のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

善玉もところ違えば悪玉に

2009年11月30日 | 晩秋の梨畑
キノコ類も地表から生え出していると
いよっ、がっばってね、なんて声もかけたくなるのですが、
こういうふうに樹上に、しかも生木から生えているのは
困ったもんでして、つまり、
その部分が枯れ込んでいるということでして、
そのうちこの木も元気がなくなると。

こうして見上げてると、
未確認飛行物体が群れをなして飛来してきて
地球侵略の基地を形成しているようにみえてくるもので…

田分けもの一枚二枚減って農なしに

2009年11月29日 | 農のあれこれ
今夜のラジオ・ニッポン放送『The Voice of farmers』20:30-21:30では
わが家の父と後継者君が登場。
(11月29日の「イケメン発見」のページを参照してください)
主役は後継者君だったけど、どうも父が話過ぎたようで。

一昨日27日のブログで
うまく気持ちが伝わったかななんて書きましたが、
十分にポイントをつかんでいたようでたいへん失礼しました。

今回の番組が、農家の仕事の半分は土づくりだということを
少しは聴取者の考えるきっかけになったのではと期待しています。


ところで、番組の最後で「畑の言葉」?というコーナーがあって
“戯け”は“田分け”という説があるという話を紹介していました。

子供かわいさに少ない田んぼを分けて与えたところ、
どちらも農業では食べていけなくなってしまった。
そういうおろかなことをするものを
“田分け”→“戯け”となったという説です。
同じようなことをほかでも聞いたことがあります。

このことで思い出したのは先日の新聞記事。
(『全国農業新聞』09年11月27日号 全国農業会議所発行)
映画監督の神山征二郎さんが
「戦後の農地改革は日本から農業をなくすための
占領軍政策に織り込み済みの結果ではなかったか」と書いています。

地主階級は消滅し、小作農家は歴史上はじめて土地を入手する。
だけど、商工業中心の国策の前に50年足らずの間に
自前の耕地は一枚減り、二枚減り、とうとう生家の農業は
完全に消滅してしまったというのです。
もしも地主制度が続いていたなら
こんなにもろく農業が崩壊したか、と。

もちろん、戦後の農地改革は
従来の封建社会を終わらせ、民主化を推し進めたという評価されています。
当時の農村は小作争議、社会主義革命の危険が高く、
農村の保守化をねらった政治的意図があったともいわれます。

しかし、もしも土地資産の運用に長けている地主層が生き残っていたなら
今日の耕作放棄・未利用地がこれほどになっていたのか。
都市も農村ももっと計画的な土地利用がなされていたのではないか。
そんなことまで考えさせられた“田分け”の話でした。

太陽王霧中を走り抜けたれば

2009年11月28日 | 柏レイソル
「痛恨のドロー」
ニュース配信のタイトルが泣いています。
わが街の太陽王が来期、クラス落ちすることになりました。

思えば11か月前、あれよあれよという間に天皇杯決勝戦に進出。
「まさか」が「やっぱり」で終わってしまった元旦が
そのまま象徴していたかのようなこの一年でした。

前回降格時にはなかった徳島や富山まで遠征できると強がってみても
五里なのか十里なのか霧中であることに変わりなく、
とにかく走り抜けることを見守るしかありますまい。

消えぬ霧はない。
昨日は穏やかな小春日和になりました。
写真は11月27日朝6時13分の様子。

先日紹介した野田のわぴちゃんが
昨日一日の雲の変化をレポートしてくれています
わが街の太陽王もこれからもさまざまな天空ショーを
見せてくれるでしょう。

お嬢さん土を引き継ぐことわかる?

