のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

日短し明日の農地の物語語る言葉が見つからない

2012年11月29日 | 農のあれこれ
先日のことですが市内の農家を訪ねる機会がありました
一軒目は農家以外出身の新規就農者
二軒目は畑を借りて大豆生産を始めた農業者

新規就農者は昨年度の市就農支援事業の対象者で
今年50aの農地を借りることができた40歳の青年二人
一人は有機で直売 もう一人は慣行農法で自立を目指すとか

後見人の農家を頼りに地主に信頼され地元にも溶け込めそうですが
同行した野菜のプロたちは畑の様子がもどかしく
つい「大丈夫か」と“愛の鞭”

                  

大豆生産者は水田面積も大規模に経営していて
共通の機械が使えるということで大豆生産を始め
市内の豆腐屋さんにオリジナル商品を製造委託することも試みています

担い手のいなくなった畑を借りうけ
二年目の今年の作付は15haになるとか
農商工連携の事業展開はまだ壁が大きいそうですが
夢のある話です

この二つの事例は脈絡がなさそうですが
実は遊休農地の解消という一つのテーマで読み解くことができます

農地は人が働きかけてはじめて生きるもの
先人達が血の汗を話して作り上げてきた土という財産を
次の世代に引き継ぐために“働きかけ”をやめることはできません

これから人口も減っていくのだから農地が農地でなくなってもいいじゃないか
そんな声も聞こえます
谷津田や斜面地などの営農条件のよくないところは林野に戻してもいいでしょう
でも基盤整備された条件のよい農地地帯のまん中で雑草が茂っていては
まわりの農地に悪影響を与えます
耕作放棄地対策も整理しなければなりません

農地利用を既存農家だけに制限していた農地法が改正されたのも
それほど農業の担い手が不足しているということ
他産業からの新規参入・株式会社への開放・新規就農支援の充実
・遊休農地解消への奨励金等々 様々な施策が試みられています

世界規模で見れば また将来のリスクを考えれば
食糧危機にどう対応するかが課題になるのですが
現状の食糧事情はモノ余り・供給過剰・生産過剰の状況

ここ10年あまりで
農産物市場はすっかり様変わりしてしまいました

市場は流通大手の寡占状態によって瓦解
業者との契約栽培や流通業者自身による直営農場が主流になりつつあります
企業が新規参入する場合も多くは“BtoB”
つまりビジネスからビジネスへのビジネスタイプ

このシステムは安定した供給が確保されますが
売れるもの売りたいものしか流通しない可能性があります
これに対して一大ブームとなったのが直売・産地直送“BtoC”タイプ
つまりビジネスからコンシューマー(消費者)へのビジネスタイプ

わが家の経営も30年の時間をかけて市場出荷から直売に転換してきました
農のあるライフスタイルを理想とする
最近の新規就農希望者の多くが目指すビジネスタイプ
しかし
市場流通がほとんどであった時代にはめずらしさから注目されたものの
最近は流通大手のインショップに農家の直売コーナーも出てきたりして
少し食傷気味
自分で農産物の価格を決められる利点が
供給過剰から安売り合戦に陥る欠点にもなってきました

農産物を生産できても適正価格で販売できなければ
再生産できる事業としてなりたちません
欲しいものを確実に手に入れたいなら
消費者が買い支える“契約型の直売”も大事になります
「わが家の応援団」というのもこういう意味だろうと思います

さらに確固とした食料供給システムを構築したいと思うなら
“CtoC”つまり自給用の家庭菜園を手に入れる必要があるでしょう
“農園のある暮らしお手伝いします”がテーマの
「農業体験農園 手賀の杜農園」の試みもその一つといえます
ドイツはクラインガルテンによって食糧自給率も100%を超えるとか
食糧は企業的経営と家庭菜園で賄えればいいという主張も出てきました

担い手のいなくなった農地にたくさんの家庭菜園をつくっても
解消できる面積には限度があります
ならば
栽培に労力をかけなくてもできる大豆はどうだ ソバはどうだ 雑穀はどうだ
それともナノハナ・ヒマワリから油をとったらどうだろう
地力維持と景観形成のため採蜜植物を育て
ミツバチを飼うことなら街の人にもできるかも…

いろいろなアイデアは出てきますが
これからの農地の物語はまだ見えてきません

農地は農家のものという時代は終わりました
いろいろなビジネスタイプと主体を組み合わせたり農地も区分けしたりして
人類の財産である農地(大きくでました)を次世代にどう引き継いでいくか
大きな課題です

そう考えたら
農産物が食べられない事態を招いた不主物は究極の悪
もしかしたら経済成長より大きな問題かもしれません

綿の実はいつまでも綿に包まれ

2012年11月28日 | みのわプロジェクト
農業体験農園「手賀の杜農園」スタッフが敷地の周囲に種をまいていた
和綿が少しずつ採り入れられています

9月初めに花を咲かせていたのが今はこんな感じ

                  

