のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

ブランドは誇りを形にした旗印(のらやま通信no.298 2019.11)

2019年11月24日 | 農のあれこれ
 先月と今月、ブランディングを考える機会がありました。

 先月はF社のNさんが講演。F社は「農業をデザインで活性化する」をコンセプトに、開拓者三代目としてのフロンティアスピリットを発揮されて北海道十勝が出発点。全国の農業者のブランディングだけでなく、ブランディングした生産物を食材にしたレストランを始めるなど、多方面から農業者を支援しています。

講演は戦国合戦の旗印から始まりました。ブランディングと聞くと、ロゴマークによる販売促進でどれだけの費用対効果があるのかというような発想になります。もちろん外向けの情報発信により、そういった目に見える効果はありそうです。ですが、もうひとつ、その旗印の下でいかに自信と誇りを持って仕事ができるかという内向きの効果が大事だといいます。
自分を奮起させるものは何か?日々、目の前のことに追われていると、自分は何のために仕事をするのか?自分とは何か?なんてなかなか思いも及びません。そこで、旗印が必要になるというわけです。

ついで今月は、M社のKさんの講演。Kさんは高知県の過疎地の出身。消滅していく故郷を前にただお金が回れば地域が継がれていくのかと疑問を感じ、地域の人たちが作り出してきた価値や誇りを100年先まで残していきたいと農業や地域のプロデュースを始めたそうです。

三人のレンガ積みの話がありました。一人目は指示されたままにただレンガを積む。二人目は稼ごうと一所懸命レンガを積む。三人目は街のシンボルとなるようにしたいとレンガを積む。「レンガを積む」という作業の目的は同じですが、三人の目標が異なる。ボーっと生きていなくとも、目の前のやらねばならない仕事や損得に追われがちです。ブランディングとはそれを見直し、事業や地域を継続されるための目標を見つけることだといいます。

具体的には……まず“発掘”。事業者や地域の持っている資源と社会ニーズを掘り起こす。次に“デザイン”。資源とニーズからビジネスデザインを構築する。ここで注意するのは既存の価値を深めるのではなく、価値を転換させること。そして“受け皿づくり”。Kさんの方法は一点突破といいます。①話題性を誘発するよう仕掛ける/②集客がある/③ちょっと手伝おうかという人が出てくる/④関わる人が増えたことでやれることが増える/⑤さらに集客する/⑥ここで初めて売り物が必要になる/⑦地域の中で交流が増える/⑧新たなコラボが始まる……。

たとえば香川県の「さぬきうどん」のプロモーション。うどんを目当てに多くの観光客が訪れ、売り上げもそこそこ。だけど、店の数がどんどん減っている。どうしたらいいのか。うどんは香川の食文化のひとつ。しかし、そのことが若い世代に伝わっていない。そこでうどんを使った食育玩具を作って話題を作ろうと、小麦粉と出汁の素をパッケージにしてうどんづくり体験のできる“うどん食育キット”を開発。すると面白いとマスコミに取り上げられ、資金調達のためのクラウドファンディングは三日で目標を達成。売り上げの6割は県外で暮らす孫向けのギフト商品になっているとか。うどんという地域文化を継承してほしいという県民の誇りを呼び起こした形です。

さらに、うどんを食べすぎなのか、香川県は糖尿病ワースト県とか。県内に青パパイヤの産地があって、その葉をお茶にすると小麦のグルテンを分解し、糖尿病予防に役立ちそうという話になって、中華料理には中国茶のようにうどんには青パパイヤ茶を飲もうというムーブメントをと、目下、画策中とか。資源と社会ニーズをつなぎ、新たな価値を創出しようとしています。

さて、わが家の場合はどうでしょう?わが家が農家として生まれて約90年。梨の直売を始めて30年以上になります。農産加工品まであります。その間、いろいろ模索をしてきました。直売ではものを売るよりわが家の姿を発信するということを重視してきました。しかし、わが家の誇り、自信、価値がまだ形にできていないと改めて気付きました。まだ二人目のレンガ積みのレベルのようです。そろそろわが家の旗印を掲げなければなりません。

 個々の農業生産者の旗印がそろい、さらに地域農業の旗印によって互いに切磋琢磨、陣取り合戦できるようになると農業も益々面白くなりそうです。

 そうだ、これからは「ブランド」と言わずに「旗印」と言おう。
(by 爺)

北の大地にフロンティアの花が咲く その2(のらやま通信263/1710)

2016年08月18日 | 農のあれこれ
“ランドデザイナー”としての農家の可能性を探るため、6月下旬、二泊三日の北海道ガーデン街道ツアーに夫婦で参加してきました。先月の旭川・富良野編に続いて今月は十勝編。

 ガーデン街道4番目は“十勝千年の森”。地元の新聞社が環境貢献活動の一環として出資し、千年後の人類への遺産となる森をつくることを目標にした実験型のテーマガーデン。5つの庭があり、アースガーデンとメドウガーデンは2012年に英国のガーデンデザイン協会の大賞を国内で唯一受賞しています。また食への取り組みに力を入れ、ヤギを飼いヤギ乳のチーズを作ったり、奇跡のリンゴの木村秋則さんの指導によりリンゴ栽培に取り組んでいます。牧場跡地に作られたガーデン全体を把握するには滞在時間50分では短かすぎます。

二日目の最後、ガーデン街道5番目は“真鍋庭園”。個人の樹木生産者が樹木の育ち方を見せるための見本園から発展した庭園で、針葉樹(コニファー)専門としては日本初、日本最大の見本園だそうです。帯広市街地に近接した8ha以上の敷地に数千種の植物のコレクションがあり、植物園としての役割も果たしています。林業家として入植して以来、5世代にわたって作り上げてきたその時間の重厚さが伝わってくる木々のボリュームでした。
三日目の朝食はホテルではなく、帯広郊外の“紫竹ガーデン”でいただきました。園主の紫竹照葉さんは80代のおばあさん。ご主人を亡くした後の生きがいとして子供のころ遊んだ花いっぱいの野原を再生したいと60代からガーデンづくりに取り組みます。6haの畑を購入し、一本一本植物の苗を植えてきました。20年後の今、農薬を使わずに年間で2500種もの花が咲いて、まるでワイルドフラワーガーデンのようです。カフェでは紫竹さん自身により育てた野菜を自ら調理して何組もの団体客に朝食等を提供しています。ほんとにパワフルなおばあさんです。

ガーデン街道7番目は“六花の森”。北海道土産のお菓子マルセイバターサンドで有名な六花亭の工場に隣接した山野草の森で、六花亭の包装紙に描かれた「十勝六花」が実際に見られます。包み紙に採用したハマナシ等を描いた竜馬一族の坂本直行画伯の記念館をはじめ園内にはいくつもの美術館が点在し、アートと自然の調和を目指し社会貢献事業に熱心な六花亭の姿勢がうかがえます。企業メセナのひとつなんですが、まんまと工場直売作戦に乗せられてお土産購入タイムとなりましたとさ。

ガーデン街道最後は“十勝ヒルズ”。帯広を見下ろす丘の上に立地し、十勝の農と食を身近に感じさせるガーデンを目指しているそうです。それもそのはず、運営会社は地元の豆類商社で、会社のアンテナショップ的意味合いもあるようです。スタッフは総勢60名を越えるとか。とても個人事業者のレベルではありません。