2009年11月27日 | わが家の時時
明後日29日日曜日、午後8時30分からのラジオのニッポン放送の番組で
わが家が紹介されるという連絡がありました。

The Voice of Farmersという番組。
「農業に人生を賭けている人間のリアルな姿を通してこの新しい潮流を伝え、
応援していくラジオ番組」という触れ込みです。

どういうルートでわが家にたどり着いたのかは不明です。
HPをみて興味を持ったとのことでした。
民放ラジオまで農業を扱うようになったのかと
生来のイッチョカミ根性から先週の土曜日に取材をお受けしました。
番組のパーソナリティが3月にお店を訪れた
オーガニック野菜のスイーツパテシエ
Kさんということでしたので
ナシを使ったスイーツに関心をもってもらうきっかけにならないかという
淡い期待もありました。

10月からはじまった番組で、
これまでは主に新規就農者を紹介してきたようです。
若い放送作家さんがわが家をどういうふうに“料理”するのか、
興味津津です。
多世代が役割分担しながら引き継ぐ家族経営という姿が
彼女に伝わっていればいいのですが。

ナシ畑モグラ団地じゃあるまいし

2009年11月24日 | 晩秋の梨畑
ナシ畑では元肥施肥が始まっています。

わが家の元肥は自家製有機質ぼかし。
梅雨の間に作り置きしたぼかし肥料を地中に埋めるために、
ホールディガーというトラクターアタッチメントの穴掘り機で
等間隔に穴を開けていきます。

毎年やっている作業ですから、
時には一度開けたところを再び開けてしまうこともあるのですが、
施肥したその後を確かめる好機。
腐敗したりはしていないので問題はなさそうです。

先日、今年の収穫前段階の土壌分析結果が戻ってきました。
窒素、リン酸、カリのバランスもよく、量的にも問題なし。
つまり、施肥の必要なしという結論。
成分が足りないとか過剰というのも困ったものですが、
必要ないというのもどうするか厄介なものです。

たまたまサンプルがそういう土壌だったのでしょうが、
近年の植物質中心の抑え気味の施肥で
成分間のバランスが悪かったところが是正されたのかもしれません。
このままの状態が維持されるよう気持ち程度の肥料と
微量要素・ミネラルでも補給しておきますか。

買っただけ積ん読だけの紹介かも(その3)

2009年11月23日 | 農のあれこれ
夏に購入した書籍をようやく紹介できます。
前回の「買っただけ積ん読だけの紹介かも(その2)」は9月21日でした。


『フード・ウォーズ 食と健康の危機を乗り越える道』
ティム・ラング&マイケル・ヒースマン 著
古沢広祐&佐久間智子 訳
コモンズ社 2009年5月 2,800円+税

本国イギリスでは話題になった本のようです。
食料をめぐる
①健康、②産業、③消費者文化、④環境、⑤フード・ガバナンス
という五つの切り口からの論点を整理し、
食と健康の未来をどう選択するのか問題提起してます。


今日の食と健康は長期的な変化の過程にあり、
かつ大きく混乱している。
まさに、この状況は「フード・ウォーズ」だといいます。

つまり、
過去2世紀にわたって工業化と都市への人口集中によって確立された
食糧供給システムが健康や環境の悪化、飽食と飢餓の併存など
大きな課題をかかえ、もはや存続できない状況にある。
かといって、
それに代わる新しい食と健康に関わる考え方、システムが
用意されているかというと、
食料の質・安全性、食糧供給における企業支配、
先端技術による解決なのか伝統的風土による解決なのかなど、
多くの競合と対立が見られ、
将来の食糧供給についてのビジョンとモデルが定まっていない。

本書では、これまでの食糧供給システムの支配的な考え方を
「生産主義パラダイム」。
対立する将来の食糧供給のあり方を「ライフサイエンス・パラダイム」と
「エコロジー・パラダイム」と呼んでいます。

ここで「パラダイム」という単語が出てきます。
パラダイス? オカラにダイズ? いえ、パラダイムです。

辞書には
ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」
とあります。
もともとは科学分野の言葉ですが、
拡大解釈されて思想や産業や経済分野でも使われているようです。

「生産主義パラダイム」は
空前の人口増加に対応する食料と
一年中便利な加工食品を豊富に提供したが、
健康や環境への関心はわずかで
システム自体の持続可能性が危惧される…

