のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

柏では空と水面とおらが梨(のらやま通信no.299 2019.12)

2019年12月24日 | 雲図鑑
11月初めから夜明け前後の一時間程度、手賀沼周辺を歩いています。12月25日までに合計170kmほどになりました。そこで再認識したのが空と穏やかな水面とが彩る豊かな光景でした。手賀沼は東西に細長い沼で、周辺に高い山もないことから、ちょうど朝日・夕日が水面に映り込むのが功を奏しているのでしょう。これまでほんのたまにしか夜明け前に手賀沼に出かけたこともなかったものですから、これほどの色鮮やかな光景を見せているとはまったく気がつきませんでした。もちろん毎日ではありませんが。

棚を使う梨栽培という仕事柄、上空を見上げている時間が多いのですが、ついつい変わった雲や飛行機雲が目に入ります。そしてその刻々と変わっていく様子に思わず見とれてしまうことがあります。航空機も姿もあちこちにみられます。西の空には羽田から北へ飛ぶ航空機。東は北から羽田に向かう航空機。上空で旋回するのは風の影響か西から飛んできて羽田に降りる航空機。そのさらに上空を飛ぶのは成田から東アジアへ向かうものや北米からアジアに通過する機体。孫が初めて覚えた言葉は機影を指して「ゴーゴー」という言葉でした。それだけ視覚と聴覚が刺激されたのでしょう。

たとえば12月20日の16時ころの飛行機雲。ホノルルからソウルへのKoreanAir機。高度10000mのところを時速600kmで航行中。8時間半前に離陸し、1時間半後に着陸予定。スマホアプリ(Flightradar24)で確認するとこんなことまでわかるので、さらに興味深く眺めることになります。飛行機雲が三本並ぶこともあります。成田から韓国、中国の都市へ飛んだものでした。成田を飛び立ちもう飛行機雲ができる高度まで上昇するのかと驚きました。

フェイスブックにこういう写真を上げていると「素晴らしい」とかイイネをしてもらえます。しかし、それは写真を撮る腕がいいとかカメラがいいとかでは残念ながらありません。なにしろほとんどはスマホカメラですから。

手賀沼とその周りに水田が広がるので、柏は空が大きいのです。これは柏の特徴のひとつでしょう。たまたまここで暮らし、たまたま上空を見る機会が多く、たまたま時間も比較的自由になる“ナシ栽培農家”であることに感謝しなければなりません。
これまで「柏では空とヒマワリとおらが梨」と言ってきましたが、これからは「柏では空と水面とおらが梨」としますか。

写真は2019.12.2 6:14



ブランドは誇りを形にした旗印(のらやま通信no.298 2019.11)

2019年11月24日 | 農のあれこれ
 先月と今月、ブランディングを考える機会がありました。

 先月はF社のNさんが講演。F社は「農業をデザインで活性化する」をコンセプトに、開拓者三代目としてのフロンティアスピリットを発揮されて北海道十勝が出発点。全国の農業者のブランディングだけでなく、ブランディングした生産物を食材にしたレストランを始めるなど、多方面から農業者を支援しています。

講演は戦国合戦の旗印から始まりました。ブランディングと聞くと、ロゴマークによる販売促進でどれだけの費用対効果があるのかというような発想になります。もちろん外向けの情報発信により、そういった目に見える効果はありそうです。ですが、もうひとつ、その旗印の下でいかに自信と誇りを持って仕事ができるかという内向きの効果が大事だといいます。
自分を奮起させるものは何か?日々、目の前のことに追われていると、自分は何のために仕事をするのか?自分とは何か?なんてなかなか思いも及びません。そこで、旗印が必要になるというわけです。

ついで今月は、M社のKさんの講演。Kさんは高知県の過疎地の出身。消滅していく故郷を前にただお金が回れば地域が継がれていくのかと疑問を感じ、地域の人たちが作り出してきた価値や誇りを100年先まで残していきたいと農業や地域のプロデュースを始めたそうです。

三人のレンガ積みの話がありました。一人目は指示されたままにただレンガを積む。二人目は稼ごうと一所懸命レンガを積む。三人目は街のシンボルとなるようにしたいとレンガを積む。「レンガを積む」という作業の目的は同じですが、三人の目標が異なる。ボーっと生きていなくとも、目の前のやらねばならない仕事や損得に追われがちです。ブランディングとはそれを見直し、事業や地域を継続されるための目標を見つけることだといいます。

具体的には……まず“発掘”。事業者や地域の持っている資源と社会ニーズを掘り起こす。次に“デザイン”。資源とニーズからビジネスデザインを構築する。ここで注意するのは既存の価値を深めるのではなく、価値を転換させること。そして“受け皿づくり”。Kさんの方法は一点突破といいます。①話題性を誘発するよう仕掛ける/②集客がある/③ちょっと手伝おうかという人が出てくる/④関わる人が増えたことでやれることが増える/⑤さらに集客する/⑥ここで初めて売り物が必要になる/⑦地域の中で交流が増える/⑧新たなコラボが始まる……。

たとえば香川県の「さぬきうどん」のプロモーション。うどんを目当てに多くの観光客が訪れ、売り上げもそこそこ。だけど、店の数がどんどん減っている。どうしたらいいのか。うどんは香川の食文化のひとつ。しかし、そのことが若い世代に伝わっていない。そこでうどんを使った食育玩具を作って話題を作ろうと、小麦粉と出汁の素をパッケージにしてうどんづくり体験のできる“うどん食育キット”を開発。すると面白いとマスコミに取り上げられ、資金調達のためのクラウドファンディングは三日で目標を達成。売り上げの6割は県外で暮らす孫向けのギフト商品になっているとか。うどんという地域文化を継承してほしいという県民の誇りを呼び起こした形です。

さらに、うどんを食べすぎなのか、香川県は糖尿病ワースト県とか。県内に青パパイヤの産地があって、その葉をお茶にすると小麦のグルテンを分解し、糖尿病予防に役立ちそうという話になって、中華料理には中国茶のようにうどんには青パパイヤ茶を飲もうというムーブメントをと、目下、画策中とか。資源と社会ニーズをつなぎ、新たな価値を創出しようとしています。

さて、わが家の場合はどうでしょう?わが家が農家として生まれて約90年。梨の直売を始めて30年以上になります。農産加工品まであります。その間、いろいろ模索をしてきました。直売ではものを売るよりわが家の姿を発信するということを重視してきました。しかし、わが家の誇り、自信、価値がまだ形にできていないと改めて気付きました。まだ二人目のレンガ積みのレベルのようです。そろそろわが家の旗印を掲げなければなりません。

 個々の農業生産者の旗印がそろい、さらに地域農業の旗印によって互いに切磋琢磨、陣取り合戦できるようになると農業も益々面白くなりそうです。

 そうだ、これからは「ブランド」と言わずに「旗印」と言おう。
(by 爺)

北の大地にフロンティアの花が咲く その2(のらやま通信263/1710)