8プラス1のオープンガーデンは景観も運営母体もそれぞれ個性的でした。特に個人の運営する庭園にはフロンティア精神あふれる思いに共感する部分が多かったように思います。ツクリモノではできない時間と人の思いがそこに詰まっていたからでしょう。帯広を開拓し神社の祭神にもなっている依田勉三を紹介するバスガイドの話も十勝愛に満ちていて圧巻でした。帯広交通のあのガイドさんの案内するツアーならまた参加してみたいなあ。結局最後は人ですね。
by mit

北の大地にフロンティアの花が咲く その1(のらやま通信262/1709)

2016年08月18日 | 農のあれこれ
北海道オホーツク沿岸から内陸に入った厳寒地でたった一人、14歳から生涯をかけてフラワーガーデン“陽殖園”づくりに取り組んでいる高橋武市さんが数年前の新聞に紹介されていました。福島の花木農家が個人所有の花木園を一般開放し、年間30万人以上の観光客を集めている「花見山公園」が思い出されました。地平をいかに使いこなすか。“ランドデザイナー”としての農家は農作物を生産するだけでなく、その土地の価値を引き出すためには時にはガーデン作りも選択肢の一つかもしれない。まずはガーデンづくりの現場を見てみようと、近年旅行業界で企画化された二泊三日の北海道ガーデン街道ツアーに6月下旬、夫婦で参加してきました。大雪~富良野~十勝を結ぶ250kmの街道沿いの8つのガーデンにラベンダー畑の“ファーム富田”を組み込んだ欲張りなツアーです。

一番目は旭川の“上野ファーム”。100年以上続く米農家の5代目上野砂由紀さんは、英国でのガーデニング研修を経て庭作りをはじめた北海道ガーデナーのカリスマ。当初、イングリッシュガーデンを再現することを目指すも、寒暖の差が激しく4ヶ月ものあいだ雪に閉ざされる北海道では無理と気づきます。そこで厳寒地でも育つ植物を見極め、生垣や壁を作らない開放的な庭「北海道ガーデン」を作り上げてきました。古い納屋を改装したNAYAcafeや宿根草の苗や海外のガーデングッズをそろえたガーデンショップも人気のようです。ガーデンを見下ろす射的山から見渡す旭川の田園景観も上野ファームならでは。

二番目に訪れた“大雪森のガーデン”は大雪山系を望む丘陵に広がる森の中に作られています。ガーデン街道のなかでもっとも新しいガーデンで、3年目の今年、ようやくガーデンらしくなってきたといいますが、3年でオープンガーデンができるのかともいえます。公的機関が上野砂由紀さんにプロデュースを依頼しNPOが管理するという地域おこしタイプのガーデン。

二日目は富良野へ。 “ファーム富田”はガーデン街道企画には含まれませんが、富良野の代名詞ラベンダー畑の先駆者として寄らねばなりますまい。産地として取り組んだ香料用原料向けのラベンダー栽培に失敗した後、ただ一軒だけ栽培を続け、再び地域全体が観光用の花畑として注目を集めるまでのサクセスストーリーは車中ガイドの出色のひとつ。ラベンダーはまだちらほら程度の咲き具合でしたが、最盛期の7月になると駐車場待ちの車が道を埋め、たどり着けないバスを途中で降りて園地まで歩き、挙句の果て滞在時間が10分しかないツアーもあったとか。6月中に来てよかった。園内はインバウンド(外国人観光客)で大賑わい。最近の道内観光客の8割はインバウンドというのもうなずけます。

ガーデン街道3番目は“風のガーデン”。脚本家の倉本聰さんが上野ガーデンを見て、新富良野プリンスホテルのゴルフ場跡地にガーデンづくりを上野さんに依頼。その打ち合わせの中から庭を舞台としたTVドラマの構想に発展したとか。クリエーターのコラボが結実したガーデンといえます。
(10月号へつづく   by mit)

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (3/3)(のらやま通信258/1605)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

効率が最優先される農業の現場で個性的な障がい者の居場所があるのか。似たような話が畑でもいえそうです。効率が最優先される農業の現場で基盤整備されていない“個性的な”畑が役に立つのか。作物を生産する場としてだけで評価されない何かがないと難しいかもしれない…。労力をかけなく済み、それでいて社会的ニーズがあって、少なくとも再投資できるほどの収益が上がるもの…。そんなことを考えていたところ油糧作物にたどり着きました。ナタネやヒマワリは花が咲けば景観作物です。種子から搾れる油はビタミンEの豊富な健康的な食用油です。健康志向の社会的ニーズも高そうです。もし油が採れなくともお花畑にできただけでも農地として維持できます。遊休農地が解消されます。ナタネは収穫・調整まで機械利用体系ができていますが、ヒマワリは機械を使うと収穫時の損失が大きく、大規模に取り組んでいるところは少なそうです。手仕事になるヒマワリの種子採りはむしろ障がい者に向いているかもしれません。健康イメージの強い商品ですから、たとえば企業のギフト商品にしてもらえれば企業イメージも上がって、企業が障がい者を積極的に雇用するきっかけにできるかもしれません。この4年ほど、遊休農地を活用したヒマワリ油の商品化を模索してきましたが、今年からは障がい者との協働によるヒマワリ油を本格的に販売したいと考えています。

わが家は昭和の初めに分家に出て、私が3代目になります。独立した時点では十分な面積の田畑があったわけでなく条件の悪い田畑もあったそうです。自ら土地改良を行い、山林を切り開き農家としての基盤を築いたようです。腰まで水に浸かって稲を刈り取ったり、戦中、男手を兵士に取られ、慣れない牛車を曳いて堆肥を運んだことなど、じいさん、ばあさんからよく聞かされました。亡くなったじいさんの相続のときに、この畑はずーっとわが家の本流で守っていってほしいと懇願された土地もありました。
このような話は特別美談でも稀有な話でもなく、どの家にもどの農地にもよくある話でしょう。それぞれの農地にはその時々の農民の汗と涙が浸み込み、それぞれの思いが宿っています。原野を開墾し、時には隣人と境界争いをして、子孫が飢えることのないよう土地を耕し子孫繁栄を願ったはずです。今年、堆肥をすきこんでも、その肥効が現れるのは来年かもしれないし、10年後かもしれない。でもいつかはいい畑を残してくれてありがたいと感謝される。後々、自分の行いが評価されるかぎり自分は“生きている”。もちろん、長い時の流れの中では所有者が代わったり、家の断絶もあるでしょう。しかし、地域としてみれば豊かな田畑は個々の所有者のものだけでなく、地域の財産、資産でもあるはずです。
“規模の経済”で維持できない田畑があるなら、家族農業も“効率化”のなかで存続できないなら、別の価値、社会的価値を生み出しながら引き継がねばならない。そんな思いから消費者や障がい者の方々を田畑に招き入れる試みをしてきました。
これからの農業経営は、家族経営はもちろん、大規模な企業的経営であったり新規就農や企業参入があったり、様々な形態が混在するでしょう。新規就農も企業参入も時代の趨勢ですから志があるならぜひ挑戦していただきたい。ただ、地域の先人たちが築き上げた農地という社会的資産の意味を理解したうえで挑戦してほしいと思います。
社会と経済のグローバル化が標榜される一方で、人と人とのつながりが切り裂かれ、ライフスタイルも個人化し、これまでの地縁、血縁、組織縁というのがどんどん薄く細くなっている気がします。グローバル人として生きていける人間はごく一部の限られた人だけです。その他大多数は新たな人間関係や働き方を探さねばなりません。私は“顔の見える関係”や地域の資源をもとに付加価値を生み出すというなりわいに共感してくれる人たちとともに喜びを分かち合って生きていきたいと思います。
(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介しています。     by mi)
(2016年5月)