右側の袋のようなものがはじけると左側のように綿が出てきます

この綿の中には綿の実(種子)が入っていて
綿花と綿実を分けるのが一苦労

綿花をむしって綿実を取り出してもまだ綿花がついています
親の愛というべきか甘えん坊というべきか

いずれにせよ
人形の座布団にするにもそれまでの道のりは長い

なにいってんだあ土かえせ核いらね

2012年11月23日 | ネイチャースケッチ
国防軍やら核武装やら威勢のいいことをマスコミは伝えていますが
いま大事なことを目くらましているように思えてなりません
RCサクセションの『ラブミーテンダー』がラジオから流れてきたりすると
一層その思いが強まります
(上のYouTubeは初めに広告が流れるかも)

夢のあった明るい時代は氷の中に閉じ込められ
かつての近未来小説のような暗黒の時代がすぐそこまで来ているような

青春朱夏白秋玄冬といわれます

辞書によると『玄』とは赤または黄を含む黒色ということですが
老荘思想でいう哲理のこと
空間・時間を超越し天地万象の根源となるものという意味があるそうです
存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわすとか

この冬の寒さが厳しくなると長期予報が変更になりました

この冬は大きな声に流されないよう
微妙で奥深いことをしっかり考えたいと思います

先生は蕪引く頃忙しく

2012年11月20日 | 農のあれこれ
タイトル元句 「故郷や蕪引く頃墓参/子規」

師走16日を目指して“先生”を家業とする人たちとマスコミだけが大騒ぎ
本当は行く先を示してくれるのがまつりごとの仕事と思うのですが

今朝は本格的な霜が降りていました

                    

カブ農家は午前3時あたりから収穫作業をはじめ
葉が凍ってしまうため霜が降りる前には終えなければならないそうです
早朝の仕事が敬遠され後継者を確保するのが
カブ産地の悩みと聞きました

黄色はね夏のお日様集めたの

2012年11月18日 | みのわプロジェクト
手賀の杜農園で夏に咲き誇っていたヒマワリ
種子の調整を終えてようやく先日取手のNPOに搾油依頼をしてきました

10a弱の畑から150kgぐらいの種子が採れたのですが
うまくいけば40リットルくらいの油ができるとか

                

この商品は昨年産のもの
道の駅しょうなんブランドで現在販売しています
品種は『春りん蔵』
今年 手賀の杜農園で栽培したのは『ハイオレイック』種で
オレイン酸を多く含みトランス脂肪酸はゼロ
ビタミンEが多く含まれていることから
食用のほかに手作り化粧品の材料ともされているようです
たとえばこちら

天ぷらに使うには高価な油になりますが
酸化安定性に優れていますので何度利用しても油が劣化しないともいいます
バターの代わりにパンにつけてもいいし
ドレッシングを手作りしてもいいですね

納品されましたなら またご案内します

なでしこは米粉のパンに海苔を載せ

2012年11月16日 | アグリママ
加工設備が整備中なものですから久しぶりに米粉パンをつくりました

バターやジャムもいいのですが海苔もお試しあれ
ご飯のおかずで十分おいしくいただけます

米粉の需要がいまひとつ伸び悩んでいるといいます
世界規模で穀物市場が不安定になるまえに
自給できるもので食べていくスタイルを確立することが大事でしょう

元来 あちこちから使えるものを取り寄せて
ヤマト流に昇華させてしまうのが得意なんですから

合意とは黙ることかと書類あり

2012年11月13日 | 農のあれこれ
東でんによる果樹組合に対する風評被害賠償請求の説明会がありました
これまで2回ほど市内の農業者向けの全般的な説明会が行われています
今回は具体的な書類の説明が主題

風評による売上高減少額を補償するというのが東でんの基本的姿勢ですが
問題は検査費用等その他の追加的費用負担の部分
所得税申告でいえば必要経費
「これは必要経費です」「いえ認められません」
当然 見解の相違はあるわけですが……

「放射能検査費用は納入先より依頼があった場合に賠償の対象となります
自主的な検査は対象になりません」

ん?!

「直売の場合 お客様の信頼を得るために検査をするわけで
検査があって安心しましたというような声があったことで
依頼があったと見なしてよいでしょうか」

「安心しましたというのは手元に商品が届いてからの声であって
納品前の依頼とはいえません」

「自主的な除染作業にかかる費用は賠償されるのでしょうか
たとえば高圧洗浄機による粗皮剥ぎや
セシウムを吸収されにくくする土壌改良材散布などですが」

「自主的なものは対象にはなりません」

「検査結果を示したチラシの印刷費も?!」「はい」

……わかりました
シーズン前にお客様より“強い要望”があったことを示して請求します

一人ひとりが放射能にどう立ち向かうかという積極的な取り組みを認めないうえに
賠償請求も東でんの用意するフォーマットの通りに請求しなさい
ということのようです

賠償金を受け取る際には“合意書”に捺印をして提出することになっています
何を合意したというのか
それまで恩恵にあずかっていたわけだからしようがないとは思うけど
そういう姿勢は何も赦しちゃあいません

