元句 「冬空に大樹の梢朽ちてなし」 高浜虚子
南信紀行その2。
最近は恵那山トンネル手前の昼神温泉が話題に上ることも多くなりましたが、南信州にまで出かけるというのもなかなか機会がありません。そこで飯田市まで足を延ばしてきました。飯田市というと、南信の中心都市、天竜川の河岸段丘、曲がりくねったJR飯田線、道100選のリンゴ並木ぐらいのイメージでした。
これが中心市街地のシンボル「リンゴ並木」。道路分離帯のところにリンゴが植えられ、車道も含めて公園のように整備されています。ブロック舗装され白線の引かれたところを車両が通ります。ちょうど出かけていった前日にリンゴを収穫したばかりだそうです。
飯田城・城下町の幹線のひとつだったようです。車中心の時代、このような整備を沿道の地権者たちがよく理解しているというのが第一印象。でもその歴史を聞いてなるほど。
60年前の1947年4月、市街地の8割を焼き尽くした飯田大火が発生。町中の道路幅を広げ、さらに市街地を区切る防火帯道路もつくって復興してきたそうです。植栽もなかった防火帯道路のひとつに中学校の生徒たちがリンゴの苗木を植えて、リンゴ並木が誕生したといいます。
実は、こういう情報を得たのは飯田城二の丸跡に位置する飯田市美術博物館がこの春に企画した特別展示資料から。この施設も立派でした。
伊那谷の自然と歴史をテーマとした常設展示のほか、横山大観と並ぶ飯田出身の近代日本画の巨匠菱田春草の作品を中心に、地元有力者の美術コレクションも合わせて収蔵。ハード面だけでなく、展覧会や講座の企画も充実。柳田國男記念民俗研究所やら飯田市歴史研究所といった民間の文化活動も盛んのようです。これも「旦那文化」の一端でしょうねえ。
そういえば、飯田市歴史研究所が今年4月の市制施行70周年記念事業のひとつとして出版した『みる・よむ・まなぶ 飯田・下伊那の歴史』(B5版並製132p、1785円)も興味深い資料でした。近世以降の絵図や古写真などの図像資料をそれぞれの研究者が読み取り、解説しています。ふつうの市史や歴史資料集でないのが興味を引きます。購入してこなかったのが心残り。
タイトル写真は美術博物館前にお城のお姫様「長姫」お手植え?のエドヒガンザクラの大樹。樹齢500年ぐらい?河岸段丘を利用した飯田城内は大火からも免れ、空堀跡も残されていました。歴史好きの方にも興味の持てる街だと思います。
南信紀行その2。
最近は恵那山トンネル手前の昼神温泉が話題に上ることも多くなりましたが、南信州にまで出かけるというのもなかなか機会がありません。そこで飯田市まで足を延ばしてきました。飯田市というと、南信の中心都市、天竜川の河岸段丘、曲がりくねったJR飯田線、道100選のリンゴ並木ぐらいのイメージでした。
これが中心市街地のシンボル「リンゴ並木」。道路分離帯のところにリンゴが植えられ、車道も含めて公園のように整備されています。ブロック舗装され白線の引かれたところを車両が通ります。ちょうど出かけていった前日にリンゴを収穫したばかりだそうです。
飯田城・城下町の幹線のひとつだったようです。車中心の時代、このような整備を沿道の地権者たちがよく理解しているというのが第一印象。でもその歴史を聞いてなるほど。
60年前の1947年4月、市街地の8割を焼き尽くした飯田大火が発生。町中の道路幅を広げ、さらに市街地を区切る防火帯道路もつくって復興してきたそうです。植栽もなかった防火帯道路のひとつに中学校の生徒たちがリンゴの苗木を植えて、リンゴ並木が誕生したといいます。
実は、こういう情報を得たのは飯田城二の丸跡に位置する飯田市美術博物館がこの春に企画した特別展示資料から。この施設も立派でした。
伊那谷の自然と歴史をテーマとした常設展示のほか、横山大観と並ぶ飯田出身の近代日本画の巨匠菱田春草の作品を中心に、地元有力者の美術コレクションも合わせて収蔵。ハード面だけでなく、展覧会や講座の企画も充実。柳田國男記念民俗研究所やら飯田市歴史研究所といった民間の文化活動も盛んのようです。これも「旦那文化」の一端でしょうねえ。
そういえば、飯田市歴史研究所が今年4月の市制施行70周年記念事業のひとつとして出版した『みる・よむ・まなぶ 飯田・下伊那の歴史』(B5版並製132p、1785円)も興味深い資料でした。近世以降の絵図や古写真などの図像資料をそれぞれの研究者が読み取り、解説しています。ふつうの市史や歴史資料集でないのが興味を引きます。購入してこなかったのが心残り。
タイトル写真は美術博物館前にお城のお姫様「長姫」お手植え?のエドヒガンザクラの大樹。樹齢500年ぐらい?河岸段丘を利用した飯田城内は大火からも免れ、空堀跡も残されていました。歴史好きの方にも興味の持てる街だと思います。