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (2/3)(のらやま通信257/1604)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

数年『農教室』を受講すると毎年同じような作業をすることになるので、何か新しいことに取り組みたいという会員もでてきます。そんな中から、自分の食べる米を自分が納得する方法で作ってみたいという声が出てきました。近接地で新たな水田を用意できるほど地元でまだ認められていませんでしたので、わが家の田んぼでやってみますかということに。でも、わが家も経済活動として米作りをしているので、その田んぼでできた米は全量買い取ってもらいますよとお願いしました。それがわが家の「納得米プロジェクト」、消費者自身が農作業をする米のオーナー制度です。食べる米を自給するというのですから、当然、農業機械利用が前提となる規模の水田です。トラクターも田植えきもコンバインも消費者自ら操作してもらいます。それがこのプロジェクトの魅力のひとつでもあったようです。
初年度は5人が20aの田んぼで、その後メンバーが増えて10人で50aの田んぼで米作りをしたこともありました。10aあたり8俵の米が収穫できると、一人当たり4俵。4人家族なら平均的な米の年間消費量1俵に相当します。家族の食べる米を消費者自身によって自給できることになります。初めの5,6年は除草剤を使わない米作りを目指してぬか除草や機械除草などいろいろと試みたのですが、雑草を抑えられず手取り作業が年毎に負担になり、途中から除草剤を使用することに。わが家の『納得米プロジェクト』は13年続きました。わが家からすれば50a分がオーナー制として常に売り先が決まっていたのはありがたいことですし、人手を要する苗作りなどでは一緒に作業をしてもらい、たいへん助けられました。
『手賀沼トラスト』が活動を始めて10年が過ぎるころから周辺の農家の理解も得られ、いろいろと声をかけてもらえるようになりました。また、樹林地の地主であるHさんが亡くなり、H家の畑50a、水田20aも管理しなければなりませんでした。しかし、任意団体のままでは農地を正規に借用できませんし、組織としてこれだけの面積を管理する組織力もありませんでした。そこでわが家の『納得米プロジェクト』のメンバーを中心にH家から作業受託する任意団体をつくり、観光サツマイモ農園の運営と米作りを始めました。『手賀沼トラスト』としては法的問題を解決するため2011年7月にNPO法人化し、農業機械操作のできる会員も増えきました。2014年からは手賀沼に面した遊休農地10aにヒマワリ、ナノハナの景観作物を栽培して、我孫子市の補助金対象事業に取り組んでいます。今年は新たに手賀沼に面した20aほどの遊休農地で景観作物を栽培し、来年からは80aの水田で周辺住民を巻き込んだ米作りもはじめる計画を立てています。街の人たちを巻き込んだ任意団体を立ち上げてから17年、ようやく農地保全の担い手として周りから期待されるところまできました。

一方、都市近郊でありながら純農村風景のままのわが家周辺でも耕作放棄地が目に付くようになりました。基盤整備された水田はまだ規模拡大をめざす稲作農家に利用集積されていくのですが、畑はなかなか新しい担い手は見つかりません。野菜専業農家であっても労力面から規模拡大には限度がありますし、そもそも市場出荷から直売にシフトした生産者は規模拡大にはあまり興味を示しません。そんなときに障がい者を雇用する企業の方と知り合いました。農家の労力不足に障がい者が役立てられないかということでした。労力不足で悩んでいた露地野菜をつくる農家に相談したら試してみたいということで、一年、様子をみました。結果は、補助的労力にはなりえても一緒に行動する人材が必要で、単純には労力の補強にはならないとのこと。障がい者がかかわるなら別の業態を探さねばなりません。




(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介しています。     by mi)
(2016年4月)

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (1/3)(のらやま通信256/1603)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

TPP、農家のあなたはどう思うの?と問われることがあります。「農業者もある程度は国際的な自由経済の中で生き残りを図らねばならないとは思うけど、TPPのような外圧を待つまでもなく、日本の農業はすでに内部崩壊しつつあって、消費者の皆さんがこれから何を食べていくのかを考えた方がいいですよ」というような話をします。
 今、食料品売り場にいくと地場産のものだけでなく輸入されたものから植物工場でつくられたものまでいろいろ並べられていて、一見、豊かな食べ物があるように見えます。でも、どの店にいっても同じようなものが並んでいることに気がつきませんか。違う名前のスーパーマーケットであっても同じプライベートブランド商品であったり、いつも同じような野菜が並んでいたり…。実は農産物流通はすでに市場機能が失われ、少数の大手業者によって支配されています。均一な品質で大量に流通できるものしか店頭に出回りません。当然、生産側も大規模化して、売れるもの、効率的に作れるものだけを生産することになります。いつでもどこでも同じ農産物しか流通しない。言い方を換えれば、もしかすると食べたいものが食べられないのかもしれない。それって、空腹にはならないけれど家畜の給餌のように“食べさせられている”ことになりませんか。食べたいものを食べるには、自分で作るか、誰かに頼んで作ってもらうしかない。前者なら市民農園とか体験農園とか。後者なら提携とか、契約栽培とか…。
 農産物の流通がこういう状態ですから農家も変わらざるを得ません。市場が崩壊し米価も下落している。これまでなら兼業農家という選択もあったけど、これからは農業事業者として自立するか、離農するかのどちらかを選択することになる。農地も大規模経営に適した効率のよい農地しか守れない。最近の農政の大転換はこれらをさらに推進する方向です。30年前、私が就農する際、環境問題へのひとつの取り組みとして生活と経営が両立できる家族農業が理想という思いがありました。しかし、担い手不足や耕作放棄地など当時も課題とされた状況が、さらに深刻化しているように思います。

20年近く前、知人を介して我孫子の農家Hさんを紹介されました。}Hさんの家には中世の城跡でもある裏山と手賀沼に面した田畑があります。後継者もなく、自分も高齢化して維持するのが大変になってきた。JRの駅から歩ける範囲にあって開発圧力も高まっているが、なんとかこの環境を残したいということでした。Hさんの家のまわりは農村景観が残っているけど、その裏には住宅地が広がっています。朝夕や休日には多くの人が散歩しています。手賀沼と農地とそれに続く樹林地は周辺に暮らす街の人たちにとっても財産のはずです。だったら、街の人たちにもこの環境を維持管理してもらえるような仕組みをつくりましょうということになりました。1999年2月に「手賀沼トラスト」という任意団体が発足しました。実態はともかく大きな志を反映した名前にしました。
「手賀沼トラスト」の会員のうち農家会員は地主のHさんと私の二名。ほかはみな街の人たち。樹林地の下草を刈ろうにも刈払機を使ったことはありません。子供時代に田舎で農作業を手伝わされた経験があって、リタイアして時間にゆとりができたので土いじりでもしてみたいという方ばかりです。農作物栽培の基礎知識も持ち合わせていません。環境保全とは掛け声ばかりで担い手となる人材を育成するところから始めなければなりません。たまたま会員の中に大学農学部で先生をされていた方がいましたので、『農教室』を設け、その方に講師になってもらいました。