これに対し、
ライフサイエンス・パラダイムとエコロジー・パラダイムは
ともに環境の側面を重要視しているが、
エネルギーや水などの資源の有効活用する方法が異なる…

ライフサイエンス・パラダイムはバイオテクノロジーを産業化し、
「健康」も計画的で制御可能とする…

エコロジー・パラダイムは自然をコントロールする手段として
生物学を利用すべきでない、「自然とともにが大事」と考える…

健康の面で比較すると、
生産主義パラダイムは「十分な食料供給がより重要」、
ライフサイエンスパラダイムは「個人ベースで技術的に健康が実現可能」、
エコロジーパラダイムは「多様性、地域主義により健康的状態に」。

読み替えると、
植物工場とサプリメントに命を預けるのか、
有機食品と地産地消で命をつなぐのか、
ということでしょうか。

ライフサイエンスパラダイムには
巨大企業とグローバル経済がついていて、このままでは優勢になるかも。
しかし著者は、
エコロジーパラダイムこそが強力な支持を受けるに値すると考えています。
さらに、食と健康に関する政策は、
人類が自然と一体になるためのものでなければならないと呼びかけます。
それを支えるのは食と健康をどう考えるかという
一人ひとりの価値判断(文化)というのですが、
さて、そのご覚悟はありやなしや。

出会うこと波間に光る白い影

2009年11月21日 | 雲図鑑
              

落語「芝浜」は浜辺で財布を拾ったことが夢になるという人情話ですが、
きっとこんなふうに波間に何かが光っていたのだろうと
思わせてくれる昨日の雲上劇場でした。

上空高いところにできる「波状巻積雲」というようです。
「わぴちゃんのあおぞら・めいと」というサイトで教えてもらいました。
もともと雲の名前を教えてくれるところはないかと見つけて
いつもお世話になっていたサイトでした。

たまたま、相互リンクしているぐりおさんのブログで紹介していた
気象予報士のブログサイトも
やはり「わぴちゃんのメモ帳」というブログサイトでびっくり。
http://wapichan.cocolog-nifty.com/blog/
同じ管理人の方が発信しているサイトでした。
ぐりおさんとわぴちゃんはインタープリター仲間?
専門家同士の会話はついて行けないところがあっても刺激的です。

わぴちゃんは野田に住んでいる方のようで、
もしかして同じ雲をみているかなと昨日のブログサイトを覗いてみると…

ありました。ありました。
でも、「波状巻積雲」ではなく「彩雲」として紹介されていました。
太陽の近くにある雲が虹色に色づいて見える現象だそうです。
柏ではそんな風にみえなかったような…
それとも知識がなくて見ていなかったのでしょうか。

スズメの子葉も色づけば地に潜らん

2009年11月19日 | 梨の土づくり
今年はナシの黄葉がここ数年では一番きれいに色づいているようで
(ワインの宣伝文句のようですが)
そろそろナシ畑に元肥を穴を掘って入れ込むのですが、
今日も予報よりも早く午前中から冷たい雨。
それではと薪ストーブの準備です。

煙突の中の煤を掻き出していたら
ミイラ化した雀二羽とスズメバチ一匹も出てきました。
火を焚かない時期に煙突の中に落ちてしまい、
外にでられないままミイラに。

一度、ストーブの焚口を開けて
自力で屋外に飛びたたせようとしたことがあるのですが、
窓を開けていてもなかなか抜け出せず、
しばらく室内で飛び回っていたことがありました。
それ以来、気がつくと夏でも火を焚いて
焼き鳥にしていたのですが。

煙突の中に落ちてしまったスズメは
早く気がついて焼いてやるのがいいのか、
そのままミイラになるのを待つのがいいのか、
わかりません。

アエラまでアグリあんぐりバブルかな

2009年11月18日 | 農のあれこれ
雑誌『アエラ』臨時増刊no.54 11月20日号です。
「得する農業」
「AERA meets アグリ」
「農バブルでニッポンは成長する」のだそうです。

これまでもいろんな専門外の雑誌が農業特集をしています。
後発のアエラは魚沼でコメ作りに挑戦したそうです。
そこから何を発信するのか、
たいへん恐縮ですが、あまり期待せずに手に取りました。

アエラらしさはそこここに見られます。
体験用にリーフレタスの種が種苗会社から提供されていました。
政権交替で農政がどう変わるかという記事、
農業女性を嫁の立場からの視点で紹介している記事…

