のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

美少女図鑑も駅前屋台村もユルベルト

2013年10月07日 | 近隣スケッチ
8回目を迎えた柏のユルベルトが6日(日)、7日(月)に行われました

今回の参加店舗は100店を超え
同種のイベントでは関東地区最大ではないかといううわさも
さらに今回は美少女図鑑プレゼンツによる
ウェディングドレスファッションショーが行われたり
駅前広場の一角に屋台村が出現したりと新企画が次々打ち出されていました

ユルベルトというのは前売りの5枚綴りのチケットを購入し、
参加店舗でユルベルト用の特別メニュー、だいたい1プレート・1ドリンクをいただけるという仕組みで
気になっていたお店や知らなかったお店で柏の新しい美味しさを発見してもらおうというイベント
敷居の高そうなお店にも若者向けのお店にも気軽に入れ
5店もまわるとおなかもいっぱいになるし酔いも回るものです

ウェディングドレスファッションショーは
残念ながら前日に行われたので見ることはできませんでしたが
そのキャッチコピー
“柏で結婚して、柏に住んで、柏で子育てをしようプロジェクト”には感激です
このプロジェクトが末永く続きますように

もうひとつ、駅前広場の屋台村はとてもよい企画でした
主催者側は広場の利用規則のぎりぎりのところを挑戦し大変だったようですが
駅のホームに焼き鳥の匂いが漂うなんていうのは
ここ数十年なかったことでしょうし
やはり街ってこういう混沌とした部分もあって楽しくなる気がします
とてもアジア的かもしれませんが

前回は地元の野菜、果物を使ったメニューをという企画でした
市内の農業界と飲食店界がもっと仲良くなれたら
たとえばトマトの季節なら市内のトマトを使った一品料理を提案しあうとか
今回、仲間内で盛り上がったのが選択メニューのなかにお米があってもいいということ

アルコールを飲まない参加者は美味しい料理があったらご飯があればもっといいかも
地元の米を使ったおにぎりなんか用意されていたら
地元のお米を食べようキャンペーンになります
あるいは屋台村の中におにぎり屋さんがあって
小さなおにぎりを携帯してあちこちの自慢の料理をいただくというはいかが
そうだ、いつかチャチャチャビレッジでおにぎりで参戦しよう

絆、団結、輪、そして佛心

2009年05月05日 | 近隣スケッチ
毎年、春の連休はホラ貝と鈴の音に導かれ、
地域最大の民俗行事と呼ばれる大師講の巡行が行われます。

(大師講についてはこちら、あるいはこちら

今年は講中(組合)ができてから201年目にあたるそうで、
隣の集落の柳戸地区が結願区。
わが家から谷津に下りて行ったところに位置する弘誓院が
その会場で、集落の住民はほぼ総出。
そのほかに数百人の講員・見学者が集まりました。

田植えで忙しい時期に
なぜ地域ぐるみのこんな行事がとも思えますが、
連休中に田植えというのはここ数十年の話。

組合を構成する集落の範囲が手賀沼流域とほぼ一致する
ことと考え合わせると、
組合設立当初は一種の水利組合のような性格があって、
これから始まる田植えの際に地域で交流を深めて
不要な水争いを避けようという社会システムだったのではないか
なんて仮説がたてられそうです。



200年も続いている行事ですが、
運営する単位組合の母体は各集落。
その集落組織が姿を変えようとしています。
はたしてこれまでと同様な形で存続していけるのか。
心なしか、結願行事に集まった人たちの数も
以前より少くなってきたような…

ガシャモク・ササバモ・ヤナギモ

2009年04月20日 | 近隣スケッチ
久しぶりに谷津の道を通ったら
こんな看板が立っていました。

水生植物の移植実験をしているのだそうです。
沼底の土中に残された水生植物の種子(埋土種子)を芽生えさせ、
沼に注ぐ流れに移植。
それによって、かつて水草の繁茂していた手賀沼を取り戻そう
という実験とのこと。

「手賀沼水環境保全協議会」とあります。
水草を育てたのは付近の小中学生だとか。
大事にしてくださいと書いてあります。

たしかにこの谷津は上流に集落や工場もなく、
今もあるのかどうか、水源には湧水がありました。
冬でもそれなりの流量のある流れです。
もしかしたら手賀沼流域では最も自然度の高い流れかもしれません。

以前、ここで貴重な水草が見つかったという話は聞いていましたが、
そこに移植までしていたのですね。

今は田んぼ用水が上がっていて、
日中は流量が増し、夜間になると元の流れになるという
排水路状態になっていますが、
こういう流れが地元にあるということを周辺の方々に広まれば、
地域に自信をより持てるようになるのでしょうが。


〈水そよくよ池の水草生ひそめぬ〉内藤鳴雪

元旦やしずかに居りてありがたし(相馬虚吼)