(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介します。     by mi)
(2016年3月)

女ががんばる都市近郊酪農(のらやま通信255/1602)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

 とうかつ女性農業者ネットワークという千葉県北西部東葛飾地域の農家の女性達の集まりがあります。母はそのグループのメンバーで、年に数回の集まりを通じて地域の仲間たちと交流・学習をしています。冬は比較的時間がとれることから、先日、東葛飾地域の農家2軒と1事業所の見学に行きました。今回、母として私がうれしかったのは、オヨメと一緒に参加できたことです。同じものを見てきいて何を感じてくれたか、若い女性の感覚であちらこちらの農家女性の姿をみてほしいと思いました。
うかがったのは船橋市のM牧場。女性オーナーがきりもりしていました。年のころ40代前半?先代はとなりの鎌ヶ谷市で酪農と梨の複合経営をしていたそうです。牛の排泄物を堆肥にして果樹を育てるという循環農業でしたが、住宅地の増加に伴って気をつかうことが増えていたそうです。そのころ長女のMさんは1年間ヨーロッパの酪農家で研修をし、そこでの経験がその後の彼女の進路を決定づけたそうです。鎌ヶ谷市から船橋市へ移転し、ヨーロッパの機械を導入して牛を飼う酪農をはじめました。
搾乳、乳搾りは朝と夕方の二回。牛にえさを与え、糞尿の始末もして堆肥にする。人間より大きな体の牛を相手にするのだから仕事の大変さは想像できます。でも、たいへんであろう日々の仕事をこえた、なにものかに達成感と充足感を感じるのだろうなと彼女の話しぶりから感じました。要するに『牛がすきなのね』ということです。「体の模様がちがうだけでなく、毎日世話をしていると牛の体調の変化もわかる」無責任な突然の来訪者であるおばさん軍団は牛たちを見てカワイイとのたまう。
M牧場の牛たちは一定のスペースのなかに何頭かがいてフリーで動けるようになっていました。ヨーロッパスタイルの育て方です。フリーで牛が自由に動ける一方、精密に牛は管理されています。牛の固体識別番号が足にICタグ付けされ、とハンディターミナルで管理されていて、搾乳の時にICタグを読み取ってウシ君がその日に何歩歩いたかわかるしくみになっています。歩いた歩数で牛の健康状態がわかり、発情期までわかってしまうそうです。M牧場は搾乳をする農家ですが、牛に乳をだしてもらうためには牛が出産をしなければならず、毎週のように牛の出産があるそうです。朝夕の搾乳に加え子牛の世話もして、まさに100頭の牛の家族がいるという感じでした。
 搾乳スペースも見せてもらいました。人間がおっぱいに手をやってしぼるのではなく完全に自動化されていて乳首を消毒したらホースつきの機械をとりつけて牛乳は自動的に搾乳されるそうです。牛の固体管理や飼育・搾乳のシステムは彼女の判断で海外のシステムを取り入れたそうですが、海外研修した彼女にはわかっても家族にはそれが伝わらず、栃木の先進農場へ視察に行き、家族を説得したそうです。
 わが家のオヨメのワンポイント感想「よその家は効率化していると思った。」今回の研修のキーワードその1は『作業の効率化』でした。効率があがったら、働きやすくなり、自由な時間が増えるかもしれませんし、あるいは仕事を増やすことができるかもしれません。M牧場の場合、従業員が数名いました(労働の外部化)。牛の固体管理のシステム化により特定の人のカンにたよるのではなく、だれでもが牛の状態がわかるようになっていました(機械化とシステム化)。
 総じて酪農の世界では大きなお金が動きます。牛自体高価ですし、設備投資も半端ではない。びっくりしたのはえさの干草はすべて輸入だということです。円高だ円安だという為替レートの変動によってえさの価格はかわるのだなあと倉庫の干草を目の前にして思いました。戦後の物価の優等生は牛乳とタマゴといわれてきました。価格が変わらないということです。生産者の努力のたまものだと頭を下げると同時に国産の牛乳といいながらえさは外国産、ちょっと複雑な感想ももちました。

 そしてそして、わがやの『非効率を効率化する』最大の課題は山のような書類の整理整頓です。特に母である私!(笑)つぎからつぎへと仕事を抱え追いつかないという実態ですが、まあ、失せモノさがしの時間の多いことこのうえなしです。その点オヨメはそれが上手です。みならわなくちゃ。(by sa)
(2016年2月)

食卓から地球を冷そう(のらやま通信232/1403)

2016年04月28日 | 農のあれこれ


植物は空気中のCO2を吸収して育ちます。しかし、その木を燃やすと、木に吸収されたCO2が再び空気中に放出されます。また、そのまま地中に埋めても微生物に分解されて、CO2に戻ってしまいます。そこで、木を炭にして炭素を固定します。炭は地中に埋めても分解されず、CO2に戻りません。つまりCO2が排出されません。炭を埋めた畑で栽培された野菜。それが地球温暖化の原因とされる空気中の二酸化炭素を削減し、地球を冷すことが期待されるクールベジタブル、つまり『クルベジ』です。
京都に出かけるついでがあったものですから、こんなクルベジの社会実験をすでに始めているお隣の亀岡に立ち寄ってみました。
亀岡では放置されて困っている竹林を地域の未利用バイオマスとしてとらえ、バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用カーボンクレジット 取引→クルベジ® 販売という流れをつくっています。竹の伐採、炭化は地元の民間事業者に任せ、市農業公社が竹炭と混合した堆肥を製造し、炭の投入実績を管理するため散布まで行います。協賛企業5社からは栽培地看板や商品ラベル等についてクレジット取り引きしています。
 
販売は地元のスーパーマーケットで扱ってもらっています。店の入り口の正面に「クルベジ」コーナーが置かれ、5分ほど観察していたのですが、その間でも何組かのお客さんが足を止め品定めをしていました。残念ながら購入した場面には立ち合いませんでしたが、マスコミで取り上げられ、小売店の努力や広報等によりその存在はある程度は認知されているようでした。ほかのノーブランドの野菜の価格と比較しても、特に高いというわけでもないようです。もしかすると、ほかの野菜コーナーと離れた場所の特設コーナーであることが、かえってほかの野菜と比較できずに、購入を躊躇してしまっているのではないかという印象も持ちました。
 
JR亀岡駅から徒歩で10分ほどのところにはクルベジ農法による市民農園が開設され、地元の農業者による農業体験塾のようなものも行われているようです。農作業にはまだ早い時期でしたから露地畑はまだ休んでいましたが、ビニールハウスの前には竹炭の入っているであろうローンバッグが置かれていました。
亀岡の事例は、大学研究機関と行政だけでなく、地元事業者・農業者や民間企業との協力を得ながら、社会実験がうまく離陸しているようです。あとは消費者がその価値を認識し、購入行動まで成熟すれば実験が成功。さらに社会運動という形に醸成されれば温室効果ガス削減の一歩にという期待が膨らみます。そのためにも柏市での社会実験が重要な役割を担うことになると再認識させられました。
 
