■モーツァルト Piano sonata「 KV333」の四声体を、「自筆譜」から読み取る■
~ 「自筆譜」を通して「Mozart」を学ぶ No.1~
2023.1.12 中村洋子
★「今年はブログを数多く更新する」という元旦の計を立てました。
当ブログで2回続きましたドビュッシーを、ひとまずお休みし、
この1月は、ドビュッシーも敬愛したであろうモーツァルトの、
「自筆譜」を通して「Mozart」を学びたいと思います。
★「大作曲家を知る」ということは、彼らのプライベートのエピソード
や、細々したデータを頭に詰め込むことでは、ありません。
大作曲家を知る、最も手っ取り早い方法は、その「自筆譜」から、
彼らの肉声とも言える音楽を、吸収することです。
★まずは、Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト
(1756-1791)の「ピアノソナタ KV333」です。
大変親しまれている名曲で、ドイツのLaaberラーバー出版から、
「自筆譜」ファクシミリも出版されています。
http://www.academia-music.com/products/detail/23321
さらに、大ピアニスト Edwin Fischer エトヴィン・フィッシャー
(1886-1960)
(Curci社)と、大作曲家 Bartók Béla バルトーク・ベーラ
(1881-1945)
による「校訂版」(Musica Budapest社)まで、出版されており、
Mozart を知るためには、「鬼に金棒」でしょう。
★もちろん、実用譜の「Henle ヘンレ出版」の新版モーツァルト
ピアノソナタ全集、「Bärenreiter-Verlag ベーレンライター出版」
の、「モーツァルト ピアノソナタ全集」に目を通す事も、
お忘れなく。
★さて、この名曲の「自筆譜」ファクシミリを手に取りますと、
まず驚くのは、「大譜表」が1ページに、12段も書かれています。
1ページに、「大譜表」12段が記譜されているということは、
「大譜表」は2段使いますので、1ページ24段の五線紙に、
この「KV333」が記譜されている、ということになります。
★定評ある現代の実用譜「Henle出版」は、この曲を20ページ
で記譜していますが、モーツァルト「自筆譜」は、たった6ページに
ぎっしりと書き込まれています。
6ページといいましても、6ページ目は大譜表が2段(実質4段)
使われているだけです。
★モーツァルトはどうしてこんなに不自然なほど、
ぎゅうぎゅう詰めに楽譜を書いたのでしょう。
モーツァルトやショパンのように、若死にした作曲家の自筆譜を
見ますと、その音符の小ささ、細かさに、びっくりすることが
よくあります。
「老眼」とは無縁の年齢で、その生涯を終えた天才たちです。
★逆にバッハの「フーガの技法」の自筆譜は、年老いて目を傷めた
バッハの、剛毅ではありながら、五線から外れたり、震えたり、
痛々しい筆致に心が痛みます。
★モーツァルトの「KV333」に戻りますと、「Henle版実用譜」は、
全体で20ページから成り、大体1ページに、5段または6段、
まれに7段の大譜表が書かれています。
その1段につき、3小節~6小節が記譜されています。
★ところが、モーツァルトの自筆譜1ページは、前述しましたように
大譜表12段(24段の五線紙)、1段につき、6小節または
7小節が、満員列車のように、詰め込まれています。
★五線紙は異常に縦長で、23.5×37.5cmの大きさです。
私はこの「自筆譜」ファクシミリを見たとき、あまりに縦が長く、
もしや、24段の五線紙ではなく、12段の五線紙を上下に
つないで、24段にしたのではないか、と疑ったほどです。
確かに12段目と13段目の間に、くっきりと横の線が
見えるからです。
しかし、Laaberラーバー出版の「自筆譜」ファクシミリの
解説によると、この線は2枚を貼り付けたのではなく、
縦長の楽譜を折った時の、折り目だと書かれていました。
★ Mozartが、これほどまでに詰め込んで書いたかは謎です。
この「KV333」のピアノソナタは、1783~1784年(27~28歳)に
かけての作曲と推定され、1784年夏、「Dürniz Sonata」と
呼ばれるピアノソナタ「KV284/205♭」と、
ヴァイオリンソナタ「KV454」と共に、「Opus7 作品7」として
ウィーンの「Christoph Torricella社」から、出版されています。
★それでは具体的にピアノソナタ「KV333」の「自筆譜」を
見てみましょう。
「自筆譜」全6ページのうち、冒頭第1ページには、
1楽章の1~77小節までが、記譜されています。
「Henle版実用譜」では、冒頭1ページは、1~16小節です。
「自筆譜」は、77小節、「Henle版」は16小節ですから、
モーツァルトは現代の実用譜より、約5倍も多い小節を
1ページに詰め込んだといえます。
★理由は、この楽譜で演奏する時に、なるべく譜めくりの
回数を少なくするための手段とも考えられます。
しかし、そのような単純な理由だけなのでしょうか?