2016年08月18日 | 農のあれこれ
“ランドデザイナー”としての農家の可能性を探るため、6月下旬、二泊三日の北海道ガーデン街道ツアーに夫婦で参加してきました。先月の旭川・富良野編に続いて今月は十勝編。

 ガーデン街道4番目は“十勝千年の森”。地元の新聞社が環境貢献活動の一環として出資し、千年後の人類への遺産となる森をつくることを目標にした実験型のテーマガーデン。5つの庭があり、アースガーデンとメドウガーデンは2012年に英国のガーデンデザイン協会の大賞を国内で唯一受賞しています。また食への取り組みに力を入れ、ヤギを飼いヤギ乳のチーズを作ったり、奇跡のリンゴの木村秋則さんの指導によりリンゴ栽培に取り組んでいます。牧場跡地に作られたガーデン全体を把握するには滞在時間50分では短かすぎます。

二日目の最後、ガーデン街道5番目は“真鍋庭園”。個人の樹木生産者が樹木の育ち方を見せるための見本園から発展した庭園で、針葉樹(コニファー)専門としては日本初、日本最大の見本園だそうです。帯広市街地に近接した8ha以上の敷地に数千種の植物のコレクションがあり、植物園としての役割も果たしています。林業家として入植して以来、5世代にわたって作り上げてきたその時間の重厚さが伝わってくる木々のボリュームでした。
三日目の朝食はホテルではなく、帯広郊外の“紫竹ガーデン”でいただきました。園主の紫竹照葉さんは80代のおばあさん。ご主人を亡くした後の生きがいとして子供のころ遊んだ花いっぱいの野原を再生したいと60代からガーデンづくりに取り組みます。6haの畑を購入し、一本一本植物の苗を植えてきました。20年後の今、農薬を使わずに年間で2500種もの花が咲いて、まるでワイルドフラワーガーデンのようです。カフェでは紫竹さん自身により育てた野菜を自ら調理して何組もの団体客に朝食等を提供しています。ほんとにパワフルなおばあさんです。

ガーデン街道7番目は“六花の森”。北海道土産のお菓子マルセイバターサンドで有名な六花亭の工場に隣接した山野草の森で、六花亭の包装紙に描かれた「十勝六花」が実際に見られます。包み紙に採用したハマナシ等を描いた竜馬一族の坂本直行画伯の記念館をはじめ園内にはいくつもの美術館が点在し、アートと自然の調和を目指し社会貢献事業に熱心な六花亭の姿勢がうかがえます。企業メセナのひとつなんですが、まんまと工場直売作戦に乗せられてお土産購入タイムとなりましたとさ。

ガーデン街道最後は“十勝ヒルズ”。帯広を見下ろす丘の上に立地し、十勝の農と食を身近に感じさせるガーデンを目指しているそうです。それもそのはず、運営会社は地元の豆類商社で、会社のアンテナショップ的意味合いもあるようです。スタッフは総勢60名を越えるとか。とても個人事業者のレベルではありません。

8プラス1のオープンガーデンは景観も運営母体もそれぞれ個性的でした。特に個人の運営する庭園にはフロンティア精神あふれる思いに共感する部分が多かったように思います。ツクリモノではできない時間と人の思いがそこに詰まっていたからでしょう。帯広を開拓し神社の祭神にもなっている依田勉三を紹介するバスガイドの話も十勝愛に満ちていて圧巻でした。帯広交通のあのガイドさんの案内するツアーならまた参加してみたいなあ。結局最後は人ですね。
by mit

北の大地にフロンティアの花が咲く その1(のらやま通信262/1709)

2016年08月18日 | 農のあれこれ
北海道オホーツク沿岸から内陸に入った厳寒地でたった一人、14歳から生涯をかけてフラワーガーデン“陽殖園”づくりに取り組んでいる高橋武市さんが数年前の新聞に紹介されていました。福島の花木農家が個人所有の花木園を一般開放し、年間30万人以上の観光客を集めている「花見山公園」が思い出されました。地平をいかに使いこなすか。“ランドデザイナー”としての農家は農作物を生産するだけでなく、その土地の価値を引き出すためには時にはガーデン作りも選択肢の一つかもしれない。まずはガーデンづくりの現場を見てみようと、近年旅行業界で企画化された二泊三日の北海道ガーデン街道ツアーに6月下旬、夫婦で参加してきました。大雪~富良野~十勝を結ぶ250kmの街道沿いの8つのガーデンにラベンダー畑の“ファーム富田”を組み込んだ欲張りなツアーです。

一番目は旭川の“上野ファーム”。100年以上続く米農家の5代目上野砂由紀さんは、英国でのガーデニング研修を経て庭作りをはじめた北海道ガーデナーのカリスマ。当初、イングリッシュガーデンを再現することを目指すも、寒暖の差が激しく4ヶ月ものあいだ雪に閉ざされる北海道では無理と気づきます。そこで厳寒地でも育つ植物を見極め、生垣や壁を作らない開放的な庭「北海道ガーデン」を作り上げてきました。古い納屋を改装したNAYAcafeや宿根草の苗や海外のガーデングッズをそろえたガーデンショップも人気のようです。ガーデンを見下ろす射的山から見渡す旭川の田園景観も上野ファームならでは。

二番目に訪れた“大雪森のガーデン”は大雪山系を望む丘陵に広がる森の中に作られています。ガーデン街道のなかでもっとも新しいガーデンで、3年目の今年、ようやくガーデンらしくなってきたといいますが、3年でオープンガーデンができるのかともいえます。公的機関が上野砂由紀さんにプロデュースを依頼しNPOが管理するという地域おこしタイプのガーデン。

二日目は富良野へ。 “ファーム富田”はガーデン街道企画には含まれませんが、富良野の代名詞ラベンダー畑の先駆者として寄らねばなりますまい。産地として取り組んだ香料用原料向けのラベンダー栽培に失敗した後、ただ一軒だけ栽培を続け、再び地域全体が観光用の花畑として注目を集めるまでのサクセスストーリーは車中ガイドの出色のひとつ。ラベンダーはまだちらほら程度の咲き具合でしたが、最盛期の7月になると駐車場待ちの車が道を埋め、たどり着けないバスを途中で降りて園地まで歩き、挙句の果て滞在時間が10分しかないツアーもあったとか。6月中に来てよかった。園内はインバウンド(外国人観光客)で大賑わい。最近の道内観光客の8割はインバウンドというのもうなずけます。

ガーデン街道3番目は“風のガーデン”。脚本家の倉本聰さんが上野ガーデンを見て、新富良野プリンスホテルのゴルフ場跡地にガーデンづくりを上野さんに依頼。その打ち合わせの中から庭を舞台としたTVドラマの構想に発展したとか。クリエーターのコラボが結実したガーデンといえます。
(10月号へつづく   by mit)

静かなむらに従業員3800人のショッピングセンターがやってきた(のらやま通信261/1608)