わが家で行われた1月のナシの剪定枝の炭化試験の結果が少し前に報告されました。わが家の畑から排出される剪定枝は約9t。炭化した炭の量が約3t。そのうち難分解性炭素量が約1t。難分解性炭素とは炭から揮発分(有機質)やミネラル(灰分)を差し引いたもので、安定的に貯留可能な炭素・元素状炭素という意味のようです。
わが家のナシ畑から、計算上とはいえ、毎年1tもの炭素を固定化できるというのは予想以上の量でした。樹木は当然、竹やもみ殻よりも炭素の抽出率が高い値のようで、産地として取り組むようになればさらに大きな数値となって社会にアピールできるかもしれません。

果物は必需品?贅沢品?(のらやま通信250/1509)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

 果物食べていますか?1日200g果物を食べようという運動があるが果物の世代別摂取量は年々減少している。摂取量が多いとされる60代以上でも平均160gほどだが、これからを担う若い世代の果物の摂取量は極めて低いものとなっている。20代~40代の平均摂取量は1日64gほどしかないのだ。さらにこの世代は全く摂取しない0gの割合が5割もいる。また農家の7割は60歳以上だ。果物をめぐる現状は、高齢者が生産して高齢者が食べる時代になっている。若い世代には今までのやり方ではなく、別のアプローチが不可欠な状況となっている。
 そんな中、若い世代の一員でしかも果樹農家である私がこれからどうしていくべきかを考えるキッカケとなるかもしれないと、去る7月23日に農水省主催の「くだものフォーラム」に参加してきた。このフォーラムでは、基調講演として上記のくだものにまつわる現状と果樹農業振興基本方針について、栄養学における果物摂取による健康効果についてあり、生産者2名と高級果物専門店の千疋屋総本店、カットフルーツ販売の弘法屋の事例発表、及びパネルディスカッションがあった。
 まず果物の摂取が少なくっている理由は、価格が高い、低所得、ジャンクフード等不健康な食品の選択肢が多いということがあげられる。また子供の場合、保護者の摂取状況や家庭での入手可能性の影響が大きくなる。果物はどうしても嗜好品だ。さらには贅沢品となっているのではなかろうか。極論すれば、果物はなくても困らないもの。果物が必需品であるかどうか3000人を対象に調査したところ、大人では3割ほどしか必要であると答えていない。子どもにとって必需品であるかどうかの調査では5割は必要だと答えている。大人と子どもでの差、これは頭の中では子どもに果物を食べさせた方が良いと思っている大人は多いということになる。これを改善するにはどうしたらよいのか。食育という言葉を初めて聞いてからだいぶ経ったが、単純にカラダにいいから、美味しいからと伝えるだけでなく、生産者の気持ち、さらには生産地から消費者までの流通の大変さを伝えることも大切である。食育だけやっていれば良いというものでもなく、食環境の整備も必要となっている。低価格化を実現するための仕組み作りや家庭菜園、産地やフードシステムの向上が必要だと考えられている。これらは日本だけの課題ではなく世界中で課題となっている。
●千疋屋のおはなし
 難しい話はここまでにして、あの西郷さんも足しげくスイカを買いに通っていた千疋屋総本店について話そう。創業181年目の千疋屋は現在の埼玉県越谷市にあった千疋村から由来している。京橋千疋屋や銀座千疋屋をのれん分けしたが現在資本関係はないという。平成17年に日本橋三井タワーに日本橋本店をオープンし、1Fのメインストアをフルーツミュージアムと呼び、2Fのフルーツパーラーでは6000円で2時間食べ放題だが連日盛況だという。千疋屋の取り組みは、年間100日の産地周りで産地との連携の強化、糖度選別の強化、エチレンガス発生を防ぐ鮮度保持シート、保証カードがあげられる。普通の八百屋ではあり得ない手間を二重にも三重にもかけているのだ。
千疋屋では国内産が90%を占めている。日本における果物の需要は40%が国内産、60%が輸入品であるから千疋屋における国内産の需要は大きい。シャインマスカットの需要が高まってきているように種無し、皮ごと食べられる、手軽な果実が人気だという。果物は糖度と酸味のバランスが重要だが、輸入品のグレープフルーツのような酸味のある果物は敬遠されてきている。さらにお馴染みのバナナの消費は伸びてきていて、房単位から1本単位へと販売形態が変化してきる。
また売上の30%は外国人だという。日本の果物は日本国内だけでなく、外国での需要が高まってきている。現に中東から月間数千万円のオファーがあり、特にメロンやマンゴーが人気だという。本当に消費者が求めるものを作れば、どんなに高い値段だとしても買ってくれる市場は確実にあるというのが千疋屋の考え方だ。
●果物はワクワクするもの
 これから日本の果物は国内だけでなく国外にアピールするチャンスが幾度ともある。5年後には東京五輪で多くの外国人が日本にやってくる。外国へアピールするのには絶好のチャンスだ。しかしどうだろう、ホテルの朝食にフルーツは確実にあるが、パインやグレープフルーツ、オレンジ、バナナ等外国産のものが多く並ぶ。このような身近なところから変えていかなければならないだろう。また美味しい果物をただ輸出するだけでなく、保存方法や食べごろ、食べ方、さらには生産者の思いまでをも輸出する必要がある。
果物は嗜好品だからこそ、ワクワクするものだ。これから生産者としても美味しい果物を作ってワクワクを届けていきたいと思う。日本の果樹農業を絶やさないために。これからの日本のために。    (co-sk)

(2015年9月)

