のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (3/3)(のらやま通信258/1605)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

効率が最優先される農業の現場で個性的な障がい者の居場所があるのか。似たような話が畑でもいえそうです。効率が最優先される農業の現場で基盤整備されていない“個性的な”畑が役に立つのか。作物を生産する場としてだけで評価されない何かがないと難しいかもしれない…。労力をかけなく済み、それでいて社会的ニーズがあって、少なくとも再投資できるほどの収益が上がるもの…。そんなことを考えていたところ油糧作物にたどり着きました。ナタネやヒマワリは花が咲けば景観作物です。種子から搾れる油はビタミンEの豊富な健康的な食用油です。健康志向の社会的ニーズも高そうです。もし油が採れなくともお花畑にできただけでも農地として維持できます。遊休農地が解消されます。ナタネは収穫・調整まで機械利用体系ができていますが、ヒマワリは機械を使うと収穫時の損失が大きく、大規模に取り組んでいるところは少なそうです。手仕事になるヒマワリの種子採りはむしろ障がい者に向いているかもしれません。健康イメージの強い商品ですから、たとえば企業のギフト商品にしてもらえれば企業イメージも上がって、企業が障がい者を積極的に雇用するきっかけにできるかもしれません。この4年ほど、遊休農地を活用したヒマワリ油の商品化を模索してきましたが、今年からは障がい者との協働によるヒマワリ油を本格的に販売したいと考えています。

わが家は昭和の初めに分家に出て、私が3代目になります。独立した時点では十分な面積の田畑があったわけでなく条件の悪い田畑もあったそうです。自ら土地改良を行い、山林を切り開き農家としての基盤を築いたようです。腰まで水に浸かって稲を刈り取ったり、戦中、男手を兵士に取られ、慣れない牛車を曳いて堆肥を運んだことなど、じいさん、ばあさんからよく聞かされました。亡くなったじいさんの相続のときに、この畑はずーっとわが家の本流で守っていってほしいと懇願された土地もありました。
このような話は特別美談でも稀有な話でもなく、どの家にもどの農地にもよくある話でしょう。それぞれの農地にはその時々の農民の汗と涙が浸み込み、それぞれの思いが宿っています。原野を開墾し、時には隣人と境界争いをして、子孫が飢えることのないよう土地を耕し子孫繁栄を願ったはずです。今年、堆肥をすきこんでも、その肥効が現れるのは来年かもしれないし、10年後かもしれない。でもいつかはいい畑を残してくれてありがたいと感謝される。後々、自分の行いが評価されるかぎり自分は“生きている”。もちろん、長い時の流れの中では所有者が代わったり、家の断絶もあるでしょう。しかし、地域としてみれば豊かな田畑は個々の所有者のものだけでなく、地域の財産、資産でもあるはずです。
“規模の経済”で維持できない田畑があるなら、家族農業も“効率化”のなかで存続できないなら、別の価値、社会的価値を生み出しながら引き継がねばならない。そんな思いから消費者や障がい者の方々を田畑に招き入れる試みをしてきました。
これからの農業経営は、家族経営はもちろん、大規模な企業的経営であったり新規就農や企業参入があったり、様々な形態が混在するでしょう。新規就農も企業参入も時代の趨勢ですから志があるならぜひ挑戦していただきたい。ただ、地域の先人たちが築き上げた農地という社会的資産の意味を理解したうえで挑戦してほしいと思います。
社会と経済のグローバル化が標榜される一方で、人と人とのつながりが切り裂かれ、ライフスタイルも個人化し、これまでの地縁、血縁、組織縁というのがどんどん薄く細くなっている気がします。グローバル人として生きていける人間はごく一部の限られた人だけです。その他大多数は新たな人間関係や働き方を探さねばなりません。私は“顔の見える関係”や地域の資源をもとに付加価値を生み出すというなりわいに共感してくれる人たちとともに喜びを分かち合って生きていきたいと思います。
(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介しています。     by mi)
(2016年5月)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