のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

作柄を仲間に見られ天の声

2006年06月30日 | 今年の梨づくり
今日は果樹組合の作況調査。組合員のナシ園に皆で出向き作柄を確認し、今後の管理に生かそうという毎年の行事です。

もともとはすべての園を回り、作柄を評価していました。各人の収穫量を想定し、そのデータは税務署の所得税算出根拠となったといいます。仲間内とはいえ、なかなか緊張した場面もあったようです。実際の収入と経費の積み上げから税金を決定する方法になってからは、栽培管理方法の研修の場の意味合いが強くなっています。

時々で講習会が催され、会場となった他の組合員の園に伺うこともありますが、作況調査ではいつもはほとんど見たこともないような園も回ります。自分の園は常に見ているのですが、比較対照とするものがないと独りよがりな評価になるものです。

ちょっと枝並みが乱れている。でもこれは新しい芽が出てこないから仕方ない…。葉が繁茂し、園内が暗くなっているかもしれない。でもこれは摘果に追われ、新梢管理に手が回らなかったから仕方ない…。

同じ仕事をしている仲間達がみれば、それぞれがどのような栽培をしているのかがわかるものです。自分の中で納得させていた「仕方がない…」という言い訳は通用しません。しかし、わが身にかえってくることですから仲間たちはそれを表立って指摘はしません。問題点などは本当は自分自身が一番よくわかっているはずです。仲間達に見られることで、我が内なる「天の声」に気づかされるわけです。

ところが、心優しい仲間達は「今年は天候不順や日照不足だもの、玉伸びが悪くても仕方ないよね」と、別の「天の声」をかけてくれるものですから、内なる「天の声」がすぐに引っ込んでしまうのが困ったものです。

受粉70日双子にも差が現れり

2006年06月28日 | 今年の梨づくり
4月中旬にナシの受粉が行われたとすると、今頃ちょうど70日経過。

同じ花芽から出てきた二つの花に交配されたものをそのまま成育させた状態です。普通はひとつに摘果するのですが、今年は交配がうまくいかず実のついたところで成育させてしまおうと、こんな実がいくつか見られます。

同じ遺伝子を持つはずの花に同じように交配したのに、写真のように実の肥大には大きな差ができてしまいました。花粉の量でも違ったのでしょうか。

右の大きな実は今日現在、横径48mm。左の小さな実は横径40mm。数字の違い以上に差があるように見えます。

県の指導機関が「時期別肥大基準表」というのを出しています。受粉後の日数ごとの大きさから収穫時の大きさの目安を示したものです。それに当てはめてみると、受粉後70日現在48mmの実は8月中旬に95mm、40mmの実は84mmになると予想されます。大きな実は「4L」というクラスでいわば特大クラス。小さな実でも「L」クラス、標準的な大きさになります。このまま成育させてしまいましょう。

クワガタも実の肥大を心配し

2006年06月27日 | 今年の梨づくり
今年のナシの実は交配時の天候不良やその後の日照不足から、肥大が芳しくないとまわりで言われ始めています。たしかにわが家でも、人工交配が間に合わなかった部分では収穫時が心配になるくらい小さい実もあり、そういうのはこれから実の数を減らしてでも落とすしかないのですが。

ちょっと季節外れのクワガタも姿を現し、夏のデザートが大丈夫か心配してくれています。

今年も無事に飛びたてしヤゴ少しは手助けできたか深水の草ぬく

2006年06月25日 | 今年の米づくり

         

ここ数日、田んぼのヤゴの羽化がピークのようです。羽化そのものは早朝に行われるようで見てはいないのですが、田んぼで草取りをしているとヤゴの抜け殻がいっぱい見られます。

周辺の田んぼではすでに中干しに入っていますが、わが家の田んぼは深水で管理してきていますので、ヤゴがうまく巣立つようです。

除草剤を使っていても水がたっぷりとあればトンボの生息地になるようです(あくまで仮説です)。

写真の田んぼは初期除草剤を使用しています。まあ、除草剤にもいろいろありますので、弱い除草剤を使っているから田草が生えるのか…って、ただ使い方が下手なだけですから…残念。

ホタルイが部分的に入り込んでしまって、パワーカルチを一日中押していました。来年は除草剤を代えてみようと反省しています。

50%offの開店前に並ぶ朝前日下見した客なんとなくきた客

2006年06月23日 | わが家の時時
となりまちのホームセンターGが25日で閉店し、昨日は30%、今日明日は50%、最終日は70%、表示額から値引いて在庫処分するというので、今朝開店前に出かけてみてびっくり。大勢のお客が行列を作って待っていました。