我が家のブランド化計画(のらやま通信245/1504)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

ブランディングという言葉を聞いたことあるだろうか。最近は流行り言葉のようにメディアで耳にするようになってきたと感じる。単純にいうと価値を高めることだ。自分自身の価値を高めようというセルフブランディングという言葉まである。そんなブランディングの話をする。
昨年末より我が家は経営の見直しを行っている。新しい世代に交代する転換期である今、改めて経営の改善を図る時期となってきたのである。我が家は単純に梨農家や米農家、野菜農家という訳ではないのはご存知の通りだ。梨も米も野菜も、さらには加工品もと、何でもやる複合経営をしている。各々がそれぞれを好きなようにやっている点と点の集合体が現状の我が家なのだ。これを新しい世代に交代していく中で、点と点をつなぎ1つの大きな球(円)としていく作業を行っていく。この大きな球を作り、さらに大きくしていくことがブランディングというものなのだ。
この大きな球はそのままだと転がってしまう。転がらないようにするためにはそれを支える土台が必要不可欠である。まずその土台作りから始めた。この土台というのはどんな会社でも持っている「理念」というもの。今まで曖昧な表現でしかなかったものを文章化する作業、各々が頭の中でポツンと浮かんでいたものを明確に言葉にする作業を行った。これには時間を大変費やした。家族間で何度も話し合いを繰り返し、きっちりとした土台ではないにしてもある程度形としてはできあがった。我が家の理念は「共感」。我が家の農産物を通じて、関わりあうすべての人々と共感し合い、必要不可欠なパートナー的存在を目指したいと考えている。
土台ができたらその上に乗せる球を作る作業となる。我が家の場合は新しい球を作るのではなく、今ある点と点をつなげ円にし、さらに立体化させる。それをするために、ある6次産業化プランナーにアドバイスをいただく機会を得た。日本各地の一次産業をデザインで活性化するために全国を飛び回っている方。F社のN氏に遠く離れた北海道からわざわざ千葉まで来てもらい、ブランディングについての話を聞かせていただいた。
ブランディングとは、ただ商品ラベルをデザインすること、ロゴマークを制定すること、ホームページを作ること、パンフレットを作ることではないという。これらはあくまでもツール(手段)でしかないのだ。お客様に自分たちの思いを伝えること、思いをわかってもらえるデザインにすること、他とどう差別化するかがブランディングということになる。
企業には有形価値と無形価値が存在する。有形価値というのは土地だったり資産だったり技術だったり数値で表すことのできるもののこと。これらには限度がある。しかし無形価値は違うのだ。無形価値とは数値で表すことのできない部分、すなわち企業のイメージのことである。ブランディングの目的はこの無形価値をどう高めていくか、どう作っていくかということである。ロンドンに本社を置くインターブランド社による調査によると全世界で最もブランド価値の高い企業は誰もが知っているリンゴのロゴのところだ。新しい商品が発表されたら全世界で人々が熱狂する。あのリンゴの一口かじられたロゴが付いているだけで人々は良いイメージを持ち購入していく。同じような形や機能であれば、多少高くともリンゴのロゴを選ぶ。「いいモノ」を作っていれば売れる、結果は後からついてくるという時代は変わった。「いいモノ」を作ることはどんな企業も当たり前だ。その「いいモノ」についての価値を見出し、具体的な言葉にして伝え、アピールしてブランドを構築すること(他と差別化すること)がブランディングになる。
ブランディングという横文字の話を続けてきたが、これは今に始まったことではない。戦国時代にはもうすでに存在していたのだ。合戦の場において敵と味方を区別するために家紋が使われていた。旗やのぼり、鎧や刀に家紋がつけられていた。合戦のなくなった時代になると家の格式を表すために、庶民の間においても家紋が広く使われるようになった。戦国時代においての家紋は敵に向かって自分たちを主張し、味方には誇りを持ち連帯感を高めるツールであった。それが時代が移り変わり現在、家紋ではなくロゴマークとして、お客様に向けて自分たちを主張することに置き換わったのではないかと考えられる。
 これから我が家は新しく生まれ変わろうとしている。話し合いを続けて、より「いいモノ」、より良い環境作りを目指したいと考えている。このブランディングは一過性のものではない。ロゴマークができた、商品ラベルもできた、ホームページもできた、パンフレットもできた、ここでは終わらない。ここからが初めてスタートとなる。その先、お客様に伝えていくこと、それがブランディングとなる。
 さぁ、新しい時代を新しい世代で切り開いていこう。
(co-sk)

(2015年4月)

産み手ならつくってみたい血が騒ぐ(のらやま通信240/1411)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

出掛けたついでに東京ビッグサイトで行われていたアグロイノベーションというイベントに寄って来ました。農業の新しい潮流を概観するにはこういう展示会は最適です。せっかく近くで開かれているのですからその利点を生かさない手はありません。同種のイベントはいくつもあって、先月の幕張メッセのイベントはどちらかというと商談会、今回は新技術の発表会といった感じ。
今年のメインテーマは植物工場とICTを使った栽培管理システム。植物工場はわが家の経営としては当面検討対象外。ICTとはInformation and Communication Technologyの略で、情報通信技術を表すITにコミュニケーションの概念を加えた言葉。JGAPという農業生産工程を食の安全や環境保全の側面から管理する世界基準の認証制度があります。将来、JGAPを取得することを求められるでしょう。認証に際してはきちんとした栽培情報を管理することが求められます。農業経営者としては現在進行中の作業も含めた栽培履歴をクラウドデータで管理し、スタッフ間で共有、顧客へ公開するというICTの活用した栽培管理システムに取り組まねばと再認識させられたのですが、生産者としては新技術や新品種の方が気になります。
梨の新しい栽培技術としては、神奈川県から樹体ジョイント仕立て法と栃木県から根圏制限栽培法が発表されていました。どちらも数年前から公表されていて、前者は幹と幹をつなげていって(ジョイントして)、複数の根から一本の長―い幹を作ろうという技術。後者は果樹のポット栽培のようなもの。どちらも栽培管理の容易化、早期成園化、安定生産などを目的とする技術です。今後、借地で梨を栽培するようになると、不可欠な技術になるかもしれません。
ジョイント仕立てはわが家でもこの冬の苗木から少し試みるつもりでした。普通なら現地に出向いて担当者に時間をとってもらって聞かなければならないのに話を、今回は向こうから同じ所に来てくれて、しかも二ヶ所の現場責任者の話を聞けるのですから本当にありがたいことです。
梨の新種では、農研機構(国の果樹試験場)から「甘太」「凜夏」、神奈川県から「香麗」「なつみず」が発表されていました。「甘太」は「新高」に代わる品種。「凜夏」は気候温暖化に対応した品種。「香麗」は「幸水」より早く収穫できる品種。「なつみず」も「幸水」より少し早く収穫でき実の大きくなる品種。新しく登録される品種はどれもこれまでの品種にない特性があるもので、わが家としては「幸水」より早い品種を思案中。農研機構からも近いうちに早生品種がでるとかで楽しみです。
他の新品種をみると、キウイフルーツの新品種が複数の研究機関から発表されていました。神奈川県と東京都の研究機関からも。どちらも市街地のなかでも栽培しやすいという性質に着目しているということでしょうが、需要そのものがこれからも期待できるということもあるのかもしれません。
香川大学は自生しているシマサルナシとキウイフルーツを交雑させ、新品種を開発。小型でありながら糖度が高く、果皮に毛がなく皮を剥かずにそのまま食べられるというものでした。果皮は栄養価も高く、本場でもそういう食べ方をしていると聞いたことがあります。これは将来有望と苗木を手に入れることはできるかと聞くと、当面は香川県内に限るとか。香川県はキウイフルーツを特産にしようとしていて、この品種開発についても県のお金も投入されているとか。それでは仕方ありません。
ちなみに神奈川県は県の開発品種の栽培を県内に限るとはしていないそうです。キウイフルーツについては確認しませんでしたが、ナシはT県との比較で伺いました。神奈川県のナシは直売が多く、品種の知名度を高めるために、むしろ早く拡散するのを歓迎するとのことでした。なるほど地域それぞれの性格で戦略が違うようです。
加工用として注目したい品種もありました。オリーブの生産者が地域を越えて連携し、商品を開発、売り込みをしていました。国の農研機構でスモモとウメを掛け合わせて育成した「露茜」。その赤い色素に注目した和歌山県が加工品を開発。島根大学は地元で自生するダイコンを品種改良。辛味の薬味に使う「出雲おろち大根」と命名。登録品種名は「スサノオ」。相当に辛そうです。三重県鳥羽商工会議所は古来から自生する「タチバナ」に着目。永遠に香るといわれるその香りを生かしたオリジナル商品を特産品にしようとしていました。北海道からは海から陸に最初に上がったといわれる「シーベリー」を商品化。油成分は高級化粧品や皮膚疾患の薬に、ビタミンEと強い酸性は抗酸化作用のある加工品に、黄色い色素はお菓子業界にと応用範囲が広がります。
わが家でもどれか作ってみたくなりました。
(2014年11月)

広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ(のらやま通信235/1406)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


