のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

すっぽんも時やつくらん春の月(一茶)

2007年06月30日 | 今年の米づくり
田んぼ除草剤の選択の失敗で雑草のホタルイが繁茂している部分で手取りしていましたら、泥の中にコチンと硬いものが。石だと思って法面に放り投げたところ、石から手が出て足出て頭出て…

甲羅の長さ6,7cmのスッポンでしょうか。まさかカミツキガメではないでしょう。最近、あちこちの田んぼでカメがいたという話を聞いていましたが、こうして身近に手に取ったのは初めてです。

田んぼで何を食べているのでしょうか。いっそのこと、雑草も食べてくれればいいのですが。

下々(げげ)も下々下々の下国の涼しさよ(一茶)

2007年06月29日 | 農のあれこれ
下国(げこく)とは律令制で大・上・中・下四つに分けた、その最下級の国をさすそうです。その昔、信濃はその中にも入っていなかったといいます。片や現代、瑞穂の国ニッポンといわれながら、ミートなにがしを持ち出すまでもなく、薄ら寒くなりそうな食卓事情ばかりです。

家の中で片付け物をしていたら、明治初めからの米一俵あたりの価格の書かれた湯のみ茶碗が出てきました。農機具メーカーがつくったようです。

作られたのは昭和56年でしょうか。「56年 1万7千8百59円」で終わっています。昭和47年まで8千円台が続いていましたが、5年後の52年には1万6千円台まで2倍にに値上がりしています。昭和50年代といえば、高校を卒業して就農した父の友人たちも米作りに夢を持っていた時代でした。農機具メーカーもどんどん新しい農機具を開発し、潤っていた時代だったのでしょう。製作者側はここまで来たという感慨をどう表そうかと、こんな湯のみ茶碗を配ったのだろうと思います。

昭和56年が米価のピークだったわけではないと思いますが、気分的にはそんな雰囲気だったのでしょう。昨今は米価が元本割れして、つくればつくるほど赤字が膨らむといわれます。稲作に夢が持てず、農薬まみれ、雑草繁茂の田んぼが多く見られます。

いくつか過去の数値で興味深いところがありました。

          

大正6年に6円だったものが、3年後の9年には20円、3倍以上になっています。米騒動ってこのあたりだったでしょうか。

          

明治元年 1円69銭だったものが、翌年には3円43銭。さらに翌年には1円87銭と元に戻っています。混乱した時代を物語っているかのようです。

これをみると、右肩上がりだけでなく、けっこう価格も変動しています。そんな中でも熱心に米作りは続けられてきたはずです。もっといっぱい、もっと美味しくという目的があったからでしょう。食べることに興味を失ったかのような現代はどういう目的を持てばいいのでしょうか。

けふからはただの受験生楽に寝よ

2007年06月28日 | わが家の時時
6月9日のことです。父母祖父母、そろって娘たちの通う高校の学園祭に出かけてきました。長女のバンドが最初で最後の学園祭ステージだったからです。わが子ながらゼロから作り上げた集大成ですから、誉めてやりました。

のらやま通信6月号にその顛末を書きました。

タイトルの元句は
「けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ」(一茶)でした。

ぼかすなら混ぜ返しつつ時を待て

2007年06月27日 | 梨の土づくり
参議院選前のバタバタやあちらこちらの不祥事を皮肉ったタイトルではありません。

5月に散布しようと用意していたくず大豆がそのまま残っていたので始末しようと、ナシの秋の元肥用に有機質のぼかし肥料をつくりました。材料は体積比で米ぬか2、くず大豆1、カニガラ0.3、籾殻0.5、くず米、炭少々。今日一日では終わりませんでしたが、全部で米袋入り20kgが120袋ぐらいできそうです。

        