実は、絶対に必要なものはいくらかでも安く確保しておこうと30%offの昨日も出かけてきました。刈り払い機の替え刃2枚と肥料のカニガラ4袋をゲット。他にも有機質資材がないかと探したのですが、後々売れるものは倉庫にしまったようです。まだ、替え刃はまだ10枚ぐらい残っていましたし、ナシ園の棚用の鉄パイプも300本以上ありましたので、50%offで残っていたなら購入しようと、連日の来店となった次第です。

さすがに50%offです。資材館前の駐車場には業者のトラックが並んでいます。行列に並びながら、携帯で知人に50%offセールの存在を教えているお客もいます。携帯で買ったものを置く場所の広さを確認している人もいます。

開店と同時に鉄パイプ売り場へ。まだ125本程度は残っていました。台車をとりにいって戻ると、一束100本はフォークリフトに載せられ運び出されようとしていました。もうひとり注文しようとしていました。ちょっと待った。おれも欲しい!思わず叫んでしまいました。今にも注文しようとしていた客は、では半分ずつにしようと言ってくれました。お礼を述べ、やはりナシ屋さんですかと聞くと、うなずいてくれました。その見知らぬ人の穏やかな対応に、誰もができるだけ得しようと気が立っている中で自分もその一人だったと少し恥ずかしくなりました。

生活館にいくと、商品を山盛りした台車を押しながらまだいいものは残っていないかと大勢の人たちでごった返していました。50%offですからその気になるのはわかります。そんな雰囲気に流されないように気を引き締めて、刈り払い機の替え刃売り場へ。ひと目の付きにくい場所なのか、まだ残っていました。よさそうなもの4枚を買い占めてきました。

欲しいから買うのか、必要だから買うのかというのが、夕方のラジオで話題となっていました。「欲しいから買う」のは買うことの満足感を得るのであって、消費に限度がなくなるのではということでした。50%offという響きは欲しいと思っていなかったものまで買ってしまいそうです。物のあふれる今、そろそろ賢い消費者になりたいものです。

ムシ誘う聖木インドからと伝わる

2006年06月21日 | わが家の時時
わが家の入り口に数年前に植えた菩提樹の花をはじめて見ました。

この菩提樹は明治期の縁者がお釈迦様が悟りを開いたインド・ブッダガヤから持ち帰った木から挿し木したものであるという謂れがあるものです。

ところが調べてみると、葉の形から現地のインド菩提樹ではなく、国内で広く見られる中国原産のシナノキ科の「菩提樹」のようです。現地の「インド菩提樹」は桑科の熱帯樹で、国内では寒さからうまく育たないようです。本来は「インド菩提樹」が「菩提樹」と呼ばれ、「菩提樹」が「中国菩提樹」とでも呼ぶべきところ、「中国菩提樹」の方が「菩提樹」として広まってしまって立場が逆転してしまったそうです。

実際に縁者が原木を持ち帰ったのでしょうが、枯れてしまい、国内にあった菩提樹を代わりに植えて、“持ち帰った木”と伝わったきたのでしょう。いずれにせよわが家にとっては由緒ある聖木には違いありません。

        

        
前日は花が上を向いていたのですが(写真上)、一日で花序の柄にへら形の苞の下にぶら下がった形になりました(写真下)。

田草取り来年のために5人26時間

2006年06月20日 | 今年の納得米づくり
今朝早くから納得米プロジェクト田んぼで5人のメンバーが田草取り作業をしました。

前回、除草機「あめんぼ号」を歩かせて、深水で管理してきました。この間、水藻も発生する部分が比較的多く、残ったコナギも成長の勢いがないようにみえました。このままでも今年の作柄にはほとんど影響はないだろうと思われましたが、やはり来年のために田草取りをしなければ。でも除草機を走らせるほどでもない。ということで、メンバー5人で手取り作業を行うことに。

畦から見たときにはそれほどの量でもないだろうと思われたのですが、さすがに36aの面積は広く、5時間近くの時間がかかってしまいました。でもこれで、来年も無除草剤稲作が保証されたようなもの。