晴耕雨読ではなく晴耕雨W杯の6月を送っているのですが、先月に続いて新書の紹介。
一冊目は“百年幸せなまちをつくろう”という帯のコピーに惹かれて手に取りました。(『実践!田舎力 小さくとも経済が回る5つの方法』金丸弘美2013、NHK出版新書413)。金丸さんは食環境ジャーナリスト として全国の地域活性化先進事例を取材しつつ国・自治体の支援事業のアドバイザーとして活躍される中から、持続可能なふるさとづくりのための5つのアプローチを提案されています。
① 農産物に付加価値をつけて売る方法
② 素人を実業家に育てる事業の仕組みの立て方
③ 地元を売り出す広報ツールの開発
④ 観光やコンパクトシティを支える交流・連携の仕組みづくり
⑤ 持続可能なまちづくりのための環境エネルギー政策
農産物に付加価値をつけるのは<六次産業化>。短絡的な発想で失敗する事業が多い一方、成功事例にはいくつかの共通点があって、そのひとつが日常の生活のなかで自分たち自身が欲しいと思うものをつくること。きちんとつくったものは、そのよさを知っている地元の人たちが買いに来る。④は「着地型観光」。観光客を受け入れる側が旅行商品やプログラムを企画・運営。都会と田舎が互いの価値を認め合う交流型の観光で、景観づくりや芸能文化、農業、自然環境などの地域資源を生かすことが重要になる。いずれにせよ、地域に暮らす住民自身が地域の価値を理解し、うまく売り出すことができれば地域の経済は回りだし、雇用も生まれる。生活に根差した地域の価値を見出せることが田舎力だといいます。
そのタイトルからたまたま手に取った2冊目の新書(玉村豊男『里山ビジネス』2008、集英社新書448)も、森と人の境界線である里山ならではの恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが農業的な価値観にもとづく里山ビジネス。拡大せずに持続しながら生活の質を上げることができる愚直で偽りのない生活とともにある仕事なら、どんなにグローバル化してもそれに影響されることのない生活を確立できると主張します。
玉村さんは旅や料理についてのエッセーイストとして活躍したのちに長野の里山に移住。趣味のガーデニングから個人でワイナリーを立ち上げ、レストランには大勢のお客さまが訪れているそうです。そこでしかできないもの、そこへいかなければ食べられないもの、同じものでもそこで食べるからこそ美味しいものを提供する。料理とともにそこからの景観、特に夕景は自慢のひとつ。観光とは、風光を観ることの意。人と自然がたがいに関わりあいながらつくりだした景色を見る、ということ。特別な仕掛けはいらない。なにもなくとも嘘のない生活があればいいといいます。「農業は続けることに意味がある。その土地を絶えず耕して、そこから恵みを受けながら人も植物も生き続ける。ワイナリーを中心に地域の人が集い、遠方から人が訪ねて来、そこで作られたワインや野菜を媒介にして人間の輪ができあがる。それが来訪者を癒し、地域の人々を力づけ、双方の生活の質を高める」という記述には思わず付箋をつけました。
従来通り同じ作物をたくさん栽培して、青果、加工原料として出荷しても、出口の市場が縮小しているのだから売り上げは下がる。スーパーや量販店も生き残るために価格競争を始める。そうなるとさらに農作物価格は低迷するという構造的な課題を農業・農村は抱えています。政治家・企業家はその中でさらにナンバーワンを目指してグローバル化へ向かっています。
二人の著者は、そんなグローバル化に正面から抗うことなく、むしろ都会と連携をすることで田舎の価値を高めようといっています。小さくとも地に足のついた経済が回っている仕組みこそが、次世代に誇りを持って引き継げるふるさとをつくるはずです。少なくとも百年もの間、幸せに暮らせるまちはできるのか。このぐらいの時間軸でまちづくりを考えたいものです。
タイトルの<広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ>(ヴェルギリウス『農耕詩より』)は玉村さんの新書からいただきました。
(2014年6月)

コンサバをナシとハチから教えられ(のらやま通信234/1405)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


お彼岸を迎えたころからナシのつぼみが膨らみ、4月上旬には開花。それに合わせて摘蕾やら摘果やら、その間に稲の種まき、育苗、田植えと、今年も待ったなしの日が続きました。そんな毎日に追われ、最近とみに発信力が衰えてきたことを自覚しているのですが、実は、受信力も衰えていたようで、2014年の新書大賞を受賞した『里山資本主義』という新書(角川oneテーマ21)を先ごろまで知りませんでした。
グローバリズムや「マネー資本主義」の経済システムのアンチテーゼとして、中国地方の中山間地で木屑ペレット発電に取り組んでいる製材所があるとか、木造高層建築物が可能となってオーストリアではエネルギー革命が起こっているとか、新しい社会の具体例を提示し、お金の循環が滞っても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組みをつくろうといっています。多くの人に「懐かしい未来」として、田舎の可能性が注目されるのはたいへん喜ばしいことです。311以降のなんとなくもやもやした気分を吹き飛ばしてくれるのかもしれません。
『百姓貴族』というコミックも話題を呼んでいるようです。最近映画化された『銀の匙』という農業高校を舞台にしたコミックと同じ作者で、農業エッセイをコミック化した感じ。
どちらも、そうだよねえとか、あるあるって思う反面、今頃、こんなに騒がれてなんだかなあという思いもあるのですが、農業分野に様々な人たちが興味をもって入ってきてくれることは現場が活性化してありがたいことです。
しかしながら、農業あるいは農村の現場では急速にその姿を変えていて、農地制度を含めた農政の見直しとともに企業参入や金融機関による農業ファンド、農業起業家たちの踊る舞台となりつつあることも確かです(週刊東洋経済2014/2/18 特集:強い農業 世界で勝つためのヒント)。
そんな中でわが家の当面の仕事はナシづくり、コメづくりとわが家産品を原料とした菓子・ジャム・ソース加工。それに近在農家からの加工受託。これでこれからの荒海を乗り越えていこうと考えています。
『里山資本主義』の中にこんなわが家を後押ししてくれる事例が紹介されていました。瀬戸内海の島で原料を高く買い入れ、人手をかけて成功したジャム屋さん。自分も地域も利益を上げる方法が生まれたといいます。生産、加工、販売を地域で行うことによって外に出ていく金を減らし、地元で回すことのできる経済モデルです。わが家の加工受託はまさにここを目指しています。
また、わが家でも貨幣換算できない物々交換や市場外での流通も以前からいろいろと試みてきました。CSA(community supported agriculture)もそのひとつの形でしょう。グローバリズムや巨大企業に負けない農業を探し続けねばなりません。
もし農業が行き詰るとすると、雨も風も雪も百年に一度なんていう大きさのものになってしまう気候変動か社会的動乱(戦争)かもしれません。
最近、こうあらねばならないと大のおとなが声だかに騒ぎ立てて、あちこちでギクシャクしているように思えます。農業って今年も去年と同じように収穫できますように、我々同様、子どもたちも食べていけますようにと念じながら作業することが多いので、本質的にイデオロギーや原理に基づくよりも、日常的利益や生活を維持しようとなります。
これまでうまくいってきたことは変えようとしない。まずいことが起きたらそこだけ変えればよい。まさにこういうことかもしれないなあと、新聞記事に目が止まりました。18世紀の思想家エドマンド・バークを引き合いに、真の保守とはこういうことだと、生命保険会社会長が紹介していました(朝日新聞4月11日オピニオン欄)。
やっぱり農業って保守主義だったんだって再認識させられたと同時に、環境を守れ、ふるさとを守れ、平和を守れって、進歩的な人の主張だといわれてきたことが、実は今の世の中では最も保守的だったと気づかされました。いつのまにか立場がすり変わっていることに驚かされます。
(2014年5月)