上の比率で肥料成分がどのくらいなのかはわかりませんが、一袋2,000円とすれば(有機質100%の肥料って結構値が張ります)240,000円分の仕事です。1,000円にしても120,000円分の仕事です。このうち材料費は40,000円ぐらい?それに夫婦二人の人件費を加えると…。あまり大きな儲けにはならないことに気がつくのですが、それでも素の知れた材料ですから安心して自信を持って使えます。

材料の中で一番値の張ったものはカニガラです。ホームセンターで購入した際にこんなに(10袋でしたが)カニガラを買ってどうするのって担当者から聞かれました。自分でぼかし肥料をつくるんですよって答えると、最近は有機質資材を仕入れても買う人が少なくなったよっていう話になりました。

子供がいても農業をする気がまったく無い。どうせ自分の代で農業をやめるのならいつまでやれるのかわからないし、今年の作柄だけ考えれば安い化学肥料で十分。本当は有機質を入れて土作りをしたほうがいいのだけれど、とこぼす年老いた農家の方が多いのだそうです。

その家の跡取りはいても農業の後継者はいないという農家がわが家の周りでも多くなっています。一方で農業をやりたいという人も少しずつですが出てきているようです。こういう人たちをうまく結び付けられたら、農家のおじいさんたちも喜んで土作りに励むのでしょうが。

脚立乗り背伸びしたまますもも食む

2007年06月26日 | わが家の時時
3月19日に花が咲き出したと記した玄関前のプラムが収穫期を迎えています。

30年以上前に曽祖父が植えたプラムです。台風で折れ、株元まで朽ちてしまい、ほんとうに皮一枚で生き延びている数枝に今年もたわわに実がなっています。替わる苗木を植えたりしているのですが、この樹以上においしい実にならないのが不思議です。

明早し草とる爪の泥に染む

2007年06月25日 | 今年の納得米づくり
昨日24日は無除草剤稲作の納得米プロジェクトの作業日でした。

5月19日に田植えを行い、ほぼ一週おきに3回、株間除草機を歩かせてきました。細かな雑草はほぼ抑えられたのですが、取り残してきた草が大きくなってきて除草機では手に負えなくなっていました。そこで今回は手取り作業することに。

各自とれる時間の中で除草することにしたところ、気の早いメンバーは朝5時前から田んぼに入っていたようです。

田草の手取り作業時、わがプロジェクトオリジナルの秘密兵器が写真で二人の間にある「田そり」。スキーの板に足をつけた台ですが、引き抜いた雑草をこの台の上に乗せて田んぼの外に運び出すのにたいへん重宝します。昨年、メンバーのTKSさんが考案・試作してくれたものの評判がよく、今年はもう2台新たに加わりました。特許でもとってメーカーに作ってもらったら売れませんかねえ。

        

条間も葉で隠れるくらいにまで稲も生長してきました。これで今年の雑草対策は終えることが出来るかもしれません。除草剤を使わない稲作3年目で、抑草用のヌカとその後の除草機作業3回、手取り作業1回で済ますことができるなら、これはこれで技術的にマスターしたといえるかもしれません。

田んぼはこれから中干し期に入ります。

浴衣かけ湯の神尋ねそぞろ笑み

2007年06月24日 | わが家の時時
07年夏、信州の旅、その5。

北信・渋温泉の一番の売りは石畳の温泉街を湯下駄履いて「厄除け巡浴外湯めぐり」。手ぬぐいに各湯にあるスタンプを押してまわれば、九(苦)労を流し、厄除け、安産育児、不老長寿のご利益があるといわれています。

この外湯は昔からの地元のかたがたの共同風呂。十数件でひとつの外湯を維持・管理しているそうです。もちろん各戸には内湯はありません。現在は渋温泉に宿泊するお客さんたちにも公開されています。以前は誰もが利用できたようですが、トラブルがあって宿泊者に限られたようです。

温泉街の中を歩いてもらって賑わいも出てくるという街づくり企画。いまでこそ、各地で湯めぐりとか温泉手形とか、いろいろと提案されていますが、ここ渋温泉ではじめて行われたとか。湯めぐりだけでなく、各地の神社から分社した祠をつなぐ御利益散歩道、北斎川柳句碑めぐりなど、いくつもの街めぐりの仕掛けがありました。