2016年08月18日 | 散歩漫歩
どちらから?と問われたら「柏です。柏でも家の周りが田んぼと畑の田舎です」と答えます。田舎は田舎なりにこの10年ずいぶん変わりました。振り返ると道の駅しょうなん農産物直売所ができたこと(2001年)と40万都市柏市の農家になったこと(2005年吸収合併)はわが家の農業経営のターニングポイントでした。
 それまでもわが家の梨の販売については、お客様の紹介や送り先様がお客様になって下さるなどの形で直売シフトしていましたが、農産物直売所は自分の出したものがお客様に認められれば商品たりうるわけです。ばあちゃんが趣味で作っていた切花が墓参り需要に合致して売れる!自家用につくっていたインゲン、ミョウガ、切り干し大根がお金に換わる!わが家だけでなく仲間たちも創意工夫をし、ズッキーニ、花オクラ、ロマネスコなど面白野菜をつくってきました。
5年遅れて柏市内にもうひとつの農産物直売所「かしわで」がオープンしました。ふたつの直売所オープンから15年がたち、農家開設の直売所からインショップの地元野菜コーナーまで林立し、専業農家も直売にシフトせざるをえない時代になりました。
 地域の中で直売所の存在が当たり前となった今、直売所も環境の変化の対応に追われています。ひとつは大型化。来年度、我孫子市の農産物直売所「あびこん」が手賀沼湖畔の県の環境学習施設を改修して新たな直売所となります。もうひとつは、飲食サービスの提供。「あびこん」は移転に際してカフェを併設するそうです。先月「かしわで」にも農家レストラン「さんち家」がオープンしました。地元野菜をふんだんに使って農家のおかあさんが出汁から自前で作るビュッフェスタイルのレストランで評判は上々のようです。
40年間、柏の象徴であった百貨店そごう柏店がこの9月閉店となります。一方で郊外型の大型ショッピングセンターが次々とオープンしています。モラージュ柏、イオンモール柏、ららぽーと柏の葉、流山おおたかの森S・C、…。さらに 今年の4月には近くの国道16号線沿いにセブンパークアリオ柏がオープンしました。13万平方メートルの敷地にヨーカドーを中心にテナントが200店舗!従業員3800人!駐車場4000台!公園も併設しています。映画館、ボーリング場、カラオケ…、物販と飲食とレジャーとなんでもあって1日家族連れで過ごせるところ。4月25日のグランドオープンの日には開店前に3000人が並んだそうです。開業10日間で100万人突破。これはセブン&アイグループ史上最速の記録だということです。
道の駅しょうなん農産物直売所はどうするか?道の駅しょうなんは、2015年に国土交通省より地域活性化の拠点を形成する重点「道の駅」の候補となりました。地域活性化の拠点となる優れた企画の具体化に向け、地域での意欲的な取り組みが期待できるものとされます。
柏市の計画では『都市部と農村部を繋ぐエントランスパークとして整備し、地域の自然・人・農業にふれあい、学び、交流する拠点』と謳っています。直売所リニューアルのほかレストラン、体験農園、多目的広場、インフォメーションセンター等々、平成31年オープンを目標に検討が進められています。
市街化調製区域という都市計画決定、米の減反政策、ライフスタイルの変化による子供たちの流出などの要因がたまたま重なり50年ほど静かであったわがむらにも大きな波がやってきています。街のすぐ隣で、自然の風、鳥の声、虫の声、田畑を見やれば季節の移りかわりを五感で感じることができるということに価値があるなら、それを誰がどうやって作っていくのか。農業で生きていかねばならないとしたらどう農業で生き残っていけるか。街の人たちや外から人々を招き、その交流によって地域を活性化したいというのであれば、なによりそこに暮らすわれわれが生き生きと農的生活を楽しんでいなければなりません。そのうちに住みたいという人がきてくれるなら、こんなにありがたいことはありません。      (BY SACHI)


梨の実、いろいろありの実(のらやま通信260/1607)

2016年07月18日 | 梨の品種
梨の品種、世間一般に広まっている品種は「幸水」「豊水」「新高」「二十世紀」くらいでしょう。近頃は「あきづき」「かおり」も知られてきましたが片手で数えられる品種数しか見られません。梨は九州から北海道まで栽培されている果物です。国の研究所で品種改良されできた品種だけでなく、それぞれの地域のオリジナルの品種もあります。埼玉の「彩玉」、栃木の「にっこり」、鳥取の「新甘泉」は知名度もあることでしょう。千葉にも「わかひかり」といったオリジナル品種がありますが知名度はまだまだこれからです。
 そんな中、わが家で現在栽培されている品種は早い時期から順に「なつしずく」「幸水」「秋麗」「豊水」「あきづき」「新高」「新興」「王秋」「晩三吉」「新雪」とあります。さらには現在「香麗」「なつみず」「甘ひびき」「豊華」の4品種を育成中です。そんなこれから世に出てくるであろう育成4品種の紹介をします。

●香麗
神奈川県農業技術センターで育成された品種。収穫期は7月下旬~8月上旬で、「幸水」より2~3週間早い極早生品種である。大きさは400g程度となり極早生品種としては大玉になる。糖度は13%を越え、酸味はほとんどない。果肉は「豊水」並に柔らかい。

●なつみず
 こちらも神奈川県農業技術センターで育成された品種となる。収穫期は8月上旬で、「幸水」より10日程度早い生品種である。大きさは400~500g程度となり、香麗よりさらに大きくなる。糖度は13%を超え、わずかに酸味はあるが甘みと酸味のバランスがよく食味良好である。

●甘ひびき
 愛知県安城市の個人による育成品種となる。収穫期は8月上旬で、「幸水」より10日程度早い早生品種である。大きさは「幸水」より大きく600g程度で大きなものは1㎏を超えるという。糖度は13%を超え、酸味は「幸水」より弱く、ほとんど感じられないほどだという。

●豊華
 埼玉県菖蒲町の個人による育成品種となる。収穫期は9月下旬で「新高」とほぼ同時期である。大きさは「新高」と同じくらい、650g以上となる。糖度は14%を超え、とても甘く、肉質は柔らかく果汁が多い品種だという。

上記の4品種のうち、上3品種は「幸水」より早く収穫できる早生品種です。中でも「甘ひびき」に注目しています。他の品種は2本しか植えていませんが、「甘ひびき」は昨冬10本新植しました。「甘ひびき」は今や『マツコの知らない世界』で紹介されるなど、これからの梨業界を担う品種になると期待されています。これらが食べられるようになるには、まだまだ数年かかります。今から待ち遠しいです。
梨と言えば、昔は「長十郎」、今は「幸水」「豊水」が一般的ですが、10年後20年後には変わっているかもしれません。今ある主要品種である「幸水」は1959年に、「豊水」は1972年に、「新高」は1927年に品種登録された品種なのです。「幸水」が品種登録されてから半世紀以上、そろそろ新しい有望品種が出てきても良いかもしれません。
現在、わが家は日本梨だけでなく、他の果物も栽培し始めています。桃やスモモ、りんご、洋ナシ、サクランボ、キウイフルーツなど。キウイフルーツ以外はどれも数本しかなく、まだ趣味の園芸レベルですが、これからわが家に合った品目を見極め、梨だけでない大人も子供も果物を楽しめるフルーツパークを目指していきたいと思います。      (co-sk)


