ講座■
■■リヒャルト・シュトラウスが手書きで写した、シューベルトのワルツ■■
                     09.8.23   中村洋子


★先週、急逝されましたヒルデガルト・ベーレンス先生を偲び、

悲しい、毎日です。

今回は、ベーレンス先生が、歌われたオペラ「サロメ」の

作曲家リヒャルト・シュトラウスと、シューベルトとの関係です。


★各国の、ベーレンス先生の追悼記事を読みますと、

「ワグナー歌手」と、紹介されていますが、

先生は、リートの演奏も、抜きん出ていました。

これから、おそらく、シュトラウスのリートなどを、

たくさん、歌われ、さらに充実した世界を、私たちに、

聴かせてくださるはずでした。

「残酷な運命」に、言葉もありません。


★シューベルト(1797~1828)の舞曲・レントラーと、

ブラームスとの関係については、8月15日のブログで、書きましたが、

リヒャルト・シュトラウスも、シューベルトを、

深く研究していたことを、証明する、

興味深い楽譜を、見つけました。


★これは、

「Universal Edition UE 14930 SCHUBERT KUPELWIESER - WALZER

D Anh.Ⅰ 214 aufgeschrieben von Richard Strauss」

クーペルヴィーザー ワルツ D Anh.(補遺)Ⅰ 214 」。

リヒャルト・シュトラウスが、1943年1月4日、ヴィーンで、

シューベルトのワルツを、手書きで、そのまま書き写した楽譜の、

ファクシミリ版と、通常の印刷譜の両方を収録した楽譜です。


★リヒャルト・シュトラウスの手書き譜には、

シュトラウス自身による、以下のような説明が、添えられています。

「1826年9月17日、シューベルトは、

彼の友人クーペルヴィーザーの、結婚に際し、この曲を作曲した。

この楽譜は、クーペルヴィーザー家に伝わっていた」。


★この曲は、32小節の大変に短い曲ですが、

「♭」を、6つもつ「変ト長調」の曲です。

「変ト長調」・・・と言いますと、何か思い出しませんか?


★シューベルトの「即興曲」 Op.90 の第3番「Andante」が、

同じ、「変ト長調」です。

この第3番は、1857年12月、シューベルトの死後、ほぼ30年後に

第4番と一緒に、やっと、出版されましたが、

「変ト長調」は難しいので、「♯」1つの「ト長調」に、

改竄されて、出版されました。

(ちなみに、この曲について、シューベルトはなにも、

命名していなかった、そうです)。


★何人かの方に、この即興曲を、「変ト長調」で弾いた後、

「ト長調」で、もう一度引き始め、反応を見てみましたところ、

一様に、「もうそれ以上、聴きたくない」という反応でした。


★柔らかく、暖かな「変ト長調」と、

「♯」により、導音の方向性を、常に意識させる、

はっきりとした性格の「ト長調」との違いを、体験するのに、

とてもいい教材、といえます。


★「クーペルヴィーザー ワルツ」は、冒頭に、

Ruhiges Walzertempo (落ち着いたワルツのテンポで)と、

シューベルトは記しています。

友人が、暖かい家庭を築くことを願って、作曲したのでしょう。


★しかし、24小節目で、突如、「♯」2つの調号をもつ、

「ロ短調」に、遠隔転調しています。

そして、すぐに、27小節目で、何事もなかったかのように、

主調の「変ト長調」に、復調しています。

これは、プレゼント用に片手間で書いたものではなく、

彼の“実験室”ともいえる、曲です。


★この転調や、最終の32小節目(ここからダカーポ)の和音などは、

その後の、ブラームスや、ヨハン・シュトラウス、

リヒャルト・シュトラウスに、つながる、

芸術作品としての舞曲やワルツの、「源流」と、

見て取ることが、できます。

このような小さな曲で、実験を重ね、翌1827年(?)に、

「Op.90」に、到達したのかもしれません。


★余談ですが、私が「 10 Duos fuer jungen cellisten 」を、

作曲しました折、「♭」4つの「変イ長調」を、弾き易い「♯」3つの、

「イ長調」に、変えたほうがいいかどうか、ベッチャー先生に、

ご相談しましたら、「断じて、変えるべきではない」というご返事。


★リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)が、

このワルツを、手で写したのは、1943年、実に79歳のごろ。

功成り名を遂げた、晩年の頃です。

多分、クーペルヴィーザー家が所有していた、この楽譜を、

見た瞬間、その価値を読み取り、すばやく、

自ら手で書き写し、後世に残そうと、したのでしょう。

そして、彼の望みが、叶ったことになります。


★この手書き譜を、見ますと、その譜割りが、とても興味深いです。

23、24小節は「変ハ長調」で、

25、26小節は、「ロ短調」に転調し、同型反復しています。

シュトラウスは、それがよく分かるように、23小節目を、

5段目の冒頭に来るよう、譜割りをしています。

(シューベルトの原譜が、そうだったのかもしれませんが、

それは、見ることができませんので、不明です)

これが、印刷譜では、1段を4小節に、機械的に区切っていますから、

23小節目は、6段目の後半に、

25小節目は、7段目の前半に来ており、

2段に、分割されてしまいます。


★記譜一つを取っても、書き手の音楽的な力量が、

如実に、見て取れます。

これは、エキエルが校訂したショパンの楽譜にも、

逆の意味で、言えるかもしれませんね。


                       
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