           

それも数百メートル範囲にぎっしり固まった温泉街だからこそ。大型バスの入れない温泉街は団体旅行華やかりし頃にはマイナスだったでしょうが、「一周遅れの先頭ランナー」よろしく風情ある温泉街はもう一度、見直されてくるのではないでしょうか。

滞在中、無線広報が流れていました。「地元消防団が地域の操法大会において連続優勝しました」温泉街に住むある年齢層の男性は全員が消防団員。若い旅館の跡取りたちも多く、温泉街のまとまりはすごくいいそうです。

          

裏通りに私設の公衆トイレがありました(残念ながらいたずらされたとかで、閉鎖中でしたが)。必要にせまられた地域共同体かもしれませんが、皆がいい街にしようという姿は気持ちよいものです。

柏では空とレイソル(太陽神)、おらが梨

2007年06月23日 | 今年の米づくり
 
         
 
         
 
sakuraさんから提案いただいた「空」をいただきました。なるほど柏は空が広い。水面や田んぼ、畑が広がっているところでは空が広い。今年の梨シーズンのキャッチに使わせていただこうと思います。

田んぼの周りの草刈にでかけたところ、ちらちらとオモダカ(難防除雑草のひとつ)の葉が見えます。どれどれ抜いておかないとと思って田んぼの中に入っていきますと、あちらに数本、こちらに数本という感じですが片手では持ちきれないくらい。

そういえばこの田んぼ。去年は除草剤にだけに任せて除草機も草取りも一切入らなかった。部分的にオモダカが出ているということは、去年、種をもって広がったようです。これをまた置いておいたら何倍にも広がってしまいます。一年に一度はオモダカ拾いに田んぼの中を歩かないといけないようです。

         

なぜ、オモダカ、オモダカと騒ぐかといいますと、オモダカは球根性の雑草。この写真のように地中深いところに球根があってそこから芽を出してきます。最近はオモダカに効く除草剤もあるといいますが、球根が深いところにあるオモダカが地表に芽を出す頃には除草剤の効能も切れていて期待できません。

この写真のオモダカの場合、地中5cm以上深いところに球根がありました。耕盤(トラクターで耕す深さ)の下にありました。冬に機械で耕しても球根を掻き出すこともできません。姿を見つけては手でほじくりださなければならないということです。

風景は心の鏡あめんぼう

2007年06月22日 | わが家の時時
07年夏、信州の旅、その4

善光寺に隣接して長野県信濃美術館・東山魁夷館があります。魁夷画伯から寄贈された作品950点が収蔵されています。

魁夷画伯にとって長野県は、東京美術学校一年の時に旅して以来、信州へ写生旅行を重ね、「私の作品を育ててくれた故郷」と呼ぶ地になったといいます。その縁で、寄贈されたようです。

昨年晩秋の旅の際に、冬枯れの木立を見て魁夷作品を思い出したのも、あながち頓珍漢ではなかったようです。

2008年に魁夷誕生100周年を迎える今年は、『東山魁夷の色彩』というテーマで4月から来年3月まで6期に分けて収蔵作品を展示しています。

一期(4/1~5/29)「緑響く」、二期(5/31~7/24)「水墨の世界」、三期(7/26~9/25)「青の世界」、四期(9/27~11/27)「あかね色の世界」、五期(11/29~1/29)「白の世界」、六期(1/31~3/25)「煉瓦色の世界」

訪ねたときは二期「水墨の世界」展。中国・桂林に題材をとった「灕江暮色」という屏風作品が展示されていました。ずーっと離れたところから眺めていると、すごく立体的に見えてきました。画伯は平面で描いていたはずですが、屏風形態で鑑賞することを想定していたのだろうかと思えてきました。