われらの街はわれらで守る(のらやま通信259/1606)

2016年06月25日 | わが家の時時
「別れ!」の掛け声により、2ヶ月間の練習とたった10分ほどの本番をやり遂げた。長く厳しい練習の成果をすべて発揮することはできなかったが、柏市で6位入賞という十分な結果を得ることができた。柏市消防団による第54回消防操法大会の記録だ。消防操法とは日本の消防訓練における基本的な器具操作・動作の方式で、第二次世界大戦後から主に消防団の訓練形式として行われているものだ。消防操法の存在意義の是非についてはいろいろあるがここでは述べないでおこう。
 私は本業のほかに地元の消防団に属している。現在、4年目だ。私の地区はまだ若い人がいるため任期2年で退団し、数年後再入団しまた任期2年というサイクルの形をとっている。近くの友人の地区では入団したら20年、30年が当たり前というところもある。まだ私の地区は恵まれている方だ。しかしながら任期2年の交代制も都市部への若年層の流出によりいつまでもつかはわからないところ。昔は消防団が地域に根ざした組織となっていたが、今は個人のプライベートが尊重され、昔ながらの「風習」は通用しなくなっている。
そもそも消防団とはどういうものなのか。通常は本業を別に持つ一般市民で構成されており、地方自治体における非常勤の特別職地方公務員となる。ただ公務員とは名前だけでボランティア団体に近い。消防署員の補助的な役割を担い、消火活動、救助活動、水防活動、防災の啓蒙活動等を行う。基本的には消防隊の後方支援であるが、時には消防本部の消防車より早く火災現場に駆けつけ初期消火や周辺住民の避難誘導を行う。「われらの町は、われらで守る」という強い使命感と郷土愛、助け合いのボランティア精神によって成り立っているものだ。
 2011年の東日本大震災では250人以上が消防団員として亡くなったという。防波堤の水門閉鎖や住民の避難誘導している最中に亡くなっている。記憶に新しい4月の熊本地震では熊本に住む消防団に属している学生時代の友人らが昼夜問わず住民の安否確認や行方不明者の捜索、道路の上の瓦礫撤去作業を交代しながら行っていたという。これらはやはり地元を、自分の暮らすこの町を、住民を守りたいという郷土愛からきているものだろう。私の任期中は今のところ地元の地区での大きな災害はないが、昨年の7月には近隣地区で柏市最大規模の火災、産業廃棄物の中間処理場の火災があり、12時間現場に留まったこともあった。その時の様子はまだ目の奥に焼き付いている。深夜0時を過ぎたころ外からサイレンの音が聞こえる。消防団員には消防署から一斉メールで火災現場の情報が知らせられる。自分の地区はもちろんのことその周辺の地区が火事であった場合でも応援として駆けつけることになっている。雨模様の真っ暗な夜空に染みわたる真っ赤な炎とグレーの煙、車で現場に駆けつけたときガラス越しに見たあの光景は忘れられない。現場ではありったけのホースを出してはつなぎ、署員の放水する最前線へと水を送った。交通整理等を行いながら消火の行方を見守っていたがなかなか消えず、朝にははしご車3台も登場し上方からの消火を試みていた。鎮圧するまで約半日かかりやっとのことで解散となった。その後完全に鎮火するまで2週間ほどかかったという当時新聞にも載ったほどの火災だった。
 「火災現場なんて消防署にまかせておけばいい」「消防団なんていらない、税金の無駄使い」こんな声をたまに聞く。柏市の消防署における統計を見ると、昨年の火災総件数は102件、救急総件数は18104件、救助総件数は284件にもなる。救急だけでみると49.7件/日、2.1件/時、30分に1回柏市内のどこかで救急車が走っていることになる。柏市の消防職員数433人、消防団員数は地域ごとに分けられた42分団に女性分団を合わせた計43分団、人員合計631人という。消防職員より消防団が多いのが実状である。これは全国的にみるとさらに顕著で消防職員約16万人に対して消防団員約86万と5倍近くの差がある。わが家の近くにも分署ができたが、その分署の人員はごくわずかしかいない。その分署の担当する区域内で救急車が出てしまったら、直後に火事があってもすぐに出られないのだ。少し離れた本署から駆けつけてもらうしかない。その点、消防団であれば地元で働いている人が半数以上なのですぐに消防小屋へ行き、消防車を発進させることができる。消防士には休日があるが、消防団活動は年中無休だ。手当は雀の涙ほど。現着後すぐ解散でも、12時間拘束されたとしても一律である。あくまでもボランティアだ。現場においては地域の現場をよく知っているから、水利がどこにあるか、地域住民の把握に素早く動ける。消火のプロフェッショナルの消防士よりも、消防団は地域住民にとっては役に立つこともあるという。
 現在消防団の人員は減っている。良い意味でも悪い意味でも「風習」による団員の体力的、精神的に負担が非常に大きく、自ら団員を遠ざけてしまっている現状もある。時代に応じた柔軟な組織運営が必要だと自治体・消防団が自覚すべきだと考える。                (co-sk)


社会共通資産としての農地を引き継ぐために (3/3)(のらやま通信258/1605)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

効率が最優先される農業の現場で個性的な障がい者の居場所があるのか。似たような話が畑でもいえそうです。効率が最優先される農業の現場で基盤整備されていない“個性的な”畑が役に立つのか。作物を生産する場としてだけで評価されない何かがないと難しいかもしれない…。労力をかけなく済み、それでいて社会的ニーズがあって、少なくとも再投資できるほどの収益が上がるもの…。そんなことを考えていたところ油糧作物にたどり着きました。ナタネやヒマワリは花が咲けば景観作物です。種子から搾れる油はビタミンEの豊富な健康的な食用油です。健康志向の社会的ニーズも高そうです。もし油が採れなくともお花畑にできただけでも農地として維持できます。遊休農地が解消されます。ナタネは収穫・調整まで機械利用体系ができていますが、ヒマワリは機械を使うと収穫時の損失が大きく、大規模に取り組んでいるところは少なそうです。手仕事になるヒマワリの種子採りはむしろ障がい者に向いているかもしれません。健康イメージの強い商品ですから、たとえば企業のギフト商品にしてもらえれば企業イメージも上がって、企業が障がい者を積極的に雇用するきっかけにできるかもしれません。この4年ほど、遊休農地を活用したヒマワリ油の商品化を模索してきましたが、今年からは障がい者との協働によるヒマワリ油を本格的に販売したいと考えています。