★1ページ12段、この「12」という数字には、深い意図が
込められています。
「12」は、「12÷2」、「12÷3」、「12÷4」というように、
2分割、3分割、4分割ができる数字です。
★その2分割した段の始まりは、7段目、
3分割した段の始まりは5段目、9段目、
4分割した段の始まりは4段目、7段目、10段目となります。
★このように各段の意味を考えつつ、「自筆譜」をみますと、
曲の構造上、とても「重要な部分」や「モティーフ(要素)」が、
一目で分かる位置に、整然と、配置されているのが分かります。
まさに、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」そっくりです。
★あるものは、冒頭や段末、四隅に、あるいは真ん中に、
それらのバリエーションは、その真下に・・・
あたかも天空に煌めく星座群のように、盤石の位置を占め、
その「配置構図」が、曲の「骨格」そのものを指し示しています。
つまり、一目眺めるだけで、曲の「構造」が把握できます。
全体像が、分かるのです。
★このような「自筆譜」の見方は、モーツァルトにしろ、
ベートーヴェン、ドビュッシー・・・どんな大作曲家にも
当てはまります。
それが当てはまらない作曲家は、残念ながら、
バッハに続く大作曲家の列からは、少し外れているようです。
★モーツァルトの「自筆譜」1ページの「四分の一」は、
1~3段目1~20小節です。
「四分の二」の開始点である4段目の真ん中23小節から、
≪第2主題≫が、始まります。
★「四分の三」、即ち、このページの後半分は、七段目からですが、
六段目の終わりから、≪推移主題≫が、始まります。
★最後の「四分の一」が始まる10段目の中央右寄りから、
「提示部」が終わって、「展開部」が始まります。
★このようにバッハと同じく、モーツァルトの頭の中にも、
「自筆譜」を書くに当たり、整然とした「航海図」が
作成されていたことが分かります。
モーツァルトはバッハの一番下の息子 Johann Christian Bach
クリスティアン・バッハ(1735-1782)のお弟子さんであったこととも
無縁ではないでしょう。
★これにつきましては私の著書 ≪11人の大作曲家「自筆譜」
で解明する音楽史≫の108~127ページ、
Chapter 6 《モーツァルト「交響曲40番」は平均律1巻24番から
生まれた》を、お読み下さい。
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Mozartが8歳の時、ロンドンに5か月間滞在しました。その時、
お世話をしたのがバッハの一番下の息子のクリスティアンで、
イギリス王妃の音楽監督を務めていました。
彼は、ちっちゃいモーツァルトを膝の上に乗せ、一緒に
ピアノ連弾を楽しんだという逸話が残っています。
まだバッハ没後16年です。
吸い取り紙のようにすべてを吸い取る天才モーツァルトが、
クリスティアンと5ヵ月も一緒にいたのです。
バッハの「音楽」、バッハの「対位法」を
学び尽くさなかったはずがありません。
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★次に、モーツァルトが実際に書いた楽譜を、見てみましょう。
現代の実用譜と「異なる点」が、多々ありますが、
それが、モーツァルトの音楽を理解する
「重要なカギ」となります。
★「自筆譜」1ページ1段目は、1~7小節ですが、その半分の
1~4小節前半までを、私が写譜しました楽譜で、
もう一度、見てください。
すぐに気付くことは、「大譜表下段」左手の部分の一部が、
「大譜表上段」の高音部(ト音記号)譜表に、
≪侵入している≫ことです。
現代の実用譜と、比較してみます。
下記は現代の実用譜です。比較してみましょう。
★これは左手の「d¹ f¹ es¹ g¹」を、加線なしで書くため、という
理由が一応は考えられますが、この第1ページで、「d¹ f¹ es¹ g¹」
の音を、高音部譜表に「侵入させず」、大譜表ヘ音記号で
加線を用いて記譜してる箇所は、沢山あります。
従って、この1~4小節の書き方は、「加線なしで書くため」だけ
ではなく、他の理由がありそうです。
★その理由はやはり、モーツァルトがバッハの息子の「お弟子さん」
であったことに、由来しています。
モーツァルトは作曲する時、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」
と「バス」の≪四声体≫を、常に基準にしています。
逆に言えば、≪四声体≫の音が、全部出ていなくても、
頭の中では、≪四声体≫で書いているのです。
私の作曲家としての目で、モーツァルトの「自筆譜」を
見ますと、そのことをいつも、実感します。
★常識で考えますと、モーツァルトのピアノ曲は、
右手は「ソプラノ」声部か「アルト」声部、
左手は「テノール」声部、「バス」声部を、担当するように、
考えられます。
しかし、この曲の、1小節左手部分「d¹ f¹ es¹ g¹」は、
「アルト」声部です。
わずかに「b音」のみが、「テノール」声部です。
右手の旋律は「ソプラノ」声部になります。
★モーツァルトは、しばしば誤解されるように、
「右手の旋律と左手の伴奏」という単純な形ではなく、
常に「四声体」の範疇で、音楽を創りあげています。
この第1小節は、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」声部が
活躍し、「バス」が「休止している」≪四声体≫なのです。
まさに、バッハの世界です。
★1小節の左手4拍目「d¹ g¹」は、
その直前の右手「d² g²」の≪カノン≫です。
この曲には、こうした≪カノン≫が網の目のように、
張り巡らされています。
それ故、この曲は「永遠の傑作」なのです。
★さて、前回ブログでムソルグスキーの「子供部屋」と
ドビュッシーの「Children's Corner」について書きました。
読者の方から、以下の嬉しいお便りを頂きました。
★『≪かわいい子供たちの遊び場≫という訳に、納得しました。
大好きな居場所で遊んだり、夢見たりしているのでしょうね。
小さい子供たちは、隅っこや狭い場所が大好きなようで
娘や甥っ子が狭い場所に入りこんで、遊んでいたのを
思い出しました』
★ドビュッシー先生にはしばしお待ちいただき、
1月は、モーツァルト先生の曲について
沢山お話します。
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