屏風作品というのは一枚一枚の置く角度?は決まった数値(たとえば150度とか)があるのでしょうか。角度が違うことで見え方も変わってくるように思のですが。

          

東山魁夷館はMoMA(ニューヨーク近代美術館・新館)を設計した谷口吉生氏による建築というのも長野県の自慢のようです。蛇足ながら、善光寺に隣接していながらこちらの駐車料金は無料。長野ナンバーの車ばかりでした。

柏では沼とレイソル、おらが梨

2007年06月21日 | 夏の梨畑
今年の梨「幸水」の定点観測10回目。

横径が48mmほどになっています。前回が42mmでしたから、この十日で6mm成長しました。前期十日の成長も6mmでした。

ところで、タイトルです。
柏のお荷物を並べたわけではありません。自慢したいものを並べたつもりですが…

昨日の「信濃では月と仏とおらがそば」をまねて「おらが梨」と入れたかったのです。「レイソル」はともかく、問題は「沼」です。
何か他の単語二文字はないでしょうかねえ。

信濃では月と仏とおらがそば(一茶)

2007年06月20日 | わが家の時時
07年夏、信濃の旅、その3。

姨捨山が月なら、善光寺といえば「そば」。信州の冷涼な気候が良質なそばを生み、そして善光寺による盛んな人々の往来が優秀なそば職人を育て、善光寺信仰の広がりとともに国中に「信濃のそば」が伝わったという推測もあるそうです。

上の写真は、善光寺門前の表参道、大門町あたりです。そば処や唐辛子舗、茶舗などの老舗が並んでいます。蔵づくりの街並みと石畳の車道と歩道はそれらしい雰囲気を醸し出していて、多くの景観賞などを受賞しているようです。老舗商店が店の一部を「ミニ博物館」として、業種に関する道具や骨董・美術品を展示公開していました。現在12館あるとかで、街づくりを盛り上げています。

そんな一角にこんな街並みもできていました。

         

         

         

「ぱてぃお大門 蔵楽庭(くらにわ)」という土蔵や楼閣を再生したショッピングモール?19の飲食、物販の店舗が並んでいます。

         

どのようにこの街並みが実現したか詳細はわかりませんが、商工会議所内に事務所を構える「株式会社まちづくり長野」というところが仕掛け人のようです。今風のつくりっぽさではありますが、ただの飲食や物販だけでなく、まち案内を兼ねるカフェが実は地元タウン誌の編集室だったり、県南部伊那地方の寒天メーカーがアンテナショップを出していたりというのが、興味を引きました。

長野市内の幹線道路は軒並み、電柱が地中化されていました。五輪開催にあわせて整備したのでしょう。この「ぱてぃお大門」もその際に古い街並みが再生されたのかもしれません。善光寺ご参拝の折、仲見世通りから踏み出してもちょっと面白いと思わせてくれる街並みだったのが今回の発見でした。

振り向けば田毎に呼ばる草刈女

2007年06月19日 | わが家の時時
北信州の旅、その2。

上の写真、一見、草に覆われた丘のようです。写真右上、白い壁のようなものがみえるところが長野自動車道。その下で柱が等間隔に並び、建物があるあたりがJR篠ノ井線姨捨駅。よくみると、手前には草むらのなかに水面のようなものが…

         

ここは千曲市姨捨の棚田。面積約25haの中に約千数百枚の棚田があるそうです。農耕地としてはじめて文化財指定を受けた名勝とか。古今和歌集で「姨捨山の月」と詠まれ、古くから観月の名所として知られていました。江戸時代になると棚田も開発され、姨捨山だけでなく「田毎の月」の棚田も俳諧や紀行文の題材として注目されたといいます。

棚田地区の中心施設である長楽寺境内周辺にはたくさんの句碑が建てられており、芭蕉も『更科紀行』の中で
「おもかげや姨ひとりなく月の友」
と詠んでいます。
現在でも、信州さらしな・おばすて観月全国俳句大会が毎年行われています。