わが家は昭和の初めに分家に出て、私が3代目になります。独立した時点では十分な面積の田畑があったわけでなく条件の悪い田畑もあったそうです。自ら土地改良を行い、山林を切り開き農家としての基盤を築いたようです。腰まで水に浸かって稲を刈り取ったり、戦中、男手を兵士に取られ、慣れない牛車を曳いて堆肥を運んだことなど、じいさん、ばあさんからよく聞かされました。亡くなったじいさんの相続のときに、この畑はずーっとわが家の本流で守っていってほしいと懇願された土地もありました。
このような話は特別美談でも稀有な話でもなく、どの家にもどの農地にもよくある話でしょう。それぞれの農地にはその時々の農民の汗と涙が浸み込み、それぞれの思いが宿っています。原野を開墾し、時には隣人と境界争いをして、子孫が飢えることのないよう土地を耕し子孫繁栄を願ったはずです。今年、堆肥をすきこんでも、その肥効が現れるのは来年かもしれないし、10年後かもしれない。でもいつかはいい畑を残してくれてありがたいと感謝される。後々、自分の行いが評価されるかぎり自分は“生きている”。もちろん、長い時の流れの中では所有者が代わったり、家の断絶もあるでしょう。しかし、地域としてみれば豊かな田畑は個々の所有者のものだけでなく、地域の財産、資産でもあるはずです。
“規模の経済”で維持できない田畑があるなら、家族農業も“効率化”のなかで存続できないなら、別の価値、社会的価値を生み出しながら引き継がねばならない。そんな思いから消費者や障がい者の方々を田畑に招き入れる試みをしてきました。
これからの農業経営は、家族経営はもちろん、大規模な企業的経営であったり新規就農や企業参入があったり、様々な形態が混在するでしょう。新規就農も企業参入も時代の趨勢ですから志があるならぜひ挑戦していただきたい。ただ、地域の先人たちが築き上げた農地という社会的資産の意味を理解したうえで挑戦してほしいと思います。
社会と経済のグローバル化が標榜される一方で、人と人とのつながりが切り裂かれ、ライフスタイルも個人化し、これまでの地縁、血縁、組織縁というのがどんどん薄く細くなっている気がします。グローバル人として生きていける人間はごく一部の限られた人だけです。その他大多数は新たな人間関係や働き方を探さねばなりません。私は“顔の見える関係”や地域の資源をもとに付加価値を生み出すというなりわいに共感してくれる人たちとともに喜びを分かち合って生きていきたいと思います。
(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介しています。     by mi)
(2016年5月)

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (2/3)(のらやま通信257/1604)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

数年『農教室』を受講すると毎年同じような作業をすることになるので、何か新しいことに取り組みたいという会員もでてきます。そんな中から、自分の食べる米を自分が納得する方法で作ってみたいという声が出てきました。近接地で新たな水田を用意できるほど地元でまだ認められていませんでしたので、わが家の田んぼでやってみますかということに。でも、わが家も経済活動として米作りをしているので、その田んぼでできた米は全量買い取ってもらいますよとお願いしました。それがわが家の「納得米プロジェクト」、消費者自身が農作業をする米のオーナー制度です。食べる米を自給するというのですから、当然、農業機械利用が前提となる規模の水田です。トラクターも田植えきもコンバインも消費者自ら操作してもらいます。それがこのプロジェクトの魅力のひとつでもあったようです。
初年度は5人が20aの田んぼで、その後メンバーが増えて10人で50aの田んぼで米作りをしたこともありました。10aあたり8俵の米が収穫できると、一人当たり4俵。4人家族なら平均的な米の年間消費量1俵に相当します。家族の食べる米を消費者自身によって自給できることになります。初めの5,6年は除草剤を使わない米作りを目指してぬか除草や機械除草などいろいろと試みたのですが、雑草を抑えられず手取り作業が年毎に負担になり、途中から除草剤を使用することに。わが家の『納得米プロジェクト』は13年続きました。わが家からすれば50a分がオーナー制として常に売り先が決まっていたのはありがたいことですし、人手を要する苗作りなどでは一緒に作業をしてもらい、たいへん助けられました。
『手賀沼トラスト』が活動を始めて10年が過ぎるころから周辺の農家の理解も得られ、いろいろと声をかけてもらえるようになりました。また、樹林地の地主であるHさんが亡くなり、H家の畑50a、水田20aも管理しなければなりませんでした。しかし、任意団体のままでは農地を正規に借用できませんし、組織としてこれだけの面積を管理する組織力もありませんでした。そこでわが家の『納得米プロジェクト』のメンバーを中心にH家から作業受託する任意団体をつくり、観光サツマイモ農園の運営と米作りを始めました。『手賀沼トラスト』としては法的問題を解決するため2011年7月にNPO法人化し、農業機械操作のできる会員も増えきました。2014年からは手賀沼に面した遊休農地10aにヒマワリ、ナノハナの景観作物を栽培して、我孫子市の補助金対象事業に取り組んでいます。今年は新たに手賀沼に面した20aほどの遊休農地で景観作物を栽培し、来年からは80aの水田で周辺住民を巻き込んだ米作りもはじめる計画を立てています。街の人たちを巻き込んだ任意団体を立ち上げてから17年、ようやく農地保全の担い手として周りから期待されるところまできました。

一方、都市近郊でありながら純農村風景のままのわが家周辺でも耕作放棄地が目に付くようになりました。基盤整備された水田はまだ規模拡大をめざす稲作農家に利用集積されていくのですが、畑はなかなか新しい担い手は見つかりません。野菜専業農家であっても労力面から規模拡大には限度がありますし、そもそも市場出荷から直売にシフトした生産者は規模拡大にはあまり興味を示しません。そんなときに障がい者を雇用する企業の方と知り合いました。農家の労力不足に障がい者が役立てられないかということでした。労力不足で悩んでいた露地野菜をつくる農家に相談したら試してみたいということで、一年、様子をみました。結果は、補助的労力にはなりえても一緒に行動する人材が必要で、単純には労力の補強にはならないとのこと。障がい者がかかわるなら別の業態を探さねばなりません。




(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介しています。     by mi)
(2016年4月)

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (1/3)(のらやま通信256/1603)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

TPP、農家のあなたはどう思うの?と問われることがあります。「農業者もある程度は国際的な自由経済の中で生き残りを図らねばならないとは思うけど、TPPのような外圧を待つまでもなく、日本の農業はすでに内部崩壊しつつあって、消費者の皆さんがこれから何を食べていくのかを考えた方がいいですよ」というような話をします。
 今、食料品売り場にいくと地場産のものだけでなく輸入されたものから植物工場でつくられたものまでいろいろ並べられていて、一見、豊かな食べ物があるように見えます。でも、どの店にいっても同じようなものが並んでいることに気がつきませんか。違う名前のスーパーマーケットであっても同じプライベートブランド商品であったり、いつも同じような野菜が並んでいたり…。実は農産物流通はすでに市場機能が失われ、少数の大手業者によって支配されています。均一な品質で大量に流通できるものしか店頭に出回りません。当然、生産側も大規模化して、売れるもの、効率的に作れるものだけを生産することになります。いつでもどこでも同じ農産物しか流通しない。言い方を換えれば、もしかすると食べたいものが食べられないのかもしれない。それって、空腹にはならないけれど家畜の給餌のように“食べさせられている”ことになりませんか。食べたいものを食べるには、自分で作るか、誰かに頼んで作ってもらうしかない。前者なら市民農園とか体験農園とか。後者なら提携とか、契約栽培とか…。
 農産物の流通がこういう状態ですから農家も変わらざるを得ません。市場が崩壊し米価も下落している。これまでなら兼業農家という選択もあったけど、これからは農業事業者として自立するか、離農するかのどちらかを選択することになる。農地も大規模経営に適した効率のよい農地しか守れない。最近の農政の大転換はこれらをさらに推進する方向です。30年前、私が就農する際、環境問題へのひとつの取り組みとして生活と経営が両立できる家族農業が理想という思いがありました。しかし、担い手不足や耕作放棄地など当時も課題とされた状況が、さらに深刻化しているように思います。