コナギに覆われた、わが家分の無除草剤田んぼ20aとの違いは何でしょう。

前年に雑草を残してしまいその種子から広がってしまったことが大きな理由ですが、元肥にぼかし肥料を使わなかったことも理由になるかもしれません。というのは、田植え後にぬか、大豆を散布してもほとんど水が濁ることがありませんでした。その間にコナギがどんどん発芽してしまったのではないか。36a分ではテキスト通りぼかし肥料を使ったためか、濁りの度合いが強かったように思われます。

20a田んぼ、来年はぼかし肥料をどっさり使いますか。それとも…除草剤か…

好きなもの食べられなかったから好きなものだけ食べさせるケーキとおかしの朝食

2006年06月19日 | アグリママ
 NHKスペシャル6月4日『好きなものだけ食べたい』をみました。好きなものだけを食べる食事の行き着く先は肥満に成人病、不健康なことこの上ないのですが、食の先に家族の問題が見えてきて考えさせられました。

 ごく普通の小学生の写真による食事調査の中にプチケーキとみかん、レンジでチンしたたこ焼き、子供の好物のおかし、こんな朝食が見られました。

 [好きなモノだけ食べたい症候群]の子ども達が増え、若いうちから子どもの体が老化してしまっているそうです。子どもの糖尿病は20年間で2.7倍、子どもの高脂血症は15年間で1.5倍というデータ!こんな食事をする子どもがわがままだし、それを許している母親がなってない、と怒るのは簡単ですが、わが家の母にもそうなってしまう危険性はないのだろうか、自問自答が始まりました。

 番組内で取り上げられていた『食DRIVE』調査を調べてみました。1960年以降生まれの主婦を対象に延べ2,331食卓を調査したものです。このことは、『変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識』岩村暢子著(勁草書房)にまとめられています。

 その中で見えてきた60年以降生まれの主婦の特徴は、
①食べることに余り関心がなく、レジャーや買いたい物のために食費を切り詰めることに抵抗を感じない。
②いつも忙しい思いをしており、食事に手間をかけない。
③子どもが食べたいものだけを食べさせる。
④家族がそれぞれ昼何を食べたかに無関心。
⑤サッカー観戦など遊びに出かける時は食事はコンビニ等で簡単に済ませ食事を犠牲にする。等。

 わが家の母は1950年代の生まれでやや古いタイプなので、前述のような食軽視のライフスタイルには違和感を覚えます。食への関心は高いとは言いながらも働く主婦ゆえ、②のように食事に手間をかけたくないと思うことはしょっちゅうです。でもそこを踏みとどまって、ごはんに味噌汁の日本の食卓を作りつづけていられるのは、ひいばちゃんとばあちゃんそれに実家のばあちゃん3人の目があるからです。

 「昔は田植えの時は人を大勢頼んでやったものだ。働きの人のために4時起きで火をおこして、おいなりさんをこさえたものだよ」農作業も家事労働も今の比ではない忙しさのなかを生き抜いてきた今は亡きひいばあちゃんの言葉は忘れられません。「草もちと味噌の作り方は覚えて欲しいわ」とばあちゃん。どちらも手間のかかる仕事ですが、草の香り、新味噌の香り、これを知ってしまうともうほかのものは食べられません。

 わが家は「朝ごはんにはごはんを食べろ」が掟。子どもたちもパン食は好きですがまず軽く1膳ごはんを食べてからフレンチトーストを食べさせたりしました。

 1960年以降生まれのいわゆる現代主婦を育てた親世代はわが家のばあちゃんのように手間暇かけて食事を作ってきたはずなのに、後ろ姿を見て娘たち(現代主婦)は学んでこなかったのはなぜか?

 答えが『<現代家族>の誕生―幻想系家族論の死』岩村暢子著(勁草書房)で示されています。

 現代主婦の母親つまりばあちゃん40人を詳細な個別面接調査をしたのです。煮ると焼くしかない調理法で同じ素材が延々と続く、しかも戦中戦後の食糧難を経験した。戦後、価値観が激変していく中、どうやらばあちゃん達は新しいものを選び取り、自分の子ども時代の食を娘達に積極的に受け継ごうとしてこなかったらしいのです。“ちゃぶ台よりダイニングテーブル”“煮物よりインスタントラーメン”“大家族から核家族(家つきカーつきババアぬき)”…

 わが家の食卓は、畑からとってきた野菜で作ったまっ茶色の野菜の煮物や鍋ごとのおかずが食卓にどーん。台所でいっしょに作業をしながら娘達を育ててきました。先日畑から帰ってきたら、高1の次女はばあちゃんと天ぷらを揚げていました。文化祭では高2の長女は手打ちうどんに挑戦するそうです。