         

たしかに善光寺平を一望する棚田風景は圧巻で、一枚一枚の棚田にそれぞれ月が映る様は幻想的ですが、農家の目から見ると、水面よりも法面の方が広く感じられます。つまり、足元の不安定な中での草刈作業が大変ということ。だから一時期、耕作放棄され、棚田が荒れてしまった事態になったのでしょう。わが家の母の感想「こういうところに嫁に来たくはない、年取ったら捨てられてしまうし…」

          

棚田のオーナー制度によって一部の田んぼが維持、管理されています。漏水対策等の機能面からみても田んぼ周辺をもう少し草刈をしていただくと「景観保全地区」に相応しいのでしょうが…

見上げればいにしえ人の汗の落つ

2007年06月18日 | わが家の時時
17日、18日と昨年秋に旅した東信濃から北信濃へ夫婦でふたたび出かけてきました。

春からの農繁期を乗り越え、このまま夏の農繁期に突入するには、ふたりとも年を重ねてきたために体力、気力ともに持ちこたえられない。山ノ内町渋温泉に宿をとり善光寺詣で、あとは気ままな二人旅。

今回の旅では期せずして見上げることの多かったこと。

上の写真は上田市別所温泉・安楽寺の国宝八角三重塔。鎌倉時代末期の建立で、わが国最古の禅宗様建築だとか。屋根の下の木の組み合わせ、詰組?というのでしょうか。お見事。

         

これは旧信越本線の碓井第三アーチ。通称めがね橋。近代の産業遺産というべきものでしょうか。明治25年に竣工した煉瓦造りのアーチ橋で、煉瓦が美しく積み重ねられています。

このような建造物をつくっているとき、丁寧な仕事をしながら職人たちは何を考えていたのでしょうか。完成したあとの充実した時間でも思っていたのでしょうか。現代、同じような時間をもてる仕事ってどれだけあるのかと、ふと思ってしまいました。

夕焼けの影深くしる五月晴れ

2007年06月16日 | 今年の米づくり
今日も真夏日になったようですが、北からの高気圧に覆われてさわやかな日でした。夕焼けもきれいに焼けていました。梅雨中のこういう日を「五月晴れ」というのではないかと気がつきました。

結局、無除草剤5年目を迎えていたわが家分の田んぼ20aは無除草剤稲作を断念しました。アミミドロ?アオミドロ?もそれなりに繁茂していたのですが、コナギの勢いも収まらず、何度も田んぼに通った昨年の悪夢がちらついて……、除草剤の誘惑に負けてしまいました。

田んぼ除草剤の力というのはすごいものです。コナギの姿が消えました。

これまで一般的な除草剤の化学成分は3成分でしたが、4成分の除草剤も増えました。難防除雑草対策として、昨年と同じ名前の除草剤でも含まれている化学成分がふえたものがあるようです。

田んぼに手がかからない分だけ、去年よりも少し余裕ができ、夕焼けをながめていました。はたしてこういう余裕は良いことなのか。今年はリセットして、来年からまたチャレンジしましょうか。

あの雲に乗ってみたいと泣く子かな

2007年06月15日 | ネイチャースケッチ
「昨日、梅雨入りしたのにもう梅雨明けだ」というのが挨拶の日でした。東京では今期はじめて夏日となったようで、蒸し暑い日でした。

庭先のハーブ『フェンネル』も花を咲かせはじめました。地中海地方原産のセリ科のハーブで、「魚のハーブ」と呼ばれるほど魚料理にあう定番ハーブのようですが、まだ我が家の食卓には上ったことはありません。

その種は古代ギリシャでは減量に効果があったといわれていたとか。それにしては小指大のイモムシがあっちにもこっちにも。

         

アカスジカメムシ?も香りに誘われるのか、昨年同様見ている間にいっぱいやってきました。

         

タイトルの元句は
「あの月をとってくれろと泣く子哉」(一茶)