20年近く前、知人を介して我孫子の農家Hさんを紹介されました。}Hさんの家には中世の城跡でもある裏山と手賀沼に面した田畑があります。後継者もなく、自分も高齢化して維持するのが大変になってきた。JRの駅から歩ける範囲にあって開発圧力も高まっているが、なんとかこの環境を残したいということでした。Hさんの家のまわりは農村景観が残っているけど、その裏には住宅地が広がっています。朝夕や休日には多くの人が散歩しています。手賀沼と農地とそれに続く樹林地は周辺に暮らす街の人たちにとっても財産のはずです。だったら、街の人たちにもこの環境を維持管理してもらえるような仕組みをつくりましょうということになりました。1999年2月に「手賀沼トラスト」という任意団体が発足しました。実態はともかく大きな志を反映した名前にしました。
「手賀沼トラスト」の会員のうち農家会員は地主のHさんと私の二名。ほかはみな街の人たち。樹林地の下草を刈ろうにも刈払機を使ったことはありません。子供時代に田舎で農作業を手伝わされた経験があって、リタイアして時間にゆとりができたので土いじりでもしてみたいという方ばかりです。農作物栽培の基礎知識も持ち合わせていません。環境保全とは掛け声ばかりで担い手となる人材を育成するところから始めなければなりません。たまたま会員の中に大学農学部で先生をされていた方がいましたので、『農教室』を設け、その方に講師になってもらいました。







(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介します。     by mi)
(2016年3月)

女ががんばる都市近郊酪農(のらやま通信255/1602)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

 とうかつ女性農業者ネットワークという千葉県北西部東葛飾地域の農家の女性達の集まりがあります。母はそのグループのメンバーで、年に数回の集まりを通じて地域の仲間たちと交流・学習をしています。冬は比較的時間がとれることから、先日、東葛飾地域の農家2軒と1事業所の見学に行きました。今回、母として私がうれしかったのは、オヨメと一緒に参加できたことです。同じものを見てきいて何を感じてくれたか、若い女性の感覚であちらこちらの農家女性の姿をみてほしいと思いました。
うかがったのは船橋市のM牧場。女性オーナーがきりもりしていました。年のころ40代前半?先代はとなりの鎌ヶ谷市で酪農と梨の複合経営をしていたそうです。牛の排泄物を堆肥にして果樹を育てるという循環農業でしたが、住宅地の増加に伴って気をつかうことが増えていたそうです。そのころ長女のMさんは1年間ヨーロッパの酪農家で研修をし、そこでの経験がその後の彼女の進路を決定づけたそうです。鎌ヶ谷市から船橋市へ移転し、ヨーロッパの機械を導入して牛を飼う酪農をはじめました。
搾乳、乳搾りは朝と夕方の二回。牛にえさを与え、糞尿の始末もして堆肥にする。人間より大きな体の牛を相手にするのだから仕事の大変さは想像できます。でも、たいへんであろう日々の仕事をこえた、なにものかに達成感と充足感を感じるのだろうなと彼女の話しぶりから感じました。要するに『牛がすきなのね』ということです。「体の模様がちがうだけでなく、毎日世話をしていると牛の体調の変化もわかる」無責任な突然の来訪者であるおばさん軍団は牛たちを見てカワイイとのたまう。
M牧場の牛たちは一定のスペースのなかに何頭かがいてフリーで動けるようになっていました。ヨーロッパスタイルの育て方です。フリーで牛が自由に動ける一方、精密に牛は管理されています。牛の固体識別番号が足にICタグ付けされ、とハンディターミナルで管理されていて、搾乳の時にICタグを読み取ってウシ君がその日に何歩歩いたかわかるしくみになっています。歩いた歩数で牛の健康状態がわかり、発情期までわかってしまうそうです。M牧場は搾乳をする農家ですが、牛に乳をだしてもらうためには牛が出産をしなければならず、毎週のように牛の出産があるそうです。朝夕の搾乳に加え子牛の世話もして、まさに100頭の牛の家族がいるという感じでした。
 搾乳スペースも見せてもらいました。人間がおっぱいに手をやってしぼるのではなく完全に自動化されていて乳首を消毒したらホースつきの機械をとりつけて牛乳は自動的に搾乳されるそうです。牛の固体管理や飼育・搾乳のシステムは彼女の判断で海外のシステムを取り入れたそうですが、海外研修した彼女にはわかっても家族にはそれが伝わらず、栃木の先進農場へ視察に行き、家族を説得したそうです。
 わが家のオヨメのワンポイント感想「よその家は効率化していると思った。」今回の研修のキーワードその1は『作業の効率化』でした。効率があがったら、働きやすくなり、自由な時間が増えるかもしれませんし、あるいは仕事を増やすことができるかもしれません。M牧場の場合、従業員が数名いました(労働の外部化)。牛の固体管理のシステム化により特定の人のカンにたよるのではなく、だれでもが牛の状態がわかるようになっていました(機械化とシステム化)。
 総じて酪農の世界では大きなお金が動きます。牛自体高価ですし、設備投資も半端ではない。びっくりしたのはえさの干草はすべて輸入だということです。円高だ円安だという為替レートの変動によってえさの価格はかわるのだなあと倉庫の干草を目の前にして思いました。戦後の物価の優等生は牛乳とタマゴといわれてきました。価格が変わらないということです。生産者の努力のたまものだと頭を下げると同時に国産の牛乳といいながらえさは外国産、ちょっと複雑な感想ももちました。

 そしてそして、わがやの『非効率を効率化する』最大の課題は山のような書類の整理整頓です。特に母である私!(笑)つぎからつぎへと仕事を抱え追いつかないという実態ですが、まあ、失せモノさがしの時間の多いことこのうえなしです。その点オヨメはそれが上手です。みならわなくちゃ。(by sa)
(2016年2月)

逸品はチャレンジしたものだけの称号(のらやま通信254/1601)

