のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

野の大網いのちといのちに幕を引き

2006年06月09日 | 今年の梨づくり
昨日、千葉県農業総合研究センター試験園で農薬飛散防止施設の例が紹介されました。

         

高さ5mの支柱を4m置きに立て、細い糸を1mm角に編んだネットを広げます。霧状になった薬剤がネットにつくと水滴となりネットの目を埋めて、それ以上の薬剤が通り抜けないようにするという仕組みです。実際にSSで水を散布して見せてくれました。

         

1mm角という非常に細かい編みこみですから風の抵抗も受けやすく、当然、施設も大掛かりになって、費用がかさむということになります。この施設の場合、幅1mあたり24,000円とか。30m四方の畑10a分をこのネットで囲むとすると、120mで約300万円!

出席者の多くの感想は「こんなもの作るくらいならナシをやめた方がいい」といったところでしょうか。費用面からナシの売り上げにとても見合わないということですが、これほどの大規模な壁が畑地の真ん中や住宅との境に現れたときの不気味な違和感からでた呟きではなかったでしょうか。

人は生きるために食べ、食べるために作物を育て、育てるために肥料を与える。肥料は人の生活の中や自然界から出てくるものを当てて、物質循環することによっていのちが受け継がれていく、とよく言われます。

生ごみ堆肥が作られたり、農政として家畜糞尿堆肥を推奨したりしています。しかし、農業の現場では人の都合で化学物質を取り入れられた排出物や、過剰に栄養価の高い排出物を土に戻していいのかという疑問の声が聞かれます。少なくともそれらの影響が判断できない段階で、生産履歴を開示しなければならない現状では使えない資材といえるかもしれません。

有機農業がもてはやされていますが、肥料としての有機物も突き詰めれば不安です。魚粉やカニガラは海の汚染を集積していないのか、菜種粕には遺伝子組み換えされた菜種が含まれていないのか、米ぬかだって除草剤成分は残留していないのか。

今回の残留農薬規制値0.01ppmというレベルで世の中をみればこんなことまで気にせざるをえません。

人の生活の場からの物質を農業側はすでに拒否反応を示しています。消費側が農作物を拒むようならもともこうもありません。もう農業をやめるしかありません。

世の中には利害を伴う問題が多いのですが、お互い様という寛容の気持ちでその場を収めるということもよくある話です。これまでの農業の現場ではとくにそういう経験が多かったのかもしれません。黒と白をはっきりさせるという風潮がこんな「無用の長物」をつくったとのちのちいわれなければいいのですが。