 昨年の長男のブログにはこんな日記がありました。
「8月初めにFAO(国連食料農業機関)の子供会議の子供たちがアジア学院に来た。みんな小学生。この子達はなんかかわいそうだと思った。FAOと言っておきながら、夕食に白飯しか食べない子や卵はケチャップかけないと食べられないとかマヨネーズご飯だとか。昨日の夕食はコンビニのコーンパンだった子もいたし。(中略)この子達は世界の食糧および農業問題の解決を考えるより、この子達の親がもっと自分の家の食生活・子供に対する食生活を解決した方がいいのではないかと思う。」

 さあて親の見ていないところでこの子達はどんなものを食べているのか。言うこととやることが違っていやしないか?…なあんて偉そうなことを書き並べて、“コンビニで弁当とお茶買う田植えデート”(5/19のわが家のブログ)これが現実ですから……残念!!

ギザギザの大凧に乗る逆さ蜘蛛昔みた漫画の忍者のごとし

2006年06月17日 | 今年の梨づくり
この時期、ナシ畑にはたくさんのいろいろな蜘蛛が見られます。そんな中に写真のような模様をした居場所のある蜘蛛の巣があります。

獲物を捕まえるための糸は細く見えないのですが、中心部で蜘蛛が陣取る部分は太い白い糸でギザギザの模様を描いてカモフラージュしているかのようです。主人の蜘蛛自身も白っぽい色をしていて、ひと目では蜘蛛の存在はわかりません。白いヒラヒラしたものが宙に浮かんでいるかのようです。

昔見た『サスケ』か忍者もののマンガに、こんな大凧にのって敵地に忍び込むというような場面を見た気がするのですが。

このギザギザした模様はどのようにしてこうなったのでしょうか。この太い白い糸の模様だけで、立派な造形芸術のように思えます。

ナシづくりは果樹生産で農業でないと固定観念の壊されるワクワク

2006年06月16日 | 農のあれこれ
昨日15日の朝日新聞夕刊の文化欄は「学のいま」というタイトルで民俗学が取り上げられていました。そこでは民俗学者宮本常一の業績から民俗学の未来が見えると紹介されていました。

たまたま今読んでいる新書にも宮本常一氏の名が出てきました。(洋泉社新書y『歴史の中で語られてこなかったこと おんな・子供・老人からの「日本史」』網野善彦+宮田登 2001.12 p35)

彼は「俺は百姓をやる」といっていて、何かといえば「郷里に帰ってみかんでもつくる」ということで、実際にご子息はみかんをつくっていらしゃるとか。網野氏がこの話を紹介し、さらに続けます。「わたしに言わせると、みかん作りは農業ではないですよ。」宮田「何ですか」網野「あれは果樹生産です」

この新書の帯には、女、子供、老人こそが歴史を動かす主人公だった!歴史学と民俗学の泰斗が“男中心”の歴史像をくつがえす目からうろこの新しい歴史社会!とあります。“網野史学”の網野氏と民俗学者の宮田氏の学問の盟友が切磋琢磨する白熱の徹底討論という趣向の本です。1998年に刊行された単行本の新書化で、ご両人ともすでに逝去されています。

映画『もののけ姫』は中世後期を舞台に山人集団と平地民の争いを題材にして、今日的なテーマを問題提起しているとか、神代の時代から機織や養蚕ははおんなの仕事で、実は相当な財力を持っていたとか、興味深い内容が並んでいます。

そんな中に上の一文があって、果樹生産は農業ではないという記述にドキッとしたわけです。網野氏の主張は、養蚕や果樹生産は山間の生業であって、平地の田んぼや畑の農業ではない。何でもかんでも農業に含めて「百姓=農民」という間違ったイメージができてしまって、「農業イデオロギー」でしか歴史を見えなくなっている、ということのようです。江戸時代には果樹生産や養蚕、漁撈は「農間稼」、つまり副業とみなされていて、山村や漁村が実態よりも低く評価されいるといいます。

なるほど、当然ながら今の時代でも、農家の暮らしを農業所得だけで評価して地域おこしなど企てようとするなら頓珍漢なことになりかねません。固定観念に縛られて物事をみてはいけませんと、またまた教えられました。