2016年04月28日 | かしわかあさん

 「農産加工所かしわかあさん」はわがやの母の“お城”。加工所の営業者となって4年、加工場を立ち上げ、各種機械の取扱いを覚え、商品を開発、製造して、今年は売ることにチャレンジします。
 梨の加工品も8種類になりました。ジャムが2種類に、ドレッシング、焼肉のたれ、梨入りパウンドケーキ、蒸しパン、ソフトクリーム用ジャム、パン用ダイスカット。これらの原材料として利用している梨は、宅配の箱にも直売の袋にも入れられないC品、キズついたり、落下したりしたもの。傷ついていても家族が日々汗を流して育てた梨はかわいい子どもたちです。さらに手をかけて目をかけて作った加工品は目に入れても痛くないかわいい孫たちです。
 「朝市で買ったのだけど…」「S百貨店で買ったのだけれど…」どこのお店で売っているのですかって、ときどき直接お客様からお問い合わせがあります。商品のラベルに記載された連絡先を見てわざわざ連絡をいただいたことをうれしく思う一方、柏駅近くで月1回開かれている朝市もS百貨店もたまたまの販売です。より広い販売先を考えなければいけないなあ、と。
 現在、道の駅しょうなん農産物直売所と農産物直売所かしわでの2箇所が常設の販売店です。次の一手(一店)を考えて営業をかけるのでしょうが、むやみに動いても…。そこでまずは「知ってもらう!」ということで『ちばの食の逸品2016』コンテストへチャレンジしました。
 『ちばの逸品』は千葉県産農林水産物の加工品で埋もれた逸品を発掘し、これに光をあて、商品力の向上や販路拡大を支援することを目的としたもの。商品を特徴づける原材料は100%千葉県産であることが条件です。梨加工品は大いに参加に値すると思い、応募を思い立ちました。
昨年秋から予備審査(書類審査)、1次審査(一般審査員による食味審査)を経て、わが家の“かわいい孫たち”も幸い1月20日の最終審査に残りました。
食のプロの面々にどう評価されるか、審査員のかたがたとのやり取りの中で今後へのヒントが得られるのではないか、そんな期待を持って出かけました。
審査のポイントは①千葉県らしさがあるか、②原材料・栽培・加工の方法等に特徴があるか、③パッケージデザインは優れているか、④販売ターゲットの設定と商品は合っているか、⑤食味が優れているか。千葉県の梨は、栽培面積、収穫量、産出額ともに日本一ですからポイントの①と②については問題なし。⑤の食味についても、一般審査員の試食では一定の基準はクリアーしています。あとは審査員の皆さんのおこころのまま…。
今年の最終審査に残ったのは、(1)たまご農家の作ったプリンと卵焼き、(2)九十九里の海水から作った塩、 (3)養豚農家の作ったソーセージ、(4)無農薬のコシヒカリの米粉で作ったケーキ、(5)わが家の梨で作ったジャムの5点。いずれも生産者がこだわりを持って作った原材料を自ら加工した商品。商品への思い入れはみんな同じです。パッケージデザインと販売ターゲットの設定、これが課題だぞとまず思いました。
審査員の方々からは次のようなアドバイスをいただきました。「千葉県の梨は日本一でこの商品ならどこへも営業できる。とびこみ営業でがんばれ。」「販路を広げるとき価格をどうするかよく考えたほうがよい。地元の直売所での販売価格とはちがいます。」
やるっきゃないですね。
審査結果は1週間内外で届くとのこと。上位入賞した商品については、入賞後1年間以下のような支援がされます。1.PR機会の提供(マスメディア等への商品情報提供、千葉県の県産品PRサイトでの紹介、千葉県PRイベントへの優先参加)、2.販売機会の提供(イベント等への優先出展)、3.商品力向上のための助言等の支援。これがあれば営業しやすくなります。
良い知らせがくるにせよこないにせよ、自分でハードルを選んでチャレンジしたことに無駄はないはずです。(by sa)
 
(2016年1月)

食卓から地球を冷そう(のらやま通信232/1403)

2016年04月28日 | 農のあれこれ


植物は空気中のCO2を吸収して育ちます。しかし、その木を燃やすと、木に吸収されたCO2が再び空気中に放出されます。また、そのまま地中に埋めても微生物に分解されて、CO2に戻ってしまいます。そこで、木を炭にして炭素を固定します。炭は地中に埋めても分解されず、CO2に戻りません。つまりCO2が排出されません。炭を埋めた畑で栽培された野菜。それが地球温暖化の原因とされる空気中の二酸化炭素を削減し、地球を冷すことが期待されるクールベジタブル、つまり『クルベジ』です。
京都に出かけるついでがあったものですから、こんなクルベジの社会実験をすでに始めているお隣の亀岡に立ち寄ってみました。
亀岡では放置されて困っている竹林を地域の未利用バイオマスとしてとらえ、バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用カーボンクレジット 取引→クルベジ® 販売という流れをつくっています。竹の伐採、炭化は地元の民間事業者に任せ、市農業公社が竹炭と混合した堆肥を製造し、炭の投入実績を管理するため散布まで行います。協賛企業5社からは栽培地看板や商品ラベル等についてクレジット取り引きしています。
 
販売は地元のスーパーマーケットで扱ってもらっています。店の入り口の正面に「クルベジ」コーナーが置かれ、5分ほど観察していたのですが、その間でも何組かのお客さんが足を止め品定めをしていました。残念ながら購入した場面には立ち合いませんでしたが、マスコミで取り上げられ、小売店の努力や広報等によりその存在はある程度は認知されているようでした。ほかのノーブランドの野菜の価格と比較しても、特に高いというわけでもないようです。もしかすると、ほかの野菜コーナーと離れた場所の特設コーナーであることが、かえってほかの野菜と比較できずに、購入を躊躇してしまっているのではないかという印象も持ちました。
 
JR亀岡駅から徒歩で10分ほどのところにはクルベジ農法による市民農園が開設され、地元の農業者による農業体験塾のようなものも行われているようです。農作業にはまだ早い時期でしたから露地畑はまだ休んでいましたが、ビニールハウスの前には竹炭の入っているであろうローンバッグが置かれていました。
亀岡の事例は、大学研究機関と行政だけでなく、地元事業者・農業者や民間企業との協力を得ながら、社会実験がうまく離陸しているようです。あとは消費者がその価値を認識し、購入行動まで成熟すれば実験が成功。さらに社会運動という形に醸成されれば温室効果ガス削減の一歩にという期待が膨らみます。そのためにも柏市での社会実験が重要な役割を担うことになると再認識させられました。
 
わが家で行われた1月のナシの剪定枝の炭化試験の結果が少し前に報告されました。わが家の畑から排出される剪定枝は約9t。炭化した炭の量が約3t。そのうち難分解性炭素量が約1t。難分解性炭素とは炭から揮発分(有機質)やミネラル(灰分)を差し引いたもので、安定的に貯留可能な炭素・元素状炭素という意味のようです。
わが家のナシ畑から、計算上とはいえ、毎年1tもの炭素を固定化できるというのは予想以上の量でした。樹木は当然、竹やもみ殻よりも炭素の抽出率が高い値のようで、産地として取り組むようになればさらに大きな数値となって社会にアピールできるかもしれません。