お金を受け取る際
日常的には“受領書”に馴染みがあるものですから
非日常的な賠償請求の現場では“合意書”が正式なものかもしれませんが
お金をもらったら後は黙っていなさいっていわれているような
いやあな気分で帰ってきました

黄葉も君の姿もまぶしくて三十年過ぐ3.11あれど

2012年11月12日 | わが家の時時
フリーペパー娘の姉娘がEditer in Chiefとなった『miraiku』創刊号ができました

mirai+hoiku=miraiku なんだそうです
保育士を目指す学生と保育園をつなぐ応援マガジンという触れ込みです

学生向けのフリーペーパーを同世代の学生に作らせたら面白いかもという
若き起業家の英断だったようです

ありがたいお話ですが
姉娘は『アイドルスポット』ももう少し面倒見たいと
学生のままでもう一年いるそうです

断層の上に暮らす我々が「活動していない」と誤魔化す哀れ

2012年11月08日 | みのわプロジェクト
杜撰な仕事はいつかは芋づる式に誤魔化しが明るみになるものなんだよなあ…
なんて サツマイモ掘りをしながらそんなことを連想してました
いえサツマイモのことでなく3.11前後のことです

体験農園の隣の畑でいも掘り体験用に用意したサツマイモが残ってしまい
霜が降りる前に急いで収穫です

今年のベニアズマはどこでも巨大なイモになっているという話を聞きます
この畑でもときどき大きなイモがでてきますが
新地のせいかわりあいときれいなイモも多いような

さて大量なこのイモ どうしましょう

作るのはいいけどできたものをどこに流すか
どうお金に換えていくか
イモに限らず現在の経済状況ではどこにでもあるような話ですが
活用方法を気がついた方がいればご連絡を


ところで イモを掘り出している耕運機は40年以上前のもの
もしかしたら50年にもなるかもしれません

乗用トラクターが入ってくる前のわが家のメイン農耕車です 
エンジンは載せ換えていますがほとんどの部品は当時のまま
一年間放りっぱなしでも一発でエンジンが動き出します
“発動機”という単語の意味がわからない人には無理かもしれませんが

もちろんわが家の祖父の時代のものですから
父もよろよろとなんとか動かしている状態
昔の人はこれで田起こしから運搬まですべてやっていたのですから
えらいものです

もっと昔は掘ったイモを馬に食べさせながら犂を引いていたのかも
馬肥ゆる秋ですから

あ そうそう 
写真の左側が曇っているのは耕運機の姿を隠しているわけではありません
携帯電話のカメラレンズが傷ついてしまったため
そろそろ替え時でしょうかねえ

一人でも同行二人魔法の国

2012年11月03日 | 散歩漫歩
訳あって何年ぶりかで(もしかして10年以上ぶり?)魔法の国にでかけました
今回はここでアルバイトをしている妹娘に連れられて

以前ですと
カップルとかファミリーとか修学旅行や外国からの集団客が遊ぶところ
というイメージでしたが
今回行ってびっくり
若い女性もオバサンも男性だって お一人様があちこちに

しかも皆 望遠レンズのついた大きなデジカメやビデオを持って
ステージのアトラクションやパレードの席取りでは先頭に陣取っています
生のキャラクターの姿を写したり踊っている様子を録画しているようです

同じ趣味を持って行列の先頭に並んでいても
互いに話をしている様子はうかがえなかったのですが
キャラクターたちがいつも話しかけているようで寂しくないようです
これも魔法の国のマジックなんでしょうね

そういえば妹娘も似つかわしくない大きなデジカメを持っています
ファッションも同じような服装の子たちの多いこと
つまり妹娘もこの国の魔法にかかった一人

たびたびアルバイト以外でも遊びにでかけています
(稼いだお金を仕事しているところで使っている究極のお金のリサイクル!)
いつも友だちと遊んでいるとばかり思っていたのですが
もしかして時にはお一人さまだったんでしょうか
子どもの姿を伺えたひと時でした

長物を遺産に替える眼の高さ

2012年11月01日 | 散歩漫歩
             

訳あって群馬県の旧富岡製糸場を見学する機会がありました

明治政府の殖産興業模範工場だったことぐらいは知っていたのですが
国内で初めてレンガを焼きながら一年であれだけの施設を作り上げてしまったこと
瓦屋根の「木骨(もっこつ)煉瓦造(れんがぞう)」や
レンガはセメントでなく漆喰で固めるなど
日本と西洋の建築技術を見事に融合させていること
初代場長は娘を「工女一号」にまでして全国から士族の娘を集め
製糸技術の指導者を育てたこと  など
現地で改めて教えていただきました

なかでも感嘆したのは
昭和14年から62年まで操業していた片倉製糸紡績株式会社が
操業停止以降 平成13年に富岡市に寄贈するまでの間
無償で管理を続けていたこと

あれだけのまとまった土地です
いくらでも他の産業用地として使えたはずです
それがなければ いま世界遺産へ推薦というような運動は起こりえません

いまではショッピングセンターの運営等の不動産業が中心のようですが
140年もつづく旧財閥系の会社の器の大きさというか胆力というか
3.11以降の我々にもぜひ必要なものです