でも、内容は盛りだくさん。
これ一冊で完結させようとしている感じ。
保存版にしてもらえるくらい高価そうな紙質は
「アエラは農業をテーマに取り上げました。
でもこれでおしまいです」と主張しているよう。

巻末には“だから、もう無関心でいられない。
私たちは農業を見つめる視線は、変わった。”というメッセージ。

いろんなところで農業を取り上げてもらえるのは
ありがたいのだけれど、
臨時増刊で特集を組むよりも定期発行する号の中で
ときどき忘れたころに発信してもらえる方が
編集者の思いが読者に届くのではないかなーって。

表紙で、O切萌えちゃんが素肌に稲穂を担いで微笑んでいます。
撮影後、彼女は体中がチクチクして泣いたんじゃないか
なんて心配してしまいます。

野良仕事仕方ないから面白い

2009年11月15日 | 農のあれこれ
写真は昨日の夕焼けの一部(南の空)。

夕方ラジオを聞いていたら「もったいない」と同様、
「仕方がない」という日本語も英訳できないそうです。

本当かとネット上の和英辞典でみると、
「どうにもならない」という意味で

there's nothing you can do about it
There was no help
I had no choice

というような表現がありましたが、
ラジオでの説明では
たとえば、「台風で稲が全部倒れてしまった。
仕方がない。また来年つくろう」というような場合には、
no help や no choice とは違う意味になるというのです。
つまり、あきらめるのだけれど“次のある”あきらめというのか、
“まだ先に希望のある”あきらめ というのか。

ヒィリピンのタガログ語には似たようなニュアンスの言葉があるそうで、
農耕文化にはあって狩猟文化にはない単語ではないか。
生物の進化というのも弱肉強食とか能力が高いから生き残るのではなく、
環境の変化に適応できたものが生き残ってきただけ。
そんな話でした。

なるほど。
いつも立ち位置をニュートラルにおいて
常に何が一番大事かということを考えていれば
間違った選択はしないということか。

でも、タイトルが「野良仕事面白いけど仕方ない」では仕様がない。
やっぱり「野良仕事面仕方ないから面白い」でいきましょ。

クリ6位ブドウは7位ナシ9位

2009年11月14日 | 農のあれこれ
写真は今日の東の空の夕焼け。


先日の新聞に果樹・茶の7月15日現在の
作物別栽培面積と前年比が出ていました。

全国ナシ研究大会などに参加して
多くのナシ農家と会う機会が多かったり、
好きな果物ではいつも上位にナシが出てくるものですから、
ナシの栽培面積もほかの果樹よりも相当あるのではないかなんて
勝手に思っていたのですが…

一番面積の多いのはカンキツ 49,900ha。
続いて茶 47,300ha、リンゴ 41,100ha。
このあたりはそうでしょそうでしょという感じですが、
その他のカンキツ 28,700ha、カキ 23,600ha、
クリ 22,900ha、ブドウ 19,400ha、梅 18,200haとなって、
ようやく日本ナシ 14,700ha、モモ 11,000ha。

これに続くのが、
オウトウ4,900ha、スモモ3,200ha、キウイフルーツ2,460ha。

前年比でみると、カンキツはマイナス3%。
ナシ、カキ、梅、クリはマイナス2%。
リンゴ、モモ、ブドウなどはマイナス1%。

ナシの資材屋さんの話によると、
有利に販売できない農家や後継者のいない農家は
どんどんやめているとか。

もっとも将来国産の果物が食べられなくなるよりも
果物消費の減るスピードの方が速いかもしれませんが。

葉を散らし地を掘り流すさざんか梅雨

2009年11月11日 | ネイチャースケッチ
昨夜から大きな雨でした。
平年の11月ひと月分の雨量が一日であったとか。
耕うんしたままの畑ではあちこちで表土が流れていました。

いつぞやも晩秋に大きな雨があって
田んぼが水であふれたこともありました。
(過去のブログをひっくり返してみたのですが
見つかりませんでした)
季節外れの雨というか、
晩秋から初冬というと木枯らしの吹くイメージなんですが、
これまでの経験では計り知れない気象現象が
起こるようになっていますね。