山里はパネルもイネも籠の中(のらやま通信253/1512)

2016年04月28日 | 散歩漫歩

 この秋(冬?)もドタバタ家族旅。長野県伊那谷へ果樹の苗木を仕入れに行くついでに遠州から奥三河、東美濃地方を巡ってきました。
新東名高速道路を初めて走って、掛川市の観光農園「キウイフルーツカントリーJapan」さんへ。園内では各種キウイフルーツの食べ比べやバーベキュー、畑の散策、小動物とのふれあいなどができます。収穫の最終期でしたが、6種類のキウイフルーツを試食できました。写真右側からゴールデンイエロー、ヘイワード、アップルキウイ、農園オリジナルのピュアカントリー、ゼリーのような果肉のファーストエンペラー、小さいけれど特別甘くて一番人気の紅鮮。段々甘くなる順番でした。
掛川から浜松にかけて「ブルーベリーの郷」や「豊岡梅園」「はままつフルーツパーク時の栖」などの果物をテーマとした大規模な観光農園が立地し、生産、加工、販売だけでなく体験プログラムまで競いあっています。消費者は季節ごとにどこに行こうかと楽しいでしょうが、経営する方は生き残るのにた~いへん。
奥三河の山里を走っていると、こんなところまでと思えるようなところにもネットフェンスで囲まれたソーラーパネル。あれ?栗畑にもフェンス?ウメ畑も?なんでなんで?と思っているうちに、田んぼ全体を取り囲むフェンスが出てきて、ああそうか、イノシシ避けなんだと。ここでは田んぼに入るのにはフェンス扉の鍵も持って行かねばなりませんね。でも、クリ畑まで囲わねばならないとは…

恵那市岩村の町並み。ここは鎌倉時代からの城下町で、まだ昭和、大正の雰囲気がプンプン。どの家の玄関先にも花が飾られ、町が大事にされている様子がうかがえて好感持てます。通りの正面に見える山の上が東美濃岩村城跡。天空の城と呼ばれて最近人気の備中松山城と並んで日本三大山城のひとつとか。岩村の町から少しはずれたところに「農村景観日本一の地」という看板がありました(岩村町富田)。京都大学の先生がこの景色を気に入って、そう名付けたとか。写真正面中央山頂が岩村城址。古代の仁徳天皇のみた“カマドの煙”が見えてくるような盆地の散居風景でした。
中津川は栗きんとん発祥の地といわれ、栗きんとん屋さんが公式マップに14店舗も紹介されています。それぞれのお店の自慢の栗きんとんを食べ比べできるような企画商品も。先日、テレビで紹介されていたお店でお茶と一緒にいただきました。
伊那からの帰りはいつもここでひとっ風呂浴びてひと休み。昭和3年建設の諏訪片倉館。片倉製糸工場従業員向けの保養施設で、ヘルスセンターの原型?映画「テルマエ・ロマエⅡ」のロケ地にもなったようです。国の重要文化財指定の産業遺産のひとつ。
 いつもの突貫旅行でしたが、すっきり気分転換できてこれからの冬仕事に励めます。  (by mit)

(2015年12月)

相関と因果と直感と科学(のらやま通信252/1511)

2016年04月28日 | ミツバチプロジェクト

7月に国立環境研究所で「ネオニコチノイド系農薬と生物多様性」という公開シンポジウムが行われました。この農薬は90年代から主力殺虫剤として広く使用され、農業生産に大きく貢献してきました。一方で、欧米を中心にミツバチ類など野生生物への影響が問題視されていて、国内の一般市民の間からもそのリスクを懸念する声が出されています。今回のシンポジウムは第一線で研究されている4人の研究者たちがこの殺虫剤に関わる問題の最低限の事実関係を整理し、生態リスク評価を考えるうえでの注意点を整理したいという趣旨で行われました。
わが家のナシ栽培でもネオニコチノイド系農薬は特にアブラムシ類の特効薬として使用しています。この農薬は昆虫以外の人や野生動物への影響がなく、①卓越した殺虫効果。②浸透移行性、③残留性のような特徴を持っています。たとえば、アブラムシは植物の生長点に取り付き植物の生育に悪影響を与えます。殺虫剤を散布しても植物が成長したら、またアブラムシが寄ってきます。ネオニコチノイド系農薬は一度散布すると、植物の中に浸透移行し、時間がたち新たに成長した部分に取り付くアブラムシにも殺虫効果があります。結果として農薬散布回数が減り、農業の現場では“21世紀農業の救世主”“理想的な農薬”と言われたこともありました。
ところが、この農薬が普及し始めた頃から昆虫の数が減少し、特に欧米からミツバチの大量死が報告されるようになりました。ネオニコチノイド系農薬の出荷量の増大と昆虫の数の減少に相関関係があるというのです。その後、この農薬がいかに悪かという議論が活発化し、EUでは2年間、この農薬の使用を禁止し、環境への影響を把握するという事態にまで発展しています。
このような現状に対して、4人のパネラーたちに共通していたのは、農薬悪者論のほとんどが科学的データのない中でリスク評価されている、論理的思考ではなく直感的判断にしか過ぎないという意見でした。
まず「毒性が強いこと」と「リスクが高いこと」は別のもの。ミツバチに対して毒性の低い殺ダニ剤の方がリスクの高いことは証明されている。ダニのいないオーストラリアではミツバチの大量死はない。昆虫の減少と携帯電話の普及率にも相関関係があるが、電磁波の影響はないのか…。科学的にはどの因果関係もまだ証明されていないといいます。
農薬を使用しないと農業生産量は激減し、減農薬を実現しているエコファーマーの半分はネオニコチノイド系農薬を使っているといわれます。たとえば農薬を使わずにナタネを作付けすれば減収し、収入が減ればナタネの栽培は減少。早春期の蜜源が減少することになれば、ミツバチにはさらにダメージになるという声もありました。全植物の3/4はミツバチ等の送粉者に依存し、それらの植物による農業生産額は一割弱のシェアーだが、ビタミンAの供給では五割を担っているそうです。
農薬は不可欠だし、重要な役割を果たしているミツバチが少なくなっても困る。要は、農業の持続性と生態保全性のバランスの問題。因果関係を解明しようにも実験室での行動と生態系のなかでの行動は全く異なり、科学的に判断することもたいへん難しい。ミツバチに影響を与えない殺虫剤の開発の方が早いかもしれないという意見もでました。ならば、それまでの間、どうすればいいのでしょうか。
玉川大学のN先生は、ミツバチたちのために蜜源植物を増やそうといいます。さいわい耕作放棄地が大量にあり、そこに花の咲く植物を植えれば地域の景観形成にもなる、と。
なあんだ、わが家で取り組んでいるヒマワリとナタネ(構想中)の地あぶらづくりと同じことじゃないか。生物多様性にも寄与できる仕事だと、専門家からお墨付きをいただいた気になってかえってきました。   (by mit)

(2015年11月)