食卓から地球を冷そう(のらやま通信232/1403)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

植物は空気中のCO2を吸収して育ちます。しかし、その木を燃やすと、木に吸収されたCO2が再び空気中に放出されます。また、そのまま地中に埋めても微生物に分解されて、CO2に戻ってしまいます。そこで、木を炭にして炭素を固定します。炭は地中に埋めても分解されず、CO2に戻りません。つまりCO2が排出されません。炭を埋めた畑で栽培された野菜。それが地球温暖化の原因とされる空気中の二酸化炭素を削減し、地球を冷すことが期待されるクールベジタブル、つまり『クルベジ』です。
京都に出かけるついでがあったものですから、こんなクルベジの社会実験をすでに始めているお隣の亀岡に立ち寄ってみました。
亀岡では放置されて困っている竹林を地域の未利用バイオマスとしてとらえ、バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用カーボンクレジット 取引→クルベジ® 販売という流れをつくっています。竹の伐採、炭化は地元の民間事業者に任せ、市農業公社が竹炭と混合した堆肥を製造し、炭の投入実績を管理するため散布まで行います。協賛企業5社からは栽培地看板や商品ラベル等についてクレジット取り引きしています。
 
販売は地元のスーパーマーケットで扱ってもらっています。店の入り口の正面に「クルベジ」コーナーが置かれ、5分ほど観察していたのですが、その間でも何組かのお客さんが足を止め品定めをしていました。残念ながら購入した場面には立ち合いませんでしたが、マスコミで取り上げられ、小売店の努力や広報等によりその存在はある程度は認知されているようでした。ほかのノーブランドの野菜の価格と比較しても、特に高いというわけでもないようです。もしかすると、ほかの野菜コーナーと離れた場所の特設コーナーであることが、かえってほかの野菜と比較できずに、購入を躊躇してしまっているのではないかという印象も持ちました。
 
JR亀岡駅から徒歩で10分ほどのところにはクルベジ農法による市民農園が開設され、地元の農業者による農業体験塾のようなものも行われているようです。農作業にはまだ早い時期でしたから露地畑はまだ休んでいましたが、ビニールハウスの前には竹炭の入っているであろうローンバッグが置かれていました。
亀岡の事例は、大学研究機関と行政だけでなく、地元事業者・農業者や民間企業との協力を得ながら、社会実験がうまく離陸しているようです。あとは消費者がその価値を認識し、購入行動まで成熟すれば実験が成功。さらに社会運動という形に醸成されれば温室効果ガス削減の一歩にという期待が膨らみます。そのためにも柏市での社会実験が重要な役割を担うことになると再認識させられました。
 
わが家で行われた1月のナシの剪定枝の炭化試験の結果が少し前に報告されました。わが家の畑から排出される剪定枝は約9t。炭化した炭の量が約3t。そのうち難分解性炭素量が約1t。難分解性炭素とは炭から揮発分(有機質)やミネラル(灰分)を差し引いたもので、安定的に貯留可能な炭素・元素状炭素という意味のようです。
わが家のナシ畑から、計算上とはいえ、毎年1tもの炭素を固定化できるというのは予想以上の量でした。樹木は当然、竹やもみ殻よりも炭素の抽出率が高い値のようで、産地として取り組むようになればさらに大きな数値となって社会にアピールできるかもしれません。
(2014年3月)

やっかいものみんなきにしてすみにしましょ(のらやま通信230/1401)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

現代社会のやっかいものといえば経済的にも割に合わないゲンパツ。みんなが一生懸命気にかけて“済み(廃炉)”にしたいものですが、もうひとつのやっかいものは地球温暖化を引き起こすCO2。
 現在、地球温暖化防止のため、先進国は京都議定書に基づいてCO2の排出量上限を決めていますが、自国の排出削減努力だけで削減しきれない分について、排出枠に満たない国の排出量を取引することができます。この地球温暖化の原因とされるCO2を排出する権利を企業間や国際間で流通するときに、クレジットとして取り扱われていて、これをカーボンクレジット(炭素クレジット)といいます。排出権を売買する取引市場も開設されています。
植物はCO2を吸って、自らを成長させながら酸素に換えています。しかし、植物は腐ったり燃えたりすると、再びCO2を排出します。でも、植物を炭にしたらCO2は排出されません。ナシの剪定枝も炭素のかたまり。燃やすと灰とCO2に。チップにすれば分解するときにやはりCO2が再び空気中に。炭化して畑に還元すれば、その分、空気中のCO2は減ることになります。もしかすると、その炭素貯留分のクレジットを企業が買ってくれるかも。そうなったら廃棄する対象であった剪定枝が新たな資源になるかも…。
実際のところは、炭素貯留という観点からのバイオ炭の施用コストの回収は通常よりも大量施用を想定していることもあって、現状の国際間取引価格であるカーボンクレジット(二酸化炭素取引)価格では非常に難しいと考えられます。そこで、バイオ炭による炭素農地貯留を行った農地で栽培された農作物のブランド化によってコストの回収を行おうという取り組みがすでに京都府亀岡市で行われています。
バイオ炭の持つ多孔質な構造は、土壌の保水性や透水性、肥料保持性を高めます。また、有用微生物の生息場所となることで、植物の根圏環境を改善し、病害虫への抵抗・予防を高めます。さらにアルカリ性を持つことから酸性土壌を中和するという化学的改善にも寄与するという最適な土壌改良材。亀岡市では地球を冷やす“クール”な、野菜“ベジタブル”、略してクルベジ®としてエコブランド化しています。地域の未利用バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用→カーボンクレジット取引&クルベジ®販売という流れを経て、温室効果ガスの削減と農山村部へ資金還流を導くという社会実験です(食卓から地球を冷やそう 亀岡カーボンマイナスプロジェクト)。
亀岡では主に竹を炭化していますが、千葉ではナシの剪定枝の処理も困っているが、逆にそれを資源化、付加価値化できないかということで、亀岡プロジェクトに参加している大学研究室がわが家で剪定枝の炭化実験が行いました。まず①ナシ剪定枝は炭にできるのか。次に②その炭からはどれほどの炭素を取り出せるのか。①については、毎年、剪定枝を焼いていますので、個人的には実証済み。②は大学研究室にお任せ。どの程度の数値になるのか、お楽しみ。
どのように剪定枝を炭にするか。今回試したのはちょっと深い皿のように加工されたステンレス製の“無煙炭化器”。以前、県の機関が試みた炭化プロジェクトでも採用されていましたが、炎がオープンなため防火上難あり。その上、“無煙”とはいえ剪定直後の枝を焼却するため、細枝を大量に投入した際には水蒸気の白煙が立ち上がって低い評価。ところが、炭が炭素貯留になり、ローテク・ローエネで短時間に大量にできる機材ということで、再評価されての再登場。
やはり燃焼時の白煙の問題は未解決。剪定後にしばらく乾燥させて焼却(炭化)すれば、白煙はいくぶん小さくなると思いますが、さてさてうまく事業化できますかどうか。
みんな木にして炭にしましょ。

(2014年1月)