2008年01月01日 | 近隣スケッチ
全国的にみれば雪の降っているところが多いようですが、当地では穏やかな新年の朝日を拝むことができました。

元旦には近在の寺社に初詣をしています。隣町にある「粟島神社」にも行ってきたらという祖母の薦めもあって、娘たち二人も連れ出しました。粟島神社は婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社ということで、3年前になくなった曾祖母がよくお参りしていました。

出かけていった白井市今井の粟島神社はかつてはにぎやかなときもあったのでしょうが、集落のほぼ中心部にひっそりと佇んでいました。ところが境内に見慣れぬ小さな鳥居が新設されています。鳥居の下は30cm四方くらいの大きさしかありません。鳥居をくぐるのだという説明がありましたので、コンクリート敷きの上を這いつくばってくぐろうとしたのですが、ちょっとキツイ。

どういういわれがあるのかと家に帰ってから調べてみましたら、「腰のべ鳥居」だったようです。こちらは熊本県宇土半島にある粟島神社に残る伝説だそうで、腰が曲がらないようにするお祓い、婦人病とも因縁の深い下半身の病気全般にご利益があるとのこと。今度はござを持って出かけてみましょう。

正月というと、曾祖母が子供のころに歌っていたという歌を思い出します。

♪豆腐のような餅食って雪のような米食って、正月っちゃいいもんだ。ああもっともだ、もっともだ♪

どういう節だったか、聞いたときには曾祖母も忘れていましたが、昔の暮らしの様子が想像できます。新年を迎え、世界情勢が混沌とするなかで食糧危機が危惧されるという声も聞かれました。白い米や餅が十分に食べられない時代にはしたくないものです。

観音は近づきやすし除夜詣(じょやもうで)(高浜虚子)

2007年12月31日 | 近隣スケッチ
近在では唯一、鐘のある柳戸の観音様、弘誓院。すぐ近くにありながら、ほんとうに久しぶりに除夜の鐘をついてきました。

23時45分に突き始まってから出かけても、人出は例年よりも少ないとかでカウントダウン直後には順番が回ってきました。係りの人が数珠で鐘の数を数えていましたが、何番目かは聞けませんでした。

社会的にはあまりよいことがなかった2007年を鐘の響きとともに打ち砕き、わが家としても明るい話題の多い2008年にしたいと願いました。

静かな大晦日です。

虔(つつ)ましう年の新戸(にいと)をひらくおと今きかむとす鐘なりやみて(九条武子)

元日や上々吉の浅黄空(一茶)

2007年01月01日 | 近隣スケッチ
2007年の元旦、この冬一番の寒さになったようです。昨夜の賑わいがすっかり落ち着いた午前中、近くのお寺と産土さまに初詣、先祖の墓参りをしてきました。

             

わが家の家から降りていった谷津止まりのところにある弘誓院には鐘楼があり、昨夜は年明け前から鐘の音が響いていました。元々は祈祷寺として栄えた古刹で、夜遅くまで護摩が焚かれていたはずです。

産土さまでは年越しの拝礼行事に地区の若衆組が焚き火をしたり、酒を振舞ったりしてきました。ここ20年来、お手伝いをしてきましたが、そろそろ卒業ということで、昨夜は出かけませんでした。10年程前には境内に入りきれないほどの人を集めていたのですが、人出も最近は少なくなりました。

わが家の菩提寺は静かな朝を迎えていました。何人かが朝早く墓参りに来たらしく、霜柱に足跡が残されていました。焚いた線香の煙が薄く漂っていました。

            

先日紹介した養老孟司さんの環境論(『いちばん大事なこと』集英社文庫0219B)の中で、「なにも起こらないことはすばらしい」という項がありました。歴史もジャーナリズムも、なにかが起こらないと評価しないが、なにかが起こらないようにすることは意外に大きな努力を必要とするといいます。

今年一年、なにも起こらないよう過ごしたいものです。

小春日を流るる時のかげろへば

2006年11月29日 | 近隣スケッチ
わが家の裏を流れる小さな流れです。千葉県北部の台地に入り込んだ低地を「谷津やつ」と呼びます。まわりの台地や斜面林から滲み出た水が集まり小さな流れとなって、手賀沼に注いでいます。

この流れの前、谷津の一番奥には古刹・誓弘院(ぐぜいいん)が鎮座してます。誓弘院の境内には大きな二本の銀杏の樹があって、この秋最後の彩りを見せていました。

         

         
            雌雄なのか葉の色が違っています。

         

         
           今年は銀杏が極端に少なかったそうです。

         
           もみじも鮮やかな葉色をしていました。

         
右側に見える杉の大木には何度も落雷があって、焼けた幹の中からは桜の幼木が伸びてきています。低地にありながら、天空にもっとも近い場所のようです。そんなオーラが感じられた所だから寺院が建てられたのかもしれません。