光る地を凝らしてみれば土くれに縦横無尽クモの大活躍

2006年06月15日 | 今年の梨づくり
しばらくぶりに入ったナシ畑のあちこちの地面に見られました。どういう種類のクモが何のために張った糸かはわかりません。カビの菌糸ではないように思うのですが。

蛾を捕獲する網なのか。
でこぼこの地表を歩きやすくするための通路をつくっていたのか。
テリトリーを誇示するものだったのか。
地表に描いた造形芸術か
それとも
自意識過剰のクモが自己確認するためにつけた動き回った足跡か。

紙ひもの擬態装うシャクトリも色まで似せる知恵は働かじ

2006年06月14日 | 今年の梨づくり
10日前に殺虫剤を散布したのですが、アブラムシ用の殺虫剤だったためか、その中を生き残ったシャクトリムシのようです。体長5cmもありそうな幼虫です。

シャクトリムシの成虫は色形も動きも地味な蛾で、日中はナシ畑の下草の草むらのなかにいるようです。愛嬌もののシャクトリのままで地味な成虫に成りたくないと思ううちに、こんなに大きくなったモラトリアム中のシャクトリムシ?

ひとの目に下農と写りし水田のゲンゴロウ

2006年06月12日 | 今年の米づくり
「上農は草を見ずして草を取る」
「中農は作を見て草を取る」
「下農は草を見て草を取らず」

優れた栽培技術を持つ農家を褒め称える言葉としてよく使われる言い伝えですが、もともとは1684年に書かれた『会津農書』に由来しているそうです。

コナギがびっしりのわが家分の無除草剤田はさしずめ「下農」の部類に入るのでしょうが、中農でありたいわが身、そうそう悠長なこともいっていられません。無動力のあめんぼ号をひとまずあきらめ、パワーカルチ除草機でコナギ退治です。コナギが生えてしまってもあめんぼ号もある程度は抑えてくれるのですが、また後ほどあめんぼ号を走らせるためにも一度リセットしておいた方がよいだろうとの判断です。

        

パワーカルチに引かれながら水田の中を歩いていくと、かきだされたコナギが水面に浮かび上がってきます。オモダカをみつければできれば球根まですくい上げ、バケツに取り入れます。コナギはあってもオモダカがないことは、オモダカの目立つ田んぼも多い中で、中農のプライドです。

そのうえ、たっぷりの水の中にはミジンコがうようよしていますし、ゲンゴロウ(正しくはガムシ)やオタマジャクシが泳ぎ回っています。やはり有機肥料無除草剤田んぼは生き物に優しいのだと、かなりご満悦な気分で除草作業を終えたのですが、隣りの除草剤を使った上農の水田を覗き込むとやはりゲンゴロウが泳いでいます。中農のプライドが…消えていきます…

ライブまでようようたどり着きしわが子らの学園天国父母を踊らす

2006年06月11日 | わが家の時時
「いつもバカな私たちですが,子どもなりに精一杯頑張るので見てください!! いつもそだててくれてありがとう」

高ニの長女たちの女の子だけのロックバンドが演奏発表をするという案内をもらったので、昨晩、土浦駅前のライブハウスまで出かけてきました。一昨年秋にバンドやりたいねえという声をきっかけに、メンバー集めから始めて、他のクラブ活動をしながら空き時間を見つけて練習してきた成果を初めて人前で発表するというのです。

バンドはヴォーカル、エレキギター、エレキベース,ドラム、キーボードの構成。わが家の長女の担当はエレキベース。それまで小学校の吹奏楽部にいたくらいで、弦楽器は未経験。腕に心得のあるメンバーはキーボードぐらいで、ドラムもバンド結成が決まってから練習開始。エレキギターもほぼ初心者。まわりの親たちはいつまで熱が冷めないやらとみていたのですが、最後の1週間で3曲レパートリーを増やすという土壇場力を発揮して、どうにか5曲を持ってライブの開催となったようです。

観客は親たちや級友、クラブ仲間など30人ほど。それでも小さなライブハウスなので、喚声が満ち満ちていました。約30分のライブでした。演目の一曲『学園天国』がアンコール曲にもなるのも愛嬌のうち。バンドのライブ終了後、級友たちも含めて子ども達全員がステージ側に移り、即席で合唱曲を親たちに披露。

子ども達の夢がとにかく形にできたということに、これまでご迷惑をかけた方々に感謝します。親たちも子ども達から幸せをもらった一夜でした。子ども達にも感謝します。